FC2ブログ
  1. 無料アクセス解析

【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

この間、「諦観と継続の両立性」が話題に上がった
(というか取り合ってくれたのは一人だけでしたが)
わけですが

それを振り返るに
もっと前に考えていた

「不死の否定と生の継続」についてもまた
同じ事実の関係性があることに思い至った。



そうだよな。

そうであればこそ、確かに
「きっと何者にもなれない自分」を肯定しながら
「何者かになろうとする自分」を継続することに
苦痛を感じているのだろう。



不死は諦めねばならない。
諦めるなら否定せねばならぬ。
だが生を終結させる必要はない。
この背反の共立を疑問視したのが
以前の「不老不死の肯定」にの際に
私が見出した事実の一つだった。

私はその背反事象の共立について
「筋が通っていない」
という感想を持っていたし
それは今でも変らない。
「死を否定するなら今死んだっていいんだろう」
とは今でも思う。

だからこそ
「何者にもなれぬのなら今すぐ何者かになろうとするのをやめるべき」
というスタンスを貫けない自分に対して
苛立ちを覚えているのだろう。



絵にしろ文にしろ、何かを作ろうなんて、やめちまえばいいのに。



「男と女は分からないわ、ロジックじゃないもの」
なんていっていたあの赤木博士も
結局「ロジックじゃない何か」に苦しんでいたわけで。

あんな風に頭がいいからこそ似合う台詞ではありますね。
私が言っても
「ロジックだってわかんねえ癖に何言ってんだよwwww」
ってなるだけですが。



とにかく自分に自信がないから
「導き出せないもの」について恐怖心がある。

勿論頭が悪いので、
その公式も方式も定理も定義も定石も足らないわけですけれど
漠然と「わからない」って言うのではなく
筋を通して「間違ってるこうじゃない」っていえることが
とにかく反感を覚えてしまう原因だろうか。
まあわかっちゃいないんだが。


今回について言えばその矛盾が自分の中に浮き彫りになっているために
とにかく気持ちが悪いのだ。
悪いものを食べたから吐き出したいみたいに
この矛盾は私の中にいて欲しくない。

でも「みこう悠長」というシステムに
完全に食い込んでしまっていてファイル削除できない。



二つの問題を絡めて俯瞰するに見えてくるのは
そういった自分の中の筋の通っていなさだ。

あっちでは矛盾を否定し
こっちでは矛盾を肯定し
理性的には矛盾を否定したいのに
矛盾を肯定した生き方をしてしまっている
その矛盾が、酷く気持ちが悪い。
自分は何か間違いを犯しているようなそんな印象を拭えない。



自分の強さがないから
「ロジック的に正しい」という判断を覆す感覚を持てないのだろう。
何者にもなれない無能性もさることながら
その無能性が呼び込む無力感と言うのも
この件に大きく響いているなあ。

ではどうして皆は
このロジックを覆すほどの自我を手に入れられたのか。
それを私に教えてほしい。



ああ、せめて頭がよければなあ。

この記事へのコメント

Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

>>「死を否定するなら今死んだっていいんだろう」
というところに関して言えば、私もずっと死ぬことを考えていましたが、なんか死ぬことばっかり考えるのも飽きてしまって
そのまま惰性で生きている感じです。はい、これは多分みこうさんの求めるものでもなんでもないですね。

 不死の否定と生の継続について臨床心理学的のヤクザな言葉で言ってしまえば、人間は無に還ろうとする欲求「デストルドー」を持っているっていう
概念にぶち当たってしまってそれ以上は進めないです。

私もこれ以上はわからないし、なんで生きているの?と問われても私も答えられないです。

それよりも、何となく思ったのは
>>自分の強さがないから「ロジック的に正しい」という判断を覆す感覚を持てないのだろう。
といったように

なぜ、みこうさんは自身のことを「強くない」と思っているのか?自尊心を持てない本当の理由はなんなのか?
なぜ、「何者にもなれぬのなら今すぐ何者かになろうとするのをやめるべき」という潔癖な考えにこだわるのか?
などなど
「なぜ自分は不死や、ロジックの正しさにこだわるのだろう?」と疑っている自分をもう一度見つめ直してみれば
もしかしたら何か見つかるかもしれないです。

それでは失礼しました

矛盾を含めて飲み込んでいるのだと思います

結局、自己否定すると、自己存在自体、意味を失います。わたしたち、うつ病者は、それゆえに、自殺します。自分が無能で、無価値で、存在する理由を失うからです。というか、自身が存在すること自体が耐えられないのですね。自身を滅したくてたまらなくなる。
普通の人は、それほどセンシティブじゃないんだと思います。自身の存在に矛盾があること自体、気がつかない。だから、気づいてないんです。自我の確立どころか、自我が存在しなければいけない、という考え方すらもっていない。
胸くそ悪くなる「一般庶民」という言い方がそれで、「マスコミ」や「お上=政府」や「権威者」の見解=意識に「従う」ことで、自我をもたなくても、生きていける。「盲信」であり、ある意味「付和雷同」です。自立していない。政府は、だからマスコミを使って、政権を取りました。一般庶民を愚民として牧すことによって、コントロールしている。(だから、都民も福島県民も、日本人なら最も恐れる「放射能」というものに対してすら、鈍感なのでしょう。共存する、という信じられない受け入れをしている。まさに愚民。)
矛盾を含めて飲み込んでいる、とタイトルには書きましたが、もしかすると、矛盾していること自体にすら気づいていないのが「一般庶民」なのではないか、と思います。それはそれで、幸せな生き方なー、と、私としては思います。自己の矛盾に気づいたら、精神がおかしくなるしかないです。
まず気づくことは大切です。
それを飲み込んで、なお、精神を保ち続けられるほどのタフネスさを持った人間など、一握りしかいないでしょう。
矛盾を乗り越えるには、ひれを飲み込むしかないのだと思います。矛盾があることを承知で、ある意味、開き直って、その矛盾と直面したまま、内的葛藤を諦観する必要があるのだと思います。ということは、悟り、なのか。かなり、高度な精神になるのだと思います。
みこうさんは、既に、気づいてしまった。一般庶民からはずれてしまったので、これから、大変な世界が待っています。少なくとも、庶民が持っている「常識」が意味のない物だと気づくでしょう。そうなると、「非常識」な生き方を選択せざるを得ないので、社会からはじき飛ばされます。ボッチ上等。
厳しい道ですが、諦観できるまで、もがき苦しむことになると思います。運が悪ければ、わたしたち、精神病者の仲間入りするかも知れません。(ま、そうなれば、自殺しやすいので、事態は圧倒的に「楽」になりますが。)
たぶん、みこうさんは、悟りを開く途上にいるのだと思います。それは苦しいけれど、意味のある生き方だと信じます。

Re: Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

SYさま

>なぜ、みこうさんは自身のことを「強くない」と思っているのか?
自分が強いと実証する事例がないからですかね。
強いなら、こんな疑問は吹き飛ばすでしょうというのもあります。

>自尊心を持てない本当の理由はなんなのか?
つよさに対する印象と同じですかね。
それを抱くに足るモノを持っていない。

>なぜ、「何者にもなれぬのなら今すぐ何者かになろうとするのをやめるべき」という潔癖な考えにこだわるのか?
文中にありますが、矛盾しているからです

>「なぜ自分は不死や、ロジックの正しさにこだわるのだろう?」と疑っている自分をもう一度見つめ直し
総括になりますが
強ければ、自信があれば、ロジックに上回る持論を有し、
そんなモノに頼らなくてももっと気分のいい選択を出来るでしょう
それが出来ていないと言うことです。

何処を皮切りに打開できるかと言えば
恐らく自信を持つことなのでしょうけれど
さてこの年になって何もなしえていない人間がこれから何をすれば
「ああ、自分は~が出来るのだ」と思えるのか。

模索はしているつもりですが、
私以外の人はみんな今の私より努力して自信を勝ち得ているのだなと思うと
私のいかに矮小なことかと思うわけです。

Re: 矛盾を含めて飲み込んでいるのだと思います

くりにゃー様

よく「教えてくれ」とか「みんなはどうして」とか書いているのですが、つまりそういうことだとは、心の奥では思っています。
なんか気付いてはいけないことに気付いちゃったんだろうな。とか。
でもそんなに洞察力とか才能とかそういうモノが必要な疑問ではないように思えて、全く誰でも思って然るべき事に感じられるのです。

SY様の疑問に思われた「何故強くないと思うのか」について、くりにゃー様の言葉を受けて応えますと、
つまりそういった他の人は何とも思っていないような疑問に対して恐怖心にも近い猜疑心を持って反応してしまうところが、そうであると思える一つの原因でもあります。

疑問に思うか思わないか、それが人と合わせてのことなのかどうなのか、それが強さなのか何なのか。
私が怯えるそれと、他の人が平気なそれの差について、原因を求めようとすると沢山それらしいモノが転がっていてそれもまたわからないというのが正直なところです。

自信がないのも相まって、そうであっても他人が正しいと思ってしまうところも、私の弱点でありましょう。

仰るとおり、それを全てのみこんでしまわないかぎり、私の未来は鬱々たるものになるとは、思っています。

そういう意味では

生きていくことにきゅうきゅうな人たちは、気づいても無視する、とか、気づいても「諦める」(これは諦観とは違う意味です。思考の放棄、です。)ことをしているのだと思います。
直面するとそれはとても大切な問題だけど、精神の自己崩壊すらしかねないほどの問題だから、あえて知らない振りをする、という生き方を選んでいるのでしょう。(だから、あえて、私は「愚民」という表現を使いました。自身・自我自体を放棄して、生きる、という選択は、それはそれで生きる処世術としては正しいのでしょうけれど、生きる価値すら失っている気がする。)
みこうさんの態度は立派です。逃げてない。直面して、乗り越えようとしている。愚民にはならない、という決意すら感じる。
それは辛い道のりだと思います。生きていくこと自体がとてもしんどいのだ、大変なのだ、ということに気づいてしまうからです。
どうか、無事に乗り越えられますように。
(ま、諦めて、愚民になれば、とてつもなく楽ですけどね。思考しなくていいから。苦しまなくていいから。ただ、「自分」というものは存在しなくなりますけど。)

Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

自己矛盾との戦い方というのは人それぞれとしか言いようが無いのですが……結局は、「快」「不快」の天秤、損得のバランスの問題かと思います。
バランスとは言いましたが、バランス感覚自体はそれほど大事ではありませんね。
大事なのは、開き直りとか、積み重ねとか、あるいは他の方も言っておられる通り、思考の放棄や諦めなども関わってきます。
みこうさんの場合に例えると。
創作の場合なら、創作意欲の解消と、創作で出来上がる作品を得たことによる達成感が、プラスの面。
その作品と、自分以外の不特定多数の評価や、類似した他の作品との比較によるマイナス面。
合算して、みこうさんの場合はほとんどの場合、マイナスが上回るから問題になる。
自分の命についてなら、自分なりに生きているプラス面と、行動の結果が思い通りにならなかったり、未練を残したりのマイナス面か。
まあどちらもみこうさんの内面の問題なので、微妙に間違えてるかもですが。プラス面とマイナス面の合算なのは間違いないはず。

で、どちらの場合も、自信は積み重ねから来ますね。自信の無さもです。積み重なります。
ただし、この積み重ねのほうは単純な合算ではなく、意外にふわふわしたものです。ゆえに反転可能。
何らかの成功体験で、自信が無かった人が大きな自信を手に入れることはあります。逆も然り。

ただ、みこうさんの場合は根が深そうだから、それも容易じゃなさそうですねぇ。
要は「今までの失敗もまた無駄ではなかった」と思えるほどの成功体験が必要ということになります。
……そして、みこうさんを絶望に陥れるようで申し訳無いのですが。
そんなもん、そのへんに転がってたら苦労はしない。
結局、話がそこに繋がってしまいます。
自分でやらないとどうにもならないんですね。そして、やったからと言って実現できるとは限らない。
(ただ、この件については、みこうさんの持つ自己矛盾そのものの解消ほどは絶望的でも無いはずです。「達成感を目指せ」と言っているだけで、「完全無欠の達成を目指せ」とも、「理想に近づけ」とも言っていません)

まあ、その前段階として、気の持ちようというのも大きいと思いますよ。前にも言いましたが。
小さなプラスの積み重ねもバカにはできません(たとえマイナスに負けていようとも)。創作意欲の方向の意識付けとか、自分に対しての言い聞かせとか。
もっと単純に、「作品完成できたら自分へのごほうびを設定する」ってのもありますね。「書きあがったら大好物の二十世紀梨を食べるんだー」みたいな。
そうした自分のコントロールテクというのも、できるものならやってみるのも一興かと。

(ちなみに私自身、全部できてるわけじゃありませんので悪しからず。開き直りもごまかしも大事だと思って生きています)

……あー、あとアレだ。話の本論とは関係無い蛇足になるんですけど。
もしかしたら、みこうさんの自信の無さそのものが、本気を出させなくしてるんじゃないかなー、という疑問もあります。
前に「自分がいいと思った部分を他の人は滅多に評価してくれない」って言ってたのが引っかかったんですが。
もし、みこうさんが作品に対して自分を出し惜しみしてたとしたら、そしてその「出し惜しみしながらもちょっとだけ自分の思い通りに自分を出せた部分」を評価して欲しいと思っているなら、そりゃあ難しいんじゃないかなー、と。
もっと開き直っていいんじゃないかなー、とか。自分に酔ってもいいんじゃないかなー、とか。
まあ、そんな風なことを思いました……勿論、その上で読者・視聴者も意識しなければいけないという難しさもあるんですけどね。このへんもバランス難しいですね。

「気付いてはいけないことに気付いちゃった」<中二病乙

>「きっと何者にもなれない自分」を肯定しながら
>「何者かになろうとする自分」を継続することに
これの指す者の地位がおぞましく高く設定されてるから痛いんですよ。
自信が無いんじゃない、只遠い所だけ見て自惚れてるだけ。
あれだけ手広くやっておいて、片手間で何かになりたいってのも無茶苦茶だぜ?

>矛盾した生き方が気持ち悪い
・・・いつの間にみこう氏は完璧な存在でなければいけなくなったんだ?
その矛盾を生み出す理屈が、前提から結論まで全てパーフェクトであるとなぜ確信できるのか。
自信が無いといいつつ、その恐ろしいまでの自信こそ矛盾と見えますがな。

Re: そういう意味では

「乗り越える」というのは私にはおこがましいかもしれません。
私が出来そうなのは「耐える」でしょうか。
石にかじりついてでも、ここにいようと思える気がします。

Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

厨二といって片付くならいちいち誰も苦しみません。
言葉が産まれるにはそれなりの背景も、それに関わる人もいます。

Re: Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

毎回、本気は出しているつもりです。
やれることはやってその作品をつくっていますし、今のところ出来ないこと・やったこと無いことをあれこれと入れてみようと思ってやってもいますね。
幾らかは自分に(いや幾らかというかかなり)酔うこともあります。とくにこういった本気であるとか路の部分に手を出して、それなりに完成したときが一伴奏なんですが、大体手ひどくあしらわれますよね。
結局酔ったところで、それは酔うに値しない、他の人から見ればあたりまえのこと、という事実を毎回突きつけられるわけです。
尽くすことは尽くしてますけれど、結果には結びついていないなと毎回思って、とにかく「自信を持つことを抑えてしまっている」という部分はあります。
ただ、前にも書いたとおり、自信たり得るモノではないのだから持つべきではないというのも、間違ってはいないと自負があります。

自信とは何なのかと言うときに、何を持って成功とするのかという対象を、自分の中ではなく理想に置いてしまうからダメなのでしょうね。基本的に普遍的に妥当な成功なんて手に入らないのだと思います。
だから、自信ではなく、自覚を持つべきなのでしょう。
前にも何処かで書いた気がしますが、それが下手くそなんだと思います。

Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

まずお詫びします。申し訳ありませんでした。
以前読んだ記事から、みこうさんは本気を出すことにブレーキをかけているものだと勘違いしていました。
考えてみれば、色々と作品を手がけている創作者さんに対して「これは本気を出せていないだろう」と言うのは、この上なく失礼な発言です。というか考えなくてもわかって当たり前なくらいです。
非常識かつ失礼かつ見当違いな発言でした。申し訳ありませんでした。

……で、その勘違いの元になった、「全能感と幼稚感」をもっかい読み直しました。
読み直して、なるほど、じっと一方向に継続するのが苦手なんだな、というのはわかったのですが。
……いやしかし。みこうさんの場合は、絵や歌や文章をほぼ一定間隔でそれぞれやってるわけだから、リセットしてるわけじゃないよな。
まあ、得意不得意というのがあるのはわかります。
失礼ですが、みこうさんの活動の中で、絵と歌と文章とを高レベル順に並び替えたらどうなるかと言われると、迷い無く文章>絵>歌、って並び替えますしね。
しかしそれにしても。その文章の方面においてさえ、自分の感想と読者の感想が食い違ってるって、ちょっとどういうことなのか……?

前に私が「本気を出せていないからじゃ」と思ったのも、これが納得行かなかったからでもあります。
文章表現なんてのは、以前に言ったとおり、自分の書きたいものがストレートに出るものです。
超極端に言えば、「幽リグちゅっちゅヒャッハー」で書いて、それが上手くいったら、読者も「幽リグちゅっちゅヒャッハー」と返してくる。
これが、上手くいってないならわかります。読者は「上手くない」と不満を言ってくるか、あるいは無反応で返す。
なのに、みこうさんは「反応は返ってくるけど、その反応が食い違っている」と言う。

……あー。あれかな。あるいは、なまじみこうさんが、別の部分で上手くなりすぎたからこそ、だったり?
書きたかった部分について伝わらなくても、元々持ってる文体とかの、いわゆる流儀、スタイルの部分で読ませきってしまうから?
そのあたり、スタイルの部分が未熟な自分には、まだわからない境地ですが。

あとは……あれか、感性の違いか。
試しに、「とあるWannaputeeとDivoteeについて、その観察に事実性と一貫性を与えた場合のWannaputee/Divotee双方における反応・変化・言動の報告」を読んでみたんですよ(タイトルなげーな)。
私の記憶にある中で、みこうさんがはっきり、読者の反応の食い違いを言ってた作品でしたから。
今まではグロ回避で読んでなかったんですが、読んでみると意外にグロく感じなくて、あれ、って思った。
(読んだ後で、なるほど私がグロを回避してたのは単に、誰かがかわいそうな目にあってるのが嫌いなだけだったんだと気付いたのですが、まあそれはともかく)
輝夜の本心からの願いだったからでしょう、綺麗にさえ思えました(この感想はこの感想で筋違いかも知れないけど)。
ただ、確かにこれを、大多数に共感して欲しい、というのは容易ではないでしょう。
なぜなら、大多数にとって、障害=狂気だからです。
まあ最近では、性同一性障害とか注意欠陥障害とか、徐々に障害って言葉がテリトリー広げてきた感じもしますけど、根っこの部分では変わってません。性同一性障害も、注意欠陥障害も、大多数にとっては狂気の一種です(やや抵抗感の薄い、ライトな狂気?)。
大多数にとっては、常識の類は全て理性で守れるもの、と決まっていますので。常識を破るものはイコール理性を破るもの、狂気になります。
だからBIIDについても、ちゃんと大多数に理解して欲しかったというなら、まず「障害は狂気ではない、理性の元に存在しうるものだ」と説明しなければならないっていう。
(無理だと思いますけどね。「理性と狂気が両立するってことだろ?」って言われたら反論できないもの。本能的な行動の中で、社会生活を脅かすものはだいたい狂気に位置づけられます)

……む。
つまり、大多数の読者の感性とみこうさんの感性との差を、客観的に見つめなおして、「読者にわかるように順序だてて丁寧に書く」ことができればオッケーだったりするんだろーか?
いや、それができればの話ですけど。
まあでも、みこうさんが「反応が食い違っている」と思うことも、読者の感性を知るヒントではあると思いますよ? 読者がどういう常識に捉われてるかとか、基本的な偏見は何かとか。
こんなところです。やっぱり無責任な締めですいません。

Re: Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

不完全燃焼なんだろう、そうなんだろう、そうなんだろって~♪
という曲があって、まさにそんな感じです。
不満そうにしていて、結果が出ていないとあれば、
周りから「本気じゃないんだろ?」って言われるのは仕方ないです。

絵がマジで居場所無いwwww圧倒的経験値なのにwwww

さて。
件の作品については、私が失敗していますし、それは書いてしばらくしてから思い返して既に自覚もあります。

こんなところであの作品の「自分の解」を言うことになるとは思いませんでしたがw

仰るとおり、狂気では無いという表現が足らなかったのだと思っています。
各人の観点から輝夜の奇行を刻みつつ、これを狂気として書きながら
輝夜の一人称、妹紅とのやりとりで
輝夜がきわめて理性的であることをもっと前面に押し出すべきだったという反省があります。
またこの作品は狂気の何たるか、その境界を自分に試す上で書いていたモノなので、
その辺が薄くなっていたのも否めません。

それでも「BIIDは狂気であるのかどうか」をはっきりと表現するつもりもなかったのも事実で、
というのは、興味を持った人が、それを自分の意志で確かめて欲しかったからです。

障害というモノに対して、狂気的なモノを見いだすのは、仰るとおり自然です。
が、それは単に「変だ」とか「気持ちが悪い」とかそういう軽い印象から決めていることが多いと思います。
それをもう一度見つめ直す契機になればという思いがありました。
結果として、技量不足から来る上記の失敗が、そういった意図の不伝達を生じて
思った通りの反応は殆ど貰えなかった(狂気ですね、で終わってしまう人が殆どだった)わけですが…。

食い違い、という点では、私が「技量不足でそこをアピールポイントとして主張し切れていない」というのは
…まあ、一番はネチョシーンです。
だって、二人の感情を描いて、その結果感情が爆発してネチョがある。
私としては
「あんなひでーことになるの!だってあの二人だよ!あーもー、汁だくアヘ顔でひーひーいってるのがマジ可愛いはずだから!」
っていうので、私としてはエロ小説を書いているつもりなんですけれど
「あの二人の関係性がよかったです」とか「世界観がとても好みです」とか「心情描写が」とか
「……エッチシーンじゃないのね(しょぼん」
ってなるわけです。
官能小説を書いているつもりなのに恋愛小説として受け取られてしまう的な。
死ぬほど有り難いお言葉なのは、間違いないし、それは糧にはなっているのですが。

まあそんななら最初から最後までセックスしてるだけの話を書け(これが受け手との客観的な落としどころを模索するという端的な例だとおもいますが)と言うことなんでしょうけれど、
何となくそれも違う。
二人の感情が変化する理由はやはり書きたいし、それがエッチシーンの威力を増してくれることを期待してのことなので…。

これについても、恐らく「綺麗な話」「ただのドエロ」は普通は相容れないモノであって共存しないのかも知れません。
それの片方を切り捨てられないという点で、少し手前の話しに戻ってしまうわけです。

Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

みこうさんのネチョがエロくない、とは口が割けても言えませんが。というか何度もお世話になってますが(グロ以外)。
まあ私ごときが言うのもなんですが、夜伽はある程度「エロくて当然」みたいな空気があるというのもありますね。生半可なネチョじゃ、エロいという印象を与えるのはなかなか。
作品が与える印象ってのは「その作品の中で何が一番良かったか」という点ですので。
そういう意味ではみこうさんは、人物の関係性とか心情描写とかを上手く書きすぎている、というのもあるんじゃないでしょうか。
いやまあ、エロ以外で手を抜けとは言えませんが。読者減るだけですので。

いや、本当大変だと思いますよ。エロいって言ってもらうのって。
読者視点で言いますけど、「エロい」って感想書くためには、一回すっきりしてから、賢者タイムになってもなおエロさが印象に残ってないといけないわけです。
そのためにはどうすればいいか、と言われると、「ネチョシーンをもっとエロく書くしかない」としか言えませんね。
(しかも、物語部分に力が入ってると読者の印象もそっちに流れるから、ネチョにもっと力を入れなければならない。両立って難しい)

あー、それと、他の人が「抜いた」とか「エロかった」とか書いてると、同じこと書くの躊躇われるって心理もあるかも。
「エロさについては他の人が言ってくれてるから、自分は他に気付いた部分について感想を書こう」とか。
だいたいこんなもんかな。ちょっとでも参考になれば……なんかやっぱり釈迦に説法な気もしますが。

Re: Re: 【自分】矛盾の肯定と嫌悪感

確かにエロ重視の方からは「エロに悲しみだの何だの持ち込むな」的なことはよく言われるし、
その通りだとも思うんですけれど
○○ちゃんかわいいぎゅっぎゅちゅっちゅ、ってしたい思いもどうしても抜けなくて
両方入れてしまうんですよね。
まあ私の場合はネチョだけにしても見所無くなるだろうというのは自覚があるので
もうこのままバンドル商法続けるしかないし、
それもまあ一つの望んだ形ですので、仕方のないことなのかなとも思いますね。

エロって難しいですよね…。
貴賤など無いとはよく言われますけれど、実態としてはやはり、
キャラの関係感情表現が絵画や読書スポーツ、であるのに対して
エロ、グロ、というのは、酒タバコギャンブル、みたいに見られがち(変な比喩ですが)
な印象は抜け無くって、
でもその割につくるのに必要なスキルは
周囲の印象からみあわんほど高いのだろうなあというきがします。
ネチョメインで書いている人達はもっと評価されていいのになあ、とか思っちゃいますw

まあ所詮は「感想」なんで、印象論が正しいのは、わかっているのですけれどね。

私は細々と抱き合わせ商法で続けていこうと思っています。
たまに変なモノでも発表できれば、まあ、そんな気負わないように、
そう、気負わないように、変に上見すぎないように、足元だけ見るように心がけないと。

コメントをお寄せ下さい

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://monostation.blog112.fc2.com/tb.php/2349-bc4eaee3