FC2ブログ
  1. 無料アクセス解析

【随筆】世代という世界

朝起きて、学校に行く。
電車を乗り継いで、変わらない日常を繰り返すために学校へ。
毎日同じようなサラリーマンのおっちゃん達。
僕もいずれああなるのかな、と、知識だけでは知っていて、でも実感なんて微塵もなかった。
一日は長くていろんなことがあって、充実してたかどうかはさておいて、充実させようというエネルギーがあった。
それは一般的に若さと呼ばれる類のものだということも、僕にはわかっていなかった。

いずれ自分も大人になる。
そんな実感のない知識を、根拠のない予感とか、胡散臭い予言をみたいに鼻で笑いながら、愚かな僕は生きていた。
大人に縛り付けられて、子供には自由がない。
毎晩毎晩同じように僕の中の細胞は、親の勝手に殺戮される。
支配欲。自己投影。世間体。色んなものがあるけど、面白いものは一つだってない。
そんなものに僕はいつも押し潰されて、虫けらみたいに大きな岩の下で蠢きながら生きるしかないんだ。
大人の敷いたレールになんて乗るものか。噛み付きたいことも毎夜のごとくだった。
僕は大人を責めた。時には岩の下から這い出して、目に見える形で攻撃した。

やがて予言は期待とは裏腹に、的中してしまった。

歳をとってみれば、変わらない日常に変わりなどなかった。
あの頃電車に揺られて学校へ行っていた僕は、同じように会社に行くだけ。
そこにはいつか見た、いや、見られていた僕の姿があって、何年たっても、いつの時代にも、若者は若者として存在し続けている。
僕が時に流されるのに関わらず、若者は、いつの時代にも若者で、いつでもそのエネルギーにあふれていて。

僕と世界というのは切り離されて、ちょうどレールの上を動いていくのだなと、苦々しく笑いながら考えてしまう。
僕はあの頃に見たレールというのは実際に存在しているのだと痛感させられていた。
でもそれは大人が強いたものじゃない。これは、あの頃大人だった人たちもそうなのだ。
この電車のレールみたいに、最初からそこにあって、それに乗って生きるのは自由でも選択でも強制でも規定でもなくて、摂理なんだ。
こうやって世界はスライドしていく。
私が若者ではなくなり年老いておじさんになっていっても、若者は若者として世界に存在するのだ。
世界はその様相を早々大きく急激に変えやしない。
高齢社会、無縁社会。
そういわれながらも、こうして自分と世界をスライドグラスのようにすり合わせたとき、その関係性はさして、変わってなどいない。
それは、ちょうど電車の車窓から見た遠風景と同じで、緩やかに緩やかに、僕が感じている速度とは別の速度を持った変化。

若い頃には気付いていなかっただけで、僕は急激に変化していたのだ。
それに気付くのが遅くって、いや、知識では知っていたんだ、ただ、眉唾な予言だと思っていて。
世界はこうしてゆったりと変わっていくのに、自分が老いるのはこうにも速くて。

それでも自分だって若い頃があったのだ。向こうに見える通り過ぎたレールも、僕は確かに踏んできたのだ。
世界には若者が若者として、ずっと若者があり、それを見る大人は、ずっと大人であり。点のように動かない。
でも僕は過去からの継続という僕を感じている。
勿論その点が動かないわけではない。ちょうど分子生物学で言うところの「お変わりありませんね」と同じなことくらいは、僕もよくわかっているつもりだ。
だから、若者がどうして若者であるかも知っているし、それを尊重したいし、嘗て僕を押さえつけた巨大な岩にはなるまいと、決してならないと思っている。

レールを随分と通り過ぎた僕が、嘗ての僕と話す機会を得た。
彼は、そう、僕もそうだった、大人をはかるためのデバイスを持っている。
それは言葉だったり、遊びだったり、思考だったり。そういうものに大人を当てはめてみて、僕は大人を敵か味方か判断していた。
それと同じものを、嘗ての僕、彼も持っていた。

彼のデバイスは僕を敵と判定したらしい。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。僕は君のことをわかってる。君と同じ経験をしてきたからね。
そのデバイスはちょっと調子がよくないらしいよ。
僕は君の味方さ。
いや、そのデバイスが壊れているだけで……

そうか、これが、嘗ての、僕なのか。
そのデバイスは壊れてなんかいやしないのだ、彼にとって、嘗ての僕にとって、若者の世界の中では。
ただ、僕と、そこからスライドしてしまった僕という世界では、そのデバイスは狂っているように見えるのだ。
嘗て、僕が敵意をむき出しにした大人も、きっとこう思っていたのだろう。

時間とともにさび付いて狂ったのは、きっと、僕の方のデバイスなんだ。

こうして錆付いたデバイスをそれでも無理やりに動かしながら「若者の腐ったやつ」は今日も生きている。
若者ぶって、若者のメディアに目を通したりして「おとなはわかっちゃくれない」という一節を目にするたびに
僕はどうすればいいのかわからなくなるのだ。

確かに大人をわからない子供は悲しい。
でも、僕はそれよりももっと悲しい存在になったんじゃないだろうか。

僕は今日も電車に揺られて、会社に向かう。

この記事へのコメント

コメントをお寄せ下さい

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://monostation.blog112.fc2.com/tb.php/2242-b6ccaf1f