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【NHKドラマ】ラストマネーがおもしろいです

NHKの全数回で終わる感じのドラマは
毎回大好きです。
ハゲタカを見てからはまったにわかですが。


今やってるのは「ラストマネー」。

保険金詐欺らしき怪しい保険金受給を監査人向島が追う、という切り口。
中盤くらいまでは終始ミステリーというかサスペンスで進むのだけれど
これは色眼鏡を外してみると非常に面白い気がします。

もし、亜希子がお金欲しさの詐欺ではないのなら?
という観点を持って見始めるとこれが面白くて止まらなくなりました。

そして第5回まで見た現在、それを裏付けるような演出が沢山盛り込まれていて。
これは本当にそう言う「歪な愛欲」なのかそれともそれを誘うミスリードなのか。

たとえミスリードだったとしても、
今となっては面白い視点を得たと思っています。



「愛はお金では買えないって知っているけど、Iでお金は買えるの?」
なんて歌詞もありますが。
何でも金銭価値に置き換える市場万能論的な資本主義がはびこっている今日。
それでもお金でなんとも出来ない範囲が確かにあるって、わかっています。

でもそれとは違って。
お金で愛を「買おう」と言うのではなくて
お金でに愛を「重ねてしまった」というシチュエーションだとすると。
言葉に直すと些細な違いですが、これは大きい気がします。

亜希子はただの悪役では収まらない
深いキャラクターだなと思うわけです。

単に「保険金詐欺を暴く!」ってストーリーではないのではないか?
私がこのドラマの原作となった小説を読んでいるわけではないのですが
そう言う裏がある話なんじゃないでしょうか。

そうだと思って見直すと、
冨樫センセのLevelEで出てきた
生殖のためにメスを捕食する宇宙人。
あれと同じものを感じます。

相手の命が、相手への愛(もしくは相手からの愛)の終焉ではない、という
基本的な倫理観からの逸脱、しかし確かな形。
それはただの犯罪と見逃されてしまいかねない、確かな「狂気」のあり方なんじゃないか。

「俺は、真実の愛を見つけたんだ」
といって心中を図った向島の先輩?の言葉も
そうしてみるなれば、
「一緒に死ぬこと」を愛として認識していたのか
もしくは「死ぬことで残せる何か」を愛として見出してしまったのか
どちらかに確信を持って話を進められない不安感が煽られます。
(勿論本人は心中のつもりだったので亜希子にお金を残すこととの自覚は無かったでしょうが)

彼が心中に同意する(もしくは横領に手を染めることも含めて)
までに至っていく経緯は、そしてついには自殺に至ってしまう流れは
お金と愛情の履き違えを、でも金銭感覚や拝金主義を含まない「狂気」として扱い、
それが伝播して巻き起こされる事件の描写でもあるのではないか。

お金が人を狂わせた、がハゲタカだったのかもしれないけれど
ラストマネーは性質が違う。
なぜなら、貧困・バブル・といった「お金を必要とする/欲求する描写」が
殆どないからだ。
「そしてお金をください」という亜希子の表情からも、
「保険金」の「金銭価値という側面」への執着が見えない。

ラストマネーを見る上で鍵となるのは、
「亜希子というキャラクターの解剖」と
「保険金と金銭価値の分離」ではないだろうか。

亜希子は保険金詐欺を働いているが、保険「金」が欲しいためだけに動いているとは限らない。
保険金はお金だが、貨幣価値を持つ金銭感覚と結びついているとは限らない。



LevelEで、配偶者を捕食する宇宙人へ向けられた言葉が浮かびます。
「何らかの理由でそのように進化するのが適切だった。
でも、その種が宗教観を持った時点で、滅亡は時間の問題だったんだろう」
すんません、いま手元にLevelEがないので、そんな感じだったと言う記憶だけで書いていますが。


相手を食うという
相手を殺すという行為が
生殖と言う
愛情と言う確かに正しいものと繋がっている筈がないと
否定する根拠は何もないんですよね。
ただそこには「不一致」があっただけで。
どちらかを正気と置いて、もう片方を異常とし
その共存は狂気でしかない。

その物悲しさがなんとも切ないです。

BlackLagoonでベニーがロックに言った言葉

「でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。
だから、この話はここでお終いなんだ。」

という言葉で狂気として同じ締めくくりを見ることができる気もします。



まあ!
まだこのドラマ先が残ってるので、
私が言うような演出にならない確率の方が高いと思いますけどね!








全くの余談ではありますが、
先のベニーの言葉は大好きです。

悲劇なんて、悲劇としてそこにあるだけ。
悲劇がそうならないように救われるだなんて
世界がそんなメルヘンな訳がないだろう。

死なんて泰然とそこにあるだけ。
綺麗であるはずが無く、無用に汚いわけでもない。
人がそれを純粋に嫌う程度に汚いだけで
無用な汚物化も、逃避的な美化もない。

誰が救えたと言う英雄も、奇蹟も、ない。

だから
物語を作るときにはそれに従う。
そのキャラが誰かを殺したい壊したいと願うように位置づけるなら
それに容赦する必要などない。
手抜かりをして殺人を美談に持っていく必要なんてないし
むしろその方が大いなるペテンだと思う。

勿論そのペテンを打つなとは言わない。
でも、そのペテンを打てと大声で叫ぶやつが許せない。



自分も
自分の隣人も
自分の好きなキャラも
誰だって等しく
全く無慈悲に死ぬときは死ぬ。
誰だって特別扱いはないし
綺麗に死ぬなんてことはない。

自分の囲っているその領域が聖域だとでも思っているの?
自分の抱えているその命が禁猟種だとでも思っているの?
すばらしい信仰心だ。慈悲深い神様だ。だが、おめでたい宗教だ。


「有象無象の区別無く、私の弾頭は許しはしないわ」
これが実態でしょうに。

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