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【内観】全能感と幼稚性

節分

節電
▽←イマココ
節句


本題


昨日の夜だらだらとwebサイトを廻ったりしながら感じていたことを
出社電車の中でまとめたり、地震に揺られたり。




ヤバまさかレッドポイント!? いやギリクリア!
それだけでなんて全能感
大事なのは自分認めてくこと
自分を許さなきゃひとも許せない



◆私は子供
twitterでの言動を見ていれば明らかですし
実際に私を眼にしたことのある人もわかると思いますが
私は非常にガキです。

柔らかくいえば若く見られます。

実態は若く見られるのではなく、
内面が幼いのでそれが外に出てしまっているだけです。

それでも最近は流石に寄る年波には勝てないで
見た目はおっさんです。
ええ、それはそれで、それはそれは残酷なことですわ。
幻想入りしたい。



◆全能感
全知全能の神、ってアレです。
全能感、という言葉については
ネットなり本なりで簡単に調べられる範囲でのことしか言っていませんので
ここでの説明は割愛します。

簡単に言えば「俺なんでもできる」って調子に乗ってること。

コレ現時点でどのように絡むのかは
後に譲るとして
とりあえずキーワードとして登場させておきます。

知ってるか、
もしくは調べていただければ
わかると思うんですが
基本的に全能感というのは若いヒトにあり
もっと言うと
子供であれば子供であるほど強く
かつ、
その状態を肯定したがる。
らしいです。

もうこの時点で
言いたいことの8割は伝わってしまってる気がしますが。



◆全能感の維持方法
ここで挙げる二つの方法については
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100119/p1
の記事を基にしています。
非常にズキンと着きたので記事にしようかなと…。

・能力を発揮できる狭い世界に閉じこもる
つまり、自分が強者であれる世界に引き篭もって、
その狭い世界を世界の全てであるとみなし
自分の全能感を維持する方法。
(この場合、実際は全能ではなく、その世界で必要とされる能力だけだが)

私は常に人の少ない分野へと足を伸ばしてきた。
競争相手の少ない狭い世界に逃げ込んでそれを維持することに腐心してきたのだ。

・何もしない
あれです。
本気出さないアリスの心理。
「やらない」を行い、「触らない」ことで維持する。



◆全能感と無力感
http://positiveallergy.blog50.fc2.com/blog-entry-427.html
で語られていることが
私の思うところを綺麗に表現している。

何に関しても
「あー、うまくやれねえな」
と思っている自分に対して
「いや、コレもアレもできると思うのは自惚れなんだろう」
という自己返答は
かなり早い段階で導出できてはいた。

ただそれを受け入れられないというだけで。



◆私の場合の無力感と、その裏面たる全能感
しかし考えても見ると
「コレをやろう」と思って始めた何かに関して
「結局~には勝てなかったよ…」となるのは
やはり徹頭徹尾自分のせいなんじゃないかとも思うんですよね。

それが強要されてやらされた事ならまだしも
誰かと組んで共同作業したことならまだしも
私が苦しんでいることなんて
所詮趣味で、
一人でやっていることで
誰から強要されたことでもない。

一気通貫で私のせいなのだ。

とも思ってしまう。

きっとこれが「全能感の越権行為」なのだろうな。

お前はそんなにできた人間じゃないんだ
って
私はどうして納得できないのだろう。

たとい趣味の分野でブイブイ言わせたとしても
全能感など維持できないのはわかっている。

それは自分が常に人の少ない方へ逃げていたという自覚はあるからだ。

絵を描き始めたのもそうだし
文を書き始めたのもそうだし
趣味として魅力的だが
自分がその時点で生きている狭い社会の中から見て
人口が少なく見える方へと足を踏み出して
あれもこれもとやっている。

(少なく「見える」、というのが重要。
実際に全体的な世界から見てなんら少なくなかったりする。
これがまず大きな間違いへの一歩であったのだろう。
絵にしろ文にしろ、特に絵が顕著だったが
飛び込んでみると人口は多く、
そうして再び全能感を裏返した無力感にいっそう強く晒される結果となった)



人様が見ればどうやら
「多趣味」というように見えるらしいけど
それはこういったマイナスの資産でしかなく
文についてこれが偶然に
しかも一瞬だけ
巧く回ったというだけの話だ。

そして
アレもコレも手を出しているうちに
更に悪いことに
どの分野にも本気を出さない自分が形成されている。

絵に疲れれば文に逃げ
文に疲れれば絵に逃げ
両方巧くいきそうになければ
歌を歌ったり。
今度は楽器をいじったり

私は
先に述べられていた二つの
「全能感の維持の方法」
の内
見事に二つとも実践しているクソガキだということがよくわかる。



◆なぜその全能感を否定できないか?
周りには
それらを上等巧く見事にやってのける人がごまんといるからだ。
本当に沢山いて、
何かについて
上等巧く見事にやってのけることができる何かを持たないと
無価値なように思える。

そのごまんといる人の中に、
自分が食い込むことができないでいるのが
自分という存在そのものが無価値化したようで
それゆえに私は未だに
「何もできない」という苦しみを
「自惚れ」と裏返すことができないでいる。

(いや、無価値であることには気付いているが
それを肯定したくないという方が正しいか)

私のこういった幼稚な全能感は
大人になれば失われるというか解決されているべきであって
恐らく皆解決しているのだろう。

逆に問いたいのは
なぜ解決できたのかという方法だ。

私は、私が無価値なことは、理性的にはわかっている。
だが生理的に受け入れられないでいる。
なぜみんなは
無価値である自分を受け入れることができたのか。
自分がいてもいなくても変わらない存在だと納得していながら
なぜ生きていられるのか。

大人になって
全能感に解決を見るというのは
自分自身に対してどのような価値を付加することなのだ?

みんな、
それなりに
自分というものの足場に
自信があるから
生きているんだろう?

それは
私の持っている幼稚さが
全能感の裏返しの無力感であるとするなら

それを解決したときに得られるというのは
無力感ゆえの自信というものなのか?
無力感は自信になるのか?

生きているだけで価値がある、
だなんて
聞こえのいい宗教が唯一の救いなのか?



◆そのハードルを乗り越えるということ?
コレは大人になれば消える蒙古斑のようなものなのか?
子供だけがかかるはしかのようなものなのか?

それとも

解決することが大人への通過儀礼なのか?
それを打ち倒すことが試練なのか?

どちらにしろ
このままいても自然に消えるものではないと思うし
私の手持ちの経験と価値観と思想とでは解決できそうにない。

何らかの分野で一度本気を出して
挫折を知れということなのだろうか。

絵に関しては自分の中では
かなり色々やったし
長くやっているし
考えるところもある。

多分あの絵のレベルを見る分には伝わらないだろうが
努力はした。
単純にそれが実っていないというか
やっぱり才能がないのに
無理やりがんばって非効率的に伸ばした結果がアレなのだろうとは思う。

なんていうのかな
レベルマックスまで挙げて
ステータスポイントそこに全振りしても平均程度にしかならんとか
そういうイメージ。

この程度しかかけないくせに大口叩くな
じゃなくて
やってこの程度しか描けなかったという結果がもう出ている。
いや、まだ伸びしろはあるのだと希望は持ちたいが
きっとレベルアップに必要な経験値は現実的な域を出ていて
レベル上げれないみたいな。
きっとそれは絵を見ても伝わるまいとは思うが。

「レベル低いヤツはまだ上がる」
なんてできるヤツの論で
実際は
「そんなに時間費やしてなくてかつ巧くないうちはまだ上がる」
が正しい気がする。
できないヤツは時間をかけてもできない。
これが現実だ。

本気を出してもだめだった無力感というのは
私は私なりに知っているつもりだ。
そしてそれが
「建設的な意味での諦め」に繋がっていないことも感じている。
「絶望的な意味での無力感」しか感じていない。

ならばどうしてまた本気など出せよう。
もはや、がんばることは絶望を引き込む自殺行為にさえ見える。



◆極当たり前のこと
なんて書いていますけど
こうやって書いたことに対して
「ハァ?」って思うのが普通だと思うんです。

乗り越え終わっているのが普通で
いわゆるモラトリアムを通過し終えた頃には
至極当然こんな下らない疑問は脱ぎ捨てているものだと。

私はもうそろそろ30歳になろうとしている。
なのに
考えていることは
10代後半の頃からほとんど変わっちゃいない。
成長していない。
まだ
クソガキのままだ。

どうすればいいんだ。



◆私の目には
幼いまま生きるか
大人になって死ぬか
しか見えない。

諦観と無力感が生み出す自信というものが実在するのならよい。

それが自信に繋がらないというのなら
生きるための足場をどこに持てばいい。
全能感に縋ってそれを求めることでしか
私は生きる意欲を(同時に苦しみを)得ることはできない気がする。

誰か
きっと誰でもいい。
みんな解決してるんだろう?
誰でもいい
教えてくれ。

諦観と無力感の中でなお
生き続ける意欲を持てる理由を
またはその術を。



蓮舫氏は言いました
「1位じゃなきゃダメなんですか。2位じゃダメなんですか」
皆は笑いました
「1位と2位じゃ雲泥の差www1位じゃねーとダメなシーンなんて腐るほどあるww」
では皆さん、
1位以外でいることには納得しないことでよろしいか?
それとも翻して2位でもよいのか?

残念ながら世の中結果論だ。



◆全能感とは
捨て去るべき幼稚な感情なのだろうか



◆大事なのは自分認めてくこと。自分を許さなきゃひとも許せない
時折
「うわあ、私冷たいな」
って思うような無機質な判断を人へ下すことがあるのは
(口にはしないことが多いが)
そういうことなんだろうか。

私はそもそも理系人間ではないので
理詰めでものを考えるたちではないはずなのに
(数学とかマジ嫌い)
人に対して理詰めを求めたりするのは
そういった他人への許容がまだ足らないからなのかもしれない。

そしてそれは幼稚な自分の表れなのだろう。



◆という
本気を出さない器用貧乏アリスのSSでも書こうかな
周りのあらゆるものに嫉妬するパルスィのSSでも書こうかな
努力してるけど霊夢に追いつけない魔理沙のSSでも書こうかな
多分かけませんが。

この記事へのコメント

Re: 【内観】全能感と幼稚性

興味深いお話だったので何度か読み返させていただきましたが、最終的な結論として、私ではみこうさんの悩みを解決することはできないということがよくわかりました。私自身、上手い挫折なぞ経験したことの無い人間だからです。

>ならばどうしてまた本気など出せよう。
>もはや、がんばることは絶望を引き込む自殺行為にさえ見える。

むしろこっちのほうがよっぽど大問題だと思うのですが、結局そのトラウマは自分でどうにかするしかないしなぁ。
ただ言えることは、みこうさんが目指すレベルで成功した人間というのはほとんどが、一定以上の期間、本気で頑張り続けた人間なんじゃないかとは思います。
(まあおっしゃるとおり、本気で頑張ったからと言って全員が成功するわけではないというのが何とも世知辛い話ですが)

あえて言うなら、その本気を出すことにおっくうさを覚え続け、かつ日常に忙殺され、少しずつ意欲を失いながら未練だけをずるずる引きずってそれでも何もできずに老いていくことが「枯れる」ということなんじゃないかと思いますが、これはダメな歳の取り方だろう。言いつつ他人事ではなかったりしますが。
つくづく、創作者に一番に必要なのはタフネスだなぁと思います。

……ところでリンク先の記事も結構思うところあったけどどうなんでしょうね。
「私じゃない他の人が私の立場だったらもっと上手くやれただろうから、私じゃ無理だけど私のせいです」とかいう風な責任の感じ方してるのは全能感の表れなんでしょーか。
「私があと三人いたらもっと上手くできるのに!」とかね。そりゃただの現実逃避だっての。

あ、ツイッター一応フォローさせていただいてますけど、ブログに書いてる通り、返信とかほぼ全くしない人間ですのでよろしくです。
随時ツイッター気にするとかやってられない、そんなことしたらその時他に何やってたか忘れるってくらいの鳥頭です。

Re: 【内観】全能感と幼稚性

本気でやらないと駄目ですよねえ。
信頼している人のよく使う言葉に「限界努力」という、スローガンのようなモノがあるんですけど、その通り生きないと駄目なんでしょうねえ。

頑張らずに生きたいから人の少ない道に入っていったのに、本末転倒だったというか何も見えていなかったのでしょう。

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