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つくし、ちさに。

 ちさの店に来たのは久しぶりだ。同じシマにいるのに、前に来たのは何年も前だった気がする。
「相変わらずこの店にコーヒーは無いのか。」
 何か飲む?と問い掛けてきたちさにそう返し、れたすブレンドを、と繋げた。
「喫茶店なのにコーヒーが無いなんて、販売機会損失もいいとこだぞ」
「それをつくしが言うと、嫌味でしかないわよ?」
 湯を沸かし、茶葉の入った缶を幾つか用意しながら、ちさは笑った。
「またそれか。何度も言う様だが、単に好みの問題だろう。自分の好みのものを自分の手で作れる人間は、頭のネジが多いか少ない奴等だけだろう。そいつが他人にも受けがよければ天才なんて呼んでもいい。あたしには、自分の淹れるコーヒーが旨いとは思えないね。」
 喫茶れたすがーでんは、メニューにコーヒーが無い。隠しメニューというわけでも無く、頼んでも丁重に断られる。
 ちさ曰く、身の回りに自分より上手な奴がいて、そいつが商売にしていなかったら、自分にはそれで金を取る資格は無い、だとか。そしてその「身の回りにいる人」があたしなのだとも言う。
「ものを作る天才って、その才能が身近なものへ向かえば向かう程、本人はその稀有さに気付かないんじゃないかしら。」
「あたしにコーヒー屋でもやれってのか。」
「そんな事は言わないわよ。私の考え方一つだから。ただ私がコーヒーを売り物にしないってだけで、解決、よ。」
 にこにこと笑ってはいるが、あたしには酷く頽廃的な考えに聞こえる。これだから、創作系の才能が有る人間は分からない。
「あたしはもう、二度と自分ではコーヒーを淹れないと決めたんだ。ちさの言う『世界一』はすでに引退、代わりに『世界一』が優秀だと言う奴は現役だ。ならば『世界一』の座を取って代わるのが妥当な流れってもんだろう。」
「理性的な話じゃないのよ。単に気持ちの問題なのに、それを割り切れない。だから、決着を付けないだけ。」
「解せないな……」
「簡単に答えがわかるなら、メニューにコーヒーが書いてあることでしょうね」
「……」
 自分に関わる問題だと言うのに、妙に他人事の様に話す。
「お待たせしました、れたすがーでんオリジナルブレンドのフレーバリーティーです。」
 小さな洋菓子の皿が添えられた、上品なティーセットが現れた。自ら話を断つ様な言葉を添えて。
 静かに湯気が揺れると、芳しい香りが漂う。甘いようでくどくなく、嗅いだだけで気持ちが安らぐ。甘さを抑えた菓子と相俟って、このフレーバリーティーを頼むだけで、贅沢な時間を満喫できる。例によって数年振りだが、色褪せないくつろぎだ。
「……あたしには、こっちの方が凄いと思うがな。」
 全く偽り無い率直な意見だった。紅茶のブレンドは、混ぜる材料が一つでありながら、出来上がるのは香りと味の二つだ。味が香りに、もしくは香りが味に左右される部分があったとしても、一致はしない。二者の差異を操作し、絶妙なポイントを探り当て、最良の作品を作り出す。その中でレシピが確立され、出来と値段が妥当に楽しめるものを商品にしたのがレれたすがーでんオリジナルブレンドティー、通称れたすブレンドだ。
 客の評判は上々で、このシマの住人は勿論、他からも客が来るくらいだ。ちさが不定期に調合を変えるものだから、それ目当てのリピーターもいるとか。商売上手に見えるが、曰く、違う葉っぱを同じ量使う訳じゃないもの。無くなったから違うのに変えただけ。なんて言う。天然なのか、狙っているのか。
 ちなみに、そのちさが持ち上げてやまないあたしのコーヒーの方だが、豆だけは自分の好み……というか、この淹れ方で一番旨く飲めたものと言うだけだが……にこだわるものの、淹れ方が酷い。理科室にある実験用のアルコールランプかガスバーナーに、やはり実験用のビーカーをすげて湯を沸かし、漏斗と濾紙で淹れるキワモノ。
 高校時代に科学部で理科室に入り浸りだった頃に始めた淹れ方だ。茶葉にすればお茶も淹れられるが、どちらにせよお世辞にも美味しい淹れ方だとは思えない。
 大学では理科室をでかくした様な研究室に泊まり込み、紆余曲折の末教職に就いたあたしは、ずっとそれを続けられる環境にはあったが、大学の二年目で自前のコーヒーを淹れるのをやめた。
 理由は、まあ、色々だ。
 あれを旨いというちさがおかしいのだと思うが、私を抜いてちさ以外の口に入ったことはなかった。あまりにおかしな淹れ方なものだから、人のいない所でしかやらなかったのだ。言ってしまえば、そういったテリトリーにも入って来れたのは、ちさだけだ。すおうも距離としては同様だったが、ビーカーとアルコールランプが常備された場所で会うことがなかっただけだ。
「つくし。」
 フレーバリーティーに口をつけ、洋菓子が少々減った辺りを見計らって、ちさが口を開いた。
「あ?」
「珍しいね、ここに来るの。」
 カウンターの向こうで手早く自分用の茶を淹れ、外に出て来た。今更、と思う科白は、彼女なりの合図だ。
 どうせだからこっちにしない?なんて言って、窓際のテーブル席で手招きする。花見の場所取りをするときの様なはしゃいだ表情は、それが自分の店であるために不自然ではあるが、ちさの立ち居振る舞いやナリを見ているとそれも余り気にならない。こういう屈託の無さが、ちさの魅力なんだろうなと、つくづく思う。あたしには微塵も無い可愛げだなと一人ごちながら、ティーセットを持ってちさのいる窓際へ向かった。
 窓に大きく切り取られた風景からは、斜陽の木漏れ日が差し込んでいた。申し合わせたかの様に客はなく、店内は静かで、ガラスの向こうで光が揺れる度に葉擦れの音が響いている様にさえ思える。
「で?」
 何も言っていないのに、話を促す様にこちらを見るちさ。
「何か、話があるんでしょう?」
「……ああ。」
 流石に悟られている様だ。
 ちさとの付き合いは長い。互いにこの双子のシマ、「アリス」と「ロメリア」が完成したタイミングで花園市へ誘致され、中等部へ入学移住したくちだった。かれこれ十年を超える付き合いの下にあっては、わざわざあたしが来た事自体、何かあるのだとは、想像に易かったのだろう。
「お前、日向のこと、どう思ってるんだ?」
 くすり、と小さく笑ってから、ちさは問うて来た。
「……いきなりストレートねぇ。宣戦布告ってわけ?」
「……まあ、そんなところか。すおうの時は惨敗だったが、次はそうは行かないぜ。」
 流石に、いい歳こいて少女マンガに登場する女子中学生の様な科白には歯が浮いたが、事実だから仕方がない。
「惨敗……って程、余裕は無かったって言ってるじゃない。すおうさんだって、毎日呟いていたわよ。つくしはどうしてるだろう、今何してるだろう、って。我ながら恥ずかしいけれど、当時はその言葉を耳にする度に、嫉妬に狂いそうだったわ。」
「あいつ、あたしといても、ちさは、ちさはって言ってたな。」
 苦笑いするあたしにつられて、ちさは笑った。
 両肘を付いて組んだ手の甲に顎を乗せ、窓の外を行き交う人や揺れる木々に視線を流すちさ。その仕草は、それだけで絵画か芸術写真かと思えるくらいに洗練され、輝いて見えた。
 女の私が言うのも何だが、中等部でちさに逢い、こいつはモテると、掛け値なしに思えたものだ。こいつと居ると自分は必ず損をする、と思ったことさえもある。ちさのこう言った一瞬の動作の清廉さには、それ位の魅力があった。それは、中学高校では大人びた艷媚さであり、大学に入学して今に至る迄は若く瑞々しい美麗さに姿を変えて居た。すおうが結局ちさを選んだのも、全く無理のない話だった。
「案外、無理じゃなかったのかもしれない、なんて。今更思っちゃうのよね。」
「無理?何がだ?」
「三人でいるって事。」
 ちさはこちらに視線を寄越さず、窓の外にそれを投げている。少しの哀愁と少しの自嘲を編み込んだ様な微かな笑みを浮かべたまま。
「それが理想だったって言うのか?……あたしへの」
「同情なんかじゃないわ。」
 ぴしゃりと言葉が遮られる。ちさにしては珍しい程に強い語気。
「……苦しかったのは、私だけだったのかな」
「……煮え切らないすおうが悪い。」
「死人に口無し、ね。」
 お前だけじゃなかったさ、少なくとも。
 無為にティーカップをスプーンでかき混ぜながら、胸中呟いた。
「皆苦しむのなら、何を以て勝ち負けとすればよかったのかしら。少なくとも、入籍した
かしてないか、それ位だわ。」
「女にとっては重要だろう。」
「あは。つくしには似合わない科白。」
「あたしの事を言ってるんじゃない。お前の事を言ってるんだ。」
「そうね。でも。」
 ちさは両手を胸に当てる。
「それよりここよね。」
「お前が言うと、何でも似合うし、正しいとさえ思えるから、不公平だな。」
 ティーカップから抜き取ったスプーンの先で、ちさを指す。ちさは、つくしの鋭い言葉も、いつだって私を不安にしたものよ、と返して続ける。
「籍は形式。だから、私はつくしに勝ってなんかいないの。」
「……」
 確かに、割り切らず有耶無耶のままに引き摺り続けた、花蜜の様な関係と揺籃の如き時間に、いよいよ終止符(けじめ)を付けるため、あたしとちさは、すおうに選択を迫った。それは想いの彼岸と言った美談などではなく、単なる通過儀礼であり、手段と目的が、見事逆転していたのだった。
 すおうはどうだか分からないが、少なくともあたしとちさは、結果として苦い思いをし、そして、しかし今はもう、三人でやり直す事も叶わない。
「……」
 ちさと滅多に会わないのは、二人で会うと必ずこの話……すおうを巡る昔話に終着してしまうからだ。互いに傷である筈で、互いに避けている筈なのに、引き寄せられる様に必ず、だ。空気は澱を成し、毒となる。張りかけたかさぶたを生温く剥き去り、癒えぬ傷を深めてしまう。今もそうだった。
「あの時間は何だったん……」
 あたしの言葉を割って、ちさがわざとらしい明るさで声を上げた。
「すおうさんにしてもらいながら、私に弄られるつくしの喘ぎ声、可愛かったよね。」
「……」
 ちさが重苦しい空気を払うためにわざとそんな科白を吐いたのは明らかだが、だからってそんな話。
「仮にすおうと三人の時間を肯定出来るとしてだ。ひなたを、ああ、いや、日向だ。含めた三人でやっていこうと、お前は思っているのか?」
 今でも鮮明に思い出せる、甘く爛れた時。気恥ずかしさに思わずしどろもどろになる。
「……残念な話だけど、私もつくしも、その両方でも、ひなたクンの側に居ることは出来
ないと思うわ。」
 意図が分からないと言う沈黙と視線で、説明を促す。
「うちの子が、持って行きそう。」
「……みつばちゃんか。」
 ちさの姪で歳が近い子だ。みつばの両親の離婚に際してちさが引き取ったらしい。普通は親権は父母のどちらかに行くものだが、頑として本人が二択を拒んだ結果らしい。父母とも子育てをする気が無いとの鑑定結果と、ちさの主張が手伝ってのことらしいが、あの優柔不断で弱気なみつばちゃんが、強硬な姿勢を崩さなかったらしいという事には驚きは隠せない。
 それ以上に深い事は知らない。みつばちゃんのかつての劣悪な生活環境と今のあの性格を比較するに、ちさはみつばの養育に相当な成功を修めた事が窺える。幼少期の負の遺産を消し去った上、あの天真爛漫さと無垢さは、絶対にちさ譲りだ。
「やっぱり、歳の差は覆せないわ。みつばを見てると、勝てない、って痛感しちゃう」
「……あの子には、亡霊は、いないしな。」
 あたしの言葉に、ちさは苦い顔を見せる。
「……そう。私達には最初から資格なんて無いのよ。」
「それでも、あたしは、あたし達は、悲しい程に女なんだよ。お前は喪失を癒せず、あたしは失恋を癒せていない。」
「それは、否定しないわ。私はひなたクンに惹かれてる。でも、みつばを裏切る事は出来ない」
「親としての情けか」
「せめて姉と言って欲しいわね。少なくとも歳の差は親子のそれとしては不自然に小さいわ。」
「姉だか母だかはあたしには関係ない。ついでに言うなら裏切りだと言う呵責も無い。」
 ちさは未だにすおうを引き摺っているのか?
 勝負……そう呼ぶと当の日向には悪いかもしれないが……を受ける事無く投げ出した態度に、あたしは苛立ちを感じる。その渦は表情に現れてしまい、あたしはちさを睨み付けていた。
「ひなたクンがすおうさんの分け身なら」
 窓の外に視線を向けていたちさが、それをこちらに向ける。
「みつばは私の分け身よ。あの子が幸せになるのなら、それは私の幸せ。」
「すっかり母の仮面だな。」
「……仮面って何よ。」
「本心じゃないってことだ。」
「つくしには、関係の無いことだわ」
 関係無い。
「ああ、そうかよ。」
「……つくし?」
 茶は半分、菓子も半分、それに話も半分残して、あたしは席を立った。冷静では無かったのだと、席を立った瞬間に後悔したが、それも仕方の無いことだとも思えた。
「関係の無い人間に、なっちまってたんだな」
「違うの、そういう意味じゃない!」
 言えない、言わない事などなかった関係。疎遠になった分だけ、距離が生まれることは分かっていた。それでも、関係ないと一蹴されたのは、あたしにはショックで、昂ってしまったのだ。
「つくし!」
 背後から声が響くが、あたしは代金だけ置いて店を後にした。



 結局、何をしに行ったのか分からない。いつも通り哀愁にひたり、昔を懐かしんで別れ
ただけだ。
「相手は、ちさか、みつばちゃんか……」
 そんなことに意味はないと分かっていながら、その言葉を口で転がす。
 テーブルを蹴ってしまったものの、得るものはあった。
 ライバルがちさ本人だろうと、ちさの分身だろうと、関係ない。
 あたしは、本気で、あたしの恋をする。
 それだけだ。
 恋が出来るのは、きっとこれで最後だ。これ以上歳を重ねると、将来とか、社会とか、現実とかを見据えなければならない。それを心のあり方として否定はしないが、それはきっと恋ではない。愛とか、愛着とか、そういうものだ。
 ひたすらに相手を求めて燃え上がり、燃え尽きる事さえ厭わないのが、恋だと思う。
(最後の、恋……。)
「ふっ。歳にも、キャラにも似合わないよな。」
 自分を茶化しはするが、気持ちに嘘は無い。素直に、精一杯やろうと、思う。
 いつの間にか陰り始めた陽を受けて、あたしは秋桜天文台(コスモス)への帰途についた。