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これがわかるにはサンチェックが必要なのか・・・?

つまり、対象を認識する上で「言語」を仲介する必要があるかということなんです。

サピア=ウォーフの仮説を、個人的に評価はしているけど
精々「言語と認識」という枠に収まっているのが勿体ない気がするんですね。
後、文化が絡んでくるらしいですが、そこんとこは少しずつかじっていこうかな。


私が常々考えていることですが、言語は記号の一つです。

「本」「BOOK」は表現された記号で
「本を認識するためのリレーション」は対象化する記号である。

リレーションとはつまり、
「本という表現された記号が本そのものを指すという関係性」だと定義しておく。

表現された記号を「表現記号」
リレーションを「対象記号」とでも呼びますか。

ほん、ぶっく、という発音そのものは、
発音それだけで「本そのもの」を指すことは出来ない。
音声、もしくは文字という言語を、対象化する記号があって初めて本を指し示すことが出来る。

これは、同じ発音を持つが違う対象を持つ言葉がある例が示してくれている。

英語を知らない日本人が「ぶっく」と聞いて本を理解できないということだ。
だが、日本人は「BOOK」は知らなくとも「本そのもの」を知らないわけではない。
「本」という言葉を介して「本そのもの」を知ってはいる。

問題は、
「本」という言葉を知らない日本人が
「本そのもの」つまり「本の実体」を本以外の全てのものから区別して認識できるか
ということか。

「本」を知らなければ恐らく
「紙の束」とか「重ねた紙を折った奴」とかそう言うことになるだろう。

この「紙の束」などの「表現記号」が「本の実体」を指し示しているかいないかってことですね。



ここまではすんなりいくんですよね。

ただ、いつもここから先に進めないんです。


ハブ見たら蛇だって思うじゃん。




細長いしなやかな生き物っていったら蛇じゃないか。
ハブは蛇じゃないらしいけど、その事実を知らなかったら?
どうしたって蛇のカテゴリに投げ込まれる。

でも目の前にいるのは蛇じゃない。
確かにこの目で見て、あるいは首に巻いたりして遊んでいるのはハブであり、蛇ではない。
言葉によって細分化されず、実体を認識できないとしたなら、
目で見て手で触っているものはなんなのだろうか。

目で見て手で触っている人間の世界では蛇だが
真の世界ではハブである。
という説を展開しなければ矛盾が生じる。
というか世界そのものを分化することが一番矛盾が少ない。




ああ、だめだ。
話に片を付けようとして書き始めたけど、やっぱりすすまねえ。






・世界とは何か
・認識するとはどういう機能か
・ラベリングによる拡大と認識による細分
・実体は何を纏うのか
・どこまでを記号として解釈できるか

これらを並行的に解き進めないと
仮初めの納得にすらたどり着けそうにない。



私の考えでは、世界は主観の数だけある認識世界レイヤーが重なり合った仮想的なモノ。
私の考えでは、認識とは未分化な対象を区別するための細分化機能です。
私の考えでは、言語は記号の最たるモノで、認識と共にありながら認識とは相反する拡大化機能を有する。
私の考えでは、実体は対象化記号を纏いながら、その真実の姿を完全に隠している。
私の考えでは、六割は記号で説明できる。残り二割は脳味噌の話で、残り二割は神様の話だと思っている。(相当の語弊有







むあー。

語り得ぬことには沈黙しなければならないのかー。


わかんねえ orz




もう少し学のある人間に育ってれば良かったなあ。

出直してきます。