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【思考】不老不死への欲求について

私は「死を美化する」考えが嫌いだ。
それに付属する
「死別」を気持ちよがる考えも嫌いだ。
それは以前
http://monostation.blog112.fc2.com/blog-entry-2176.html
に書いたのと通じている

私にはそれは諦めにしか見えないし
死という自分の意思ではないものに
勝手にゴール時点を設定されているのも非常に腹立たしい。

私がそんな感じのことを口にすると
幾らかの人は必ず反論してきて
「死なないのは恐ろしいことだよ」と囁いてくるわけですが
私の心にはどうしても届かない。

あともう一つあるのが
「不老不死を望むのがいけないことだ」という空気感がイヤ。
何一様に死にたがってるの?って気がしてならないんですよね。
どうせ「じゃあ今すぐ死ねよ」っていったら死なないのにさ。

その「不死に対する拒否感」って
小さい頃から読んだり聞かされたりしてきた
フィクションの世界で
なぜか悪者ばかりが不老不死を求めたり
不老不死は不幸になるという作品ばかりがあふれていて
それに引っ張られて植えつけられたイメージだけでゆってるようにみえる。
みんな本当に考えてるのか疑問なんです。

不老不死=不幸
っていう結果ありきで考えていないか?

順当に考えれば
「死にたくない」
は極めて素直な欲求じゃないのか?

それって
おなかすいた
とか
せっくすしたい
とかと同じか
それよりももっと強い欲求で
否定することじゃない気がする。

勿論
暴飲暴食や強姦みたいに
それを振りかざすのはよくないけど
不死性を振りかざさずに
不死と歩むことだってできるはずだろう。

できないの?

その辺の完全な否定がないのに
「不死は不幸だよ」
という結果だけが皆の目指す共通認識にすえられて
皆がそれを口々に言うのが
なんとなく納得いかない。



ここにいい質問があったので紹介したい。
http://q.hatena.ne.jp/1129466660

多分質問者の方は私と同じような考え方だ。
少なくとも死を
不老不死を積極的に完全に無価値化しうる理由がない、という感じ。

ここでのやり取りを見てわかるとおり
ほとんどの人の多くの「よく聞く」回答が
再質問によって打破されています。

そして私もその再質問と同じ程度の見解は持っていて
つまりこれが今まで不死への希望を口にして否定されたときの
不満足感の数であると思って読んでいました。

たまに来る「否定要素になりうる否定意見」も
気の持ちようであるとか
可能性でしかないとか
つまり
不死を完全否定するに足るものではないなと思ってみていました。


この中ほど以降で登場する
「興味というものが尽き得る可能性について」
「孤独ではない不老不死について」

私の中ではもっとも大きなファクターです。

私が不死を望む理由は
死が怖いからではなく
死がもたらす結果が望ましいと思っていないからであって
それは
「時間不足」と「愛別離苦」が
決定的に死によって回避できないものとなっているから。




先のURLの質問者さんと私が違う大きなポイントの一つには
「私はそんな向こう側まで見た上で不老不死になりたいと望んでいるのではない」
ということ。

余談だけど、
質問者さんの再質問?に

抜粋-------------------------------------
(質問があり)
【回答】
・潔くない、美しくない。
【コメント】
潔くはないと思います。美しさについては分かりかねます。
-----------------------------------------

という言葉があって、
こっちについてはかなり共感できる。

不老不死否定派は、何かと潔さと美しさを引き合いだすが
潔さに価値が見出せるなら不死を望みなどしないし、そもそも潔さに意味はない。
美しさになど、どうあっても意味などない。
潔さと美しさこそ、死への諦めを補強する後付の言い訳でしかない。



で。
つまり先に述べた
「時間不足」「愛別離苦」を回避したいという
もっと短絡的な欲求。
これが私が不老不死を求める理由だ。

不死になった先にこれこれこういう不幸があるよ
といくら言われたとしても
納得はいかない。
コレまで述べたとおり
不死を完全に不幸だと決定しうる事実はほとんどなく
何より

そうねえ。
たとえば。

部屋がもう炎でまかれていて待っていれば焼死確実。
窓の外は3階。
飛び降りる人のその心理に近いのかもしれない。

HPが残り20で
満腹度0%
手元には腐ったおにぎりしかなければ
腐ったおにぎり食うだろう。

交通事故で死に掛けてるところで
「僕と契約して魔法少女になってよ」
って言われたらしちゃうような感じ。
生き延びられる上に少女になれるなんt


仮に百歩譲って不死が毒だと証明されたとして
不死という毒が自分を壊すのは
目の前にある死と言う絶望によって自分が壊れるよりも
遥か後の話だ。

先の死を儚んで今死ぬか?
それは最初に述べた
「百年後どうせ死ぬ?じゃあ今死ねよ」で死ねないのと同じだ。

私が不死を望むのは単純にその程度の短絡的なものであって
でもそれを否定しえるものなんてないと思うんですよね。

私なんて
高々30年足らずですけど
生きていて
「これってどういうことなんだろうという興味」が尽きたことなどない。
「こいつとは二度と会えなくても構わない」と思えた人などいない。
この感覚は、永遠になれば「絶対に」価値を失うのでしょうか?


このサイトも面白い。
http://homepage3.nifty.com/logical/column141.html
やはり不老不死の話になると必ず出てくるのが火の鳥ですね。
どうにも不老不死の負の面ばかりが描かれてると語られる作品ですが

抜粋----------------------------------
手塚治虫が否定したかったのは、
「不老不死」が絶対の幸福である、という幻想だけだったんじゃないかな。
しかし絶対の不幸である事は敢えて肯定しなかった。
------------------------------------------
コレには非常に強く賛同する。

そしてもう一つ言うには

火の鳥全編を読んで面白かったという感想を持つということは
永遠の命や神の視点といわれるものを楽しんでいるといえるはずだ。
それは
長い時間に対してその変化を観察することへの
少なくとも飽食はないことへの提言になるのではないか。
「すべてに興味を失って」という可能性を
火の鳥という作品を楽しんだことそのものが否定しうる。かも知れない。



抜粋--------------------------------
A:そう。誤解を恐れずに言えば、
人間はセックスをする為に「不老不死」を諦めたんだ。
略---------------
B:こういう結論を待っていたんですよ!
  セックスじゃない。出会いです。
  出会いの為に「不老不死」を諦めた
  ――「不老不死」を捨て去った代償が“出会い”だなんて
  素敵じゃないですか!
A:しかしなぁ、出会いというのは結局セッ――
B:あー、もう良いですから。
------------------------------------
いい言葉w

セックスのために不老不死を捨てたというのは
記紀神話の
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメのエピソードそのものですね!w

長く続くものは醜い、という先入観はこの時代から既にあるというのか。
なんとも釈然としない。
何でそんなに滅びを美化するのだ?

でも本当は両方欲しいってのが正直なところですよね。



私は未だに不老不死肯定派だ。

ゆえに、もこてる派だ。

あー、はやく慧音にも不死になってもらわんと。

白沢という存在が既に人智を超えているので
「え、慧音も不老不死に決まってるじゃん?白沢だし」
の一言で片付けたい欲求は非常に高い。っていうかそれでいいよね?



火の鳥では孤独だった。
マサトの立場に、輝夜・妹紅・永琳(・慧音)がすっぽり入り込んだら。
輝夜たちは本当に苦しいだろうか?
それなりに楽しく過ごすのではないか?

「ああ、あいつらなら……」
とちょっとでも思うのなら
不死=不幸
という紐付けに、ちょっとばかりの疑問を持つのもいいと思う。

なんていうのかな。
今の空気は
核兵器保有を論じることそのものを封じる空気がある。
不老不死についても似たような空気が歩きがする。