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【人間関係】ネビニラルの円盤を回せるか

土地を並べてはいるが
土地以外のパーマネントを並べず
何もアクションを起こさないために
周りから狙われずにいるるのが私だ。

輪から一歩はずれ
利害関係に薄く
優位も不利もない。



彼の傷心は知らないし
彼女の真意は知らないし
彼の憤慨は知らないし
彼の失望は知らないし
彼女の困惑は知らないし
彼の心配は知らない

一人はとても重く
一人もとても重く
一人はそれなりに重く
一人もそれなりに重く
一人はあんまり重くはなく
一人もあんまり重くもなく
そして私はひどく身軽だ

発端がどこにあったかなど責任の追及にはなれど
今更解決には繋がらない
自体はそれほどに複雑膠着停滞。

リセット。
それだけが事態を好転しうるメソッドであり
しかし敢えて言うなれば不公平を固定化することでもある。

水に流しうるかどうか
それを実行できるかどうか
それを蒸し返さないかどうか
それを教訓にしうるかどうか


だが私はそれをしろとは強くは言えない。
私は直接的に大きな利害関係になく
それ故彼らの事情を知り得ず
よって思慮ない選択を迫るからだ。



輪からはずれている私に対して
他の人はどうかというと
すでにクリーチャーがずらりと並んでいたり
アーティファクトがコンボの発動を待っていたり
エンチャントが場を制圧しようとしていたり
デッキが事故ってまともに動けなかったり
もう瀕死だったり

もうダメだからと
ウィニーサイズクリーチャーで不利を承知でアタックしたり
意味のない呪文をプレイしたり
あわてて暴れて悪化させているプレイヤーがいたり。

私のように一歩輪からはずれている人が居たり。



そこで
ネビニラルの円盤の起動を
全員の一致でパーミッション出来るのかということだ。



ネビニラルの円盤が吹き飛ばすのは
勝利をもたらしうるクリーチャーであり
必勝を約束するコンボパーツであり
敗北の原因になるアーティファクトであり
不利を覆させないエンチャントである。
だが潜在的な資産である土地は残る。

何よりも、手札と山札が残り、
これこそが各の意志力を示している。



水に流すのか流さないのか。

気の重さとはすなわち責任の重さであり
水に流されることで失われるのは罪業であり債権だ。
それにはそれぞれ重さと大きさに差があり価値も異なる。

だが水に流すということは
その一切合切を省みず
その一切合切の大きさの差を鑑みないことだ。

チャンプブロックしかできない0/1クリーチャーも
ロックを確定するコンボキーのアーティファクトも
一切の差を認めずに吹き飛ばす。

負けそうな方は有り難く
勝ちそうな方は受け入れがたく
中間ほどにいるものは強者ほどの痛みはないが受け入れやすい。

水に流して有り難い者も
そうでない者もいて
水に流せば債権を持つ者は不公平を感じ
その大きさは債権の大きさによる。

だが
その差を認めながらも
ネビニラルの円盤をパーミッションする事がこそ
必要なのではないのか。


事態の好転を願うなら
抱える債権の大きさを省みずにリセットを通す。
もはやそれ以外にあるように見えない。

リセットする強さを持てるかどうか。

だけどやはり私はそれを強く言える立場にないので
いらいらと戦局を見ながら手札をそろえている。

私はマナは豊富にあるし手札もそろえている状態。
ネビニラルの円盤が回ろうが回るまいが
一気に場を展開するかも知れないし
しないで終わるかも知れない。
ネビ盤に対して利害関係にない。



それでも敢えて言うのなら
「回せよ」
といいたい。

そこでゲームを終わらせないでもっと楽しみたいなら
それが場にいるプレイヤーの緩い意味での統一見解なら
ネビを回すべきだ。



もし
リセットによって破壊されるパーマネントが惜しいなら
失われる債権が惜しいなら
ブーメランでもディッチャでもすればいい。
それを止めるほどの立場に私はいないのだから。

だが敢えて言うなれば
ネビ盤を止めて今の破壊を止めるなら
代わりに
それなりに巧くいっていた過去と
巧く行くかも知れない未来を破壊することになるだろう。

そしてもしネビの発動が通ったなら
土地以外のパーマネントは墓地に送られる。
水に流されて
再びのアンバランスを望んで
再生なりバウンスなりリアニメイトでもしない限りは
それは省みられることはないし
同時に省みるべきではない。

そして
墓地にあるものを見て
どうしてそうなったのか
どうしてそうしてもらったのか
肝に銘じるべきだ。
それはゲームから除外されたわけではない。

ネビが回ってもゲームは終了しない。
リセットされリスタートする。
残された土地と
手札と山札を持って。



全員がどの程度のものを投げ捨てるのか考えずに
一斉にそれを投げ捨てる。
それを省みずに、それを互助として譲渡しあえるかどうか。

持てるものほど損をする不公平を決定することが
前進の一歩だと思う。

ネビ盤は、回されるべきなんだと、思っている。
そしてそれは全員が一定してでなければならない。


こういう状態をゲームに落とし込んで見れるほど
私は部外者であり
性格はさめざめと歪んでいる。

それが非人間的な思考回路であることも、わかっている。

さあ。
自分が「とても重い債権を持つ」状態のときに
同じことを思えるだろうか。
自分への課題だ。

その鍵になるのは
自体と事物を分離する冷血さかも知れない。
よくも、わるくも。

この記事へのコメント

Re: 【人間関係】ネビニラルの円盤を回せるか

ネビ板が欲しいと思ってしまう時は、土地だけが並んでいてデッキは完全に事故。
でも今だけはネビ板は来て欲しくないと思ってしまう時の方が、来る確率は高い。
なぜなら相手が負けているから。

Re: Re: 【人間関係】ネビニラルの円盤を回せるか

そうなんですよね。
「相手を負かす」というコトであれば、基本的にそんなモノ回す必要がないことの方が多いんですよね。
つまり、「負債」に対して、そう言うスタンスである、ということですよね。

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