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目を瞑って

 例えば私の手を見てご覧、と、そう言って里佳が私の目の前に右手を広げた。本当に目の前だ。手相までわかるし、少し下に視線を下せば、手首にためらい傷のようなものまで見える。きっと遠目ではわからないくらいに消えかけた傷跡だ。
 そんな傷を晒しているとは思えない位朗らかな声が私の耳を撫でる。
「覚えた?じゃあ目を瞑って。」
 言われた通り目を閉じた。
「私の手が思い浮かべられる?」
 そりゃあ。今あれだけ鮮明に見えていた光景だ。目を閉じたまま、その手を掴むこともできるだろう。
動かしてないなら、わかる。」
「じゃあ、触ってみて。」
 思っていたことを言い当てられて、少しびくっとしながらも、まぶたの裏に描かれた里佳の手に触れる。
 柔らかくて温かい感触が、手に伝わった。間違いなく里佳の手だ。
「目を開けていいよ。」
 目を開くと、私の手はきちんと里佳の手に触れている。意図していなかったとはいえ、指と指が絡まるような握り方をしていたことに私は少し恥ずかしくなって、慌てて手を引いてしまった。
「いま、目を閉じながら私の手に触れることができたのは、視覚情報から得られた世界に対するマッピングを、脳みその中の世界に行ったからよね。」
「大げさだけどそうなるね。」
「真の世界ってのを、今こうやって目を開いている状態で見えている世界にたとえると、認識世界ってのは、さっき目を閉じてもらった後に頭の中にあった世界。」
「??」
「うーん、ややこしいか。」
 何か馬鹿にされてる?
「ま、いいや。」
 里佳はすたすたと教室に向かう。
「まったく。里佳の言うことは解らないや。記憶と、世界の脆弱性の、どこに接点があるの?」
 私の言葉を聞いて、里佳が髪をなびかせて振り返った。
「記憶した世界と、現実の世界は、目をつむっている間は何の繋がりも持っていない。でも、何の接点もない世界を、体で触れることができた。じゃあ、実は目をつむっている間だけ、世界が激変していて、触れている世界の変化に気付いていないという可能性は?」
「目をつむっている間だけ?まさか。」
 目を開けたら姿が戻るというのか。じゃあ私が触っていたものは何だというのだろう。
「じゃあ、最初に見せた手は右左どっちだったかしら?」
「右手。ちゃんと覚えてるよ。左利きの里佳が……」
 ためらい傷をつくれるのは利き腕の逆、という言葉を飲み込んだ。
「左利きなのにわざわざ右手を出してきた。」
「正解。でもね?」
 里佳がにやりと笑う。
「だから世界の変貌に気付いていないだけなのよ。握った手は、こっち。」
 里佳は、最初とは別の、左手を目の前にかざした。
「世界は、狡猾よ?」