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【プライドとか】山月記同盟

◆創作の勘定論

久しぶりに根をつめて絵を描いています。
何の絵なのかは後日連絡する(ことができるように努力します…)として。

最近は絵もほとんど描かなくなって
たまに思い出したように落書きをするだけです。
絵を描くために画材を買うのではなくて
画材を試すための方法として絵を描いている
そんな状態です。
この間買って来たボールペンとか。

描けなくなった訳ではなくて
書くのがすこぶる面倒くさくなってしまった。

それについては嘗てtweetしたことがあるけれども
作画という作業のコストに対して
それを完了した後得られる
満足度であるとか
充実度であるとか
もしくは自分のためではなくて他の人が見て何かを感じてくれるとか
そういった「効果」が薄すぎる。
費用対効果が悪いであるとか生産性が悪いといいなおすのが妥当だと思います。

絵を描くことそれ自体への楽しみが薄れてしまっているので
結果でしか効果が得られない、そんな体になってしまっているのが
もう行き止まりなのかなとおもってはいますね。

こういうと、物を作ることに損得勘定とか持ち出す時点でダメ
とか言われそうですけれど
本当に損得勘定なしでモノを作ってる人なんていないんじゃないかなあ。
それは金銭とは限りません。

作っているその経過自体も楽しければ
それだって効果(もし金銭価値に統一するなら売り上げの一部)となるし
人から褒められるのもそうだし
アップして閲覧数が伸びるのだってそうだし
それがきっかけで広がる人の輪だって、そうだ。
それと、
その絵を一枚描くのに費やす時間と、
それを作る際に感じる生みの苦しみ(勿論創作の快感とと両立は可能)
といったものを差っぴくのが
創作の勘定となる。
だから作る時点の負荷はコストと言っていい。

損益分岐点はきっちりと存在し
それがストレートにやりがいに繋がるわけです。

趣味程度でやっている人間の実力で結果として得られる効果がさほど高くないことを考えると
書くことそのものが楽しくなくなったらそれはもう致命的なんじゃないかと言うのは
身を持って感じています。

今回、久しぶりに根をつめて書いているのは
とある小説本の挿絵として依頼を受けたからです。
これは、依頼を受けた時点で結果を既に一定量確約されているので
苦しくても書きあがったときに黒字になるだろうことは予測されるから
(まあ別の要因もありますが)
お引き受けしたと言う側面があります。

描いた結果が何かに使ってもらえると言うのは
これは大きいです。
作ってる最中どんなに苦しくても頑張ろうって思えますよね。

対してpixivとかなんとかでアップするだけの絵に
そこまで労力をかける気が起きないと言うのが、私のもう駄目な原因です。

だからまわりには「私はもう絵師じゃない」と言っています。
楽しく書けた頃でも、そんなものを名乗るほど巧くなかったですし
最近webが普及してアホみたいに巧い人が隣にいるような環境にあって
絵師を名乗る勇気なんてないですし。
そういう環境になってしまったら、絵はぱっと見の一瞬で評価が決まるから、怖いです。

では文はどうか。
これは今のところ生みの苦しみがほとんどないので続けられています。
結果として得られる効果はまあ薄いんですけれど
数少ないコメントなんかを貰って
「してやったり!」と思えるカタルシスは
ほとんどない生みの苦しみに対して完全に黒字なわけです。

「あなたの絵が好きです」は今まで言われたことないけど
「あなたの文が好きです」はたまに行ってもらえるので
こりゃあ時間ばかりかかって効果のない絵はやる気もないってモノです……。

あ、ちなみにたまに書いているSD絵は、自分では絵だと思っていませんので…。
あれは、図形だ。
可愛くかけるように努力はするけど
あれをいくらかいても絵を描いたと言う気にはならないですね。



◆趣味でなくなってしまう

最近ある友人と口にし合っていることがあります。
「そろそろ新しい趣味が欲しいな」

この本意は
「もう今やってる趣味は、趣味として機能してないから、他のことをしたい」と言うこと。
更にこの本意は
「何を始めても、ある程度行くと"上達"を視野に入れてしまう。その時点でつまらなくなる」
ということ。

まあ言ってしまえばただの今生なしの言葉なんですけど、
敢えて言わせて貰うと、
気軽に楽しんで苦しみなんか得る必要のない「趣味」に
何で根性を求められなければいけないのか。

そんなものは一つや二つあればよくて
そうではない本当にストレスを発散するだけの何かが欲しい
ということです。



私が文を始めたのは
絵に対しては途中までその根性?的なものを発揮してかじりついていたけど
もうだめだと諦めたり、
それでも絵を描こうとするときに別の発散系の趣味が欲しいと思ったから。
歌もそう。楽器にのめりこんでるのだって、そう言う側面はある。


とにかく、
「上達するのに苦しい練習」みたいな道のりが見えた時点で
私の中では趣味として死んでしまう。

先の話しで言えば
「絵を描くことそのものが楽しくて仕方がない」
とかそう言う境地に至れば、これは全く幸せだし
それこそが一つの才能の形として認められていると思うけれど
私の場合、それをやっていて楽しいのは
「何かと比較しなくていい、誰かと競わなくていい」
という状況に限られている。


この性質が堪らなく生き辛い。


私があれやこれやと手を出して色んなことをしているのは
とにかく「上達しなければ」という意識を回避したいから。


自分で言うのもおこがましいが
私も、これを一緒に離している彼も
根底としては向上心が「高すぎる」のだと思う。

「なーなーでやってればいいや」という状態が自分に対して許せない。
「やるなら巧くやりたい」になってしまう。これは強制的に。
だから義務感が生じてつまらなくなる。

「文は頑張らない」は文を書き始めたときに
ひたすら自分に言い聞かせていた言葉だけど
結局今はそれなりに考えて書いてしまっている。
もしかしたらと言うかもしかしなくても、
文も腐るのが目に見えている。

「趣味」というものを楽しめない体なのだ。
マジでこんな性格いらない。
人生辛いだけで何のメリットもない。

才能が伴っているなら
この向上心は武器になるのだろうけど
残念ながら凡人。
こんなものを使いこなすことはできない。

やっていない人よりは出来るけど
やっている人よりは出来ない。
そんな二重ガラス窓の真空みたいな存在。



◆思考を停止したいんだ

とにかく
思考を停止したまま快楽が得られる趣味が欲しい。
思考が働いてしまえば、向上心を生み出すからだ。

薬か?薬しかないのか?
なんてばかを言っていても仕方がないのですが。
いや割と薬しかないかなって思いますね。

人と一緒に遊んで酒飲んだりするのが好きなのは
そんなモノに向上心もクソもへったくれもないからです。
ただ楽しい。
重要です。

でも飲み会は相手が必要だし
俺ぼっちだし、
お金かかるし。

そこでゲームだ。
コンピュータゲーム。
これは、かなりやっているけれど、
私の中ではもう
「こんなもん別に上達しなく手もいいかな」って比較的思えるもの。
と言うのは
頭を使う余地がないからだ。

ルールが思考の範囲を絞ってくれる。
システムが選択を奪ってくれる。
ユニット性能の格差が向上心を削いでくれる。
ゲームをやっているときが一番無心だ。
それでも巧くやりたいと思ってしまうことはあるのだけど
物を作ってるときに比べて、頭が止まってるのは実感できる。
ゲーム脳と言う言葉が否定されて久しいけれど
やっぱりゲームやってるときって、
私のスタンスでは脳みそ止まってると思う。
勿論プロとか、本気で頑張ってる人はフル回転してると思うけど。




◆向上心と言うかプライド
私にある程度近しい人は皆思っていると思いますが
私はプライドが高いです。

どうも遠めに見るとそうではないように見えるらしいのですが
プライドが高くてマジでクソ邪魔です。

そう見えないのは
自己卑下が多めだからだとは思うのですが
それはプライドの高低とは実は関係がない

いやむしろそう言う人こそプライドが高いんだろうなと
自分の経験則的には思います。

以前に全能感と幼児性について書いたような書いてないような気がしますが
「俺はここまで出来るはず」というプライドと
「ここまで出来た」という全能感は繋がってはいますが

「ここまで出来るはず」が高すぎて(プライドが高すぎて)
結局そのハードルが高すぎて出来ない場合、
全能感は裏返って無能感へ変化します。

全能感と共にあるプライドは、バランスの取れたあり方だと思いますが
高すぎるプライドは、無能感として精神を蝕みます。


俺何でこんなこともできないんだろう。
俺はこれくらいできるはずなのに。
まわりのヤツはみんなできてて俺が出来ないはずがない
でもできない。

この無能感とプライドの高さの共存は
とても無理のない自然な共存だと思うのです。

最初に述べた「趣味が趣味でなくなってしまう」のは
このプライドの高さと無関係ではないように思えます。
向上心はプライドから来る。

俺はもっとできるはずだからというプライドへ
能力を追いつけようとして上を目指す向上心となる
その関係性がある気がします。

そしてプライドが高すぎて、
向上心ハードルが高すぎて
無力感につながり、
また新しい趣味を探さねばならないと言う
堂々巡りに陥る。



自身がないヤツ、
というのは
かなりの確率で
プライドが高いヤツ
だと考えています。



逆に考えると自然です。
自信がある人って小さな目標をこつこつ成功させて
小さなコストで小さな黒字を得てそれを繰り返して大きな利益を生んでいる人。
プライドが高くなく、
次にできるのはこの程度という見解が身の程にあっていて
目標が小さいからこそ自信をつける。

もっというと
変に自信のある人って
「そんな下らないこと自慢しなくても」っていう場合がありますよね。
つまりそう言うこと何だと思います。




高すぎるプライドをどうやってか殺さないと
私が死ぬ。


他にもそういう人がきっといる。
恐らく極少数派だけど、きっといる。
そしてよくわからない不満足感に苦しんでいるはずだ。

そんな邪魔臭いプライドに苦しめられる者同士でだらだら愚痴を言い合う
そんな会を結成しよう。

名前は、そうだなあ。

――山月記同盟――でどうだろう。



あの作品の一番の皮肉は、
中島敦は一流だと言うことだ。

この記事へのコメント

Re: 【プライドとか】山月記同盟

えーと、一通り読んだんですが。言いにくいんだけど、みこうさん、答えを自分で言っちゃってますよ。
何が言いにくいって、たぶんみこうさん、答えを知ってることに気付いてて記事書いてるよねっていう。意識的にか無意識にか知らないけど。
小さい目標を立てればいいんですよ。創作するたびに。
SSなんてその最たるもんで、書くたびに「これを書きたい」っていう何かがあって、それで書いてるはずです。
だから、書きたいものを書いたなら、満足感、達成感が伴って当然だと思う。
……ああもう釈迦に説法だ。執筆暦も書いた分量もおそらくは腕前もみこうさんのほうがはるかに上なんだから、わかってないはず無いのに。

じゃあみこうさんの場合何が問題なのかっていうと、「これを書きたい」などの小さい目標が、みこうさんの理想からするとあまりにちっぽけすぎて、目標達成しても満足感が小さくなっちゃってることですよね。
いや、みこうさんの理想がどのへんにあるのかというのは私にはわかりませんが。
創作に理想を置くと切りが無いのは、みこうさんに限った話じゃありません。断言してもいい、よほど理想が低くない限り、そんな理想に辿り着けるのはそれこそ指折り数える程度です。たとえプロになった人であっても、プロのレベルになっただけじゃ完全には満足しないはずです(というか、それで完全に満足するような人はだいたいプロのレベルにはなれません)。
だいたい創作における理想なんて、努力したからといって、その努力が本当に理想に近づくのに正しいのか、なんてわからない。漠然としていて、確かめようがありません。
で、その解決法も至ってシンプルで、「理想はとりあえず脇に置いておいて、小さい目標の達成を素直に喜ぼうぜ」と。

ごめんなさい。それが簡単にできりゃ苦労は無いよって話ですよね。
だから言いにくいんだよなぁ。結局、みこうさんの感情は、みこうさんが解決しないとどうしようもないんだし。そしてみこうさん自身、自分の意識の問題だってわかってて書いてるんですよね。
プライドを完全に殺す必要は無いはず……脇に置くのです。一旦小さく満足して、悔しがるのはその後でいい。

他に方法論として思いつくのは、小さい目標の設定どころを意識して工夫するとかですかね。
例えばSSとかだと、やや難しいテーマに挑戦してみるとか、好きだけど敷居が高かったジャンルに挑戦するとか、文体に変化を加えるとか、あえて書き慣れたジャンルで、もう一段上を目指すとか。
この時注意すべきなのは、「完全に苦手なことに挑戦してはいけない」ということです。人間、向いてないことはすべきではない。そういうことやると、小さい目標がいつの間にか大きくなってしまいますから(まあ時間と気力体力に余裕があるなら止めはしませんが)。
で、書いたら自分の作品を自分でチェックして、目標達成できてたら合格、と自分で納得する。
(もちろん、投稿した時の閲覧者さんの感想はまた別かも知れませんが、だからと言って自分評価を卑下しすぎないこと)

他には、「自分の創作物を自分で愛でる」とか。
ちとナルシズム入る考え方ですが、私は自分で、自分の作品を全部、好きだと言える自信があります。
評価が芳しくなかった作品や、自分から見ても稚拙なのがわかる作品もあるんですけど、それはそれとして、好きだ、と。腹を痛めて産んだ我が子、というとややオーバーですが。自作を読み返しても、自分なりに楽しむことができます(これは滅多にやりませんが)。
そうやって、成果を自分で自覚するというか、自分で自分を褒めるというか。そういう過程もまた、損得勘定をプラスに動かす一つの方法ですね。
また、そうやって自分を見つめなおすことで、「今一番足りないものは何か」とか考えてみるのも一つの手段。

思いつくのはこんなとこですね。
うん、大したこと言えてないですよね。やはり釈迦に説法か。
ろくに安定して創作できた試しも無い若造の言うことです。鼻で笑ってやってください。

Re: 【プライドとか】山月記同盟

面白い考察だね。
「自信がないヤツ、というのはかなりの確率でプライドが高いヤツだと考えています」
って、確かにそうかもな~と思った。
私は「見栄」と「プライド」って別物なのかなって思ってたり。

Re: Re: 【プライドとか】山月記同盟

そうか。
「文字は出力に技術が必要ない」は私の持論なんですが、
なるほど、それ故に「~が書きたいなあ」とおもって出来上がるSSは、
思った通りの者が出来上がるのだから、達成感があって然るべき、ですよね。
だから比較的続いてるのか。気付きませんでした。

私の理想(目標)を極言すると以下の二点です
・私がつくりたい物をつくりたいようにつくり、それ自体に満足する
・普遍的多数に認められた評価でなければ意味はなく、それを求める
この時点でプライド高すぎじゃないですか。
無理にきまってんですよ、こんなの。
一つずつでも無理なのに、更に互いに排反なんですよね。
常に不満足状態にあるのは仕方ないことなんです。

自分の書いた過去作は比較的良く見返します。
モノにもよりますが、振り返って良く書けていると思うことは少なくないです。
ですが、それに評価が伴なわないという事実もまた見返すことになります。
自分でその作品に下したい評価は、広く認められた見解ではないということを思い知ります。
だから結果としては、その作品は失敗だったのだと結論付く事が殆どです。

私は確かに答えを知っていて記事を書いています。

モノをつくっている人皆さんは
どんな理想を持ってモチベーションにつなげているのか
前述で書いたような二つの理想(目標)のどちらかに至る道を歩いていると思うのですが
・何故片方で満足できるのか
・なぜそれに至らない手前に目標をおいて平気なのか
私がわからないのは、その二点です。

実力の伴わないプライドってヤツですよね。
殺す必要は、今の私には、切実に、あると思っています。

Re: Re: 【プライドとか】山月記同盟

まああくまで「かなりの確率」であるということですね。
そうじゃない人もあるでしょうし。

そう言う点で、私は見栄っ張りではないのかも知れませんが
自分に対して要らぬ見栄を張っているような気もします。

Re: 【プライドとか】山月記同盟

さてはて何と答えたものやら。

>だから比較的続いてるのか。気付きませんでした。
うん、まさか無自覚とは。いや、自覚してる私がズレてるのかな? まあどっちでもいいか。
今後はちょっとは意識してみるのもいいかも知れません。あるいはSS以外でも意識してみるのも一つの手かも。意識しすぎる必要は無いですが。

>・何故片方で満足できるのか
>・なぜそれに至らない手前に目標をおいて平気なのか
完全に私個人の話になりますので、みこうさんが真似をすることは出来ないかと思いますが……
私の、ずいぶん昔の時代の話になります。
私の場合はまず、最初から創作していたわけではありません。元は、読者側の人間でした。
そして読者側の人間として、何度もこう思ったのです。「こんなにも面白い作品が、なぜ万人に認められていないのだろう」と。
認められるだけの価値のある作品のはずだ、認められないのはおかしいとさえ思いました。当時の私は、「圧倒的に素晴らしいものであれば、全てに通じる」と信じて疑っていませんでした。自分が好きな作品の感想・レビューを読み漁り、機会があれば熱心に布教しました。
そういう経験によって、「どんなに素晴らしい作品でも万人には受けない、人それぞれ価値観、嗜好は異なっている」という実感を得ることになったのです。ゆるやかに絶望していった、と言い換えても、まあ間違いではないかも知れません。
創作に手を出したのは、概ねその途上からの話でした。その頃はまだ、「全てに通じる作品は創れるはずだ」と思っていましたので、理想を追いかけるのと、ゆるやかに絶望するのを、同時にやってたわけですね。

実際、私の中にはまだ「全てに通じる作品を創りたい」という思いは残っています。ただ、それが「万人に通じるわけがない」という道理もまた、納得していたりします。
矛盾してますが、そこまで無理してどちらか一方を絶対の答えにしなければいけない、とも思っていません。
(つまり、『最高傑作を創りたい』と思いつつ、『最高傑作を絶対に創らなければならない』とまでは思っていない、ということになります。これも一種の絶望ですかね。
また、「万人に通じるわけがない」ということを99%納得しつつ、残りの1%、この道理が覆ってほしい、という願望も残っていたりします)

だいたいこんな感じです。
ただ、私のケースが一般的とは限らないと思います。皆が皆、絶望しているとは思えない。
もしかしたらいるんじゃなかろうか。理想が遠いことを知っていて、理想に届かないことを知っていながら、絶対に理想を叶えるんだと決めて創作してる人が。それこそ小さな満足をいくつもいくつも積み重ねて、時には笑い時には歯を食いしばり、遥かな高みに昇っていける人が。
……そういう人が書いた作品が、私が面白いと思った作品だったらいいなぁ、という願望も込みでの仮説です。

Re: Re: 【プライドとか】山月記同盟

私は既に絶望してますねえ。
どちらかというと惰性に近いというか、
変化に費やされるコストを投じる勇気が持てないだけという気もしています。
もう手になじみ過ぎちゃってスタンスを変えられないんですよね。
どちらか一方を捨てるだけの勇気がないというか捨てたいと思う方にも思い入れがあって
これが本当に英断をする人なら切り捨てるのでしょうけれどそこまで冷徹になれない弱さというか。
その1%が覆って欲しいとは思っていますけれど、
覆せるとか覆るだろうとか覆してやるなんてのは欠片も持てていません。

現実として、彼我の間には手放しで、
絵で言えば落書きをアップするだけでも点数が鰻登り
綺麗に書いても足元にも及ばない
みたいな差が、人によってあるわけです。
SSでもそういう部分が絵ほどではないけれどありますよね。

嗜好や理想や価値観に差があるのは確かですし
そうあるべきだと思っていますが
それさえも結局は別の側面としては従量制になっているのが
数値によってまざまざ見せつけられるわけです。

だからどうしてもどちらも捨てられないんですよね。
どちらも正しいし、どちらも私は否定できない。
どちらの価値も私は認めざるを得ないし、価値があるから捨てられない。

そんなところでしょうかねえ。

Re: 【プライドとか】山月記同盟

うーん。つまりみこうさんは、絶望したけど諦めきれない人……? そういう考え方もあるものなのか。
根底に絶望がありながらも理想を未練に思い、ついつい手を伸ばすのをやめられなくて、手を伸ばすたびに絶望しなおす感じ……? 違ってたらごめんなさい。

何度も言いますけど、理想に届かないことわかってて理想を目指すこと自体は、そこまでおかしくないと思う。
だからやっぱり、理想の手前の達成感、満足感の話ですよねぇ。
それをコントロールすることもまた、創作のスキルの一つなのやも知れぬ。

>現実として、彼我の間には手放しで~(略)~みたいな差が、人によってあるわけです。
>嗜好や理想や価値観に差があるのは確かですし~数値によってまざまざ見せつけられるわけです。
ありますね。まあ落書き云々は、大作なり大型連載なりを作って印象付けた結果とかもあるでしょうけど、それはそれで一つの成果ですわな。
「全てに通じる」とまでは行かなくとも、より多くの人に通じる作品を作れる人というのは確かにいます。
たとえば技術であったり、作品に込めた熱意であったり、生まれ育った環境であったり、センスであったり才能であったり体力であったり他にも色々。
一つ一つを並べれば、積み上げられなくは無いんですけど、全部を揃えて自作を高いレベルに押し上げるのは、まあ並大抵ではなくて。
でもやれることは、積み上げることしか無いっていう。

あえて言うなら、自分の未熟さを受け止めて、同時に誤魔化しつつ、
それはそれとして成果を積み上げていって、一つ一つの成果を素直に喜ぶ、という、
メンタル面でのタフさとかしなやかさとか、そういうのが問われるんでしょう。
(まあ、本気でセンスぶっとんでる人は一気に駆け上がるんだけど、そんな例外はまともに比較対象にしたらアホらしくなるだけですのでスルー推奨)

できない以上はぼちぼちやっていくしかない、というのが私の結論なわけです。
マイペース万歳。無理に疾走したって体壊すだけだもんね。今だっていっぱいいっぱいだもんね。
まあそれでも、創作やってる以上、作品一つ一つに対しては本気で取り組んでるつもりですが。いい加減なもの作ってるつもりは無いです、読む人に失礼ですし、何よりその作品に失礼ですからね……本気なのは誰でもそうでしょうけど。
そんなところです。グダグダな結論ですいません。

※追記:すいません、ちょっと誤解を招く部分と、失念してた部分があるのでそれぞれ補足します。

誤解を招く部分、本気について。
「作品作るときは本気」とか言いましたが、これは別に、いつでも全力全開って意味じゃないです。
最善を尽くす、という意味で使いました。時には力加減が必要な時もある。
まあ、加減間違えることもちらほらありますが。そのへんのコントロールが未熟なあたり、客観的に見て最善を尽くせているわけではないですね。あくまで自分なりの最善でしかありません。

失念してた部分、自分の創作の方針について。
私は元々、創作者ではなくて、読者なんですよ。
根本の部分に、「自分が素晴らしいと思った作品には認められて欲しい」みたいな気持ちがある。
その気持ちを持ったまま、「自分が読みたいものを書きたい」と思って創作しています。
だから、書いている理由をさらに言い換えると、
「自分の内部に素晴らしいものがあるのなら是非読みたいし、素晴らしいものなら認められて欲しい」
みたいな、回りくどい考え方になる。
で、それを踏まえて。
ちと大げさな言い方ですが、私は、いち読者として、好きな作品を崇拝する傾向にある。
自作においてもそれはある程度適用されます。
だから、私にとって自分の作品は、自分自身ではありません。ある意味では自分の作品とさえ言えないかも知れない。
私は、自分の作品さえ「読ませていただいている」、そういう考え方を確かに持ってる。
書いてる最中でさえそうなんですよ。うまく言えませんが、作品を書く以上は、自分なりに最善を尽くさなければならない、その責任がある。
そうしないと、作品に失礼だ。
だから私は最善を尽くします。未熟だろうと回りくどかろうと、それしかできませんから。
だいたいこんなとこです。参考になれば幸いです……でも参考にならないよなこれ、たぶんみこうさんとはかけ離れた考え方だろうし。

Re: Re: 【プライドとか】山月記同盟

火の中に手を突っ込んで火傷しない筈ないし、それを知ってもいるけど、火中の中の栗は欲しい
月並みに言えばそんなところです。
望みがないのはわかってるけど、その向こうにあるモノは欲しいんです。
なんで手を伸ばし続けるのかというと、
望みがないと気付く前の段階で、
手を伸ばし続けることを生きる中でシステムに強く食い込ませすぎたんですね。
それをナシに生きていくことが出来ないというか、
望むモノは手に入らないけど、
その手前当たりであらわれる副産物や近いモノをエサに生きていくことを覚えてしまった。
ほかのモノを持たないまま成長してしまったというのもあります。

その当たりをコントロールするのは大切だし才能だと思うし、
もっと言うと私みたいな状態に深く陥る人は逆に何処か精神的に異常を来しているような気がします。
そんなモノを成長の地層に挟んでしまったことも含めて。

なんだか最善を尽くしていないみたいとかこつこつなんてやりたくない、
みたいにみえていまっているのだとしたら、少し不本意ですが…


全体的に違うな、っておもう点を上げるなら、他人と比較しないで居られるスタンスですかね。
私はひたすら自分だけ見ていたいし、ただ生きてる分には自分しか見てないのですが、
どうしても「なんらかを出力」をすると他人の目が気になります。
先の返信での「自分のいいものをつくる」だけを選択するなら、これは矛盾していて
やはり排反な二つのテーマを手放せないことでゲームオーバーしてる気がしています。
楔さんのスタンスは最終的に「自分で頑張れば何とかなる」という希望に基づいていると思いますが
私は自分のみに視点を集中することが出来ない。
そこが、一番の違いかなと思います。

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