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【日記】親戚のおじさん

テンションが落ちているとき恒例、長い記事。
しかも詰まらないです。





SS?
つまり下記の出来事があったから完成してないよ!
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私は父親の背中を見ることなく育った人間です。
親戚にいる年上の男性は、10年近く前になくなった祖父以外にはその人だけが身近な存在。
祖父が働いている姿は全く記憶にないのだが、
この叔父さんは働いている姿は幾らか記憶にあるし、今見ればしっかりと働いているビジネスマンだ。

今日、昼休みに突然電話が掛かってきて
「今東京にいるんだけど、会社終わったら飯でもどうだ?」

家庭は札幌にあります。
故に土日は札幌にいますが、それ以外は割りと全国を、
下手をすると海外にまで飛び回っている社長さんが、その人です。
叔父。


父親のない
(ないわけではない。
今でも会いに行こうと思えば会えるし、実際に何度か会っている。)
私が、唯一年上で働く男性として背中を見ることが出来るのが、叔父だ。
私の父親は、膠原病が祟って今は働いていない。
別にそれを咎めるつもりもないし、
私が文章を書いたり絵を描いたりという
こういっては高慢だが「クリエイティブ」な遊びをする気性を持っているのは
母親にも、そして父親にも、そういう部分があったからだと思うし
そういう点では父親には凄く父親で会ってくれてよかったと思っている。
(コレで片方がそういう道で食っている人なら面白かったのですが、両方とも道を諦めた人。そして私も諦めている、というか最初からそんな道を望んでいない。父と母のものを見れば、血は薄れたなとさえ思う。)

私の体があまり強くないのは、まあそういう父親の血を引いているからなのかもしれないが
それはこの話ではどうでもいいことなのでここで終わる。

幼い頃に幾らか父親が働いている姿を見てはいるが
それ以上に父母間の中が悪く、家庭の雰囲気が怖くてたまらなかった。
めがねをかけていた父親が、札幌の寒い道を
「ただいま」とめがねを曇らせて帰ってくる姿はとても鮮明に覚えているが
父親をビジネスマンとしてみるには、小学校低学年の私はいささか若すぎた。


変わりに、母親の妹のご主人。
私が初めてあったのは3歳の頃。
そう考えると恐ろしく昔のことであるし、
故に父親と肩を並べるほど昔から知っている存在でもありました。
うぬぼれを恐れずに言うのであれば
私のことを他人とは思っていない距離で見てきてくれた存在でもあるだろう。

中学高校と暗黒時代を過ごしている間
親戚というものから一切目を逸らして過ごしていた故に
その叔父がいったいどのような道を歩んでいたのか、露さえ知らないが
大学には行ったところで知ったのは
いつの間にか独立して社長になっていたこと。
札幌にあるそれなりに大きな商業施設などのプロデュースをする人になっていたことだけでした。

本当に恥ずかしい。
なんという愚かな中高時代をすごしたのか。
あの時代に得たものは良くも悪くも今の私に多大に影響しているが
現時点というポイントで見続けるのであれば、ただただ恐ろしく愚かだった。



「新丸ビルに招致した店があって」
と、オープンの様子を見に来た叔父が私を誘ったのは
それはそもそも会うことさえ久しぶりのことだった。

恐らくそれまでは私の荒れ具合を見て「家庭」に任せていたのだろう。
時折タッチして私に背中を見せるくらいだったその叔父が
東京に着て間もない私を呼んだ。
偶然にも母親がこちらに来て(ヤンデレ母具合をたっぷり披露して)いたので
そのときは妙な者が取り合わせての会合になったが
それ以降子とあるごとに声をかけてもらえるようになった。

私が前の会社を辞めて今の会社に転職するに当たって
血縁で唯一相談できたのも叔父だ。

私がほぼ初めて「社会人の大人」としてみる血縁が、叔父である。

今日久しぶりに会った叔父は
流石に私の歳を聞いて改めて感慨深げだった。
先にも書いたが、初めて会ったのは3歳の頃。
私の母親の妹(叔母)の、「彼氏」だった頃だ。

それから今や私も今年で27である。
24年も経った甥っ子の存在を、流石に苦笑いして「もうそんなになるんだな」と。



非常に不思議な距離感で
血縁なのに親ほど近しくもなく、故に話せることもあり
血縁だからこそ遠すぎもせず、故に話せることもある。

そして叔父自身が、独立して会社を興した
ある意味では夢を叶えた、ある意味で言う特殊な人であることも
その言葉に厚みを持たせていたのかもしれない。
そうでなくても私が目にする初めての社会人の血縁者の言葉は
一つ一つがとても重い。


進んで口にしたつもりもないが私が絵を描いて遊んでいることも知っていた。
そこまで知っていればと私が最近文を書いていることも明かした。
転職についても早い段階で知っていた。
血縁の中で、親よりも私の表面的な情報を知っているのが叔父で
(表面的でとは、内面などについては流石に母親にかなうところではないという意味)
今日の食事の席では色々と重みのある言葉を聞くことが出来た。

一つを取り上げるのであれば
「市場と私情の乖離」についてでした。

なんせ社長。
商売をする上でそんなことは私の日ではない位に場数を踏み、
少なくとも今もその地位にいるということは大失敗はしていないはずです。

「市場に迎合するのも、愚直に私情を貫き通すことも、どちらも間違いだ。」

叔父の行ったことの真意は私にはまだわからなかった。
どうしても私情を折るか、市場を従わせるか、どちらかしかないとしか、私には思えないのだ。
でも違うのだという。

「若い今はその道を取り敢えず突き詰めてみろ」

ということらしい。
その過程で何か見えるのだろうか。



だからといって叔父の言葉を鵜呑みにするつもりもない。
叔父の置かれている状態と私の置かれている状態は必ずしも一致しないからだ。

その言葉の中にある意味一つ一つから、自分の合致するものを掬い取り
もしくは自分に適用できるように解釈することが必要。

今日の会話で出た事を、どれだけ自分のものにできるでしょうか。




私の周りには「実践的な意味での先輩」が少ない。
それは仕事についてだけではなく、趣味についても。
趣味で恐らく一番影響を受けるだろう中高年の時代に、
私は幾ら描いた友達とはその趣味をともにしたが
本気で切磋琢磨しある人とは会えなかった。
幾らかいた彼らも、気が付けばその趣味を辞めていた。

周りにはこんなに「人」がいるのに、私は誰かを模倣して生きることが出来なかった。
ひねくれた性格ゆえの惨事だとはよくわかっているのだが
それ故に生きていて苦しいし、





今みたいにテンションが落ちて立ち止まってしまったときに
進むべき手引きとなる轍がどの方向にも伸びていないのだ。
気が付いたら自分が歩いてきたくねくね蛇行した足跡だけしか見えない。



多かれ少なかれ、誰もがそういう面を持っていると思う。
それや子は親のレールを忠実に歩くだけの存在ではないことが明らかなのと同じだ。


道が見えない苦しさを
だけどそれを何かのせいにすべきでない悔しさを
どう昇華していくか。

唯一見える背中に倣って
自分をどう鼓舞していくか。




27にもなってまだそんなことを悩んでいるクソガキ。
それがみこう悠長です。

お前の自己同一性は、いつ確立するんだ?

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