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【言葉】言葉は部品

今(通勤中)満員電車で押しつぶされながらも
必死に漫画を読んでるサラリーマンの
その本の中が少し視界に入ってきたその画像から
逆説的に、文章には面白い性質があるなと感じたので
なんとなく日記として記しておく。
(私も必死に押しつぶされそうになりながら携帯を打っている)

入ってきた漫画の一コマは
ただ、コマに河童みたいな手が書いてあるというだけ。
それを見て
あー、こういう、現実にはないものとかも
ちゃんと描かないといけないんだよな
かけないよな、質感とかさ。
って思ったのがきっかけで。
何が大変って、漫画は、これが出るたびに
出てくるこま全部にこの絵を描かなきゃいけないんだよな。
(あたりまえ)

その点文章はさ……あれ?
面白いな、そういえば。

-------------------------------------------
男の手は河童のようであった。
肘から先は固い鮫肌で緑褐色に変色し、爪は鉤に尖っている。
指と指の間には水掻きが張っており
先に河童と称したその腕は、やはり河童のそれに違いなかった。
男は手を振り上げ、それを一気に下へ振りかざす。
刹那、川の水が溢れ出してあたり一面を呑み込んで、
陸に打ち上げられた河童と思えた彼は、
しかし今やその腕で自由に動き回れるようになったのだ。
-------------------------------------------
まあ適当に書いた文ですが。

ここで継承のようなことが起こっている。
「手」「その腕」という言葉は
その中に一切河童の腕の特徴の書き込みがない。
それはもっと上の部分で定義が済んでいて、
以降、その男の腕や手という言葉には、自動的にその定義が付いて回る。
但し、読み手は記憶が揮発するので、
時たまその定義を更新してやる必要がある点は異なるが。
同じ「手」「腕」という言葉に対して、
彼の「手」「腕」と、
一般的な「手」「腕」の間で
明らかに差がある扱いができる。

文章は、毎度毎度その特徴を書く必要がない。
男の腕をさす「手」「腕」という言葉には、
先に書いた特徴が継承され続けるからだ。

だが絵にはこういった機能がない。

私が
絵を描きながら漫画はぜんぜん描ける気がせず、
あまつさえ文章に転向してしまったのは
私のその面倒くさがりな性格が
同じ描写を二度も三度も書く気になれないと、
面倒くさがっているのが強く働いているような気がする。


私は性格が大雑把でかなりものぐさ。
既にあるものを使って組み合わせて
新し「そうな」ものを作るのが好き。
(実際には新しくはない)

なんに関しても大きな一括りで見て、
全体の機能として捉えた上で
流用しようとする。

たとえば先のブックカバーに関しても
恐らく普通のクリエイターさんがあのような発想をする場合は
革から縫って、表紙を書いて、飾りはこういう風なものを用意して……
なんて考えることが多いのではないだろうか。
あのブックカバーは悪く言えば出来合いのものの組み合わせでしかない。
決まっていたのはコンセプトとおぼろげな完成予想図だけであり
どうするか考えるのではなく、
出来合いに存在するものからできる姿を考えたもの。

あの中に自作要素など実は一片もないのだ。

それでもそれなりの見栄えになり
実際にあの値段にもかかわらずそこそこの数は買ってもらえたのだから
新しい価値の創造はできているのだと思う。

そしてこの考え方は
生粋のクリエイターさんには許しがたい思考だろうと思う。



同じようなことを
実は文章にも感じている。
私は、言葉とは、APIだと思っている。

ご飯を食べるその箸の持ち方、座り方。
どの手でどのように何を持って食べるか書かずとも
ただ「彼はご飯を食べた」と書けば、
彼はご飯を食べてくれるのだ。

絵はそうは行かない。
きちんと彼の姿を書き、彼の持っているもの、箸の持ち方、などを
全て矛盾なく書き込んで
やっとその絵は彼がご飯を食べているところなのだとわかる。
下手すぎると伝わらないし、
持つ手がうまく描けないとどうにもいびつだ。

イメージをわかせるのとは別に
出力に対してもうひとつ技能が必要。

絵は私にはハードルが高かったんだと思う。



私はアセンブリでプログラムをしようなどと
逆立ちしても思わないだろう。
逆にAPIを使うであるとか、
スクリプトやダイナミック言語で書きたがる。
かけないけど。

異、私が今書いているような二次創作でのSSなんて、
DLLさえ読み手の頭の中にあるといった具合。
この辺って、もうわかってるでしょ?
ってはしょれるはしょれる。

二次創作における原作に対する知識の外部化という点以外においても
受け手の知識に依存する部分が大きいというのは
誰もが文章の良さであれ難しさであるとお分かりかと思う。

この方法論にのっとって……る意識もあまりなかったのだけれど
結局そういう意識で書いていたので、
私は部品だけ組み立てているイメージで文章を書いている。

ただそれが行き過ぎて
「よくわからん比喩だな」といわれることがあるのだけど
それに付いてはまあ
DLLエラーが起こらない
もしくは
代替可能なDLLが脳内にある人だけ読んでくれればいいかな
なんて思ってます。

いちいち
「このランタイムをインストールしてから読んでください」
なんて面倒くさいですし。


かといって、プログラム言語みたいにがちがちなのかというと
さらさらそんな気もないんですよね。

789
456
123

5の位置を示すのに、

5

って書くのがロジカルなんですけど

789
4 6
123

ってかいて5の位置を示す
っていうやり方が文章ではできる。と思っている。

私は頭がいいわけではないので
それをズバッと一言で言い表す言葉を知らないことが多いんです。
だから似たような言葉をたくさん集めて
「ほら、だいたいこのへんね!」っていうんですよ。

それをひとつの一まとまりの機能として捉えて使ってるんですけど
人によっては寄せ集めた言葉一つ一つをちゃんと読みに行っちゃったりするんですよ。
そうすると逆に意味がわからなくなるらしい。

その辺は、プログラム言語と違う柔軟性があるなというか
かってにそういうもんだと思って言葉を使っています。



まあ、そんな感じで
言語はAPI的なんだと思っていて
そういう風に、
「実際にそれを出力する」という作業を簡略化して
話を作ったり、まあねちょをぶっとばしたり、
っていう、
方向性とかを考えることに専念できているわけですね。

漫画を書いている人は
話も考えるし
絵も書くしで、半端ないと思います。



まあ
言葉は出来合いのパーツでしかないなんていうと
言葉を真正面から専門に扱ってる作家さんは
これまた怒るのかもしれませんが
ここは、無名な趣味自己満SS書いているだけの
取るに足らない存在の戯言だと思って
スルーしていただけたらと思います。


ちなみにここまで書いてますけど
私プログラミングできませんから。
単純に、こう、
鉄道マニアが色んな単語を知っている
(けど運転・運用はできない)
っていうのと
ほとんど同じレベルです。

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