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【思考】物理作品に傾いた理由の覚書

もともとは
クレオロールっていう
クレヨンを見つけて買ったのが原因だったんです。

文章を書き始めて、
「あー、絵は合ってなかったんだなあ」
って思って、
「もう絵描き引退します」
って吹聴して、実際
いわゆる、同人界隈で言う「絵師」ってやつを辞めたわけですが

そうしてやめてみると
完成させること、完成度を上げること
全く執着しなくなった。

巧く描けりゃそれでいいんだけど
絵師をやめたんだから、
もう巧く描く必要なんてこれっぽっちもなくて
手に残ったこのゴミくずみたいな技術をつかって
ただただ享楽を得ようと思った。



絵を描いていて苦痛だと思うことに、
描くための労力コストと描きあがった後に得られる諸々のインカム、
その二つの収支が合っていなくて赤字にしかならないことがあったわけです。
まあこの時点で絵描き失格なんですけど、

じゃあどうするのかって、
インカムを増やす努力をするのが普通なんですが
まあ私の才能じゃ巧いと評価されるような絵にはならないので
だったらコストを下げましょうって、それだけのことです。

普通に絵を描いている人は、
描くことの労力をコストとは感じないんだろう。
だから続けられるし、もしくはインカムが大きいか。
どちらにしてもうらやましい。

と思っていた。

絵描きをやめて好き勝手描くようになったら、
インカムが0であっても、
コストが発生しないで描く、またはそのことそのものがインカムになった。
こんな快感はない。
小学校中学校のころに、絵を描いて、
自分が「ここまでやった」という自己満足だけで終結できたあの感じ。

楽しいじゃないか。


クレオロールはふらんそわと画材を買いにいったとき
ゲルマーカーはtwitterでしりあった煌月さんからの情報で
チョークマーカーは銀蔵さんと買い物に行ったとき
それぞれ人とつながったおかげで手にした画材で
描くことそのものが快感だということを再認識したわけです。


クレヨンでがりがりと乱雑に描くのが面白くて、
クレヨンを買う過程で友人の銀蔵さんから
いろんな話を聞いたりして。

そういうわけで、
絵描きをやめたと宣言して
物理絵を描いて遊ぶようになってから
急に絵が楽しくなってきました。

一時は捨ててもいいと思っていた絵ですが
今はまたちょっと惜しくなって、文章と並んでます。



もともとグッズを作るのが好きで
それって、
ソフトを作るのか
ハードに入ったソフトを作るのか
のうち、後者が好きだったからだと思うんですよね。

それを気づかせてくれったのは
夜伽関係で知り合いになった方の
「コンテンツを作るのではなくて、本という作品を作る」
とかいう旨の言葉を聴いてから。

物理的にそこにある何かを作ることに
もともと渇望があったんだと思います。

それで漫画にならなかった理由は、
金銭的にも精神的にもコストの問題です。

結果として物理絵を描きたいという所にいったのは
まあしかるべき結果だったのかもしれません。






で。

新宿の駅を歩くととても面白い絵がはってありました。
なんやら、どっかの画家さんの絵の美術展らしい。
私は芸術に全く明るくないので、
とりあえずtwitterに流したら有名な人だという。
まあ国立近代美術館でやるんですもの、有名でないはずないんですが。

ジャクソン・ポロック展


実はその
新宿の広告にあった絵が気になって気になって仕方がなくて
開催日の翌週の休みの日には早々に見に行ってしまった。
誰か一緒に行く相手もあろうに
いても立ってもいられずに。

ちょうど上記のように
完成したものの映像的な整合性
よりも
描いているその行為自体
もしくは
絵の具が垂れたり跳ねたりしている質感
に魅力を感じていたこともあって

これがどストライク。
まじすげっす。
パワーが半端ない。

その過程で
「アクションペインティング」という言葉を知ったり
「モチーフではなくイメージを直接ぶつける」
みたいな世界を知ったり。

前後して、
銀蔵さんから
「絵っていうのはもっと自由でいい」
という発想をもらったりしたもので

一気に世界が広がっていく感じ。





かといって、
これが「芸術」だとかってハードルの高いものだとも思っていないです。

クレヨンを買って思ったのが
「やべー、小学生みたいにがりがり描くの超楽しいわー」
であって
これは
「クレパスを使って描く」
みたいな小難しいしいことではなかった。

面白いと思ったのは
書き味であって、
色のカバー力であって、
塗った後の盛り上がりであって、
神経を使わない勢いで乗り切る快感であって
決して学問的なものではない。

幼稚園や小学生のころに持っていて
今忘れていただけの何かであって

巧く描こうとか言うことが
どんなにか驕った気持ちだったか。

巧くなんかかけないんだから
楽しくかければ言いの。

「絵画」を描くんじゃなくって
もっと手前の
色とか
質感とか
描いて楽しむその時間とか
絵を描いているときの思考とか心情とか。
専門技術のいらないもの。

そんなんで楽しむ「絵」があってもいいと思う。

音楽を作るようにではなくて、
音楽を聴くように楽しむ絵があっても、いいと思う。
カラオケを楽しむように描く絵があってもいいと思う。




壁にでっけー絵描いてさ、何人かで。
で、気に入ってくれた人に持って帰ってもらうわけ。
四角とか丸とかのテンプレート渡して
「これを宛てたところを切り取ってもってってください」って。
カッターでびーって切って。
描いたのは私たちだけど、
作品として完成させるのは
その「切り取る場所を指定する人」みたいなの、
面白くね?

とか水タバコをぷかぷかしながら銀蔵さんと話していて。

多分、一人で絵を描いたりしていたら
もしくは複数の人間でやってたとしても、
自分がもともといた普通の同人の絵の世界に拘っていたら
こんな発想についていく事もできなかっただろう。


その帰りに、twitterで鯖味噌さんが
「東京でもどこでも行くから誰かお絵かきオフしよう」
とかいってたものだから
こりゃあ釣られるしかないな、ってわけで
4/1に企画をしたわけです。




いずれはそういう同志を募ってやってみたいなあ、
ってことを考えた


のに

札幌に帰るとか
馬鹿じゃないの!?
帰りたくない!
まだ、いろんなことできるのに
まだ、やれることいっぱいあるのに
帰りたくない!!








あーあ…。



で、
勿論こうして絵の楽しさを取り戻した以上、
いわゆる今までの普通のアニメ絵って言うのにも回帰したい部分は強くて
可愛い絵とか評価のいい絵とかどうでもよくって
昔描きたかったタイプの絵を描こうかなと思って
ひたすら髪の毛を細かく書き込むような絵とかになっていってます。
受けは悪いけど、
髪の毛をひょろひょろーって描いているとき楽しいから
それでいいかなっておもう。


とにかく自分の中の鍵が開いていく感じがする。
これがすごく重要な気がした。
SSでやっていたことなのに、絵でできてなかったのは
無駄に昔からやっていていらない固定化があったからだろう。

ま、ああいう絵が同人の役に立つとは
全く思えませんし
巧くなることを放棄した時点で、
やっぱり絵描き引退は変わらずといったところでしょうか。

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