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「有難う〇〇(店名)」

私はすこぶる性格が悪いので
どうにも臍の曲がったモノの見方をするらしいです。


ネットが普及して
SNSでのつながりがいろんな場所で喧伝されるようになって
「拡散」という言葉がすっかり市民権を得たうえで
更に死語にまでなりそうなくらいな昨今ですが

SNS拡散する情報の鉄板ネタに
お店の閉店情報がありますね。
SNSの普及以前からそうであったとは思うんですが
他の色んな情報同様加速してる感じがします。

「好きだったんだけどなあ、有難う〇〇(店名)!」
とか
「青春を思い出します。閉店は残念です」
など
まあ紋切型の言葉と共に拡散されていきます。

私もいい年ですから
お気に入りのお店がなくなってしまうなんてこともよくありました。
その時には私は決まって
「ありがとう」なんて言葉を口にする気にはなれませんでした。

「跡取りがいないとか、移転ならいいんだけど……
 経営悪化だったら嫌だな。もっと来てあげればよかったな」

勿論自分一人が足しげく通ったからって
そのお店の経営が上向くなんてことはないんでしょうけれど
私はいつもお店の閉店を見ると罪悪感というか後ろめたさの方が勝っていました。
今もそうですね。


閉店情報がBUZZっていたりすると
性格がひねくれている私は
何だかひどく腹立たしく思うのです。

「残念だとか大好きだったとかいうなら、
 それよりももう少しお金を落としてあげればよかったとか思わないのかなあ
 後ろめたさとかないんだろうか」

重ねるようですが、
別にお前ら一人一人が行けば店はなくならなかったなんて
牧歌的なハッピーエンドを望んでいるわけではないんですが
やっぱり何だか
そのBUZZをみてると腹立たしくなってしまう。

結局、
閉店っていうイベントをダシにして
好きなもの自己紹介で
仲良しの輪を広げたいだけなんじゃないの?
同情ポーズ見せて繋がって気持ちよくなりたいだけなんじゃないの?
なんて。

閉店情報のBUZZを見ると
必死に「経営悪化が原因ではない」という記述を探してしまう。
でも結局それも見つからないことが結構あって
「なくなるイベントに群がってるだけで中はどうでもいい」
が浮き彫りになってしまったりして
もっと嫌な気分を感じてしまう。

もし経営悪化だってわかってしまったら
お店の人はこういう言葉がBUZZっているのを見てどう思うだろう。
私だったら「好きって口で言うだけで店には来ない人たち…」って思う気がする。
そう思った上で更にうまく経営できなかったことに自己嫌悪するだろう。
その気分を想像すると、そのBUZZに乗る気にはとてもなれない。



まあ、性格の悪い人間の感じ方ですから、
一笑に付して無視して下さい。

名前のある家事

「夫という生物は
 名前のない家事というものを認識してくれない
 本当に使えないおっさん」
という雰囲気を醸成したいのでしょうか。

どうにも個人的に腑に落ちないなと思うのは
私は
「名前のない家事などないのに」
と思っているからかもしれません。

名前がないなら言語化出来ないはずだし
言語化出来ないならSNSに投稿できないはず。

つまり
単にタスクとして確立できてないだけ。
可視化出来ていないのは、
必ずしもおっさんどもの落ち度ではない。

「名前のない家事」という言葉は
おそらく専業主婦の間で喧伝されているのだろうと
個人的にみている。
いや「そうであってほしい」と願っています。

彼女らの言う
「名前のない家事」とは
本当のところは

「細々としていて無数にあり、
 ただし大きなカテゴリには類さない家事」

というだけだ。

それを「名前のない」として
まるで認知不能で説明できないタスクのように
見せようとしている。
もしくはそれを理解できないおっさんたちに
罪を被せようとしている。


さて
私はふつうのサラリーマンをしていますが…
「細々としていて無数にあり、
 ただし大きなカテゴリには類さないタスク」
なんていうのは同じく山のようにあります。

きっと世のおっさんはみんなそう。

でもそれに取り組むときに
「どのタスクにも所属しない不可視の時間」
として上司に報告しようものなら
真っ先に使えないやつとみなされ怒られる。

怒られ方は「仕事が出来ない」だけではない
「給料泥棒」として金銭的な損害をちらつかされかねない。
私を含めた大多数のおっさんどもの仕事場では
可視化出来ず何をしていたのか報告できない時間があるというのは
そういうことになってしまうの。

更に、
それを可視化するのは
上司でも客でもなく自分自身でなければならない。

それを誰かがしてくれるとおもって黙っているやつは
常に
「いそがしい、いそがしい、ねてない」
と踊っているやつに多いとおもう。
地獄のミサワキャラ。

実際に何をしているのか聞いても
「細かいこと色々あって自分の仕事が出来ないんだ」
と騒ぐばかりで
原因の分析を放り出しているので
解決の糸口もなければ、手助けさえ出来ない。
やっぱり使えないやつとみなされがち。

若いうちは許されるけどね。

おっさんどもは常に名前のないタスクを可視化して
もとから見えるタスクに入れ子したり併合したり
あるいはきっちり引き継ぎ資料を作って同僚に渡したりする。
可視化することそのものも仕事の内。
それを上司にわかるように報告、ときにはプレゼンするのも仕事。
なかなか理解してくれない相手に手練手管でなんとか伝えるのも仕事。

「相手が理解してくれない」なんて結果は認められず
「てめえの説明が足りなかった」という結果になる。

タスク名を書けない業務報告書なんか出そうものなら
「仕事として存在してない」ことを自ら申告しているようなもので
しかも仕事ではないことに時間を使ったと言っているのと同じ。

おっさんはだいたいそんな仕事をしてる。


だから
おっさんに
「名前のない家事」を理解できない
ということはないと思います。

勿論
「きちんと可視化して報告できる形にできていれば」
ですけど。



専業主婦に多いだろうなと思うのは、

仕事をしている女性は
タスクの可視化なんてのは常に求められるものだから
自然に出来ているはずだろうということ。

オーバーフローしているなら
同僚に引き継ぐつもりでちゃんと説明しているだろうとも思う。

そうでないなら……そっちのほうが問題だと思うけど。




タスクの可視化と必要工数の見積もり、報告
オーバーフローがあるならアラートの発報
同僚への引き継ぎ、説明責任

おっさんはつねにそれを求められて実践しています。

「名前のない家事」を叫ぶ人はどうでしょうか。


それが「実行すべきタスク」であり、
パートナがしかしそれを認識していないなら
タスクとして存在してることを説明すべきです。
「言わなくてもわかる」なんてのは主観的な独善でしかないのでは。
主観的な独善がパートナーシップに支障を来すのは
男女の差に関りのないことだと思います。



気付かないところでクズ扱いされるなんて
しかもその指摘も報告もないまま勝手に嫌悪感を深められるなんて
夫と言う生き物は不憫ですね。

めとお

女性という一括りを攻撃するつもりもないし、
NOを言える強さを否定するつもりもないけど、
報復を常とした多数という暴力に変わっていく恐ろしさを前にして
「近づきたくない」とおもうだけ。

なにが地雷でなにが沸点なのかわからないチンピラに
素直な感覚で近づきたくないのと、
私の中では感覚がよく似ている。




「私もだ」という集団圧力に対して
「私は変われるはずだ」だそうです。

件の原因を肯定などしないけれど
集団として巨大な力の可能性を知った当事者が
その言論をどのように扱うようになっていくか、
私個人は懐疑的です。

「これで人を殴っても誰も怒らないんだ」
という武器を持った集団は恐ろしく思います。

また、この集団は
「改心してその輪に加わると赦され、
 同じような武器を与えられる」のだとか。

「変われる」が
「変わってみせる」の意志ではなく
「変わりますからゆるしてください」と
赦しを請う言葉にされそうで怖いです。


性という
現実的に二値で扱われる属性に対して
正義と悪が結びつくなんて、
社会分断の極めつけに見えます。
(ここ最近は恣意的にこの分断を変えて正義を保っているようですが…。


怖い時代が来たなと、素直に思う。
…なんていうと
「後ろめたいことがあるからだろ」
っていうんでしょうけど。

報復の有無の基準が明確な境界線を持たず
被害者に対して全権的なアドバンテージがある
「ハラスメント」という魔法の言葉によって
恣意的に決められてしまうというのが恐怖。

意味不明で怖いチンピラ、と言うのはこれ。
正義の忖度を強いられ

まるで宗教と、魔女裁判と、変わらないじゃないか。
と寒気を感じる。


私は後ろめたいことなんてないつもりだけど
「相手がそうだと主張すれば
そうだということになるのだろう」場面は
幾らか過去にある。
あくまで普通に接しているつもりであったとしても。

「今迄男が虐待してたんだからこの仕打ちは当然」
と言われて
その非はない(つもり)なのに
窮屈な社会で生きることを強制されるのには不当感がある。

相手側に完全なアドバンテージがある土俵になんて
のぼりたくない。

私は今は本当に、女性に近付くのが怖い。



男が滅んで女だけで世代を繋げるようになって
女だけの社会になればきっと平和になるんだろう。


男と言うだけで疎まれる
もう少し絞れば、
女性にとって価値ある男性でなければ疎まれる。


冒頭に書いた通り
この恐怖感に男女の境界は本質的には関係ない
でも磁石の様にほっとくとやたらと近付くので
はた目から見ていて
その境界の漸近を無視なんて出来る訳がない。



これは非難前提で言いますが
今回の騒動の元々の起点となった発言者たちは

美女たちです。

言いたかないけど、
あんたらその特権的な武器使ってその立場になってさ
だのにいざその武器を白羽撮りされたら
「その行為は卑劣だわ!」って暴挙に出てるように見えるんだわ。

これが
「私達は見た目の不細工さを理由に不当な圧力を受けた」
ってところを起点にしたムーブメントなら
あんまり個人的に反感はなかったかもしれない。

で、今はどうかっていうと
男女は関係ない、「NOと言うための戦い」だ。
みたいなところに何食わぬ顔で拡大して
その恣意的なルール変更を
見えないようにしているように感じられてしまう。


だから、気持ちが悪く思えてしまって
近付きたくないんだ。

その輪に入ったとして
一体何を契機に突然自分が爪弾かれて
状況のわからない内に虐げられる側にされるのかわからない。
だったら最初から触れない方がいい。

そうだ、
私がこうしたムーブメントに感じてしまう恐怖感は
いじめのそれだ。

元々は被害者なのだ、と言われそうだけど
その報復行為をやっぱり看過したくない。

かかわると
とばっちりがきそうにしか思えない。




だからせめて女になりたい、幾らかは楽になるだろう。
もしくはこの社会から消えてしまいたいと思うことがある。


人間としてひねくれている奴の思想でした。

【世迷言】あのゴルフ場の件

かねてより
オリンピックと言うのがそんなにもてはやされるものなのだろうか?
とか
スポーツマン精神にのっとって汚いことが都合よくフィルタされている気がする。
とか
反社会的な見解を持たなくもない私ですが。

この記事が書かれた日付あたりで
「とあるゴルフ場が女性を正会員に認めていない」というのを
問題視するニュースを
ちょぼちょぼ目にしています。



私は
「男として、女性が入ってきてほしくない領域はある」
と考えています。

私以外にそう考えている人がいるかいないかはわかりませんし
仮にいたとしても私と同じ理由だとは限りませんが

私がそう思う理由は「姫」の存在。


例えば
純粋に
「カラオケを楽しんでカラオケの話をしてカラオケで友人とつながりを深めたいな」
と思っているのに
そのカラオケオフが男9に女1とかの構成比になると
途端に女の子を中心に動くようになり
カラオケを通じてフラットな友人関係を楽しめそうだったオフ会が
一瞬にして姿を変える。

コミュ力つよいひととかイケメンなら
こういうことを気にする事は無いかもしれませんけどね、
私の様なコミュ障人間からすると

女の子を取り巻き持ち上げる輪に入るわけにもいかないし
(そうしたところで私には「可能性」はない)
場がそうなってしまってる以上もうカラオケも楽しめない

と散々な会に一転してしまう。

所謂姫ですよ。
別にオタサーじゃなくったって存在するんですよ。
会社でも、どこでにでもある。

私ももう若くないのですが
若い頃はとにかくそういう経験が多くて
見知らぬ不特定多数が参加するオフ会はいやになりました。



これは私の個人的な経験に依っていて
極めて個人的な意見で
誓って個人的な理由ですが
だから女人禁制を取っている場が存在する(残留している)のは
何らかの理由があるかもしれないと考えています。
(勿論そうではないかもしれないが)

そういう理由と可能性がある以上は
別の横やりによってその可能性を無視することは
横暴であると考えています。

「どんな理由があれ
男女平等を少しでも乱すものがあれば
是正されるべき」
というのを
しかも部外者が叫んで直させるというのは
横暴を除いて何物でもないと思いますけど
きっと普通の人はそれが正しいのだと思うのでしょう。
私はコミュ障極まっていて反社会思想の持ち主なので
きっと異常思考なのでしょう。


IOCから会場使用を持ち掛けられて
承諾から二年経ってから突然そんなことを言われて。

しかもそうしたことがニュースになってみると
「時期的な性急さ」よりも「男女平等」問題を前面に出されてしまっている。
気が付いたら突然「男女平等の観点」とかいう絶対正義の剃刀が
喉元に突き付けられている。

オリンピックとか言う名前のグローバリズムのマハラジャ(いたすと)が
「オレが買い物に行くんだから、オレが買い物するにふさわしい店になれ。
 オレの好きな店にならないなら、今日からお前は悪徳業者だ。」
と言っている。なんだそれって感じ。


騙し打ちみたいに相手を土俵に上げて
不意打ちで相手を殺す
しかもそれは「正義の名のもとに」なので誰も非難しないだろう。


かのゴルフ場が女性を正会員にするかどうかについて
どういった見解を出すか(どうしたいか)は知りませんが

個人的にはこういうやり口で
「ただしいこと」が他罰的に多様性や寛容さを駆逐していくことと
それを喜ばしいことと手を挙げて祝福している風潮が
私は怖いです。


もうこんな世界ロボットが支配すればいいよ。
きっと誰も正義を踏み外さないし、
私のような人間は生まれないから。

長時間労働と生産性、同一労働同一賃金の幻想

日本人の一人単位時間当たりの生産性は先進国でもかなり低いという結果は
別に昨今明らかになった事実ではない。昔から言われている。

「長時間労働があるから単位時間当たりの生産密度がおちている」
と言われているが、私にはどうもそればかりとは思えない。
勿論そういう側面もあるのだろうけれど。


今は崩れつつあるが
「万人中流」「年功序列」「生涯雇用」
の日本の旧来の体制がを考慮に入れなければならない。

対して、日本型の雇用形態とは逆の欧米では
トリクルダウンさえ生まない貧富の差という問題がある。


長時間労働≒悪
という視点が生まれたところでにわかに声が上がっているのは
「仕事量は変わらないのに時間だけ短縮を求められる」
ということだ。

今後、ここにスポットライトが当たっていくと思う。

今迄は
「一つの仕事に対して能力が多少追いつかなくとも時間でカバーしていた」
という観点はあるはずだ。

長時間労働という悪のイメージに一時的に蓋をしてみてみると
ある仕事をうまくこなす人間パラメータAがあったとして
Aが足らないから時間を費やす
(つまり対疲労能力や対ストレス能力といったパラメータでパラメータAを補う)
というのは、
多様性のひとつの選択肢だったという見方は出来る。

残業によるカバーを安易に封じられ
一定時間に一定の仕事をこなさなければ「失格」。
使用パラメータの限定と言う形の選択肢の減少は
もろ手を挙げて賛成すべきなのだろうか。
私には一縷の不安がある。

これは価値観の単一化に拍車をかける気がしている。
仕事「甲」をこなすのに、パラメータAが高い人間以外は不要。
時間でカバーする逃げは許さない。
経済活動主体である企業は効率を重視せざるを得ないのだから
そうした人間の選別を促進するだろう。
その「足を切るための鎌」を、今回見事に作り出した。

自分に大した能力があると自信のある人は
こうした「長時間労働に対する"無差別な"非難」と言うのを喜ぶだろう。
みんな長時間労働に対して悪のイメージを掲げて
その撤廃を祝福しているのだ、
きっとみんな高い能力があるのだろう。私は無い。

私の様な能力が足りていないと自覚しつつ
それでも企業人としてそれなりの立場を確保していないと
生活そのものが成り立たないという人間には
本来多少なりともこの風潮には恐怖感を抱くところだと思う。

「やべ、この作業苦手だ……時間かかるけどまあ時間かけてでも終わらせるか」
という選択肢は、もうなくなる。
必要時間が多すぎる場合は他の人の進捗に影響が出るからとか
自分の体がもたないからとか
そういう理由でスケジュール調整の相談はあるだろう。

でももはや
そうした裁量は許されず
「時間内にはできません。申し訳ありません」
しか答えが残されないとしたら、どうだろう。私は恐ろしい。

勿論過労死するほどの長時間労働を回避できないというのは問題だが、
今の長時間労働を万事悪役に仕立てる風潮を素直に受け入れたとき
自分はきっと会社内で「仕事できないクズ」みたいなレッテルがついて
それで終わるだけだろうな、と思っている。


時間内に仕事をこなせる能力を持った人間だけが生き残り
そうではない人間は落伍者となる。

万民中流とは対極にあり
能力/成果第一主義により
労働内容による搾取と富強の格差が進んでいる欧米
失業率が決して低くは無く、
移民ひとつで職の有無の危機に瀕する状況を見れば
少し未来の自分をそこに見出すのは自然なことではないのだろうか。

皆能力があって自身があるから
そういう恐怖感とは無縁なのだろうか。



もう一つ。
「同一労働同一賃金」が話題に上がっている。
この話の全身には
「フリーライダー」という
今は死語になった言葉がある。

仕事できない中高年社員が低賃金の若者を搾取している
という状況を「タダ乗り」と称した言葉だが
これを是正するためにも
同一労働同一賃金が求められているというかんじ。


でも、
私は年を取ってから今と同じように働ける気がしない。
皆、本当に自分が年を取ったときに
若い頃と同じかそれ以上に働けると思っているのだろうか。

「年長への敬意」の歪んだ形としてのみ
生涯雇用と年功序列があった訳ではないと思う。
一定部分社会保障として機能していたはずだ。


歳をとって、
まあ順当な人間生活を送っている人なら
30、40、50で自分の子供を育てることになるだろうけれど
人間は歳をとるにつれて労働の質が確実に落ちる。
それと比例するように賃金がおちていくなら
本当に子どもを育てていけるのだろうか。

若い頃にガッツリ稼いで老後分すべて蓄えたり
もう二度と転がり落ちないような地位についてしまったりと、
前述の
「パラメータを縛られた上で仕事をこなし続けられる
一部の選ばれた能力のある人間」だけが、
こうした
「年をとっても安定した生活をできる」
という形になるのではないのか。

少なくとも私はIT屋で働いているが
20年後に、20年後らしい、
生産性が高く20年後の年齢に必要な金額を得るに見合った
そんな仕事ができるようになっているとは、思えない。
それは能力の面もあるし、
所属している企業のビジネスモデル問題もある。

ただでさえ
「長くいればそれなりに賃金が上がる」という空気の会社ではないのだ
恐らく私は20年後安アパートで
きゅうきゅうとした生活を送っているだろう。
それまでに親を養育するための費用もねん出し続けなければならない。
だから老後破産もあるかもしれない。
勿論家庭を持つこともできない。

いいたかないが、
親を養うのが終わったあと(つまり亡くなった後)で、
そのころにやっと自分のためにお金を使えるようになる
みたいな状況の人間もいる。

その未来に向かって
同一労働同一賃金は、夢の体制ではなく死の宣告でしかない。







長時間労働を悪とみる風潮の涵養は、
生産性向上をもたらす福音ではない。
ただ、生産性のいい人間だけを生き残らせる外科手術だ。

同一労働同一賃金は、
低賃金労働を払拭する夜明けではない。
ただ、生産性の低い老人を餓死させる安楽死の方法だ。


能力があるみんなにとってはそうではないのかもしれないが、
少なくとも私にとってはそうだ。


このパラダイムシフトは景気のいい時に来てほしかった。