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【思考】就活に失敗したから自殺するわ。

「就活に失敗したから自殺する」
というワードが最近ちらほら目に入ってきますが
色々と思うところがあるので。


私は就職氷河期にあっても
何故か就活で苦労しなかったので
(何故なのか未だによくわからん。面接受けがよかったらしい)
完全に想像だけでものを言います。

私の学生時代なんて
メンヘラ方向にゆっくり進んでいた時代です。
コミュニケーション能力なんて今よりもガッツンガッツン低くて。

面接で必要とされるのは
「コミュニケーション力」なんて言われてますけど
違う気がするな。

就活の面接ではキャッチボールする必要はない。
まあ飛んできたボールをキャッチする必要はあるけど、
綺麗なコースに相手に合わせた速度で投げる必要はない。
正直ただ自分の最大剛速球投げればいい。
ストライクコースにせよボール球にせよ
思い込んだことを見せつけるように投球すればいい。
それはコミュニケーションじゃなくて、
ただの主張。
そんな感じで面接してたけど
でもそれがよかったらしい。

相手が取れない可能性がある?
所詮学生の思想剛速球なんて、社会に出た大人からすればひょろ球だから。
取れる人だけに向けて投げればいいよ。
だいたいとってくれる。
取ってくれなかったらそんとき考えればいい。

就活生でこのblog読んでる人なんていないと思いますが
一応アドバイス的な。


……何か私の今の「SSを書くスタンス」に似ている気がしますね。








本題。



「就活に失敗したから自殺する」

経済の低成長ちうかマイナス成長?と
なんとなくつながっていると思うことがあるんですよね。

あ、経済的な不安によって自殺、っていう意味もあるんでしょうけど
それだけでなくてもっと根本的な。

長くなりますけど。





私もそうなんですけど、
会社で働くときに求めるのって
自分の時間だったり
辛くない生活だったりで
お金一辺倒じゃないんですよね。


それって、
基本的に、資本主義的には甚だ退廃方向だと思う。

それと相関関係を持ちそうな事実として、
戦後の日本の経済成長があって
人の中で「生きること」「お金を稼ぐこと」が第一の価値だった。
それが経済成長につながって、
資本主義の理念と合致していたから
うまくいっていたのだと思う。



ちょっと話がずれるんですけど
「スコラ」って単語があるじゃないですか。
雑誌でなくてw

古代ギリシャ語の「スコレー」って言葉がその語源で
「暇」の意味だったとか。
で、それが発展して英語の「スクール」になったと。

つまり、
勉強や教養なんて「暇」なやつがやることだった。

古代ギリシャでは奴隷制で
スコレーに時間を費やせる(というか暇だったやつ)は
市民権をもっていた(奴隷を使う身分だった)
裕福な人間。



古代ギリシャってのは
貴族政治だったところから
市民を財産による等級区分に移ったり(資本主義に近いような)
その後民主主義を採用していたり
現代に比較的親和性のある政治形態にあったようですが

そういう背景にあって
「スコラ」という言葉が生まれた

つまり
発展してある程度の裕福さを持ってしまうと
お金ではなくて別のものに価値を見出して
それが社会構造を変革させてしまうという
事例があるわけですね。

日本はいったん十分すぎるほどに裕福になり
(しかもそれが急激だし上昇度合いもかなりドラスティック)
現在「スコラを楽しもうよ」みたいなところにあるんじゃないか。



そこまで昔に目を向けなくても
有名な民主革命はフランス革命だし
有名な資本主義への景気は産業革命だし
基本的にヨーロッパあたりが勝手に先に進んでて
現在経済的に不調だ。
マシなのはドイツくらいだろうか。
まあヨーロッパ全土が不安なのは比較的短期的視野なんだろうけど
その引き金を引いた何かは
長期的視野な何かを根底に持っているような気もする。

現実問題としてギリシャは
今経済的に(政治も)混迷のどん底にある。
ヨーロッパ全体的にも。

これってもしかすると、
ギリシャ付近やヨーロッパは
世界で相当先駆けて資本主義や民主主義的なことをやったから
先の段階に進まなければいけない状態に段階が進行してしまっていて

でも
「現代世界のグローバル社会化」みたいな強制スタンダード上では
いまだに資本主義に乗っかってくる後進国が多くて
そういうのに足を引っ張られて先に進めないでいるのではないかなとか
そういう見方もできる気がするんですよね。

そんな見方があるのかどうか知りませんけど。





これが今日本に当てはまっているのではないかなと。
あくまで無学な人間の空論ではありますが。

勿論ほかの先進国でそうなってないところもあるとか
国民性の問題とか
あまりに性急に経済大国になったとか
日本についてはかなり独特な要素が強いので
一概にこの古代ギリシャの例をあてはめられないとも思いますが…






先進国っていうのは
資本主義とバンドルされた民主主義っていうやつに
多かれ少なかれ食傷しているんじゃないかと思う。

(非常に弱い仮定で考察もしていないんですが
その地域(≠国)における民族多様性が薄いほど、
この食傷進行度合いが強くなるんじゃないかと思います。
つまり、
言外に共通の考えを共有できる人間で固まっている方が
貨幣価値への食傷が早い。
まあ、何の裏付けもないんでわかりませんけど。)

そこで登場するのが
昔理想が過ぎて実現しなかった社会主義、
かどうかなんてことはわかりませんが
何らか別の価値観がとってかわらなければならないんじゃないかな。

昔は今ほど世界は一つじゃなかったので
あちらこちらで勝手にいろんなイデオロギーや方針が生まれてましたけど
今はこう、さっき書いた通り「強制スタンダード世界」が敷かれていて
足並みをそろえなかったら制裁、みたいなところがある。


よく
「民主主義がベストなわけではなくて、それ以上にマシなものがない」
なんて言葉を聞きますけど
イデオロギーにベストもベターもないんだと思います。

こういう風に人心が遷移していく以上、
それに合わせたマシなものを選択していく
その「動きそのもの」がベター(マシ)なわけであって
「民主主義がマシ」「資本主義がマシ」
てなわけではないと思うんですよね。




幸せは人それぞれだ
といいますが
幸せは時代それぞれでもあって
今先進国での幸せは
資本主義のイデオロギーと齟齬を生じている。
マシかどうかといえばおそらくマシではない状態にあるのじゃないかなあ。

「不況になると共産主義や社会主義が台頭する」
なんてことも聞きますし、そういう事なんじゃないかな。

まああんまりころころ変わるわけにはいかないのかもしれませんが。





国や地域の規模で見た場合
やっぱり未だに経済一辺倒のパワーを無視できませんけど

実は個人レベルまで砕くとそうでもない。
ある程度手を抜いて働いたり
そういう生活水準を維持しようと思えば
不完全ではあってもそれは可能なようだ。

フリーターという生活方針はそれの最たる例で
就職できなかったという消極的理由以外によって
これを選択している人もいるくらい。
結果としてプレカリアートなんて、
定義たりえない曖昧なクラスタを作ってしまった罪もありますが…。



「働いたら負けだと思っている」という言葉は
実はものすごく先に進んだ(もしくは古代ギリシャの時代までさかのぼった)
一つの真理だとも思うんですよねえ。
これを「ばかすぎるwww」とか、
単純に「働かない方が楽だからそうなるわな」とかとらえるのは楽だけど
そういう歴史的な前例を視野に入れると
面白い見方ができるかなあと思うわけです。



人の心がすでに経済一辺倒の所にない以上
そういう流れに歯止めをかけることができないのは当然だと思うし
民主主義というイデオロギーの内部には端っから
そういう「働かない自由」を内包しているのだから
実は最初から見えていたことなのかもしれない。

このイデオロギーが提唱されたころは
「お金があって生活が裕福になることが幸せ」
という事に疑いがもたれなかったというのは
あるのかもしれないなあ。





さて。
話を元に戻しましょう。




「就活に失敗したから自殺する」

これには将来の経済苦の想像なんてものや
もともと鬱の地盤があるとか
そういう見方がされていますけれど

この命題で、何が問題なのかというと
まず「命」が片側に挙げられる。

自殺するというのは
その「命」と何かを天秤して、
(例え刹那的であったとしても)もっと重いものがあったから
命を捨てたと考えるべき。


ではそれが何なのか。

これまで書き綴ってきた
「人の幸せが経済一辺倒ではなくなっている」
という論を引っ張り出して
これを
「将来の経済苦への失望とは限らない」
という論にすり替えたいと思います。

もともと
「鬱のケがある」とか
「何度も落とされて精神がすり減る」とかって意見があるわけですが
これがそのとおりであると思うし
これを「弱い」と一蹴されていることが多いのを否定したい。

【「弱い」と一蹴するわけにはいかないんじゃないか】と思うのを
前半で描いた歴史的経緯と幸せの相違によって
支持したいところなのです。



勿論、
若いから刹那的に命を絶っちゃうことが多いんでしょうけど
一体どこを刺激されて「ついカッとなって自殺」しちゃうのか。

それは
経済以外の(語弊を孕むことを恐れずにいうのならスコラ的な)要素に
あると思う。


「就活に失敗したら将来ないからなwでもそれだけで簡単に死ぬとかw」
っていうし
「地べたを這いつくばってでも生きるという意思はないのか」
という意見も聞くけれど
それがそもそもその言的外れであるという可能性は否定できない。

資本主義的には「お金がなければ幸せは訪れない」し
経済一辺倒ではない価値観を持った若者が
それでも死を選ぶという背景には
「もっと別な大切なものを削り取られたから」ちう見解は
一つ取り上げられるべきだ。



「若者は精神的な耐性が低い」
「経済不安が増大している」
のもまあその通りかもしれないけれど



就活に失敗するという
自己否定の(ある意味での)証明によって傷つけられる
特定の精神的部位があると仮定し、
前述のような幸せの意味の変化によって
その精神的部位の致命性が上昇しているという見解を加えた場合
それによって、
精神的ショックが致命的に至る場合もある

ととらえることもできるはずだ。
勿論従来の「精神的に弱い」「経済不安」という要素も絡めて
複合的に作用するのだとは思いますけど。


転んで膝小僧を擦りむいたって基本的に死にゃしないわけですが
「いつの間にか心臓が膝に移ってきていた」
みたいな感じですかね。

RPG的に言うと
精神が弱い=最大HPの低下
幸せの意味が変化=弱点の変化
ですかね。

そしてこの幸せの変化(=弱点の変化)は
「時代の流れに裏打ちされていて、否定しえない」
という見方もできるんじゃないかと。



教育が悪いとか
経済が悪いとか
ゆとりとか
そういう見方以外にも
こういう見方があるかなと思います。



……まあ、
中高大学で勉強さえしなかった人間の
無学な考え方なんで
世迷言ってことにしておいてください。

学生時代にちゃんと勉強してる人は
きっともっとわかってるんだろうなあと
少し後悔がありますね…。
勉強すりゃよかった。

この記事へのコメント

Re: 【思考】就活に失敗したから自殺するわ。

なっがww

Re: 【思考】就活に失敗したから自殺するわ。

私の学生時代は落ちこぼれだったし
就活というのもまともにやったこともないし
死のうと思った時期もあるけど今は死のうとは思わない。
個人的には
精神=防御力
だと思う。
HPはひとつの要素に起因することじゃないので限定できないけど最終的にはHPは減らしていくべきかな。
HP高けりゃ強いと考えがちだけど防御力が低かったら致命傷を負いやすいってことになる。HP高くて硬けりゃ言うこと無いが。

必ずしも「負った傷は回復する」とは限らないのが人間の精神の厄介なところで治らなければ、
痛くて痛くて仕方ないけど我慢するか目を背ける
もしくは、
見つめ続けて愛してやるのが手っ取り早い。
まあ目を背け続けて八方塞がりになったから自殺なんだろうけど。
結局折り合いつけるしかないのよね。

もっとユルく生きればいいのに。
死ななくてよかったと思えるように。

まだ就活には年単位で余裕のある若造ですが、就活失敗での自殺は「喪失への虚無感」じゃないかと思います。
いま大学生たちは就職に向けて1年から考え(させられ)ていますし、さらに就活で大きく時間を取られる。
「ブラック企業」なんて言葉が流行ったように「スコラ」が若者の幸せの基準(あるいは大きな要素)と考えると、ずっとそのために使ってきた時間の喪失が原因じゃないかなあ、とか思いますね。
時間は取り戻せない、とかしょっちゅう就活サイトでは言われてるだけに。
私なんかは失敗による喪失感が恐くて受験期遊び呆けてましたし。

いろいろと書くね

まず、お金は必要。
社会システムが「お金」を基本としたシステムになっている以上、お金は必要。ないと死ぬ。
生活保護システムが機能不全になっていて、ハ・ジュンイルの母みたいに不必要な人に生保が支給されて、おにぎりが食えなくて死ぬ、という状態に国家がある以上、生保が支給される保証はない。
つまり、なんらかの収入がなければ死ぬ。
それは理解してね。
「お金一辺倒じゃない」というなら、どこかボランティア団体に移って、そこで無給で生きてみて下さい。それで生きられるのなら、みこうさんの初段は説得力を持ちます。

今、日本は、海外資産が潤沢にあり、それゆえに国内投資はとんでもなく落ちています。資本自体はありますが、海外にあります。国内にない。銀行ががんがん出した資金はすべて海外に流れている。充分すぎるほど裕福になった金は、すべて海外にあります。国内で「これからその資金の恩恵を受ける人」=新卒生は、その資金を受けることは出来ないです。
スコラは、楽しめません。楽しめるのは、ごく一部の「それ以前に資金を受けられる位置にいた人」の家族だけです。(それゆえ、奨学金の倍率が上がっているし、奨学金の返済制度自体も変わらなければならなくなった。たぶん、このまま行くと、財団形式の奨学金団体は崩壊していきます。企業出資型の奨学金も、企業自体が日本人より海外人を積極採用すれば済むので、国内人を育てる必然性がありませんから、奨学金団体を維持する必然性がありません。残るのは政府系の奨学金団体だけでしょう。)

あと、日本は「民主的資本主義」になったのは、バブル崩壊後です。それ以前の日本は「会社制社会主義」の国です。資本主義は、バブル崩壊の引き金です。(まぁ、戦前の財閥制は資本主義だったのですが。その結果として身売りや女工哀史や蟹工船があるのはみこうさんのご存じの通り)。
会社に雇用されることで「一生が保証され」「年金もアップされる」。国家は会社を「護送船団」により守ることで、間接的に、会社を通して、国民を平準化(一億総中流、という概念=国民の生活レベルを一定に保つ=社会主義です)することで、国家としての国民の保護を行った。すなわち、日本告自体が、会社を使った社会主義国家です。
誰が考えついたのかわからないけれど(だふん、「小作農」の制度がこの基盤にあるのでは、と考えます)、とても優れたシステムでした。
ただ、このシステムは基本的に「国家による社会主義」なので、外国から見たら、参入出来ない。特に、アメリカが、その制度を利用してアメリカの国際シェアを日本が喰っている、という状態に我慢出来なかった。
それゆえ出てきた言葉が「グローバル・スタンダード」。なんてことはない、アメリカのローカルシステムなんですが、アメリカは世界最強ですから、アメリカのローカル=世界のスタンダードです。(IEEEなどのアメリカの国内仕様がそのままISOになる、など、例はたくさんあります。初期のインターネットの総括ってアメリカ国だったんですよ。国際組織ではない。)
ヨーロッパは、第二次大戦の恩があるし、NATOの規約もあるので、アメリカのローカルスタンダードに乗らなければならなかった。日本も日米安保協定と、もともとアメリカは日本を占領した国ですから、政治システム自体、日本よりアメリカが優先する構造です。アメリカが「日本、おまえ、出過ぎ。アメリカに従え」と言われたら、従うしかない。(だいたい、日本の生産物の輸出先はアメリカですから、アメリカが「アメリカの基準に合ってないから輸入禁止」て言われたら、日本は即時に破産します。)
というわけで、日本が築いた優れた国民保証システムの「会社制社会主義」は崩壊して「民主制資本主義」=金持ってる奴が偉い、が導入されました。
以降、どうなったかは、みこうさんも知る通り。
いきなり氷河期。

民主主義より、社会主義のほうが、一国制度では適しているんです。国際経済に依存すると、社会主義では弱い。
ブータンがその点で割りきりましたね。金銭的な裕福度は追求しない。代わりに「国民が幸せ『だと思って入れば』良い」と。ようするに、洗脳による国家社会主義です。誰も死なないから、国際的に認められている。(ただ、あのシステムは、ブータンにいるネパール人などを「排斥」することで可能になっています。もともとネパール人の流入で国家的アイデンティティが崩壊したので、民族服『ゴ』を『強制して』民族アイデンティティに従わない物を「国外追放」して、民族浄化を行った。その上で、国家としての民族統一を実現して、経済的豊かさを放棄したのです。だから、後進国であることを自ら選択したし、それを国民に「強要」したのです。ブータンは王家による国家の統一状態にありますが、国外の「裕福な暮らし」を夢見る人たちと、元ネパール人たちが、隣のネパールの毛沢東主義派とつながったら、簡単に国家転覆します。すごいあぶない状態。)

就職する過程で、ある種の「選別」が働いて、その結果として「社会から必要とされている」「社会から必要とされていない」と認識しているのではないか、と思うのです。
社会から必要なら社会人になります。つまり就職出来る。
実際、会社に入らなくても、社会貢献は出来るので(NPO立ち上げてもいいし)、その考えは短絡的なのですが、そういうふうに「すり込まれている」。
(実際、前述の通り、資金源がないので、生き延びられない、という厳しい現状はあります。)
で、選別された結果「社会から必要ではない」と思い込んでしまったら、社会から出るしかないです。
ひとつの方法はホームレス。ネカフェ難民ですね。社会外で生きる。
もうひとつの方法は、社会そのものから出る。つまり死にます。
それはね、ひとつの選択として、間違ってない。
私も死ねるときに死んでおかなかったことを後悔しているから。あの時、なんで横浜駅で京浜東北に飛び込んでおかなかったかなー、てずっと後悔してる。(死に時失うと、なかなか死ねないのよ。)

実際の所、「より大きな社会システムとしての社会的淘汰」なんじゃないかと思っています。
ほんとに、社会システムそのものが、必要な物と不必要な物を選別して、社会自体から排除=殺してるんじゃないか、と思っています。
うつ病の増加と自殺者の増加は、実際の所、社会システムそのものの「進化」なんじゃないか、と思います。
より強くなる。
生物の淘汰、という仕組みが、社会システムそのものにもあるのではないか、と。
メンタルタフネスやコミュニケーション力に劣る「個」は「社会システム」としての「弱さ」なので、社会システムとして排除して、「より強い社会システム」を作る、という、システム自体の成長機能。
それが「実在する上層部・指導者層」により制御なのか「見えない支配者=オーバーロード(神みたいなものかな)」による制御なのかわからないのですが。(私個人は「大いなる意志」は存在する、と思っている。いろいろ精神がぶっ壊れて、思考が極度にぐるぐる回りした結果、私自身は存在しないし、私の行動は「大いなる意志」のシナリオだし、結局何か自分で行動しているように感じていることは、すべて「大いなる意志」のシナリオでしかないから、もうなるようになるしかないよね、という結論に達しています。)
そういう社会システムなのではないか、と思います。

そういう意味で、私は「新党本質」を支持します。
ただ死ぬのはもったいない。死ぬんなら、他人を生かす臓器になってもらいたい。(私はさらにその先を行こうとしていて、臓器取った後の肉を流通して、輸入に頼らない肉、を実現して欲しいのですけれどね。)

ね。壊れてるでしょ、私。

Re: Re: 【思考】就活に失敗したから自殺するわ。

>>銀蔵さん
> もっとユルく生きればいいのに。
> 死ななくてよかったと思えるように。
私も精神的には緩く生きられているような気はしていませんけれど
「死ななくてよかった」とおもうことはいつもですね。
死にたがりさんの「この先いいことなんてない」という発言には
「嫌なことはなくならないけどいいことも
不思議なこととも面白いことも絶対に起こるから"もったいない"」
といいたいですね。
生きろ、なんて重たいこといいたかないですが
死ぬなんて勿体無い、っていいたいです。
自分の経験として、振り返って見ると、
いい思い出のなかったころでも、
興味深いこととか変なことは起こっていて
それは結構捨てたもんじゃないですよね。

Re: タイトルなし

>>俺.dmpさん
なるほど、「喪失した時間」ですか。
年を取ってみるとおもうことですが、
「そんな事大人になったらいくらでもできる」という大人の言が
嘘だということですね。
今にしておもえば、若いころに食らっていた抑圧について、
(今は絵を描いたり文を書いたり友達と遊んだり存分にしていますが、
学生時代は見つかると大目玉だったので隠れてこそこそとやっていた。
それによって広がりそうな"自分の望む世界"はある程度縮小していた)
私もずいぶんと喪失感を持っている気もします。

逆に、
その学生時代
「これはこのままやってても、
今十分にできてないから将来巧く行くまいな」
と思いながらも続けていた絵や文について
今となってはその頃にやっていた"不十分な経験"であっても
思った以上に役に立っています。

私の就職活動の時代もすでに氷河期と言われる奴でしたが
不思議と就活で苦労しなかったのは
「それまで自分が(成功も失敗も含めて)どう過ごして来たのか、特に何を得たのか」
を自覚して整理して、
それを面接でちゃんと説明できたからだと思っています。

よく
「学校の勉強なんて日常生活では役に立たない」
なんていわれてて
私は大学受験に失敗しているクチですが
(一浪した挙句二回目も失敗して、
まだ願書を受け付けていたお金を払えば入れるような大学へ滑り込んだ)
個人的には割りと学校でやった勉強は役に立っているなと思っています。
特に文を書くときの思考やネタについてのことが多いですが。
高校までの授業でこういうこと習わなかったら
こんな感じの出来事を作ってこういう話にはできなかっただろうな、
と思うことが凄く多いです。
だから勉強したことそのものは無駄になっていないなあって思ってますね。
こういう感じのことを、若い方にどう伝えればいいのかというのは
私の口下手が災いして中々どうして巧くいかないんですが…。

私としては
「もしあの頃大学に入れたら、それにプラスアルファでもっといいことになっていたんだろうな」
って考えています。
入れなかったことを時間のロス"のみ"としてみる必要はないかなって
この年になって考えますね。

結局総括すると
「努力したその次官は無駄にならない」
なんてクソ月並みでつまらない言葉になっちゃうのがどうにももどかしいんですけど。

Re: いろいろと書くね

> 「お金一辺倒じゃない」というなら、どこかボランティア団体に移って、
>そこで無給で生きてみて下さい。それで生きられるのなら、
>みこうさんの初段は説得力を持ちます。
お金が不要、とは申しておりません。一辺倒ではない、と申しているのです。
もし一辺倒であるのなら、死ぬほど残業した後に残業代が出れば、鬱になる方もないでしょうし
就職に失敗したということが経済的悲観へつながるのは当然のことなんですが
それ以外にも要素があるのではないか、ということです。
金持ってる奴が偉い→氷河期の流れが、
その経緯を不透明としながらも、なんらかの相関関係を持った上で並んで見えているわけですし。

>就職する過程で、ある種の「選別」が働いて、
>その結果として「社会から必要とされている」
>「社会から必要とされていない」と認識しているのではないか、と思うのです。
それは思いますね。
オーバーロードによってそれがなされているかどうかは私には言及できませんが
それまでに出来上がった人格などからして
もはや社会の歯車にぴったりあうか、少しずれてるか、もう入れないか
ある程度見えていると思っています。

>実際の所、「より大きな社会システムとしての社会的淘汰」なんじゃないかと思っています。
これも感じます。
これをオーバーロードの手によるものかどうかはやはり私ではまだ感じえませんが
深刻な畸形児は死産か産後まもなく死ぬ的、
もっと汚いことを言うと
健常者が障碍者に対して嫌悪感を抱いてしまうことのような
そんな自浄作用を「社会」という巨大な妖怪が持っているものだと思います。

>ただ死ぬのはもったいない。
私はこれを大いに支持します。
物理的なパーツであっても、使えるものは使い尽くしていただきたい。
もっと言うのであれば、死ぬのは勿体無い、まで拡大して解釈しています。

私なんかが言うのは非常におこがましいのですが
「なかなか死ねない」というのは
やはり「生きたい(という積極的な声でなくても、"死にたくない"という消極でも)」
という意思がどこかにわずかばかりでもあるからなのではないかな、
と思います。

個人的には
「その声さえなくなったときに、終わらせればいいかな」
と考えていて
刃物を自分に向けて突き立てられなかったら「諦めて生きる」というスタンスでいます。
(飛び込む、飛び降りる、首をつる、服毒系は、
"えいやあ"で行けてしまうので、
自分の内部の声に素直に耳を傾けられないまま死ぬ方法だと思っています。
それが、「もったいない」というところへつながります)

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