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【内省】四肢切断と同性愛と五体満足と異性愛

以前、
輝夜がBIIDで、
それを取り巻く周囲の証言からドキュメンタリ?みたいに展開して
妹紅が切断欲求を満たしてあげる
なんて東方SSを書いたことがあるんですが

書いている間に
色んなサイトをめぐって、
BIIDの事を調べたり
BIIDに限らず、
いわゆる「amputee」という言葉に付いて調べたりしていました。
もちろんpixivでの二次創作的(≒ある意味でDevoteeから受けのいい)
切断絵というものも一通り見て
SSを書くときの資料としながら印象を作り上げて書きました。

結局私の描くSSというのは
どこまで言っても内省的な内容であることが多く
書き終えるには
何かひとつの事柄について
それなりにひとつの結果が自分の中で導き出せている必要がある
もしくは
わからないならわからないということ自体を
ひとつの結果として設置する必要がある。

このBIIDの東方二次SSを書くに当たっても
それが受け手にとってどのように映っているかはともかくとして
私の中ではそれなりの
「amputee」というものへのスタンスを見出して
ようやく(別に長いSSではないけれど)〆る事ができた。

そうして自分の中で決着をつけて
SSを完結させてから
たとえばpixivなどで切断絵を見ると
切断「最中」の絵に付いては仕方がないと思う。
そうではなく、
既に手足の一部を失っている人をモチーフとした絵について
「R-18G」タグをつけることが
ひとつの必要性を持っているということに対して
すごく疑問を抱くようになってしまった。

それは本当にグロテスクなのか?

切断状態を美化するつもりは一切ない。
ただ、
輝夜は手足を失いたがり、
妹紅もそれを受け入れる。
それなりの信念を持って彼女達のあり方を決めた二人に対して
私は
(もちろん自分が描き出したキャラ達である以上、
親馬鹿のような心理が働いていないとも言い切れないのだけれど)
その輝夜の姿を「グロテスク」と評して、人目から避けるというのは
むしろその方がグロテスクな気がする。

BIIDというものへの理解はともかくとして
そういった人が居るということに対する私自身の感想を
それ自体をねたに刷る作品を書くことによって
意識的に固定化できたというのはひとつの成果ではあった。

だが異変は
奇しくも程なくして現れた。

そのSSを書いてしばらくした後
テレビを見ていると
「アンプティーサッカー」という
足を失った方たちがスポーツとして行うサッカーが
取り上げられていた。

その番組がそのSSを書き上げて
数週間の間に私の目に入ってきたのは
ひとつの警告だったのか
それとも
私は今まで気付いていないだけで
そんなくらいに頻繁に現れるくらい
社会では当たり前のことなのか
今となってはわからない。

そのサッカーのプレイヤーはBIIDではない。
もしかしたらBIIDによっての切断であっても
もそのサッカーに参加する権利はあるのかもしれないが
とりあえずは
その画面の中にいた人たちは
事故などで足を失った人たち。

足を失っている以外は全く普通。
そう
全く普通。
バストアップでインタビューを受けている映像など
普通の人と変わらない。
足を失っていても、
足がないだけで人間性は微塵だって失っていないのだ。

その番組を見たときに
ああ、amputeeという言葉はそれなりに一般的な用語なのだな

自分の選んだテーマそのものに対する
ひとつの確信のようなものを得た。

と、同時に。

あのSSに対してもらっている感想の大部分が
輝夜の切断願望を「狂気」
切断されている状態を「猟奇」
と捉えた感想が大半だった。

私は
四肢切断状態を
「普通ではない状態」として
それをもてあそぶようにSSを書いてしまったのだと
ひどく後悔した。

このblogであのSSを公開したとき
貶める為のSSではない。
と投稿当初から一言添えてあるのは
ひとつの言い訳にしたい。

書いていたとき(ついでに言うと書き終えてからも)
輝夜の四肢切断願望を「狂気」として扱うつもりはなかった。
ただ、周りからは「狂気」にみえ、
でも彼女(とその隣に居る恋人)はそれを狂気として捉えず
また
輝夜自身も「なんだかわからないけれど」と
理性を持ってそれに対応していたりと
当人(&近隣)と周囲の間にギャップがあるのだ
ということを書きたかった。

輝夜の願望は狂気ではなく
それを抱く妹紅も狂気に魅入られたわけではなく
ただ
彼女達の自然は正しく理性の下だった
ということを書いていた。
(優曇華だけは狂っている描写にしたけれど)


つもりだった。


だが結局そうはいかなくて
感想といえば
狂いっぷりがたまらないなどというところが多くて

それは単純に自分の書き方に徹底がなかったからだろう。
「ギャップ」を見せるつもりが
見せ切れていなくて
輝夜というキャラクターが持つ「狂」に
私の筆はが完全に飲まれてしまっていた。

結果として
四肢を失った人たちの人間性をもてあそぶ作品になってしまったのが
どうしても否めない。

ちょうどtwitterをしていたので
アンプティーサッカーの番組を見ながら
ちまちま呟いていて
そのときにやはりそんなリプライをもらったので
そうじゃないんです…と返すと
逆にごめんなさい見たいな言葉が返ってきて
悪いのは私なのに
読んでくれた相手を困らせてしまって

ああもう
私は何をやっているんだ。

重いテーマを描こうというのなら
それなりの能力が必要なのだ。

いつもいつも
自分がやりたいことは
自分の能力は届かないことばかりで
自分は苦しいし
こうやって回りも困らせる。
見えていないところで他の人を貶めている。

不甲斐ない。




というのは本題じゃないんですよね。

本題。



先日金曜日に、
発生経緯が全くわからないですが
とりあえず飲み会に誘われたので参加してきました。

ある意味では
女の子を中心として集まった男共がその子を囲んで飲もう
みたいな感じになっていた。

所感あったけどとりあえずは今はおいておく。



特に話すこともないので
出てくる話題に当たり障りのないことを答えて
一人でもさもさとものを食べていたのですが
ひょんなことから
私が男と寝たことがあるという話になって
あれやこれやと話をすることに。

別にそのことはどうでもいいって言うか
別に劇的な事件があって男と寝たというわけでもないので、
そんな刺激的な話を求めてのことなら
適当な小説なり何なり見てもらったほうが期待に添えるんじゃねえの?
とか思って喋ってたわけですが。


話の内容なんかよりも
そこで何を感じたかを記しておくことにします。



どうも私は他の人と比較すると順序が逆らしいです。
話していて聞いている人がまず何に食いついてくるかというと
男とエッチするとどうなのか
んなこと言われたって別に私だって経験豊富というわけでもないですから

一発目デモ気持ちよくなれるのかとか
二回目以降はどうなのかとか
前立腺刺激が気持ちいのかどうかとか
そんなのわかるレベルじゃないです。

とにかく
「男を相手にエッチするとか」→肯定否定
みたいな会話の展開になるんですよね。

男と、男と。
まず性別がくる。

でも私はどうにも感性がずれている。
そこで感じたのが

お前ら、セックスできる相手を好きになるのか?
好きな人とセックスするんじゃないのか?

ということ。
もちろん
今まで寝たすべての男の人を好きだったのかというと
私も30%ほどはうそになる。

ただ、
その場に居て私の話を聞いている人の声を聞いていると
普通のセックスができない相手を好きになることが異常
ということを結っているのだ。

その場で悪態を付かれたわけでもないし
むしろ面白がって聞かれたので
その場の空気としてはよかったのだけど
多分私が言いたいことの一ミリだって理解はされていなかったと思う。


彼ら彼女らは
「セックスしたいと思う相手を好きになる」
という前提でしか考えていない。

好きになったら相手の性別なんて関係がない
というところには、
絶対に考えが及んでいない。

もちろん口ではそうだといっている。
ただ、前提が違う。

【好きになったら「同性であっても」エッチできる】

というのであっても既に私の中では違う。
そこに性別という概念が入ってきている時点で、違う。

男か女かなんて関係がない
のではない。
男も女もない
のだ。

男女平等を歌う奴らも
その逆の奴らも
その口から出る言葉は
まず前提が性別。

違う。
そうじゃない。
それ自体が違う。

性別とかいうそのものがまずくだらない
ああいや、くだらなくはないんだけど
それを口実にすること自体がくだらない。



「俺男だけど、男は好きにならないわ」

まず普通の考え方です。
否定はできません。
大多数派でごく自然で生命として正しいです。

でも私とは違う。



「俺男だけど、男が好きだわ」

まず普通ではありません。
でも否定はできません。
少数派で自然や生命に背いていながら
一定の立場を確保しています。
ある意味では被差別民です。

でも私とは違う。



「俺男だけど、男も女も好きだわ」

近い。
私はこれに近い。
でも違う。

いわゆる両刀とかバイとかいわれるわけだけど
私はそういうのでもない。

そもそも性別というものを
好きか嫌いかの判断基準として採用するつもりが一切ない。

性別の

男・女

の両方に丸をするのではなくて
その欄を全部真っ黒に塗りつぶしたい。



もうひとつ言わせてもらうと
じゃあ男にでも女にでも欲情するのかといわれると
それはYesだが
女の子の方が俄然興奮する。

それはそれで否定するつもりはないし
だからといって
先に述べた男も女も関係ないということに
矛盾しているとも思っていない。

私の前提は
「欲情するから好きになる」
ではないからだ。



男の人とエッチして
気持ちがいいなんて感じたことはほとんどありません。
もちろん
手でしてもらったりして射精したりはしましたけど
アナルセックスでいけるほどじゃないです。

男の裸を見てギンギンに興奮することもないです
しなくもないですけど。

それは語弊はあるけれど
女の人を相手にしたときもそう。
どっちかっていわれれば
もちろん女の人とセックスしたほうが気持ちがいい。

もっと突っ込んでいうなら
オナニーの方が気持ちがいい
って思う程度の熟練度しかありません。



それでも
かわいい女の人を好きにもなるし
すごく仲のいい男の人の隣に居たらどきどきするし

だからそもそもセックスの快感とか性欲を
恋愛感情と結び付けられていないのだと思う。

好きになる前提は、純粋に好きか嫌いか。
くそ陳腐であまり意味のない言葉を使うのならば
尊敬できるかどうか。
気が合うのかどうか。
一緒に居て心地いいかどうか。
だめだな、こういう言葉で書いたら綺麗に見えてしまってうそ臭い。

セックスして気持ちいいかどうかじゃない。
異性か同性かじゃない。

そもそも私は
「相手とエッチした意識はあっても」
「相手の性別とエッチした意識」はないんだろう

だから、
私に対して男とセックスすることをどうかと聞かれても
彼ら彼女らの望むような刺激的な答えは返せない。



そしてこれは
他の人には伝わるまい。





そんなことを思いながら
聞かれるままに言葉を返していたら
いつの間にか終電の時間となりまして。

解散するのか朝までにするのかという流れになり
私は別に朝まで飲むこと自体は苦痛ではないので
どうでもいい。

楽しいことするなら朝まで。
だれるなら帰りたかった。

で、ゲイバー行くか、みたいな流れになって
私は言ったことがなかったので
それならそれはいい経験になるだろうと思って
手を挙げて賛成したわけです。



入店。

まあいろいろあったんですが
とりあえず今回の話に合致する部分だけ
抜き出して書きます。


ノンケなのかノンケじゃないのか
ゲイなのかゲイじゃないのか。
それがひとつのテーマとしてふわふわとその辺を漂っている。

違和感。

そりゃあそうだった。

普通の世界では男女の組み合わせのところ
男男という組み合わせに「限定」しているという点で
私から見れば「違う」というのは当たり前だったんだ。

ノンケ?ノンケじゃない?
って聞かれて
ノンケじゃないと答えるとゲイなのかという
(たとえばそこがゲイバーではなく
私が女でそこがレズビアンバーであればレズ)
ことになる。

ノンケじゃありませんと答える気にもなれないし
ノンケだというには性嗜好が壊れている。
何と答えればいいのかわからず口ごもるしかなかった。

ああ、
性の垣根を取っ払った場所というわけではない
というのを痛感した。

いや、面白い空間ではあったんですけれど。

男女が男男になっているというだけで
性別に対して無秩序というわけではないということに
改めて気付いた。

その辺、私の意識は甘かったのだ。





同性愛にしろ
四肢欠損にしろ
私は何かを
得たのか
それとも
見落としているのか。

私はまだ、
なにも見えちゃいない。
何もわかっちゃいない。
なんら伝えられやしない。
何もつくれやしない。



関係ないですが
女性から
「みこうさんはビッチ臭がする」
とかいわれたんですけど
どう受け止めればいいんでしょうか。

この記事へのコメント

Re: 【内省】四肢切断と同性愛と五体満足と異性愛

誤字か意図かしらんけど言う→ゆう→結うってやたら色っぽいな。

Re: 【内省】四肢切断と同性愛と五体満足と異性愛

あああああorz
なんか最近「いう」じゃなくて「ゆう」って書いちゃうから、その誤植が頻度急上昇してるんですよね……

Re: 【内省】四肢切断と同性愛と五体満足と異性愛

言の葉を紡いで言葉なら結ったっていいと思うよ。
堅く結び付けすぎて解けない感じがあなたらしい。

Re: 【内省】四肢切断と同性愛と五体満足と異性愛

まあそういう感じに合致する文脈で発動する誤字ならいいんですが・・・

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