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【NHK】ALSの特集見た

さっきALSのことをNHKで見た。
どういうモノかは適当にググるなりなんなりしてください。


「閉じ込め状態」という
自らの意志を外部に表現する手段を一切失った状態に
スポットを当てていました。

その状態に至って
死を選ぶのか、それでも生きるのか。
基本的な争点はそこだったように感じられた。

もっと極言すると
「命の価値はどこにあるのか」

ということではないだろうか。



この番組の方針として
中立に立ちつつも若干「生きるべき」を押しているように見えた。

それを非難するつもりはない。
あの番組は、報道ではなく言論なのだ。
それを一つの視点として見ている側が何を感じるかが問題であり

あの番組が中立的ではないからとか
素材が貧弱だとか云々という意見については
情報社会に対する姿勢として浅はかだと感じさえする。
そこから得るものを全力で得に行く姿勢が必要。


話を戻します。


少し比喩というか
私の独善的な
言葉のラベリングの話になってしまうおそれがあるのですが

"inochi"を
「いのち」と書くか
「命」と書くか
「生命」と書くか
という差がある気がします。


「生命」は一番わかりやすいです。
生命体というものをそれ以外のモノから切り出したときに
生命体だけが持っている有機的な機能の総称を「生命」と書いて
Lifeとする。
極言すると、「タンパク質のロボット」と表してもいいという境地。
科学的。


「命」はそれよりも縮小します。
「生命」が総称的・機能的なものであるのに対して、
「命」は個に宿るもの、
そして機能的自体というよりは
その機能が正常に機能している状態をさしている言葉
自己に歩み寄った観点で、それを尊重する場合もこれに含まれる。
それを以てLifeとする。
極言すると、「死の自由は俺の自由」を容認する境地。
哲学的。


「いのち」はより観念的です。
その生命体が生命活動を行っていることによって
その周辺に及ぼされる影響全ても含めてLifeとする。
自己よりは関係性に重きを置いており
社会や環境との関わり合いに重きを置く。
極言すると、「生きていることで保たれる秩序があるなら生かす」を行える境地。
社会的。



"inochi"という記号について
私が持っている印象は以上の通りです。
異論は認める。

とりあえず私の意見としては
この三つのLifeを切り分けて認識し
それぞれどれについてどの程度の重みを持っているのか
どこに価値を感じているのか
他でもないALSの患者さん本人に選んでもらうしかないのかな
とおもってる。

これについて
法律などが引くのは
許容/不許容の「ライン」でなく
本人の選択の「範囲」であるべきではないかなと思う。
選べる自由を。
死を選んでそれを手伝った場合に自殺幇助となるような
冷酷な線引きでは誰も救われないだろう。




話が少しずれる。
臓器移植ということが話題になった一昔前の話だ。
今はあんまり見ない
臓器移植意思表示カードとか言うのをあちこちで見かけた時代の話。


私は別に自分の体をどうしてもらっても構わない。
ただ、
別に積極的に使って欲しいとも思わない。
恐らく一番多い立場の人間。

そうではない人もいる。

是非使ってくれという人がいる。
勿論他の人の命がつながるなら、という
純粋に善意からだ。
崇高だ。慈愛に満ちている。
その好意だけを取って貶める材料は何一つだってない。

だが逆の人もいる。
勿論医学的な技術への疑心からの人もあるが
注目したいのはそうではなく
「私の体は私のものだ」というスタンスの人。

これはこれで、確かに尊重されるべきなのだ。
ココで垣間見えるのは「命」……①


少し穿った見方をすると

「臓器を移植を認める善意が『義務』として錯覚され、
移植しないという意志が『悪』になってしまう」

という一種のファッショが怖いともいえる。

自分のものを自分のものとして主張するだけのことが悪となる。

勿論、
善意が義務に化けないように
社会全体がバランスを取れるのが一番ではある。
だがそうはいかないだろうというのだ。

私も行かないと思う。



話を戻す。

ALSについてのこの番組でも、
似たようなことが一瞬触れられていた。

人工呼吸器と管に囲まれてもそれでも生きることを選んだ人。
その人の哲学は

「人工呼吸器を付けて生きることに後ろめたさが生じてはならない」

というものだった。
家族、社会、自分以外のあらゆるものに迷惑をかけて生きることを止める
それを(おこがましくも)『善意』と定義した場合
そうでなく、
生きようとする人たちが『悪』とされてはいけないと言うことだ。

これは生の選択と周囲の意識について重大な転換点を含んでいる問題だろう。

できるだけ、できるだけ
その当人の"inochi"を許す社会、制度。
それをどれくらい構築できるだろうか。
違う方向に進むのであれば
本人の意志に関係なく、「生かすこと」を他人が強制する社会も
あるいは正しくなるかも知れない。
ココで垣間見えるのは「いのち」だ。……②

難しいのは
ALSの患者さんは
その選択を伝える手段を
最終的に失ってしまうことだろうか。



早く脳波で意思疎通できる装置が実用化されればいいのに。

そうすると
言葉では伝えられないけど筋肉の動きで言葉を選べるよ!
から
筋肉で伝えられなかったけど脳波で行けるよ!
と今できているところを
脳波で伝えられなかったけど…
みたいなところに進むだけかも知れないですね。
難しいです。

そうやっていくと
精神というモノの
機械的な所在解明と、機能解析が
必要になってしまうのかも知れないですね。
ここで垣間見えるのは「生命」だ。……③




①②③
複雑に絡み合っていて
・安楽死
・尊厳死
・臓器移植
などの
「死に向き合う生命倫理」の場面では
それらがごったに語られることが多い。

そういう①②③はあくまで私見ではあるが
こんな風な切り分けをして
無機的にならぬように問題を単純化すべきだ。

問題の機械化ではない。
本質を見抜くための単純化。
それもまた難しいところではあるのですが……。

この記事へのコメント

Re: 【NHK】ALSの特集見た

尊厳死については昔からよく考えてます。

僕は周りに迷惑をかけてまで生きたくないという人なので。

僕は人間50年でいいと思ってます。

Re: 【NHK】ALSの特集見た

私もそんなに長く生きるつもりはないなあと課
思っていました。
本気で、50・60になったらやりたいことも出来ないんだろうなと。
ところが、今、絵を書いたり文を書いたりてしている身分で、ふと考えると、そこまではあっという間で、それを視野に入れてもいいんじゃないかと思い始めています。
オヤジバンドとか、年を召しても趣味に生きている人たちが、かっこよいなあと。

問題は生命維持の必要性についてだと思いますが、
それについては私自身は尊厳死を選べたらなあと思っています。

ただそれは、
「私が生死のラインとしてそこを選んだ」
という以上のことではなく、
「それを選んだから回りの負荷を軽減したね」
などと、
拡大的に正方向に捉えてほしくはないです。

管つきでも生きながらえる人たちの選択は、
その選択も尊重されるべきで、
その生死のライン引きを、
関係のない人間の主観によって圧迫してはいけないから。

「どういう姿であれ、彼が生きていてくれるほうが迷惑ではない」と感じる人たちもまた、確かに存在するので
それもまた難しい話です。

自分の選択を自分の選択範囲に納められない
命の価値を当人の価値判断に収めきれない
そこにこの問題の難しさがあるように感じます。


定年後もエロSSかいたり2D絵描いて
ムフフできる大人って言うのも、
割に面白そうでwww

Re: 【NHK】ALSの特集見た

やっぱりみこうさんの考える姿勢と視点は好意がもてます。

僕の大切にしていることは
大切なときに大切なことを大切にする、です。
そのために考えることと選択できることが可能であることを。。。

Re: 【NHK】ALSの特集見た

ありがとうございます。
「大切」という単純なことを確認して実行する難しさ。そしてそのすばらしさ。

「inochi」の問題にしろ、「大切」の問題にしろ
ぞれを実現しようとする姿勢の表れとして
一つ「宗教」というものがあると思っています。
日本では「宗教=カルト」みたいな認識があってこれが恐ろしく偏っているように感じられますが
私は「神が無くとも宗教はなしえる」と思っていて
それはつまるところ、
「宗教」というものが持つ側面の一つである「生の啓蒙」であると考えています。

一人一人の「宗教」が尊重される世界であればよいなと思います。

Re: 【NHK】ALSの特集見た

inochiの捉え方、考えさせられます。
常に自分が選択できる環境を作りたい、そう思います。
「いのち」

Re: 【NHK】ALSの特集見た

「inochi」という言葉に限らないんですが
そもそもそれの定義が曖昧なのに
綺麗に線引きしようとしてにっちもさっちもいかない問題が多いと思うんです。



社会的にも、個人的にも。

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