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【ぼやき】ひとが

私が人を嫌いになるのは、私の責任であるだろうことは
納得はいきませんが
飲み込まざるを得ないモノだと思います。

それでも、私は殆どの場合、
人を嫌いになることはありません。

人間という総体が嫌いである場合がある、
という矛盾を抱えてはいますが
それは人というよりもっと大きな何かについてであって、
かなり特殊な総体をさしています。

なので取りあえず、
個として認識できる人について、嫌いになることは殆どありません。
今まで生きていて、嫌いな人は数人にも出会っていません。



で。
珍しく「この人嫌いだな」と思った出来事があって。

それを取り上げて、
あいつは人嫌いだからもうダメだよ、
といわれたのでは
どうすればいいのかわかりません。

先にも述べたとおり
殆ど人を嫌いになることなんてないのに
まだダメなのかと。

そして最初に戻るのですが
そうして人を嫌いになってしまうことについて
納得は行かないモノの飲み込まざるを得ないということに言及すると
それは私は自分の狭量に責任があると考えます。

もうすぐ30年にも鳴る間に数度しか訪れなかった
私のその不徳をして
なおも足りないと言われてしまうと
自己弁護するようではありますが
多分これ以上は無理です。

私が悪いのだとわかっていても、無理です。

それとも
その数度しか訪れなかった契機を乗り越えられなかったのが悪いというのだろうか。
そもそも数度しかその契機が訪れていないという点は
考慮に入れられないのだろうか。

恐らくそう言うことなのだろうと思う。
そして
恐らくこれ以上はやっぱり無理だ。
そこに私の責任があるとわかっていても、やっぱり無理だ。

今自分の中にあるこの水準なら
これは全く意識せず自然体ではあるが、
これ以上相手の負に目を瞑りその負を裏返して正ともし尊敬を持てというのは
今以上に自分が低いことを痛感させられるのは
これ以上痛いのは
もう無理だ。



これは甘えなのだろう、あの言葉が正しいのなら。
目の前にいる人は絶対にみんなすごくて尊敬できると思ってしまう自負はある
でも、
ここで「それで足りないなんて、つらい」と叫ぶのは
甘えなのだろうか。





言ってもわからぬなら、体で覚えさせないとダメだろう。
ならな極々希に現れる「この人嫌い」という感覚が仮に現れたとするのなら
そのときは腕でも掻ききって体に覚えさせればいいですか。




生きてるだけでばっどすぱいらる。

この記事へのコメント

誰一人他人を嫌いにならないというのは、逆にストレスを作る原因になるからねぇ…

とはいえ、(持論ですが…)必ずしも『嫌いな人=憎悪の対象』という構図にはならない気がします。

憎悪とはストレスの捌け口に見えて、その実ストレス発生源になる…

では嫌いな人に対してどうすればいいか…
私の対処法は
『笑顔で対応し、自分からのアクセスを極力しない』
まぁ、憎悪も含んじゃった場合は精神的に潰すかもしれませんが…


『触らぬ神に祟り無し』ならぬ『触らぬ忌み人に恨み無し』です。

ん?みこうさんは大好きですよ?

Re: タイトルなし

別に現状レベルでの「人を嫌わない」は全く負担になってないんです。
レアケースを除いて、概ねの要素は嫌うほどの理由にならないんで。
ただ、それであっても「あいつは人嫌いだから」と言われると
「ええ、これ以上は…博愛しろってのかよ」というプレッシャーが辛いです。

それともその言葉は放置して現状に逃げてもいい物なのかという。

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