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【日記】淫語とかいうものについて

別に大した意見を持っているわけじゃないです。

私はそういう言葉遣いの方が
オナニーする時のオカズとして使いやすいので好きだという
それだけの話です。

いわゆる普通の会話で

○○はどこどこを触る。
××は甘い声を出して○○に抱きついた。
「んっ」

とかそういうの「だけ」では到底、抜けないというだけです。

勿論そういうのがオカズとして不足とは思っていません。
そういうシチュやキャラの心情は重要で
読んだときの妄想や気分の高まり、
そのSSに書いてあった要素を抱えてベッドに駆け込んでオナニーすることも少なくないです。

ただ、文章そのものがストレートにガツンと入ってくるのが
私の性癖上、「淫語」というものの方が強烈だというだけです。




ものを作るとき
それは文章に限らない
絵でも
音楽でも
何だってかまわないですが

好きなものを作るのは自然なことだと思っています。
むしろ好きでもないのに受けがいいからと作っているのは
(勿論それは方法論として、私の持ちえない価値観上正しいことも多々あるとは思うのですが)
そんなに言うほど正しいこととは思っていません。

同時に、自分の好きなものと他人が好きなものに乖離があることも
自分の好きなものが他人と違うからこそ知っているわけで
その辺の味噌についてとやかく言うつもりもないです。

これは攻撃的な言葉になりますが
いわゆる「一般的な感性」で満足している人ほど
他人への許容量が狭く狭量であるという印象を受けています。

パンピーよりもオタクが
「自分が痛んだという自覚があるゆえに」
寛容であるのと同じことの
ミクロな状況が
淫語否定派(別に好きではないだけで嫌いではないという立場を除く)
と淫語好き派との間にあると思っています。




あんたらの性癖がそんなに高等なものか?



悪いが大差ないと思ってるし故に
叩かれたり気持ち悪がられたりする謂れはないと思ってる。




ここでこれから言うのは
ある人に対しては名指しに等しい言葉になるので
非常に公開するかどうかは迷っていたものですが
いろいろと思うところもあるので
記事にしようと思います。


かなり昔の話ではあるが
ある人が


淫語は、貧者の文法だ。
文章力がなく、文章でエロティシズムを表現できない
文章に不自由なものが使う手段だ。
あんなもの、官能でもなければ、文章でさえない。

という旨の言葉を言っていた。


私はこれに強い憤りを感じている。

性癖が拒絶された
ゲドシールド的な作用は大きい。
それは認めた上で
それでも
私の中でオカズとして使用しやすいかどうかの歴然とした体感があるわけで

鼻で笑われ唾棄され愚弄されることに堪らない苛立ちを覚えた。


私がSSに淫語を使い続けるのは、
私がそれを好きであるからに他ならない。

ただ、
更に付け加えるなら




文章力であるとか
臨場感、引き込む力、説得力
そういったものが
淫語と相容れないものだという

あいつのクソッタレな考え方を覆したい。

だから私は、
文章としての味付けを保持したまま
淫語としての味も持った
たといそれが歪で合致しない落差のある姿だったとしても
その両立をできるやつはいるんだと

淫語を書く人間が文章力欠落人間だという鼻をへし折ってやりたいと

そのために書き続けている部分はある。


ネチョシーンの淫語は作品とあっていない?
とりあえずはそれで上等だ。
ネチョは淫語であると同時に、それ以外の部分は普通の文章だと認めてもらった証言だ。
まずは、そこにきちんと着地するのは私の第一に目標だ。


もしそこにきちんと着地することが出来たなら
今度はそれを融和させたいと願うが、
今のところ着地がおぼつかない。
口惜しいが、私の文章力ではまだ、足らないらしい。



誰か、一緒に戦ってくれる人がいないものかと、
自分で言うと格好が付かないが、孤軍奮闘しているところなのです。




とりあえず、
てめえへの敵愾心が、私の継続可能性を永らえていることについては
例を言おう。

後は、死ね。

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