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【日記】映画とか

昔から映画は割と好きだったんですが
学生時代は比較的時間もお金もなくて
あんまりあれこれと見に行くことはありませんでした。

それに加えて
見たいなあ、と思う映画が
割といつもみんなで見にいけるようなものでもない
(みんなが面白そうと思う感じがしない)
映画ばかりだったことと
学生時代は
一人で行動するほどのアクティビティを
持っていなかったこともあって
映画を見ること自体が稀でした。

東京にきて
たかが趣味であったとはいえ
行き詰まりを感じていた絵をやめて
趣味の主軸を文章に転向してから
ss繋がりで知り合ったある方が

「文章を書くのは好きだけど
他の小説を読むほどパワーはないし
ものぐさだから漫画も継続して読むことがないんで
インプットに乏しいんですよね」

という私に対して

「みこうさんは映画をみるといいよ」

と言われたことで
そういえば自分は映画が好きなんだったと思い出しました。

そうして振り返ってみれば

・変わった題材が多くて好みなど性にあってる
・一人で楽しむのが許容された文化
・受け身で(も)いいので楽
・そもそもメッセージ性が強いので入り込んでも楽しい
・精々2時間で、何週間何ヶ月と継続して見る必要がない
・気が向いた時にスポットでインプットできる

と、そもそも好きだった理由に加えて

・社会人になって妙に一人遊びの行動力が増えたこと
・映画をみるくらいのお金は平気で使えるようになったこと

が手伝って
最近映画ラッシュです。



本題。



映画って面白いなって思うんですよね。
多分映画に限らず、
広義での「役者」を使うもの全部がそうだと思うんですけど。

まあ監督によるのかもしれませんが
「このキャラはこの時どういう表情で、どんな風にこの演技をするか」
ってのが、
役者それぞれに委ねられてるので
それってミクロに見て
キャラ(役者)の分だけ
同じテーマで違う筆者の小説が存在してるのと
同じだと思うんですよ。

しかもそれが完全な意味での合作になるのだから
遊びとはいえssを書いている身としては
こんな面白そうに見えるものはない。

それは
脚本を書く立場を想像するにしろ
それとは別に
何か一つのキャラクタを演じるにせよ。



ssを書いていると

目的のベクトルに向かって欲しくて
キャラに恣意的に演じさせている時と

それとは別に
キャラがあ勝手に動き始める時と
2パターンあって

後者はさらに
勝手だがこちらの意図した動きをするので放置する時と
意図しない動きをするけど方針があってるので放置する時と
意図しない動きをするけど方針があってないので制御する時と
さらに
意図しない動きにこちらが魅せられて
方針があっていないのに放置させられてしまう時とがあって

キャラにはそれぞれ暴れてもらったり
いうことを聞いてもらったりするわけですが、
それでも当然自分で作ってるキャラですから
一番根底の部分では
どこかで想定内だったりするわけです。

でもこれが中の人がいるキャラクター群だった場合、
どうなるだろうかというのは非常に興味があります。

もし脚本を書いている立場だとしたら
もちろん好き勝手にはできないのでしょうけれど、
全然予期しない表現でアプローチしてくる役者がいたりすると
脚本を書き換えたくなるかもしれない。

そりゃあ役者にとっては迷惑な脚本だけど、
話を作る上でこんなに面白いことはないだろうなあ。


逆に役者だった場合には
このキャラならどうするか、
なり切った時にどうRPするか
あるいは
逆にどこまで自分をキャラに落とし込むか、
もちろん監督次第で
「そこはそんな風なキャラじゃない」
とか言われるんでしょうけど
演じるってことは
視点の違うストーリーを一本
自分の中で作り上げる必要があるのだから
これも面白そうに見える。


ストーリーテリングをしようと思えば
誰でも一度は憧れる
ある意味で脚本(あるいは小説)における
「はしか」のような――あるいは中2病と言っても過言じゃない――
ものに
”マルチサイトストーリー”があると思います。

いや、他の人についていうのはおこがましいかなあ。

少なくとも私は
ぱっと見の主人公の視点では真相がわからず
別のキャラから見える事実を組み合わせてやっと見えてくる
みたいなのに憧れて(そして毎回撃沈して)います。

究極的には
脚本も役者も
そういうところがあるんじゃないだろか。
そんでそこが一番面白そうだなあと思います。



その昔、みたいな話をすると
年寄り臭いというか説教くさいというか
うざったいかとも思いますが。

東方夜伽話で書いていて
「台詞しかないssなんて……」
みたいな非難が上がった時期があって。

そういう非難をする人って、
実は自分の中にキャラ像がなかったり
動かして「もらう」ことしか考えてないんだろうか
なんて思いもありました。

(かくいう私も、
文字できっちり書き込んである方が好きではあるのだけど)



「この科白、俺の魔理沙ならこう言うな」
みたいな楽しみ方を放棄するのは持ったいない。

自分の中でキャラを、
あるいは演じる役者を設置する楽しみはあると思うし、
だからたまにはセリフだけで構成されているものがあっても
いいのになあと思っていました。

それは「小説」としては不適合かもしれないけど
「ss」なら範囲にはいるんじゃないだろうか。
「ss」の定義ってあやふやですけど
少なくとも小説と同じ型にはまるもんじゃないと思ってるな。

(「ss」は「side story」とか「short story」とかでなくて
「えすえす」って発音する
特有の文字表現であっていいと思うのです。)


で、映画を見るようになって
それがより強く感じられるようになった。

ああ、この役者さん
(あるいはそれを指示した役者じゃない誰か)
は、ここでこういう風に演じるか。
私ならこうさせるなあ、
みたいな見方をすること多いし
それを踏まえた上で
目の前にある演技を受け入れて
「ふんふん、なるほど」
って見るのも楽しい。

例えば今回見てきた
「シャニダールの花」って映画で主役をやってる
綾野剛についていえば
何か予想外のことに言葉を失う演技の時の
首を小さく左右に振って
目をキョロキョロさせながらうつむくあの仕草は
「八重の桜」の松平容保でもやっていて
「ああ綾野節だなあ」って思う。
キャラというより役者先行を感じてそれも面白い。

※映画の感想はまた別のエントリを起こしたいなと思ってます。

それって
アニメの世界では声優も同じで(というかそれ以上に強くて)
このキャラだからこの声
というより
この声優だからこの声
ってのが受け入れられてるし
受け手もそれを望んでるとこありますよね。

もちろん世には
「ミスキャスト」って言葉もあるので
それはあれなんですけど
個人的にはそういうのもひとつ
面白いポイントになり得ると思う。

この人ならどう演じる?
みたいな見方は絶対楽しい。

脚本型、ってのは
そのまず最初に提示される一発目をさえ空白にした
間欠性の表現形式の一つ
と捉えることは出来るはずだし、
そうすることで
書き込む方法にはない魅力が出るとおもう。


映画楽しい。
映画勧めてくれた某作家さんに感謝。

これはいいレジャーになるし
同時にいいインプットになる。



あと映像作品って
無言で映像だけが回ってるシーン
けっこうあるじゃあないですか。

あれ見ながら
「ここって文字ならどう書けばいいかなあ」
って思いながら
その場で脳内で文字を起こしてることもあります。

これも結構楽しい。



絵でいう
三十秒ドローイングみたいな感じになるのかな。
そう考えても
絵の30秒ドローイングを楽しめ気はしない。

なぜなら映像を見ながら文字絵のエンコードを
即席でおこなうことをしながら
同時に
「これをやったからって文章力は上がるまいな」
と実感したから。

この映像の即席文字エンコードも
もし仮にテキストに残すなどとなれば
即座にやりたくなくなると思う。

やっぱり
「高速化」は「具現化」の向こうにあるもので
「具現化」できない段階で「高速化」を望むのは
順番が違うと思う。

私にはあれは
「(計算ができないのに)フラッシュ暗算を練習している」
ように見える。
もちろん計算ができれば、効果があるだろうけど。

30秒ドローイングに対する懐疑は
映像と向き合って強くなった気がします。
同じように、時限即興小説も懐疑を持って見ています。



水道に例えると
パイプをいくら太くしても
水圧が伴わないと意味がない。

パイプの太さは出力速度のキャパで
水圧はイメージの描画能力、
水量がイメージそのもの。





なんか取り止めのないエントリになっちゃいましたけど。
映画面白いってことで。

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