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【言葉とか】相対記号について:続

自己トラックバックとか痛いですか。

本題。

これの続的な。

先の記事の話をもう少し進めると
先に述べた「相対記号」について
これは私が恣意的に定義した概念ですが、
その"相対位置"を確定するための"基軸"が"絶対"かどうか
って言う話に飛ぶと思うんですよ。

そして私はそうではなくて、
両者が互いに相対的な位置関係を築いているだけで
二者をくくったの塊がどこにあるかは問われない。
数学でいうところのベクトルみたいな感じでしょうか?
向きと大きさしか持たない、みたいな。

両者が両者とも絶対的な実体を持たず
互いに鏡像として「存在しているように見える」もの。

減衰しない光を反射率100%の合わせ鏡の間に放って両方の鏡に映っている状態。
みたいな。ありえるかどうかは別として。

両者の位置関係は絶対に動いてはいけない。
二つまとめてなら自由に動ける。

んで。
「差別」という言葉はこの「相対記号」だと思うんですよ。
「差別されていない」という別の記号が存在しないと成立しない。

キング牧師の言葉に
黒人差別の一番の悲劇は、黒人の精神までもが奴隷になっていること
みたいな趣旨のものもありました。

精神までもが奴隷になるというのは
差別を差別と感じない
「差別ではない」を認識しない状態を指しているといっても
あまり語弊がないように思える。
つまりそういうことなんだろう。

言葉だけじゃなくて
それに縛られた実体が
そうさせている。

「差別じゃない状態」を白人の振る舞いから認識して
逆に黒人の「差別」の状態に目を向けたのが
差別撤廃運動へ繋がる認識だったはずだ。

その認識がなければ、
「差別」ではなく「ただの区別」であるとされ、
公共の場所での「今で言う差別」でさえ
裁判で合法とさえ結果が出る歴史を持っている。

で、
どこを「差別」と「差別ではない」の境界にするかは変わる
っていうのが
「二者の塊」がどこにあっても構わない
ってことなのかと。

いまひとつ理論が弱いなあ。
もう少し練りたい。

この記事へのコメント

彼を優しい人と思えるのは
優しくない人のことを知っているからだ。
そして、何を優しいと思うかの基準は、その集団、その時代、その個人によって変わる。
ここまではただの認識だ。

しかし、優しいかどうかで区別された両者は「優しい」に締め付けられる。それは一般的に、優しい人が良い評価をされ、優しくない人が悪い評価をされているからだ。まあ、言葉に対するこの評価も、その集団、その時代、その個人によって変わるのだが・・・。つまり、ある評価をもつ言葉を用いて、一方が良い評価、一方が悪い評価として区分けした時点で差別が生まれる。良い悪いなどという曖昧で個人的な評価を押しつけ確認しあう人がたくさんいます。

僕は優しい人が好きでもないし、優しくない人が嫌いでもない。
優しいかだけで評価しません。てか優しいなんてどうでもいいです。
まあ、言葉そのものとそれに付随する評価を分けることができればいいと思います。

そういった優しさ(≒「正義」)も相対記号の最たる例ですよね。
相対的なだけでなくて、いくつもの多態性が等しい権力を以って主張されるという点で、尚のこと始末が悪いのかもしれません。
そも、「正義」って何を実体に持つ「表像」なんでしょうかね。

それは、その集団、その時代、その個人によって違いますが、
それらが何を大切に思っているかによって変わると思います。

つまり、その表像は、その集団やその時代に
影響されて生きているその人の
生きている世界を示すのかもしれません。

何を大切にするかを自分で考え行動できる人はいつの日か幸せになれると思います。
僕は家族(僕の身近な人たち)を大切にします。
ボクは僕を大切に思うから僕が幸せになるように行動するはず。

大切にしてるされてるはわかりませんが
友達と飲んだり絵を描いたりしてると
学生時代に苦しかったのと照らし合わせて幸せでなきそうになります。

社会的な責任と一緒にようやく自由を手に出来たのかなと。

黒さまの考察は生きる希望に満ちてますよね。詩的というか。
私のは基本絶望につながる感じがします。無機的に判断しようとしてるので。
懐疑論的な出発点ばかりなのでorz

ありがとうございます。

終ノ空は生きることの絶望をたくさん教えてくれました。
でも、生きることの祝福も示唆していました。

僕は、その祝福の理由は幸せになれるからだと思います。大切な人がそばで微笑んでいる記憶をもっている状態が僕の幸せの意味です。そして、それは虚構の世界でしか築けない虚構の関係による虚構の記憶をもっているだけなのですが、それが唯一人を孤独から救済するものだと僕は思います。

みこうさんが幸せと思うならそれは幸せなんだと思います。

俯瞰すると絶望
刹那だけを注視すると幸せ
っていう感じです。

そういうもんは見たら負けっていう気もしますがw

それでも
一度開いた瞳は、もう、閉じられない。

終の空とlainの組み合わせは
あの頃思春期だった人間には
人生観狂わされますよねwww

その通りだと思います。

せっかくだから僕は、
さまざまな人が注視し続ける無数の刹那を
知って消化し、自分の世界を刹那としてから
消えたいと思って暇してます。

でも、恋をしました。

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