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【阿求・慧音】4get me not not not but

なんだかもう。





以下、アーカイブ
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  白沢様。そう呼ぶのは、この一帯に住まい、昔から"はくたく"という超越的存在を心の拠り所として生きてきた者達だ。私が来る前――それがどれほど昔であったかというと、先史、という言葉で示すしかない――に、"はくたく"という存在がどんなものであったかは知らないが、今は、白沢とは私を指す言葉になっている。

 ハクタクの名は"はくたく"というこの土地の土着伝承にちなんだもので、人間が、人間ではない私のことをそう呼び始めたのがきっかけであった。ならば人との間に生まれた私はワーハクタクだなと言ったら、字面上で"上白沢"と言われたので、今はそう名乗らせて貰っている。私が今いる世界では、そう言った程度の理由が歴史的経緯、古の伝承として強い権力を以て語られるのである。

 私達の語彙に、私達を私達以外の存在から区別する客観的な名詞は存在しない。全ての事実に対して俯瞰的立場を持ち、同一レイヤの存在には私達しかいない。故に我々を指す集団代名詞である"   "という言葉しかないのだ。また我々と同じ存在には複数いるが、個を区別する言葉は存在しない。だが、ここに来てその区別が必要になったから、それを便宜的にハクタクと称することにしただけでもある。







――初めて白沢様とお会いしたときのことと、それから少しの間のことを、ここに記しておこうと思います。私は忘れっぽいみたいなので。――







 四本足の生き物がカトウナケモノで、二本足の生き物がコウトウナニンゲンなのだと教わった。だったら私はその間なのだろうか。

 かあさま

 私の手を引き、遅い歩みに合わせてくれる優しい母。いつものお出かけに、今日は私を連れてきてくれた。何か大きなお屋敷で、母様はお仕事なのだという。
 この辺で遊んでいなさいと言いつけられた私は、言いつけに従って、大きな庭を探検することにした。
 ここには塀も柵もない。無限に続く波打つ玉砂利と、アクセントをつける松の立ち木。母様の入って行ったお屋敷が背を守る以外、そこは余りにも開放され遮るもののない神秘的だが幾許か空寒いものを感じる空間だった。空は晴れていない。雲が低い天井のように頭上を被う。分厚いわけではなくまるで天上に障子を貼り詰めたよう。決して暗くはないが目映い陽光は訪れず、ぼんやりとした世界間接照明が乳白色の世界を作り上げている。その空と玉砂利の地平線は遙か彼方で出会い溶け合うような地平線を結んでいた。真一文字に横たわる朧いだ帯に楔を打つのが、点在する松と岩、そして池。風のひとつも吹かず、他の動物達、小鳥の一羽さえいない。ここは、本当に空を障子に仕切られた空間かも知れなかった。
 永遠に広がる限りのない世界は、それ故に閉じこめられた密室のようだ。どこに行くことさえも足場を失い居場所を忘れてしまいそうに思える感覚は、低温やけどの様なじわじわとした恐怖心で幼い私の気持ちをゆっくりと焦がしていく。
 屋敷が見える、何かあったら、私の足でもすぐに駆け込めるような臆病な距離で、私はわずかに生える草木を相手に遊びはじめた。
 私の右脚は、ほとんど動かない。母様も、他のみんなも、二本足でちゃんと歩けるのに、私は杖を使わないと立ち上がることさえ出来ない。右脚だけが左足に比べて酷く小さくて細い。動かないし、じんじんと痛いこともある。不自由な足が、この広い庭園を更に永遠の広さに思わせているのかも知れなかった。みんなならきっとすたすたと歩いていってしまうあの松の麓に行くことも私には億劫で、すぐ側の池の中を泳ぐ鯉を眺めていた。
 母様はまだかなあ。
 他の人はみいんな私のことを置いて行ってしまうが、母様だけは私に合わせてくれる。母様以外、みんな意地悪だ。私は他人に、世界に、壁を感じていた。これほど解放された神秘の空間ですら、広すぎることが私にとっては壁であった。
 池の鯉をのぞき込む。鯉には足がない。尾びれを足とするなら私と同じ一本だ。でも、水の中をすいすいと自由に泳ぎ回って、私よりもすばしっこい。鯉ってすごいなあ。おまえは足が欲しいと思わないんだろうなあ。それとも、やっぱり欲しいのかな。
 池の中には数尾の鯉が居て、悠然と池を回遊している。私の姿を水面の向こうに認めて、なにやら私をまじまじと観察しているようであった。
 こーい、こいこい。私もそっち側にいったら、足が無くても自由になれるのかな。
 私も、私もそっちに

 ぐらり
 あッ

 鯉に見とれて池を覗き込んでいたら、バランスを崩した。杖を突かないと転んでしまう。しかし咄嗟に伸ばした杖の先が突いたのは地面ではなく、水面。飲み込まれていく杖を見ながらスローモーションで自分が池に落ちるのを感じてしまう。
 落ちたからといって溺れるような深さでもない。片足が不自由なこともあって、こういった転倒はもう慣れていた。ああ、ずぶぬれだなあ、かあさまをこまらせてしまう。濡れて母様の前に立つ自分を想像して目を瞑った。

 はていよいよ、ばしゃんぱらぱら、となるを想像していたのに水音と冷たい感触はなかなかどうして訪れない。
 代わりに感じたのは転倒で感じる筈のそれとは違う加速度と重力感。

 おいおい、あぶないな。

 それと同時に、うなじから背筋に蓄積するような、少しだけ乾いた低い声。でも男の人の声じゃない。
 えっ、とその方を見上げようとした瞬間、私の体は転んだ姿勢からひっくりかえって元に戻る。次の瞬間には足と杖はしっかり地面についていた。そうしてからようやく声の主を見やる。
 背の高い、獣の様な角を持った、でも人のような姿をした何かが立っていた。逆立つ立派なしっぽ、よく見れば耳が鬼のように横にとんがって鬢を割っている。唇の中に窮屈そうに収まるのは2本の犬歯。明らかに、人間ではない。でも、顔つき自体は……その……すごくかっこいい、女性だった。
 口をぱくぱくしてそれを見ている私。どうやら池に落ちるすんでのところで助けてもらったのらしい。

 お前が、阿求か。有角のひとが、しゃがんで私の頭を撫でる。大きな手。母様とは違うけど、優しい感じがする。低い声は耳からじゃなくて胸の間から全身に染み込んでくるみたいで、じんわりと熱い。赤く猫みたいに縦に尖った瞳孔が私を見ているのを感じると、胸が酷く苦しく締め付けられた。何?
 半獣のひとは、私がすっかり転倒から平静を取り戻しているのを見て、言葉を続ける。阿弥が1人で来たから心配になって見に来たが正解だったな。そう言って私を再びひょいと持ち上げて、あっという間に背負われる。声を上げる間もない。私の杖も忘れずに拾い上げた。すっかりおんぶされてしまい、気恥ずかしくなって、ひとりであるけますと訴えてもその人は下ろしてくれない。
 あや。その人は立ち上がって、屋敷の方へ声を投げた。阿弥、って母様の名前。すると母様が屋敷から顔を出して手を振っている。娘が池に落ちそうになったというのに暢気なものだと、毛尾のひとは苦笑いで母様の方を見ている。無理もない。私は足が悪いけど、母様は目が悪いのだ、私が池に落ちそうになったことなんて見えていなかったに違いない。でも、だから心配をかけなくてすんで、よかった。こうしてこんな素敵な人が、助けてくれたんだもん。
 私の体はまだ小さくて、大人の人に比べれば全然軽い。それでもそれなりの荷物であるに違いないはずだし、母様は私を抱き上げるのでも結構大変そうにしているのに、その人は私を背負ったまますたすたと歩き始める。
 お顔は綺麗な人だったのに、とっても力持ち。私を背負っても重さなんか感じてないみたい。私は、おんぶされながら頭上に見える、その人の頭に生えた立派な角を触る。ごつごつしているけど、不思議と温もりがあった。幾重にも硬質の層が重なった様が、その角が幾星霜かの歴史を刻むものなのだと訴えている。そのひとのおんぶはとても安定していて、両方の手を離して自由に使っても平気。私はその角の感触が気に入ってしまい、ぺたぺた何度も触ってしまう。
 こそばゆいなと、その人は笑う。はたと、私も名も知らぬ人に随分な(すでに負ぶられている時点で何だという気もするが)態度をしてしまったことに気付いて、ごめんなさいと手を離す。だがその人はいいんだいいんだと笑ったように言い、すたすたとお屋敷の方へ。母様の姿も次第に大きくなってくる。
 おかえり。お屋敷につくと母様が笑っていた。ただいまもどりましたのお返事。
 角が生えた獣と人間の間のような不思議な人は、杖をくれた上で私を母様の前に送り出す。手を出す母様の腕の中に滑り込むと、おんなじ温かさだった。
 角と牙ととんがった耳と尻尾があって、力持ちの人。それに、母様の腕の中と同じ温かさ。おんぶしてもらった背中は広くって、なんだかとても安心した。もしかして、この人が。

 ……あの方が、父様?

 私は母様にこっそり聞く。母様は笑って立ち上がり、その人へ向けて声をかける。

 パパ。

 角を生やした人は、角と同じように尻尾をぴいんと立てて、驚いたような顔をする。阿弥?そうなのか?さっきまでのあの頼もしい様子は一転、慌てふためいた声とうろたえた表情で、母様を見ている。

 やっぱり!

 私が、母様の方を見ると……母様は大笑いして、ちがうちがうと否定した。冗談よ。
 ちがうのかあ。頼もしいし、力持ちだし、こんな女性が父様ならよかったのになあ。
 私は少しだけ残念に思ったが、その人はまるで恐ろしい何かから解放されたみたいな顔。冗談はやめてくれ、阿弥。酷く狼狽した様子のその人に向けて、母様は笑いながら私を抱き寄せて、その人へ言う。
 私は一度だって白沢様に抱いて貰っていないじゃないですか。何をそんなにお慌てになるのです?

 はくたくさま!?

 母様は確かにそう仰った。この方が、白沢様だと。稗田の女が仕えるべき主、白沢様。母様のお仕事って、白沢様のお手伝いだったんだ!
 私は改めて白沢様のお姿を見る。女性の姿をしていると、思っていなかった。立派な角と鬣の如き尻尾は威厳に満ちている。お顔立ちはさっき随分見つめてしまったけれどやっぱり端整で凛々しい。
 はくたくさま。思わずその名前が口をついた。白沢様はしゃがみ込んで私の顔を覗き込み、なんだい、と頭を撫でてくれる。大きくて温かい手。ほんとうに、父様ならよかったのに。でも白沢様だったなら、もっとよかった。
 阿求ったらいっちょまえに色目なんか使って。母様が言う。ちちちちちがいますよ!白沢様に、そのような失礼なこと!私が否定すると母様は白沢様に向けて、いつまでこの子に尊敬されたままでいられるでしょうか、と笑う。
 白沢様が弱り顔で勘弁してくれと母様を見ると、しかし母様はけらけらと笑っていた。







 ひとつ退いた視線から見て、奉仕種族、という種のあり方は特段珍しいものではない。

 この世界で知らぬ者はいない博麗も、八雲という超越的存在の奉仕種族として作られたものだし、死神も閻魔に対する奉仕種族であるし、河童や天狗も元は別の神格によって生み出された種なのだ。奉仕種族は主たる存在に畏敬を払い、それに服従を強いられた種族であるが、その度合いは主の裁量による。厳密な主従を定める場合もあれば、虫けら扱いや、存在を黙殺する主もいるし、逆に表面上平等の立場を認める主もいる。
 発生も、それぞれ異なる。意図的に隷従目的で作り出す場合、何かの副産物として偶然生み出される場合、歴史的経緯で奉仕を誓う場合もあるし、既存の存在を奉仕種族とする場合もある。

 同様に、私達稗田という奉仕種族は白沢様が純血のハクタクではないことと関係が深いのだという。

 私は、自分の父親のことを知らない。稗田の娘は代々家の外の男と交わりだけをもち、私生児として子を育てる。家の外の男、というのはいつもその素性は知らされない。里の男から一人が選ばれ、選ばれた者はそれを他言することなく墓場まで持って行くことが義務、と言うことになっている。稗田の父、という存在は決して歴史に現れない。
 稗田の家に男手は、無いか僅かに黒田のような召使いがいるばかり。私が父の顔を知らぬのと、白沢様が自らの出生を詳しく知らぬことが、私には無関係には思えなかった。







 それは音にとてもよく似ていた。
 よくよく正確に注意深く塞がなければ、僅かな隙間にも拘わらずするりと入り込んでその存在を知らしめる。水と違うのは明確な意味を持って私に迫るところであり、光と違うのはその振幅を容易に打ち消せぬところであった。言葉と違うのは能動的な意志を失った記号の形骸であるところで、炎と違うのは私を罰しては呉れぬところだった。
 塞ぎ難く、防ぎ難く、深く、不可視。
 私はずっと、必死に耳を塞ぎ、それが聞こえぬように努めていた。
 けれどもそれは、よくよく正確に注意深く塞がなければ、僅かな隙間にも拘わらずするりと入り込んでその存在を知らしめて来るのだ。
 だから、それは音にとてもよく似ていた。
 聞こえてしまうなら塗り潰してしまえばよいと気付いたときには、私はそれを即座に実行していた。
 不快。
 そうそれは、紛れもない不快感だった。
 それをそう表することに、恐らくほとんどの人は反感を示し、私を非難することだろう。だがそれは確かに、音にとてもよく似た姿で私を責め立てるのだ。ざりざりと私を削り取り、奥深くまで入り込んでから、すっかりと抉り取る。麻酔はない。後ろめたさはある。憐憫もあるし自責の念もある。だがそれを上回るのは、真黒く腐敗液然とした、ぬらつく不快感なのだ。
 両手で耳を塞いでもそれは響くように入り込んでくる。耳に、頭に、胸の真ん中に。吐き出そうとしても返しが利いた針のように引っかかり、幾度胸の辺りを切り開いてどろどろと蟠る血液と共に吐き出そうと思ったかももはや知れない。
 塞ぎ切れぬから、追い流し、塗り潰し、忘れ去ろうとして今、私はがむしゃらに、他のなにものにも目を呉れずに、只管、ただ只管、雑音を求めている。意味などなくていい。感情など持てずともよい。温暖みも感触も、何も要らない。ただあの不快感を洗い流し続けてくれるだけの雑音を求めて、私は闇雲に、それをした。
 不快感というのはもっとも原始的で未分化な負の感覚である。1か0かで言えば、1。onかoffかでいえば、on。有か無かでいえば、有。意味か無意味かで言えば、意味。世界の全てを大雑把に二つに分けて、感じる方が、不快感なのだ。
 何故か?快こそを求める有情の者が不快に意味を持たせようかと思うだろうが、脳の本来を問うて見ればそれは明瞭すぎるほどにくっきりと現れる。痛みにせよ、恐怖にせよ、不快を認識しそれに見合った回避を得たのが、高等精神の根元である。快はその、背理でしかないのだ。
 私は今、そう言う原始的な(いわば愚かな、下等な)状態にある。思考を停止し、感覚を麻痺させ、精神を退行させてまで、その正体から目を逸らし、雑音に埋もれることを選んで生きている。
 ヘッドフォンという道具がある。
 以前、このような宵紛いの暗い底に至る以前だ、彼女と訪れた香霖堂でそれを見たときには感じなかった。あの様な無粋な道具を使わず、蓄音機なりなんなりを使った方が余程趣もあろうと感じた。音を聞かぬために他の音を流し、忌避する音を押し出し消すのに丁度いいのだという店主の言葉は、右耳から左耳へ追い出された。当時、私はこうした暗闇に没する危機感を識ってはいたが、恐らく感じてはいなかったのだ。
 だが今ならわかる。ヘッドフォンの悪い使い方が、如何に心地よいことか。不快を回避するに、合理性に富んだこの道具を私は今手放せないでいる。それにしても、これほどに仄やいだ程度の音を消し去るのに、斯くも雑大な音を要するのか。音に酷似したそれを音にて祓うのに、これが今までで最も効果的であるにも拘わらず、これほどに、私は――








 只今戻りました、と建て付け悪げに歪んだ木枠の戸に力をいっぱい込めてそれを閉じながら言うと、帰りを告げた声の木霊の代わりに抑えめな足音が近付いてくる。姿を現したのは、黒のスーツと糊の利いたシャツに身を包んだ大柄な男、これほどに厳つければいかに正装とは言え蝶ネクタイは多分に滑稽である。男は玄関にいる私を認めると膝を折り指を突いて頭を下げた。

 男――黒田――は、私の母様の代からこの稗田家に仕える召使い。彼は私を出迎え、手に持った荷物を見て、このような買い物は自分の役目であるといって私を労ったが、私はそれに対して気持ちだけ貰っておくと応えた。お願いするのは、調子の悪いときに取っておく。

 買ってきたのは余り見かけない真っ赤でつやつやの、珍妙な野菜。表面の光沢はほおずきの実に似ているがより鮮烈な赤色、それにある種の果物のように柔らかな肉は、最近とみに新しいものを見かけるようになった幻想郷でも奇異なものだ。でも私は、以前に冷やしたこれにいっぱいの砂糖を振りかけて食べて以来、いたく気に入っていた。名を、とまと、というらしい。
 あそこの妖怪八百屋は無愛想だけど品物に間違いはありません、井戸水に晒して、頂きましょう。きっと美味しいですよ。そう言うと黒田は御意にと畏まってそれを受け取った。
 私は杖を突いて靴を脱ぎ廊下へ踏み出す。手を貸そうとする黒田を制し、大丈夫だからとまとの用意をして頂戴。黒田は心配そうに井戸の方へ向かう。その背中に、黒田の分はきちんと取っておいてねと加えた。
 脚の悪い私が、自分でやろうとすることを、黒田はいつも心配そうにしながらもそれを尊重してくれていた。

 わざわざとまとなんかを買ってきてみたりして、出かけてみたのは、何より今日は天気もさることながら、脚の調子がよくて街に出てみたくなったからだった。予め、あの方を呼びだしてしまって。
 脚の痺れと痛みは、今日はずっと穏やかだった。きっと、毎日のお勤めの甲斐あって呪が段々解れてきているのだ。動かない右足を庇うように杖を突き、靴を脱いで廊下に出る。

 古い廊下。玄関口がそうであるように、廊下全体もようよう直線を失いかけている。まっつぐに見えて大きく緩く不均等にくねり、無意識下で平衡感覚を奪おうと意識に食指を伸ばしてくる。
 この身を呪い宿命を恨んだことなどはないが、それはこの家の女に生まれた誰もがそうだったとは限らない。全てを見知り憶え尽くしながらも、何者かから隠蔽するようにその全てを書き残さず、主に従い歪んだ歴史をも著す、そうまでしても報われずに記録に喰い潰され早死にする稗田の定めならば、この出生をその家督を、呪った先祖もあっただろう。
 この歪んだ廊下はそうした思念を溜込んだ妖怪屋敷の喉元なのかも知れなかった。壁には代々の先祖達が恨みめいた口を開けた頭蓋を塗り込められ、床下には記されず葬られ歴史へ進化できずに死に絶えた事実達が怨嗟を漏らしながら埋め立てられているに違いがない。だからこそ、このように薄気味悪い廊下に仕上がっているのだ。
 廊下だけではない、この屋敷は呪われている。稗田という家が勃興した由来とその宿命から逃れられなかった、歴史に残されているだけでも私以外に八人いるこの家の女は、きっとこの屋敷を、自分を宿命の影響下に縛り付ける釘か何かに見立てていたに違いない。その証に、この家のどこであっても誰もが妙な雰囲気を感じて長居を拒むし、黒田も寝泊まりは別館(土蔵を改造したものらしいが、いつからそうなっているのかはわからない)でしている。

 但しそれは、稗田の者と、白沢様以外。稗田の女――阿礼乙女、と呼ばれている――と、白沢様は、この家のどこにいても、そう言った不快感を感じることはない。それは、その不快感の原因が、稗田の血か、あるいは白沢様ご自身にあることを示していた。
 もう一つ付け加えるなら、私に限っては、それは"この家のどこにも"というのは当てはまらなかった。家の一角、とある場所では私は、強烈な嫌悪感に襲われるのだ。

 廊下を進んだ行き止まりを右に向かって現れる扉は、母様の部屋だ。屋敷と宿命を恨み続けたのは、母様もその例には漏れない。――私の記憶の中、その深層を探ると稀に顔を出す、幸せそうな母様のお顔は、まるで嘘だったかのように――母様は今は気が触れてしまい、口を利くこともなく一日中あの部屋の中をぐるぐるぐると歩き回りながら、日がな一日を過ごしている。何かに追い立てられるように常に反時計回りに、四角い部屋を歩き続けている。
 あの姿が、稗田の女の歴史なのだ。そしていずれ、私もそうなるのだろう。
 恐怖がないと言えば嘘になるが、だが私は、母様のあの様な姿を唾棄すべき忌まわしい呪の果て、とは思わない。

 その呪の源が愛おしい人なのだと言えば、私の愚かさも幾許か伝わるであろうか。

 私は、愚かなのは、幸せなことなのだと、歴史を紐解き記し続ける身になればこそ、思うのだ。知ることも求めることも、渇きがあるからこそ。知ろうと思わぬも求めようと思わぬも、生半可な無知ではなく、愚かさがこそもたらす最短の"苦"の克服なのだろうと。
 歴史という情報集合の冷徹に過ぎる様は、そこに情けや想いを求めるに無理なことだと常々思うのだ。
 だから私は、あの方を愛することをやめない。たといそれが私を縛り付け殺し腐らせる元凶なのだと"しっていて"も。たといそれを自然の長さと人の短さがそのあわいを隔てる壁であると"わかってい"ても。
 それは、私と、私以外の全ての者の間にあり、如何とも打ち壊し難い、それこそが世界のあり方なのだと、私は知っていた。
 あの方との間にも、それは確かに、存在している。







 晴れた日と雨の日に対して、どちらの方がその日悲しい、あるいは幸せな気分でいることが、はたして多いだろう。晴れの日は気分が好くて雨の日は悪いという謂われは、何故なのだろう。
 私はそれを一字一句間違えずに記憶し、他のいかなる事象とも同じように記嚢に蓄えることが出来る。だから天気と気分の関係性と迷信について、私にはこれを検証する術があるのだが、それをしたところで人の幸福量が増加するわけでもない。それに世の中には未解決のまま疑いを向けず、解明に乗り出さない方が幸せなことは沢山ある。他人に白黒つけられ、誰かのしいた境界に弄ばれるのがこの世界の残酷であるのは、現実、歴史の帰納によって得られるのが、どこまでもただ漸近で白にも黒にも塗りつぶせず境界の存在しないグラデーションであることを示しているのと、強いられるその二様が不一致だからに他ならない。
 私は旧い存在だが、そう言ったこの世界の仕組みに対しては傍観者でしかない。それが卑怯と映るのであればむしろ私と見解が合致するところだが、かなしいかな、それが私達ハクタクという存在の、付け加えるなれば、この世界での立場。
 私にはどうすることも出来ない。それに、どうすべきかもわからない。私は情報というものをかき集めて消化する世界の器官ではあるが、それ以上ではない。考えても、詮無きことであった。

 今日の天気は垂れ込める雲の鈍色だった。








 じゃまするよ、と玄関先から声が聞こえた。
 粗末なわけではない、だが手入れの薄い上質とはかように本末転倒。取手は手垢で黒く沈み、快く滑るでもなくざりざりと耳障りな音を立てて、その扉はようやくに隙間を開くのだ。
 丁度とまとの準備が出来た頃合いに訪れた、愛しい人の声。
 黒田が立ち上がろうとする私を制して座らせてから、玄関先へ迎えに出て行った。

 黒田は玄関にいるあの方の姿を認めるとそれを丁重に中へ招き入れる。火急の用だなんて言って呼び出して、あの方は怒るだろうか。いいや、少しだけむすっとした顔を見せてから、すぐに優しいお顔に戻るに違いない。そのたまに見せる子供のような不機嫌な顔が、すぐに包み込むおおらかさに変わるのが、あの方の可愛いところだった。
 こんな風に好きな人に構って貰おうとする自分が一番、子供なのだろう。それもまた、いいかなと思う。

 客間に通された白沢様は、テーブルの上に瑞々しく並ぶ冷やしとまとと私の満足そうな表情を見て、狐に摘ままれたような表情。
 急いで来て頂かないと折角のとまとが台無しですから。私は白沢様を席へと促し、とまとと麦茶を勧める。

 白沢様は、またやられたか、と私が思った通りに表情を変えてくれて、見ている私もまた自分自身が思った通りに笑ってしまう。白沢様は落ち着きを取り戻すように席に座り直して、私がすすめるままに妖怪八百屋の珍しい野菜を口に運んだ。
 真っ赤で甘い不思議な野菜を、白沢様も食べたことがないらしく、これは不思議な、と感心したように頬張っている。お砂糖と、好く合うでしょう?添えられた麦茶はとまとと同じように心地よく冷たい井戸水で淹れたもの。
 白沢様ってば、あんなお姿なのに苦いものがお嫌いだからって、子供のように麦茶には砂糖をご所望になるのだから、可愛らしい。まあ砂糖麦茶は私もよく飲むが、年を取るにつれて何となく普通の麦茶になってしまうと聞いていたのだけれど。

 白沢様が箸でとまとを食べる様子を、私は脳裏に刻みつけるようにしっかりと、でもぼんやりとその緩い時間に針を設けないように見つめる。白沢様の大きくて長い指は私のまあるっこい手とは対照的。綺麗、であると同時に、かっこういい形をしていた。それが二本の棒に絡み付き、器用に操って血のように真っ赤な野菜を口へ運ぶ様は、なんだか不思議な魔法の光景を見ているようだ。
 深皿にとまとと、それを冷やしていた井戸水、残った砂糖。皿底の柄。踊る箸と手。あまり一点を見るのも変だろうかと、とまと、さら、て、おかお、て、おかお、とまと、おかお、さら、おかお、て、とまと、おかお、と視線を揺らしてもやっぱりいつの間にか白沢様のお顔を見てしまっていて、気がつくと白沢様が、食べづらいなあ、と苦笑いしていた。
 すみません、と私も慌ててとまとをつっつく。なんだか今日のとまとはいつもより熟しているような気がした。

 白沢様は可愛い。凛々しくて頼もしくて、おっきくてあったかくて、とまとの砂糖和えを砂糖麦茶で食べるくらいにはお茶目で可愛い。
 そんな白沢様を、私は愛おしく思ってはいた。
 そんな白沢様に、私は恋をしてはいた。
 だがそれを明確に言葉にすることは、避けている。
 白沢様から見れば私は、従者の一人でしかない。種族さえ違う。私から見れば、白沢様は、アマテラス女神や、タケミナカタ神と等しい、神様だ。正確には神様ではないのだけれど。稗田の血統は、正確には一血統一種族の人間の亜種、ハクタクと呼ばれる旧き存在に仕える奉仕種族なのだから。

 砂糖とまとをすっかりと平らげ、私はそのままの、白沢様は砂糖入りの、麦茶を傾けている。一息ついてから私は、黒田を呼ぶ。私が大きくもない声で彼を呼ぶと、黒田はしかしほとんどの場合それを敏感に聞きつけ、やってきてくれた。傅いている彼に、私は書き溜めた歴史書を持ってくるように頼む。
 彼もまた、広義で言えば私と同じく白沢様に仕える立場なのだが、何故彼が稗田に仕えているのかはよくわからない。お仕事なのだからお給金は払っているが、母様の頃からの継続ということだし、私はこの右足のこともあって、お勤めを続けて貰うことに異議などなく、続けて貰っていた。
 やがてその彼の手で運ばれて来たのは、三巻分の史片。私はそれを白沢様に差し出した。

 それに関わるとき、私と白沢様の間には強固な壁が生まれる。先ほどまで笑いながらとまとをいっしょに突っついていたとしても、"歴史"に関わる時間は、私と白沢様の間にくっきりと、その姿が現れる。それを越えることも壊すことも、出来ない。
 身分の違い、という話ではない。白沢様と稗田の間に横たわり続ける関係性は、私に対する寛容な扱いからもわかるように、主従のそれが本質ではないのだ。
 聡明な方だ、私のことなどまるっとお見通しなのだろうけれど、それでも尚敢えて言葉に直し、改めて伝えないということは、大きな抑止力になっているようで、白沢様もまた私の扱いに少し困っているようなところがある。それが計算通りだ、と言えば聞こえは悪いかも知れない、私のような小娘が生意気にとなるかも知れない。それでも、私には私なりに、その先に進むことが出来ない想いがあるのだ。

 白沢様を、お慕いしている。
 そのことを口にだけは絶対、出すべきではないのだ。







 白沢様には、無理矢理にであれば時間と情報が雑然と混濁したものを、そのまま喰らう顎がある。誰もいなく何もないのなら、白沢様の顎はそうした無加工の情報を呑み込むことになろうが、稗田はそうした白沢様の奉仕者であり、無加工では旨味のないのだという情報を食べやすい歴史へと調整する分解者であって、虫やバクテリアなどと精々同じ程度の存在なのだ。
 ここひとつきの記録です、と言い足す。
 この史片は所謂日記ではない、れっきとした歴史である。些末なれど歴史として時空にたゆたうその記号片は私の拡張された各感覚器へ侵入し、知り得る以上に識るを植え付け加えてその出力を強いる。白沢様の奉仕種族であるとはいえ稗田はその実、人間に満たない小さな種族である。その器に過負荷な能力を、白沢様にお借りしているに過ぎないのだ。しかし。拡張された感覚、越権を許された記憶プロセスは、我等阿礼乙女に身体障害と短い寿命を課している。

 阿礼乙女は、早くに子をもうけ、子育てはせず30を待たずに老衰して死ぬ。老いと崩壊は体にまつわる機能に先んじて、精神を司る領域への侵食としてその症状を現すのだという。母様を見れば、それは確かなのだろうと思えた。
 白沢様の呪い。
 私達稗田が奉仕種族であるのは、この夭逝を運命づけられた生を逃れるためのもので、歴史を記し白沢様へ捧げるのは供儀であり、わずかな時間で刈り取られる命は白沢様への生贄なのだ。

 最近脚が軽くなった気がすると白沢様に報告する。このとまとも自分の脚で買いに行ったものだ。白沢様の呪いがそう易々解ける呪いではないことをは、承知している。とまとを買いに行ったという妖怪八百屋は、ここからでは遠いと言うほどではないが目と鼻の先というわけでもない。右脚を庇い杖を突いて道を行くのは一苦労ではあったが、少し前にはこんな買い物に出ることも出来なかったと思う。
 阿礼乙女を蝕む呪は、歴史を吐き出すことでほんの僅かずつ解呪されると、白沢様は仰った。呪は個ではなく血にかかり、稗田の血は脈々と連なる不思議な女系血統を為していた。時間と事実を取り込み白沢様に代わって歴史の素描を行うことは、白沢様の呪であると同時にその治療法で、そして書かねばすぐに死が追いつくのだ。
 白沢様によれば、解呪まで1000年は下らないという。私はまだ、9代目だった。
 でも、私が沢山書けば、私の子孫は早く幸せになれるんだもの。納品した3本以外にすでに手付きの一巻きを広げながら言う。
 私を見る白沢様の表情は、いつかの空のように晴れでも雨でもなく、灰色の曇りだった。







 白沢様は、母様の様子を見るといって立ち上がった。
 白沢様を前にするときの晴れやかな気分は瞬時に暗転し、粘つくタールの黒質へ。母の存在を思うだけで、今の私の中には泥濘する感情が生まれる。

――恐怖――

 私は先代阿礼乙女である阿弥、つまり母様が、恐ろしくて仕方がないのだ。幼い頃からの教育や、仲の悪さ、ではない。母様は今、そう言った水準ではかれる状態にはない。そうなってしまう前の母様を、私は大好きでいつも後ろを追いかけて歩いていたというのにだ。
 初めて白沢様とお会いしたときの記憶は、母様の元気な記憶と時期を同じくする。白沢様は変わらず今も目の前にいらっしゃって、私もそれを覚えていて変わっていないというのに、でも母様だけはまるで違ってしまっているのだ。
 私(阿礼乙女)には、生まれて以来一切の記憶が備わっていて、然るに、”物心ついて”という普通の人間の表現が当てはまらない。阿礼乙女は、生まれた瞬間以来目にしたもの一切全てを記憶しており、その記憶をインデックスするために、生まれてすぐから自我を自覚している。”記憶にない幼少期”というものがないのだ。それは今もずっと変わらず統一的に継続される絶対的なものとして、私の根元になっている。
 むしろ、忘れるという現象が発生する普通の人間というものが、自分という存在をどのように裏付け自覚しながら生きているものなのか、私には想像が付かない。だって、忘れてしまっているかもしれないのだ。何か大切なものを、もしかしたら、自我が切り替わってしまったその瞬間を、自分だと思っていない自分が自分だった昔のことを、記憶にないついぞ忘れてしまった先程の一瞬、自分ではない別の自我が入り込んでいたかもしれないことを、もしかしたら忘れてしまっているのかもしれないのだ。

 だから、母様の変貌というものが、私には空恐ろしいものにしか思えない。誤解を恐れずに言うのであれば、同じ生き物だとは、思えなかった。あんなに大好きだったのに、母様も阿礼乙女であるというのに、どうして?その未知もまた、母様への恐怖を増長するものだったかもしれない。

 白沢様がお会いになるというのだから、私が供をしないわけにはいかない。黒田が先を促し私が白沢様を連れて"あの部屋"へと向かう。
 歪んだ廊下、奥まったその向こうにある、鍵のない密室。黒田が食事を給するとき以外この扉は開かれず、白沢様が望まぬ限り私はその部屋へ近付くこともない。それでも、日々この部屋の存在は私の隣にあって、意識の中から消えることはない。

――あ、あ、あ、あ

 壁を抜けて声が、聞こえてきた。声?それは意味を持たぬ以上、音と称した方が適切かも知れない。断続される、無味な音は、母様の発するものだ。
 阿弥様、白沢様がいらっしゃっております。黒田が扉へ向かってそう言うが、その中からは癲狂じみた呻り声が繰り返されているだけで返事らしい返事はない。白沢様が失礼するよと扉を開けた。

 真四角に区切られた部屋の中を、心の臓が脈打つのよりも鈍いはやさで、脚を引き擦るように歩く人影。あれが、母様だ。あ、あ、と何か吃音のような声を漏らしながら、正方形の部屋を一日中壁伝いに決まって反時計回りに歩き続ける。それは確かに生きているようだったが、足取りはまるで焼身自殺を図り燃え上がりながら息絶え行く人間のようで、声は一切の言語を忘れた白痴。
 母様は、気狂えてしまったのだ、稗田の女がひとり残らずそうであるように、母もまた壊れてしまったのだ。もう私のこともわからないし、自分が何者なのかもわかってはいないだろう。そも、自我、というものが存在しているのかも怪しい。一度みたものを決して忘れないという能力故に、統一的な自我が継続して存在している筈の阿礼乙女が、しかしああして終わりを迎えるという事実が、私には恐ろしかった。いったい何が起こってそうなるのか、白沢様にお尋ねするわけにもいかないし、実は白沢様もよく分かっていないだろうことは、繰り返された歴史や、短い私の生の中で成されたいくつかのことから予想が付くのだ。

 母様の部屋の四方の壁は本棚によって埋め尽くされている。母様はそれ伝いに歩きたがるため、家具は全て部屋の中央に寄せてあった。窓は天井にだけ設けられていて一応光を取り入れている。部屋を正方形にしたのは、母様の何かがそれを求めていたからだ。正方形以外に区切られた部屋に入ると、金切り声を上げて暴れるのだ。それが知れなかった母様よりも前の代の当主は、こうなると名を伏せて癲狂院に閉じこめられ、奇声奇行を繰り返して暴れ回り衰弱死するまで幽閉されたそうだが、今はそれが自宅になった。稗田という奇族がそれを伏せて世間に溶け込むには、白沢様がお気付きになった"正方形"は、確かに都合のいい発見だったが、根本的には何も変わっていなかった。
 白沢様は、一族の壊れた者に対しても非常に慈悲深く接する。人の身に姿を窶して癲狂院に面会に行ったほどだという。ただの使い捨ての隷従者に、一体何の情けをおかけになるのだろうか。

 白沢様は部屋の外周をひたひたと歩き回る母様の姿を、中央に置かれた椅子に腰掛けて目で追いながら、何事か言葉をかけている。黒田は部屋の中、入り口付近に立ちその様子を見ている。私は「先代と白沢様がいらっしゃる部屋に立ち入る失礼」に当たらぬことを装い、部屋の前で平伏したままそれを見るのを避けていた。
 まるで壊れた絡繰人形のように不安定に部屋を歩き回り、掠れた声で呻き続けるだけの、昔大好きだった人と同じ形をした、何か。それではない、こんなものではなかったはずだ。母様。贋者じみたそれを見ていると単にそれが贋者である以上の言いようのない恐怖心が渦巻くのは、まさしくそれが壊れた本物であるからに違いなかった。

 今日は顔色が良いじゃないか。黒田の飯をちゃんと食べているようで、何よりだ。
 白沢様は決定的に歪み壊れ人間を辞めさせられたそれに対して、にこやかに話しかけている。会話が成立しているようには、とても見えない。何も返答のないままへやを歩き回り続ける糸切れパペットに、全く自然な様子で言葉をかけ続ける白沢様もまた、その異様に取り込まれてしまったかのように見える。だって、相手はいわば魂を欠いた肉、機能だけを持ち制御を失った木偶。それに向けてああも言葉を投げ続けるもまた狂気じみているとは思わないか。

――阿求――

 名を呼ばれて、私は飛び上がるほど驚いた。それは、霞がかった記憶の向こうに幽かに見える、母様の優しい声に聞こえたからだ。だが名を呼んだのは、白沢様だった。
 はい。私は答え、部屋に入らず入り口辺りに立って白沢様に向いて頭を垂れる。白沢様は、少しだけ苦い顔をしてから私に席を外すよう仰った。私は失礼とわかっていながらも逃げるように自分の書斎へ駆け込む。

――阿求――

 またも私を呼ぶ声が聞こえたが、私は気付かない振りをして廊下を下った。はて、今私の名前を呼んだあの声は、白沢様だっただろうか。声が違うように思えた。黒田は私をお嬢様と呼ぶし、母様はすでに言語を失っている。
 考えるのはよそう。母様のことを考えると、決まっていつでも色々のバランスを崩す。体調であったり、気分であったり、運勢でもあったり。大好きだったはずなのに、ああも変わって――壊れて――しまったのを、私は"もし"であるとか"でも"あるいは"やはり"と考えたことはない。もっと単純で客観的、冷徹で残酷にしか、それを捉えることが出来なくなっていた。

 不快

 それは、自らの母親に、少し前まで(歴史というものを扱う身であればそれは刹那の瞬きにも等しい)大好きだった母へ向ける感情として、余りにも、余りにも、憺酷であろう。だがはっきりと体感している。そばに寄れば姿を見れば、それを思えば声を聞けば、理由もなければ回避もない、ただただ一色に塗り潰された嫌悪感だけが、胃の底を拈り上げてくるのだ。

――あきゅう――
――あきゅう――
――あきゅう――
――あきゅう――

 屋敷自体は大きく短い訳でもない廊下は、足の悪い私にはそれなりの距離だ。それを差し置いたとしても、何か正体不明のものに追われるように行くならば、果たしてこの板張りの道行きが短いと思えようか。壁が、床が、天井が、梁が、柱が、私の名を嗟している。残響する私の名が、私を逃がすまいと取り囲みとらまえてくる。声は縛る鎖、声は繋ぐ枷、声は掴む腕となって私の脚を絡め止めようとする。まるでこの廊下が時間と歴史そのもので、お前はこれ以上進めない、ここで手折れるのだと説き伏せるように。

 ぐにゃり

 もとより緩くくねっていた廊下が、その姿を激しく歪ませる。渦をかくように直線を失い、平衡という概念が失われたよう。耳鳴りのように私を呼ぶのは、壁と床に埋まり塗り込められた歴史、代々壊れ狂い死んでいった稗田の女達だ。その最奥で母様が顔中を口にして私を叫び、そのそばには白沢様が寄り添っている。

 やめろ
 やめろ!やめろ!
 やめろ!やめろ!やめろ!やめろ!
 私はこの血を怨んでなどいない!この宿命を呪ってなどいない!
 お前達とは違う、母様とは、違う!!

 ぐるぐるぐる天井が回り、床が脈打ち、前というものがわからなくなる。廊下を下るだけのまっすぐが、蛇の如くうねった道へ変わっていた。

 私はこの生を受け入れている。私はこの身を好いている。私は稗田の血を喜んでいるし、私は歴史を作り上げていく勤めを誉れに思う。私はご先祖様を誇りに思っているし、白沢様を愛している!

 白沢様と体を重ねる、肉欲に悦び咽ぶ記憶が頭の中を渦巻いている。そう。私は後ろから追いかけ髪を掴み、転ばせて陥れようとする腕――それは恐怖という言葉でしか輪郭をなぞることが出来ない――を振り払うために、それを愛したのだ。

 亡者ども、お前達は贋者だ。私を堕落させようとする誘惑の蛇だ。私に触れるな、私を、迷わせるな!!

 私は耳を塞いで逃げるが如くに自分の書斎へ転がり込む。動きの悪い右脚を、倒れ込んで転がる体と腕で何とか廊下から引きずり込み、襖を閉めた。襖を、まだあの声が叩いている。心許ない薄い仕切を見る。音(うで)は遮られ、聞こえはするが入り込んでは来ないようだった。
 深々息を吐き出し見やった床は、まさしく平らだった。柱は垂直に立ち上がり、壁は整然と部屋の面を刻んでいる。天井は正しくこの空間に蓋をし、全ての直線と平面はその尊厳を取り戻していた。直線であることが、こんなにも、安心感があるなんて。もしかして、母様が正方形の部屋で落ち着きを取り戻すことと関係があるのかも知れない。
 息が荒い。心臓が縮み上がって細かく血液を送り出している。貧血にもにた朦朧、恐怖に炙られた胃が痛みと吐き気を同時に訴えている。矮た右脚は少しだって動かせそうになくて、私は両腕で這いずって部屋の中央まで行き、いつも歴史を記す座椅子と机に、なだれるように座る。

 書き掛けの、史片。紙面はまだ、数行を書き込んだばかりだったはずだ。私は座椅子に腰を落とし体を放り投げるように背もたれに体重を預けた。ふと、史片をみると、書いた記憶のない文字が、並んでいる。びっしりと、自分では決して書かない細かい文字は、まるで紙魚がびっしりと張り付いているよう。
 目を見張った。その紙には確かにほとんど文字を書き込んでいなかったはずなのに。びっしりと、遠目にでは判読できない文字が、密集している。私は顔を寄せてそれを見た。








助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて殺けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて呪けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて






 っ!

 突然舞い込んできた文字列と意味と、その言霊に、恐怖して紙を机から払いのける。硯に墨液は入っていなかったが、筆と硯と文鎮、墨が机上から崩れ落ちる。

 そうしてめくれ落ち裏返った巻物の向こう側へ、大量の黒い群がざわざわと散っていくのが見えた。地虫の群が散るように、黒い蠢きは扇状に霧散する。
 あれは、文字だっただろうか、虫だっただろうか。恐る恐る巻物をめくり返してみると、私が書いたままの姿の紙面が見えただけだった。

 呼吸は未だに痙攣のような小刻み。恐怖と緊張は去ってもその残滓は首筋辺りにこびり付いてしばらく離れそうにない。
 歴史と稗田の血が、私を襲い呑み込もうとしている。その恐怖が壊れた母様への嫌悪感を生みだし、日々の狂気じみた不安感を植え付けてくる。
 そんなことはない。母様だって、昔は聡明な方だった。怖がるべきものなど何もないはずだと、わかっているのに。母様が白沢様と笑いながら話していたのを幼い頃の記憶として憶えている。黒田だってそれを憶えているから、今もああして甲斐甲斐しく世話をするのだろう。歴史に焼かれて狂い死んだご先祖様も、歴史と宿命との付き合い方を間違えたから、惨めな終わりを遂げただけなのだ。

 私は白沢様を愛している。私は白沢様を愛している。私は白沢様を愛している。私は白沢様を愛している。私は白沢様を愛している。私は白沢様を愛している。
 私は、白沢様を愛している!

 宿命も、務めも、全てを包含して、今の生を愛している。不満はない。

 そう自分に言い聞かせていた。
 白沢様をお慕いする気持ちに嘘はない。だが、そうした理由は、白沢様を後一歩寄せ付けない、また私からも一歩退いてしまう関係の所以であった。
 恐怖が、狂った母に向けられたものなのか、稗田の宿命へ向けられたものなのか、それとも白沢様に向いたものなのか、自分でもわからなくなっていた。
 自ら払いのけてしまった机の上に、今度は自分が突っ伏す。

 はくたくさま

 机の上で、腕に覆い隠されるようにして漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。心臓はまだばくばくと強拍し、右脚はじんじんと茨で締め付けるような痛みを発している。

 宿命に縛られ、生まれたときから弱り切った心身を、支えるのはいっそその源泉である白沢様への、愛おしい感情なのだった。白沢様が下さるものなら、呪いであっても飲み込み愛すと、そう疑いもなく白沢様へ心をそっくり譲り渡したはずなのに、ここのところ稀に先のような罅が、姿を現すことがあった。

 何にか、恐れを抱いている。
 何にであっても、構わない。
 ただ、忘れてはいけないものが、ひとつだけ。

 私は、白沢様がだいすきだということ。

 私は小さすぎて弱すぎて。私ももう20年と待たずに死んでしまうのだろう。強くなりたい。体も、そして心も。せめて白沢様に毎日お料理を作って上げられるように。大人の女性に成長するまで生きることが出来たら、寺子屋で子供達に手習いや算術を教えてお帰りになるのをご飯を作ってお迎えして、二人で夜を過ごして……子供は二人、男の子と女の子が欲しい。

 想像して、机に突っ伏す顔を今度は完全に腕の中に隠してしまう。顔が、熱い。さっきとは違う鼓動が上塗りされる。足の痛みはおさまっていないが、それ以上に胸が痛かった。

 そうはいくまいと知れている、儚い夢。まるでそれ自体が嘘のようで、私の胸の中にある限りは重く大きく、そして少し痛いものであるのに、口から吐き出した途端ガスのように軽薄で無色の下らないものに見えてしまう。
 恋とは本質的に錯覚なのかも知れないが、それにしても私の中にあるそれは行きすぎたパステルカラーで、この世に存在するどんな嘘より甘ったるく、そして錯覚よりも微かな信号のように思えた。

 歪だなあ。
 白沢様と私の間には、種族の違い、主従の隔たり、流れる時間の乖離がある。恋心にノイズを来す正体の知れぬ何かがはびこっている。それを白沢様は包み込むように埋めようとしてくれているのに、私は時折我が儘すぎる不安から、再び遠ざかろうとしてしまう。

 私は、どうなりたいのだろうか。
 これからも、白沢様の妻(それは夫婦という意味ではなく、人間と神の間にある捧げモノとしての女性性)として抱いて貰う"だけ"を続けるのか。
 私の体はまだ小さく、愛欲はあれど子を為すには尚早。それでも私は、それを望んでいる。毎夜のように白沢様を求め、私の未成熟な子宮の中に子種を思う存分注ぎ込んで貰いたいと思う気持ちを、夜毎押し殺していた。

 それとも、叶わぬを悟り、終えるべきなのだろうか。

 ふと、昨日の空が雨だったか、それとも晴れ渡った青空であったか、思い出そうとした。理由はわからない。単純に、窓から覗く空が澄み切ったライトブルーだったのが、私の内面と余りに乖離していたからかも知れない。昨日の空は、果たしてそうだっただろうか。それとも、正体不明の曇りだっただろうか。思い出せない?いや、記憶に留めなかったのに違いない。忘れるということは、私にはありえないのだから。
 晴れた空が気持ちのいいものだと安易に思えない自分に苦々しいものを感じながら、私は自ら払い飛ばした編纂途中の歴史片と硯、筆、墨を取り机に並べ直した。
 それを繰り返すことが、私の生きる術だと自分へ言い聞かせるように。

 したため続ける歴史は、死ぬまで続く私から白沢様へのラブレターなのだ。

 忘れるという現象を知らない私は、自分の気持ちを決して忘れないために、歴史を記し続ける。







 阿弥の姿を見る。今日は機嫌がいいじゃないかと話しかけるが、勿論一瞥もくれない。こうなる前は聡明な女性だったというのに、今それを想像するのは容易いことではない。

 阿弥はまだ、私にも理解できない譫言をもらしながら部屋を歩き回っている。呼びかけにも答えることはない。視線はどこに向けられているのかわからず、今何を思っているのかわからない。自我という機能が残っているかもわからなかった。

 あや。

 私の声は、もはや阿弥には音としてしか伝わってはいまい。それに、そうして呼ぶのが側にいる少女の名前でないことに、幾許か胸が痛みを訴えてくる。
 ハクタクにとって、阿弥も阿求も、一過性の個に過ぎない。20年30年など一呼吸の刹那に等しいのだ。そんな小さなものにハクタクである私が強い思い入れを抱いていること自体、自分のこととは思えないほどの驚きだった。私の母も、そういう感覚をもっていたのだろうか。

 ふと、阿弥がぐるぐるまわる歩みを止め佇んだ。
 呻き声が、一段高く大きくなる。神経に障る常軌を逸した声だが、その声には幾ばくか、儚く悲しげなものが混じっているように感じられた。幽かに愁いを帯びたその声が呼ぶもの。娘の阿求であろうか、それとも、こんな風に壊れたのは私のせいだとの恨みであろうか。

 阿弥の虚ろな瞳には私が映っている。ただ、それが彼女の脳で映像を結んで何らかの意味を索引しているかはわからなかった。私には、その瞳に反射する自分の姿しか見えない。阿弥が立ち止まった理由は私にはわからないが、彼女の焦点の合わない視線が、無性に私を見ているように感じられて私は、つい彼女の視線の先から逃れるようにその場を動く。阿弥の視線が私を追うことはなく、それがただ放り投げられただけのものであることを物語っている。
 だが、彼女のかつての学問に明るく心根の穏やかな様を、こうした檻の中の衰獣のような具合に貶めてしまったのが私の生そのものだとすると、阿弥のその視線に意味がなかったとは、どうしても思えなかった。

 机には、凡そ人の解する言葉とはかけ離れた言語で記された書物。それが、ページも擦れ革の表紙も色褪せた様で放られていた。狂人は本を読まぬ、荒らすばかり、とそう思えてしまいそうだが、そもそもこの部屋に膨大な本があるのは彼女がこの部屋に幽閉される際、それを離そうとしなかったからだ。ここにある本は全て、歴史書である。阿礼乙女が編纂し、それを私が喰らい形成したものだ。大凡人には読めぬ記号で集積されたそれは、しかし驚くべきことに阿礼乙女たちには辛うじて読むことが出来るらしい。ハクタクの呪い故に狂気に至った後も、阿弥は、阿弥以外の幾人かの阿礼乙女がこの歴史書とともにあることを望んでいた。

 阿求は、阿弥がそうだったように稗田の宿命を受け入れようとしている。そして阿弥と同じように狂ってしまうだろう。それすらも呑み込もうと、容易に境界を踏み越えられる私の体よりも遙かに細い体で、歴史も事実もそれが孕む矛盾も毒も砕き呑み込む私の顎よりも遙かに弱々しい顎で、私と等身大の宿命を、呑み込もうと足掻いている。今頃、部屋で狂気の淵に踏み留まろうと踏ん張っている筈だ。
 そうまでして阿求は、いや、阿礼乙女とよばれる稗田の娘達は、白沢という存在を信奉し、人々の代理として白沢への奉仕を怠らず、私のために歴史をしたためてそれを差し出し、命そのものを削り、人としての尊厳を犠牲にしている。膨大な知識と経験を与えられ、人々から白沢の側近として頌えられ同じ水準で祀られる代わりに、稗田は人としての尊厳を奪われている。それは、寿命という観点に限られないのだ。

 阿求は知識として知ってはいても、それが自身のことにまつわる決定的なことだという自覚が薄いのだ。最も肝要で、今の彼女にとって窮めて残酷な事実、自身を苦しめるものの正体、ハクタクの呪いがなにゆえ呪いなのか、即ち、ハクタクの呪いは私の出生に起因していることを。そして、阿礼乙女が夭逝を強いられようとも私はそれを憂いてそれをやめさせるつもりはないし、阿礼乙女が歴史編纂を手伝い狂気へ堕ちることで私は良心の呵責に苛まれることはあろうとも、きっとそれを停止させることはないということを。

 阿弥に限らない。稗田の女は、生まれたときから歴史という書物の側にあり、狂ってからもこの書物群の側にいようとする。私にどうすることが出来るわけでもない。それが稗田という種の生態なのだと理解するしかない。虫が光に群がるように、稗田は歴史情報へ群がる、そう言う種なのだ。稗田の血は、これら古めかしく読解に苦しむ文書なしに生きてはいけないのだ。
 私は懐かしい文字で書かれたその書物のページをぱらぱらとめくり、思わず眉を顰めてそれを元納められていたであろう本棚の隙間へ戻す。歴史を記したコデックス、阿礼乙女の編纂した情報を元に私が再形成したもの。これも、阿礼乙女の魂を食らって記された血文字のようなものだ。

 阿弥は呻き声を上げ、呪わしいと言いたげな様子で、再び私の方へ見えていないはずの視線を放り投げてきていた。

 それに答える術を、私は持ち合わせていなかった。







 ヘッドフォンは私を閉じこめてくれた。
 外界を遮断し、内面と記憶に潜り込めば、私はこれを忘れずに済む。
 忘れるわけにはいかない、忘れたくない。彼女が、忘れたくないと泣いて望みながら結局叶わなかった望み、私がその綱を掴む手を離してしまったらそれは、本当に失われてしまうのだ。
 不快感を塗りつぶして覆い隠してくれると同時に、ヘッドフォンは私が記憶を抱き抱えて(まるで孵化を忘れた卵を抱き続けるみたいに)沈んでいくのにこの上なく有効な道具だった。それは音楽を聴くための道具なのらしいが、私のヘッドフォンからは音楽らしい音楽は流れていない。レコードの表面をざりざりに傷つけて蓄音機に生成されるあのノイジーな雑音、そういった音のざらつきがただ、延々と鳴り続けている。その意味を持たない音のバリアが、あの時の私には気持ちがよかったのだ。
 それだけが、そのときの私を助けてくれるものだったのだ。







 少し、外に出ないか。白沢様は部屋の外から、労るような声で声をかけてきて下さった。先の白昼夢は、想像以上にダメージが大きかったようだ。私は白沢様がお声を下さったというのにすぐにお返事を出来ず一瞬だけ停止し、立ち上がってきょろきょろと部屋を見回してしまう。部屋は、片付いていただろうか。稗田の当主でなければ、たとえ娘であっても先代であっても立ち入ることの出来ない部屋には、しかし白沢様だけは進入が許されている。この部屋は今は私の城でもあるし、白沢様との密会の場所でもあった。
 つかれてしまったかい?扉の向こうから、少しだけトーンの落ちたお声。そんなことはないとしゃっきりと答えながらさっき自分でぶちまけたものが元の場所に収まっていることを確かめて、扉を開けた。白沢様は、いつも通り……よりは少しバツが悪そうなお顔で私を見ていた。私が母様を避けて自室に来たことを、白沢様は気付いている。

 辻に、傀儡廻しが出てるんだ、見に行かないか。白沢様は、笑顔に少しの安堵を混ぜた色合いで声をかけて下さった。
 でぇとのお誘い!私は両腕体中でかぶりつきたいのを抑えて外出の準備をするので待っていて欲しいと伝える。

 母様への恐ろしさから誘発された白昼夢への恐怖心は、まさに風に追い散らされる雲のように吹き飛んだ。白沢様とお出かけなんて滅多なことではないし、白沢様のおっしゃるのが、人の手によるものではなくあの魔術師のする傀儡廻しであるらしいと言われて、これが嬉しくないはずがない。歴史には何度も登場するが、何十年に一度、気紛れで行われるだけというそれを、私は自分の寿命の短さ故にこの目で見ることを半ば諦めていたのだ。

 ああもう!
 白沢様と、でぇとなんて、初めて過ぎて何を着ていけばいいのかわからないよ!

 さっきまで吐きそうだったというのに。喉の奥から胃袋を直接拈り引きずり出すほどだったその不快をそれごとどぶに吐き出して、新鮮なはずの空気は亜硫化窒素のように私の顔をだらしなく弛めさせた。

 これは少し子供っぽい、これはちょっとけばいかな、これなら……地味か、なんて、大して多くもないタンスの中をひっかき回してようやく決まったのは結局いつも外に出るときの装いと変わり映えしないように思えた。今日はほんのちょっとだけ背伸びして、頬紅、口紅、それから睫毛を巻いて、がま口バッグに色々を放り込む。

 お待たせしましたと扉を開けると、ああ随分待ったぞと苦笑いする白沢様。はっと気付いたときにはもう遅い、かれこれ30分は準備していたし、考えてみれば白沢様はいつも通りの草履に着流しをひっかけただけのラフな格好で、めかし込んだ私が一緒に歩くにはアンバランスだったかも知れない。それでも白沢様は気後れなどすることなく私の手を引いて傀儡廻しのでている場所までゆっくりとエスコートしてくれた。

 道行く人は、白沢様とすれ違うと深々と頭を下げ敬意を表していく。私にもだ。白沢様はご自分を神様と人の間の存在だと仰るが、人々からの扱いは「間」ではなく「両方」になっている。寺子屋で子供達に読み書き算盤を教え、人々の悩みに答える「先生」でありながら、里へ神託を下し悪霊から里を守る「神様」でもあられる。その両義性を、白沢様はお持ちだった。その側に仕える私、稗田に対してもだ。
 稗田の家の中で過ごし、歴史を記すばかりの生活の中では感じないが、白沢様は間違いなく神格でもあって、その奉仕種族である稗田もやはり人よりはそっち側にいるものとして扱われているのだ。

 ふと。道端に、浮浪者がいた。襤褸をまとい髪や髭は伸び放題、生理的な悪臭を放ちながら座り込んでこちらを見て手を合わせていた。その手の先は黒ずみ、爪はひしゃげている。見れば、足も同じ様だった。
 白沢様は、少し待っていて、と私に言って浮浪者の側へ歩いていく。白沢様が近付くと、視線を地面へ落とし白沢様を見ることなく伏したまま手を合わせた。神様に手を合わせる心算であったのだろうが、施しを望むようにも(彼らにすれば同じなのかも知れないが)見えてしまう。
 私は、恵まれている。たとい20歳より向こうが母様のように狂人としての生であったとしても、衣食住に困ることはないだろう。わかっている、だからこそ私はこの生を呪うべきではない。彼らを――自分でも虫酸が走るほどに見下した様で――憐れむ気持ちを抱く程度には、私は贅腐(くさ)っているのだ。
 私は、浮浪者達に何をしてやれるだろうか。財を打って食わせることは、容易いかも知れないがそれは彼等のためになるだろうか。蔵を開け放ったところで貧困に喘ぐ全ての人を救えるわけではない。ほんの一握りに対して、まるで家畜に餌を与えるようなコウイが、本当に救いになるのか、私にはわからなかった。
 白沢様は浮浪者の前に進み出て、その額へ人差し指の先端を立てて何か文字のようなものをなぞる。何も起こっていないように見えたが、ふと白沢様の表情が一瞬濁り元に戻る、浮浪者の表情はといえば憑き物が落ちたかのように晴れやかになっているではないか。白沢様、白沢様、と手を合わせる様子は感謝に満ちている。
 戻ってきた白沢様に何をなさったのか聞くと、何もしてないさ、それらしいことをして見せただけだ、信心があれば奇跡は自身で起こし自身が感じるもんだ、私は神様じゃないからな、と仰ったが、きっと、うそだと思った。
 人に人は救えない。こういう方が、必要なのだ。私は、白沢様への奉仕の心を新たにしながらも……また握ってくださった手に、身分不相応の幸せを感じてしまう。なんて、罰当たりなのだろう。

 白沢様は足を引きずる私の歩調にあわせたゆっくりの足取りで私の横を歩いてくれている。手を握っていてくれることの安心感、横にいる人の愛おしさ。相手は私の、比喩ではなく女神様だというのに、それがすっごく近くて、畏れ多くも恋しくて。
 見上げると白沢様の整ったお顔が私の視線に気付いて振り向き、ゆったり笑った。わ、わたしは恥ずかしくって、つい、め、目を逸らし俯いてしまう。その代わりに繋いだ手に少しだけ力を入れて、指一本一本を白沢様の指と指の間に滑り込ませると、ふわりと一旦手を緩めてから指同士を絡めるように受け入れてくれた。ますます顔を上げられなくなってしまう。
 足が巧く動かないから、足許に気をつけなきゃ、なんて聞こえるように言う言い訳がましい独り言。
 すると白沢様も私の方を見ないまま、いつまで出ているだろうか、このまま傀儡廻しが見れないのは勿体ないな、なんて言って私をひょいと抱き上げた。ひえ?変な声が出た。お姫様抱っこですか!?持ち上げられ、横たわるような重心。力がないと安定しないこの抱っこも、白沢様は軸がぶれない。振れる私の袖も巻き取ってしっかりと胸の中に納めてくださった。
 ははははははくたくさま、ひとめが、ですね!
 往来の真ん中、人は行き交うし、ただでさえ白沢様と稗田の組み合わせは人目を引く。好奇の目であればまだ割り切ることが出来たかも知れないが、白沢様と私が並んで歩けば、そこに向く視線は畏敬と尊敬のもので、そうした、その、お姫様抱っことかされちゃうと……。
 さすがに、皆見ているな。白沢様が苦笑いとともに漏らした。当たり前ですよう!ふええ、恥ずかしい……。道行く人の視線から隠れるように顔を伏せると、白沢様の胸元に頭を突っ込む形になって余計悪化していることに、今の私は気付けない。
 まあ阿求の脚が悪いのも、稗田の家の者はそうなんだってことも、皆知っているからな。気にすることじゃないさ。そうやって、余計にくっついていなければな。と言われてようやく気が付いた。慌てて頭を上げる。
 本来なら私も白沢様みたいに、威厳を持つときは威厳を持って人に接しなければいけないのかもしれない。
 稗田一族、正確に言えば阿礼乙女は、白沢様をこの地に繋ぎ留める為のある種のシャーマンとして認識されている。白沢様がこの地によいはたらきをもたらしてくれるのは、稗田という奉仕種族が祭儀を司り然るべき儀式を行っているからだと。実際は違うのだけど。
 白沢様は、自らの意志でここにいらっしゃって、私達人間が生まれた土地を余り動かないのと同じで、別に理由がなければ引っ越したりもしない。流浪の神ではないし、人を統治したり操ったりしようとする神様でもない。そこにいるからいるだけで、別に稗田が繋ぎ留めているわけではないのだ。勿論祭祀はするし、だからといって白沢様の元を離れることは無いけれど、阿礼乙女という種族は、そんな大それた種ではないのだ。精々白沢様の歴史編纂をお手伝いするだけの、寿命の短い小人と同じだった。

 それでも、人々がそう認識し、そうすることで里の秩序が保たれている側面があるのなら、そうか、白沢様がさっき仰った言葉の意味も少しわかりそうなものだった。空威張りに近くても、私は白沢様の側近として振る舞い、堂々と、白沢様の側に立たなければならないのだろう。

 どうした?

 白沢様が、私の顔をのぞき込む。

 やっぱ、やっぱ威厳とか無理!白沢様のお顔がこんなに近かったら、私の顔、発火しちゃうよ!

 傀儡廻しが来ている辻に向かう道は、にわかに祭りの街道のように賑わっている。白沢様が道を行けば、そんな人波も調和を見せる。崇拝と畏敬ばかりではなく親しみと尊敬を以て里に根を下ろす白沢様の周りには、人波が割れるのではなく人の輪が出来る。その作用点の中には、勿論私も含まれているのだけれど、顔が火を放ってそれどころではなかった。

 白沢様も、稗田様と一緒に人形劇鑑賞ですか?ああ、そうだ。白沢様、あの人形師に言ってやって下さいよ、もう少し頻繁に出してくれって。はは、それは難しいだろうなあ、あの女はあれでいて気難しいから。白沢様、稲の食害がひどくて、何とかなりませんか。虫害ならばツテがあるよ。彼等にも生活があるからある程度になるだろうが、虫のヌシに伝えておこう。白沢様、引水のいざこざの仲介に立ってくれませんか。ああ、構わないよ。それより水源がもう一つ出来ないか、山の神社の巫女に頼んでみよう。白沢様、山菜採りの山に野良妖怪が出て困ってるんです。それはよくないな、私が出向いて話を付けよう。白沢様、白沢様、白沢様、
 白沢様は、大人気だ。私は、白沢様にしがみつきながら、でも、こんな風に特別扱いなのが、心苦しかった。与えられた時間と課せられた宿命を鑑みれば当然ではあるのだけど、カリスマを独り占めする気後れはどうしても拭えない。白沢様の腕を掴む手に、自覚なく力が籠もってしまう。身を強ばらせて寄り添って、視線を伏せて、避けるように。でも白沢様はそんな私に口元を寄せて小さく呟いた。

 胸を張れ阿求。お前には、その資格がある。

 白沢様のお声は低くて、耳元で囁かれたら耳の奥から背筋まで震えさせられてしまう。日の高い内は少しも滲んでいないだろうと思ってる浅ましい欲求を、まるで絞り出すみたいに集めて溜めて、ほらこんなだろう、と見せつけられるみたいで。ぞくっと震えてしまった。
 まだ年端もゆかない小娘の中に、こんなにも求めたくなる願望があるのだなんて。いつもそれに翻弄されて史片の中をさらってみる。でも、安心できる答えなんかなかった。きっと、阿礼乙女は寿命が短いから……早く子孫を残すように体が出来上がってるんだ。

 でも、その相手が、白沢様だなんて。

 稗田の女が代々誰との間に子をもうけたか、歴史にさえ記されていない。ただ、男、としか書かれていないのだ。記憶が確かなら、母様やおばあさまについて、"それ"はないはずだった。

 阿礼乙女の中で、私だけが、白沢様と交わりを持っている。

 "お前には、その資格がある"白沢様の言葉を深読みしてしまいそうになるけれど、そういう意味では、ないだろう。

 あきゅう?
 白沢様がまた、耳元で私の名を呼ぶ。また、耳から注がれた電流が背筋を通って下腹部へ刺さる。さっきまではわずかばかりだったそれは、今は溢れんばかりに絞り出されていた。私は白沢様へ、返事の代わりに、掴まる手に力を込めてしがみつく。白沢様は、何も言わないで頭を撫でてくれたけれど、白沢様はきっと思い違いをしている。私が、民衆の重圧に気圧されているのだと心配して下さっているのだ。それも確かなことではあるけど、残り半分のことを、白沢様は察しているだろうか。
 そうして歩いている間にも、白沢様を呼ぶ声は絶えない。白沢様はそれら一つ一つに答えながらも、私を下ろそうとはしない。むしろ、抱き寄せ体同士を付ける力は、強くなっているような気がする。私がくっつこうとしているからかも知れないけど。白沢様が声を発する度に、びりびりと声の振動が伝わってくる。体がくっついてるから、それが全部私の体に直接入ってきて、私、麻酔と媚薬の両方打たれたみたいになってて。ぎゅうって白沢様にしがみつく以外、出来なくなってた。

 慧音

 はっ?!私は耳を疑った。突然、雑踏の中でその言葉だけが、まるで他の音を掻き分けるように、鋭く耳へ届いた。白沢様を、まさかその名前で呼ぶ人が?けいね、とは、白沢様の「おなまえ」だ。白沢様、とはあくまで尊い肩書きに過ぎない。だれも、畏れ多くそれを呼ばない「おなまえ」を口にし、あまつさえ敬称の一つも付けないなんて!
 顔を上げてその声の主を捜すと、それはすぐに見つかった。一言御名を呼びつけた以外口を開いてはいないが、私はそれをすぐに確信した。間違いなく、この人が、呼んだ。
 洗い晒した白一色木綿の衣、目を引く丹いもんぺには、不自然なほどびっしりと貼り付けられた左道呪符。しらがと言うに艶めかしく、だが潔癖な白髪は腰まで伸び、自らの出で立ち諸共呪わんばかりにその髪も呪符で結わえられている。肌の色も、肉の下を走る血管までも浮き出んほど、それは病的な白皙。血の色を遮るもののない瞳は紅く、まるで血か炎か。口に咥える手製らしき巻き煙草は、今もゆらゆらと煙を上げているが、よく見ればその巻き紙も呪印を記した札紙だった。邪悪窮まりない姿にも拘わらず、纏い散る気配にはどこか高貴ささえ感じる。声の主がこの人であるとの確信とともに、初めてまみえたそのひとが一体誰かも、すぐにわかった。

 妹紅、と白沢様はその人へ声を返した。そう、藤原妹紅、この人が。

 妹紅も人形劇鑑賞かと白沢様は穏やかな声で返した。藤原さまはしかし、配達の途中で通りかかっただけだという。木炭屋、藤原さまは自らを蔑称していた。竹林の警主たるかの人が、俗世の商人の振りをしてなんとするだろうか。が、仕事の合間にひとがたの魔女の戯れを見かけて思わず立ち寄ってしまったのだと背から降ろした荷は、今は何も乗っていないが確かに木炭や薪の背負子だった。
 藤原さまは、白沢様(と私)も傀儡廻しを見に行くのだと知って改めて背負子を負った。周囲にいる人に気圧される様子もなく、するりと白沢様の横に並んで歩き始める。重そうな荷物なのに、この人も軽々とそれを持っているように見えた。

 この子が姫さんかい?と藤原さまは私の方を覗き込む。私が顔を上げると、きっと寝ていると思って顔を近づけたのだろう、驚いておっと、と苦笑いした。
 妹紅ももう里の人間なら、この子には然るべき敬意を払うんだな、現阿礼乙女だぞ。戒めるような言葉もしかし、笑い声、どこかからかうような色を含んでいる。そんな風に扱われた私の方も、やめてくださいよう、思わず弱り声が出てしまう。先も含めて精々20年強しか無いこの命を前に、今傍にいるお二方は千年も生きんとする方々。藤原さまも"少々特異なだけの"人間であることに変わりはないらしいが、だからといってごく普通の人がこんな出で立ちで、こんな妖怪か神霊かと紛うオーラを纏うはずがない、私は一層恐縮してしまう。
 だが、今度ばかりは私が正しかったようだ。白沢様と藤原様が並んで歩くその傍に寄りつく人は減っていった。人々は、私達に遠慮して、必要以上に近付かなくなっていたのだ。少しそう言った類の存在が集まりすぎているせいで、畏怖に近い心理へ変化してしまったらしい。誰か一人が、手を合わせて遠巻いたのを皮切りに、さっきまで親しげに囲んでいた人の輪は、少し、その径を広げた。だからといって、嫌な感情になったのではない。ただ、尊敬であるとか信仰を集める存在とは、おりおりにおいては人から遠ざかることはあるし、きっと、そうあるべきなのだ。
 そんな風に、いくらか落ち着いた空間を保ったところで、藤原さまと白沢様は、どちらがどちらに合わせるでもない自然な歩調で歩く。いいなあ。私も、脚が自由ならば白沢様と一緒に、合わせて貰うのではなく一緒のはやさで歩きたい。歩みも時間も、私は、白沢様には不釣り合い。やっぱり、稗田は白沢様の奉仕種族でしかないんだなと痛感してしまう。
 よろしくおねがいします。白沢様に抱き抱えられながらの挨拶では無礼だったろうが、藤原さまは気にしないで下さった。むしろ、白沢様が仰ったように、恭しげに頭を垂れて返してきた。やめてくださいってば、そんなのぉ!
 可愛らしい姫様だ、大切にしてやんない、と藤原さまは穏やかに言う。この人、世捨てをして死ぬことさえ捨てたのだと聞くが、元々は高貴な家柄の出なのだろう、端正なお顔は、目を疑うほどに白いとはいえ、それがまたつくり雅では成し得ない危うい美しさを湛えていた。
 藤原さまは白沢様とどれくらい前からお知り合いなのかと、問うて見る。藤原さまも白沢様も苦笑いして、うーん、と唸ってから、先に口を開いたのは白沢様だった。

 よく覚えていないが、それこそ妹紅は当時はまだこんなに小さくて、貴族臭さが抜けなくってなあ、すまし顔でふんぞり返って、ぐみんdわあああああああ!
 急に藤原さまが声を上げて白沢様のお口を押さえた。そんな昔のことはいいだろ!と顔を真っ赤にしている。藤原さまってこんな愛嬌のある方だったんだ。噂と(それに見た目とも)全然違う。
 白沢様も私に見せるのとは全然違うお顔で笑っている。すこし、やけるな。

 私を抱いて下さる白沢様。しかし、まだ10年そこそこしか生きていない私には、きっと推し量れないものを共有なさっているお仲間が、沢山いるのだ。私など、ペットか何かと変わらないのかもしれない。いや、稗田は奉仕種族、ならばペットなどではなく、家畜の方が、近いかもしれない。わかってる。それもひっくるめて私は、稗田であることを誇りたいのだ。

 そんな事をしながら、ようやく人形劇の繰り広げられる辻へ辿り着いた。人集りが凄いことになっているが、それ以上にすごいのは、人形が独りでにあちこちを歩き回って、人集りを複数に分割していることだった。
 うわあ、この一帯だけ、西洋の広場みたいになってる!あっちこちに設置された洋風の椅子とテーブル、パラソル付き。テーブルには洒落たソーサー、ティーセット。スコーンとジャムまで備わっている。様式は紅魔館のそれに似ていた。給仕は一切が、人形達だ。道のど真ん中に展開されたテーブルや椅子だが、それは人の往来を遮るものではなくて、人の道行きにとけ込む不思議な茶室だった。しかしこの給仕が操り人形だとして操作者が何処にいるのか全くわからない。どうやって操作しているのかも。
 人形劇、という言葉はこの出し物に相応しくないように思えた。もっとこう、子供向けの人形劇のようなものを想像していたし、何より主役となる人形が、余りにも全自動なのだ。独立した意思を持つ魔法生物がたくさんその辺を歩いている、そう言う風にしか思えない。白沢様の足下にやってきた人形は、操作者の影も見えないというのにお辞儀をして私をダンスに誘った。しかも私が断ると脚が悪いのを察してそれ以上は深入りせず、あまつさえ人形自体が手品をして見せてくるではないか。ここまでくると奇術を超えている。
 程なくして、空いたイスとテーブルへ促され、白沢様と藤原さまと私は席に着いた。
 相変わらず巧みなものだなと白沢様は声を上げた。藤原さまも。お二人とも前にもこの人形劇をご覧になったことがあるのかと聞くと、二人顔を合わせて笑い出し、そして藤原さまが言葉を続けた。
 見たことがあるも何も、こっぴどく痛い目にあったさ。なあ慧音、そうだったなあ、あの月夜は全くとんだとばっちりだったと笑うお二人。何か、共通の出来事があったのだろう。それは家を滅多に出られない私が知らぬだけで実は昨日のことだったかも知れないし、200年前の出来事かも知れない。歴史には、記されていなかった。けれど、そんな逸史に触れ合えて、私のテンションは上がりっぱなしだった。当然、隠された歴史が快いものではないことが多いのは承知している。でも、それだって、私が受け入れるべき稗田の宿命なのだ。今は、楽しもう。

 すごい!あれお人形なんですか?あれも!?みんな意思があるみたいです!傀儡、って、操作は誰がしてるんですか!?うわー!うわーー!!
 席についてもきょろきょろあちこちをみては子供みたいにはしゃいでしまう私を、白沢様はただ黙って、穏やかに笑って見ていた。藤原さまはその横で、出された西洋茶を紅茶は相変わらず不思議な香りだなと感慨深げな様子で味わったりしていたが、やがて私の反応が面白くてか。今度の姫さんは今まででいっとう可愛いなあ。慧音、ああ言うのに弱いだろ。と白沢様を茶化す。白沢様が涼しいお顔で、じゃあお前があれくらいのときに手を出せばよかったか?と返すと藤原さまは真っ赤になって昔の話は止せと狼狽えた。だが白沢様も白沢様で、表情こそ涼しいが言われた瞬間に見えない尻尾がぴくんと跳ねていたのが、私には見えていた。動揺の、証だ。藤原さまからは見えないが、私からは見える場所に現れた動揺の意味を、私の体は、知っている。

 妖精を象ったような、しかしそれらしくもないお仕着せをまとう人形が、お茶のお代わりを注いでくれた。
 さわっていいですかと私が問うと、人形は手を差し出す。握手して、そのまま腕なんかもべたべたと触ってしまうが、その手は確かに綿で出来ているようで、しかしどこにも繰り糸も緒も見えなかった。
 ほんとうに、お人形さんなんですか?人形の憑喪神とか魔法生物じゃないんですか?そう問うと、人形はテーブルの上にちょこんと腰を落として……そのまま動かなくなった。えっ、えっ、私はそれを恐る恐る手に取って持ち上げてみる。軽い。ひっくり返しても振っても、さっきのような有機的な動きは見せない。本当に、変哲のない、ただの人形のようだった。もう一回ひっくり返して、くるくる回して、布地なんか触ってみたりして。ぱんつをひっくり返してみたけど反応しなかった。
 すごいですよ!はくたくさま、ほんとうに、ただのお人形です!!動いてましたよね!?と子供じみた反応をしてしまう私。白沢様は、ああそうだね、と笑っているが、一方の藤原さまは、あー、慧音やばいな、お前、ほんとやられっだろこの姫さん、と笑いを噛み殺している。子供扱いなんてひどいお方ですね、と憤慨してみせるも、全く威厳がないのは自分が一番わかっていた。
 はろー。珍しくもない取り合わせだけど珍しく外出してきているのね。と、後ろから声が聞こえて振り返ると変わった出で立ちのお人形が現れた。こっちはなんだかほかのと違ってすごく、生々しい。
 人形に興味津々なのは嬉しいけれどぱんつまで確認したのはあなたが初めてだわと、私を笑うこの人は、ああ、お人形さんじゃあ、なかった!
 あなたが今度の阿礼乙女ねと、藤原さまがそうしたように私を覗き込む、お人形さんのように端麗なお顔の方。そのまま視線を白沢様に移し、今日は彼女のお披露目会かと冗談めかした。もしそうだとしたら、その主催と演出はあなただな、アリス。白沢様は笑う。そう言うつもりではなかったのにそう言う感じになってしまったのは、この人形劇広場が60年ぶりに開催されたからだよ。
 そうか、この人が人形師の魔法使い。本人までお人形みたいに、可愛いというか綺麗というか、両方だけど、両方違うみたいな。不思議な容姿だ。
 60年ぶりって、霊夢のとこの例大祭ではもう少し頻繁にやってるじゃない。そう大したイベントかしら。首を傾げるアリスさん。それを聞いて、確かに前に演ったのは7年か、と笑ったのは藤原さまだった。
 60年前だとか200年前だとか、つい最近みたいに7年前とか。尺度が違う。普通の人間を相手にしていたって、三分の一くらいの物差ししか持っていない私には、何だかもう訳が分からない。それが、少しだけ、寂しくて、でも、いっぱいの未知が嬉しくて。
 ここはおばあちゃんの寄り合いみたいですね!なんだか置いてけぼりにされている感じがして、でもちょっと楽しいのを含んだ膨れっ面で私がそう言うと、場にいた全員が大笑いした。
 私は手に取った――ぱんつの中まで確認した――人形を、アリスさんにお返しする。が、アリスさんはそれを受け取る代わりに私の手の中でもぞもぞと動かして指に抱きつくみたいにさせてから、プレゼントするわ、阿礼乙女への捧げもの、と自身はスカートの両を摘まんで私に向かってカーテシーをしてみせる。わあ!ありがとうございます!
 一応は一流の呪物(フェティシュ)よそれ、とアリスさんは言う。夜に独りでに歩いたり、髪がだんだん伸びたり、灯明油を舐めたりするけど、可愛がってあげてね?なんて、言うのだ。私は固まった。しょ、しょおなんですか……憑喪神じゃないってゆってたのに……。私がその人形を打ち捨てるわけにも抱きしめる気にもなれずに心臓に冷や汗を掻いていると、いきなりアリスさんが私の頭を胸元に抱いて頭をくしゃくしゃ。うそ、じょうだんよ、ただのお人形だから平気。と打ち明けてくる。この子、いじめたくなるわね、かわいい!だなんて。なんですと……、と非難の声を上げようとするも、アリスさんの胸の中で窒息しかけている状態では何とも出来ずに手足をばたばたさせるしかなかった。
 驚くべきは、そんなことをやっている間も、ほかのテーブルの人形は涼しい顔で給仕を演じていることだった。お茶のお代わりもダンスも手品もそつなくこなす。本当にアリスさんが操っているのだとしたら、この人の頭は脳味噌が何個入っているのだろう。頭蓋骨の中に、押し込められるようにいくつもの灰褐色でやわらかな蛋白塊が詰まっているのを想像しただけで、髪の伸びる人形よりも気味が悪くなってしまった。
 どうしたの?と私をようやく解放したアリスさんが問うてくる。なんでもないです。私の方がよほど気持ちの悪い想像をしていたことが、申し訳なくなってしまった。

 でもこの人形に、意思があるとしたら。アリスさんの命令には絶対に逆らえなくて、気まぐれでぽいと捨てられたり……こうして私によこされたりしたら。望まない行為を強いられて、慕う主から見捨てられたりしたら、彼女らは、どういう気分だろう。アリスさんのためにだけ存在するこの人形達もまた、私が白沢様の傍にいるのと同じく、アリスさんの奉仕種族なのかも知れなかった。そして、奉仕種族というのが必ずしも知性体であるとも限らないのかも知れない。心がありながら物言わぬ、人形のように。私は、何気なさを装って白沢様の傍に寄った。なんだか、急に寂しくなったのだ。頂いた人形を私の妄想寂寞で突き返すわけにもいかなかったが、私は自分をすっかりと人形に置き換えてしまっていた。私も、あっさりと捨てられるのではないか。決してそんなことはないと、運命を受け入れて稗田の血に誇りを持とうとしていた私も、ぐらり、今更揺らぎかけていた。

 はくたくさま。

 心の中でだけ、その名前を呼んだ。視線をちらり向けると、白沢様も同じようにこちらを見ていた。すごく、安心する目。それだけで包まれてるみたいで、心配ないよと仰ってくれてるようで。私がそれを迷っていると、白沢様はテーブルの下で、しっかり手を握ってくれた。はずかしくって俯いてしまうと、よかったな、人形、と、わざわざ空気を読まない言葉。私は精一杯、はい、と答える。
 ふと、阿求ちゃんと呼ばれてアリスさんの方を見る。その子、ほつれたり、破れたり、壊れたりしたら、直すから持ってきてね。あなたにあげても、私の子であることに変わりはないんだから。ぞんざいに扱ったらお仕置きだからね?と言い聞かせるように言う。そして、頭をくしゃくしゃして、にっこり笑いかけてきた。阿求ちゃんは、誰の"大切なお人形さん"なのかな?なんて悪戯っぽく。
 そ、っか。そうなんだ。私は何だか嬉しくなった。そう、だよね、白沢様。
 私は、はい、大事にします、と答えた。

 ……そんなやりとりはすごく楽しくって、外で過ごしたのが嬉しくって、白沢様と一緒に歩くことが出来て、いろんな人と会うことが出来て、こんなに楽しいことは久しぶり、もしかしたら生まれて初めてかも知れない。
 きっと、忘れられない日になるだろう。







 だいじなことから だんだん うすれてく







 小鳥が囀るようなか細く澄んだ声が、私を呼ぶ。阿求が私を求めて小さな体、短い腕を伸ばして私に絡み付いてきた。私はそれを受け止め、彼女の細い腰に手を回す。指を伸ばせば両手だけでくるりと包んでしまえそうなほどその柳腰は細く脆そうで、愛らしく、どうしようもなく劣情を誘うのだ。
 私のこれを知ったとき、あいつは一言、ろりこん、と言って包容と侮蔑両方をくれた。決して離別のない関係と、すぐに終わる関係。それ自体は私が一番わかっていて、その終わりに悲愴があることも、私も、あいつも、知っていて。だから、あいつはその向こうで、うなだれて道を歩く私を迎え抱き留めることに決めたのだろう。この地に追いやられても、聡明は他の誰をも抜いている。
 ……と、また他のことを考えている、とズバリ目の前の愛しい娘に言い当てられてしまい、違うとは口にしたものの取り繕うのには派手に失敗。体中で私にかぶりついたままの阿求は、私の肩の上に乗っかった頭をひょいとひねり、私の耳を、強く噛んだ。呻き声を上げてしまう私。
 白沢様はずるいですと耳元で頬を膨らせる表情が目に浮かぶ。私の耳に噛みついた愛らしい少女の頭を、そのまま抱き抱えるように撫でて、顎を頭の天辺に置いた。
 白沢様のお命は長いですからね、ずっと私だけを見てだなんて我が侭は申しませんけれど。阿求は少し、頬を膨らませた。
 はじめに、体を望んできたのは、阿求の方だった。だからといってこの関係を彼女のせいにするつもりはない。今こうして腕を絡め肌を重ねて抱き合うのは、お互いに下着姿で、ひとつの布団も枕もひとつだけ、夜のじんと蒸した夏の夜のせい。阿求の一人寝の褥に、私が――彼女の求めに応じて――這い入ったのだ。この狭い布団に二人が入れば、常に体は、触れ合う。阿求の求めは、その体の小ささに見合わぬほど激しかった。

 最中に他のこと考えてたお詫びを下さい、と、彼女は今終えたばかりの交わりを再び、すぐさま求めてきた。阿求の子供のような手が私の肉幹を握り、包むように上下させては、雁首に触れるか触れないかの刺激に調整してくる――全て、私が教えたことだった――。
 しゃぶって?私が悪戯半分に言うと阿求は少しはにかんだような、でもこれ以上なく淫らな笑みを浮かべて上目で私を見、小さく頷いて両手で包んだ私の性器へ舌を伸ばして先端でぺろり、亀頭を舐めた。快感電流が、亀頭から腰へ走り、熱を熟んではこめかみへ抜けていく。
 さっきまで入っていたものをそんなおいしそうに。舌先で舐めるのは数回、すぐにその小さな口を大きく開けて私のものを頬張った。私の肉棒は、その、阿求には本来サイズオーバーで、歯を立てぬように唇を窄ませるのでは入りきらない。阿求と私との間にあるオーラルセックスは、必然的に思い切り口を開けて飲み込み、舌の付け根と喉で私の陰茎を愛撫するディープスロートに決まっていた。
 手でするのとは違う、水気と柔らかさを伴う摩擦。慣れた膣への挿入とは違うキツく締め上げ奥へと呑み込む激しい蠕動。そのまま阿求は体全体を前後に揺すり、長い媚肉管となった食道で私のペニスを扱き上げてくる。私の太腿の上に乗せられた腕は左手だけで、右手はというと彼女自身の股間へ延びている。思い切り喉の奥へと呑み込むフェラチオでは、さほどの水音は起こらない。今聞こえている空気を攪拌する粘り気を孕んだ水音は、紛れもなく彼女の股間から響いている。オーバーキャパな私のモノを喉奥まで咥えさせられる虐待じみた行為に、涙をいっぱいに湛え息苦しさと自らの淫行に顔を赤くそめて、指でかき混ぜ音が鳴るほど股間を濡らしている阿求。
 苦しそうながらも貪欲にオーラルセックスに耽り、時折私を上目に見上げる様と、幼い外見に不釣り合いなテクニックを前に私はすぐに音を上げ、くぐもったあえぎ声を上げる。刺激を急き、本当は腰を突き上げて思い切り射精まで駆け抜けたいが、阿求の体を心配しそれを抑えた。だが阿求は私の腰に腕を回して自ら体を押しつけ、喉の奥どころか胸の辺りまで私のモノを呑み込んで、鼻だけでひゃへーひへんははぃ、なんて。淫らな言葉、可愛らしい顔が崩れた様子、そして咥えたまま息苦しそうに口を動かし肉幹に伝わる刺激。そんな風にされたら、堪らない。挙げ句、彼女は自身の愛液でぬらりと濡れた右手を私の尻へ運び、射精を堪えて窄まる汚穴に指先で触ってきた。愛液のぬめりが、肛門の敏感をぬめった刺激で責めてくる。
 や、やめろ、それはダメだって!その声は掠れ、最後まできちんと発音できていない。穴にするりと滑り込んでくる彼女の細い指。尻穴の浅い内側を柔らかな指先でこね回されるだけで、根本に力が籠もる。阿求の喉の中で汚棒が脈打ち切なく先口をぱくぱくさせてしまう。お、お、と声にならない声を上げながら、私は阿求の小さな体の上に被さるように、脇腹を掴んで抱え込んだ。彼女の体全体を大きなオナホールに見立てて引き寄せ、同時にアヌスをホジられ放精を急かされるちんぽを腰ごと前に押し出す。んご、と阿求の鼻の奥から無様な音が聞こえたが、しかしその表情は恍惚に紅染め。行き場のない阿求の唾液と鼻水、私の多汁な先走りを彼女は飲み下し、それの間に合わぬものは、泡を立てて口の端から零れ、あるいは鼻の穴から溢れ出している。水音をまき散らしながらも、喉を閉ざされたままトロ顔で私を呼ぶ阿求。
 阿求のような小さく可憐な美少女が、私のこんな下劣な感情を受け止め、肉棒を受け入れ、汁を垂らして無様を晒す様を見ると、堪らなく欲情する。射精したい、射精したい、阿求の中に私の臭い子種汁をぶちまけたい、侵して汚して奪い尽くしたい!

 あ゛あぉ゛ぉォ゛おっっ゛ん゛っ♥

 私は獣に堕落し種付け本能に支配されて射精へ疾走する。腰を振り、阿求の喉オナホを掴んで振りたくる。阿求は白目を剥いて鼻から甘い声と汁を同時に噴き出している。私が体を抱えることで空いた両手ともを使って、彼女は自らの股間をいじっている。どのようにしているのかはここからでは見えないが、腕の動きはかなり激しい。水音も喘ぎ声に負けないほど響いている。
 私は肉幹で阿求の喉膣を最奥まで貫いたまま、それを軸にして彼女の体を180度回して俯せから仰向けへひっくり返る。ねじるような摩擦を受けて阿求の体はひっくりがえった瞬間に弓なりに仰け反り跳ねた。手は再び淫裂を慰めており、右手の人差し指中指薬指の3本で内部をぐちゃぐちゃにかき回している。右手ばかりではない。左手の指は小刻みに動いて、包皮を脱ぎきったクリトリスを苛めている。口から胸の辺りまでを一直線に貫かれ、喉の奥へ与えられた新しく容赦のない捻り運動は、彼女を法悦に導いたらしい。表情は見えないが、股間に添えられ暴れる手の指の間から飛沫があがり腰が跳ねた。ちんぽの下にある彼女の鼻から一際高く無様な音が響く。
 阿求、ああ、阿求、なんて汚らわしく無様で、愛おしい姿だろう。大股を開き持ち上げられて震える腰、まだ毛は薄いのに肉ビラをはみ出し愛液を吹き散らす女陰、膨らみは慎ましいのに黒く染まり乳首だけを高くせり立てる胸。何もかもが淫らで欲情を誘い、射精感を追いつめる。

 イきそうだ、情けない声が絞り出すように漏れた。

 私の絶頂予告に、阿求は喉での肉棒扱きを強く早く、変化させた。あ、あ、と間の抜けた声を上げ前のめりに体を折る私。ペニスの先端がむずむずと射精欲を高め、喉肉に擦れる刺激がとろけるほど心地いい。腰の奥から甘い欲求が背筋を抉り進んでうなじの辺りで射精を促す命令へ変化する。

 あきゅう、と縋るように彼女を呼び、私は彼女の首を絞める。ウエスト同様に細い阿求の首は両手で一周以上届いてしまう。軽く指と掌に力を込めると、彼女はぐげ、と動物じみた声を上げて悦んだ。息は巧く出来るまい。窒息寸前中で、しかし淫裂を掻き回す指の動きは早く強く変化し、小さく痙攣を伴いながら腰を持ち上げて絶頂へ至ろうとしている。
 阿求の喉ごと自分のペニスを絞めて扱くと、それはすぐさま自分へのとどめとなった。腰の中、ペニスの付け根で快感が爆ぜ堰が抜ける。怒濤に押し出される牡熱が、意識を焼いてちかちかと小刻みな失神と覚醒を強いてきた。
 ぞろぞろと、ゲル状のものが肉棒を通り抜ける。先端の敏感な入り口付近がその噴出に際してくぱくぱと口を広げるが、噴き出す精は煮凝りのように固く、通り抜ける度に新たな快感を与えてくる。

 お゛っ♥っひ、ん゛♥で、てる゛っッ♥あっきゅんの喉マンコに、ちんぽ汁♥いっぱいだしてる゛っん♥とまら、にゃひ、チン扱き、あっきゅんの中でチンコキ、ぎもぢよすぎれ゛、どまんな゛っひぃィん゛♥溜まったザー汁、キンタマの中で成熟しすぎてゼリーなの♥固まった半固形ザーメンちんぽ通る度に、尿道刺激でまたイっちゃうぅ♥ん゛っ゛♥ォぉオ゛っん♥とまんない、ゼリー状の白タク液♥ですぎちゃぅぅ♥

 阿求の食道に、直接精液を吐き出す。固くなり過ぎたザー汁は、ちんこ口の形にトコロテンみたいに形成されて押し出されていく。精子ゼリーは食道粘膜を擦り胃の中でとぐろを巻いて溜まっていっているに違いない。阿求の細いオナカが緩やかに膨らんで、私の異常射精量を物語っていた。子種管が根本から腐り落ちそうなくらいの長い快感と、それに伴う長時間の射精。
 私はその間もずっと彼女の喉を絞め、阿求の首ごと自分のちんぽを扱き続ける。言葉を発せない阿求だが、その体は私と一緒に絶頂に至っていた。膣へ指を根本まで押し入れて、クリトリスを摘まみ捻っている。愛液が何度もスプレー噴射して、体は痙攣し続けていた。絶頂を繰り返すほどの快感に揉まれながらも口が塞がれ、呼吸は小さな鼻に限られる。鼻から逆流した私の精液を垂らしながら荒い鼻息をならすが首を絞められその呼吸も困難。酸欠と法悦の両方で失神し、乱暴な喉セックスでの目覚めを繰り返す阿求。声のない、ぎりぎりの息づかいと体の痙攣で快感と絶頂を喘ぐ阿求。

 っぶ、ん゛♥んっぐ♥っ、〜〜っ♥っぉ゛ん♥っっ♥っっっ♥

 やがて一際大きく体を跳ねさせ、ピンと体を弓に反らせたまま硬直する。下半身だけで大きく股を開いたままブリッジし、一番高いところでもう一噴き愛液をまき散らしてから、糸の切れた人形のようにかくんと崩れ落ちる。完全に布団に沈んだ体はまだ小さく痙攣していて、鼻の穴からは時折低い呻きが聞こえた。
 こんな幼い少女が、窒息死寸前で失神アクメをキメているのを見て、収まりかけていた射精が再び勢いを取り戻してしまう。これ以上首を絞め続ければ、本当に阿求を殺してしまうかも知れないとわかっているのに、止めることが出来ない。私自身も断末魔にさえ聞こえる獣の叫びを上げながら、体を溶かして精液に変え、それを噴出するみたいな射精を繰り返す。細かい失神と覚醒の反復は、やがて失神が占める割合が多くなってきた。阿求が完全に崩れ落ちたのを追いかけるみたいに、がくんがくんと小刻みに脱力。膝立ちで阿求の首を絞めながら腰を振っていた私だが、自立が難しくなり前のめりに倒れ四つん這いになって阿求の体に被さってしまう。
 それでも体はちんぽへの刺激と射精欲求を求めて腰を振り、ペニスを根本からビクつかせながら吐精を続けていた。被い被さった阿求のお腹が、たぷん、と膨れて揺れる。いよいよ失神がほとんどになって薄らいだ意識の向こうで、阿求が弱々しく腕を回して私に抱きついてくる。そしてその腕もはたりと崩れたところで、阿求の股間から匂い立つ水溜まりが広がっていった。もう痙攣さえ止まった阿求。完全に失神して、失禁したのだった。
 ちょろちょろと可愛らしい筋を引いて注ぎ続けられる小水。彼女と同じように気を失いかけて前のめりに崩れる私の顔に、阿求の小水がかかっている。頬に、鼻に、口に注がれる香水を私は口を開け舌を伸ばして飲み込みながら、射精が収まっていくのと同時に勃起ちんぽが急速に縮んでいくのを感じた。ずるずると喉の栓が抜けた阿求の喉は、ダムが決壊したみたいに私の精液を吐き出す。私は逆流精液がこれ以上の窒息にならないよう、体を起こしてその吐瀉物を吐く口と鼻を吸い上げる。自分の臭いザーメンと、阿求の嘔吐物の匂い。悪臭と、悪臭にまみれた阿求とが愛おしくて、小便を漏らしゲロまみれになっている彼女に、キス。そのまま吸い出すみたいにバキュームキスをすると、彼女の体は弱々しくももう何度か、痙攣した。
 彼女の名前を何度も囁いて唇を啄んでいると、彼女がうっすら目を開けて私をみる。全く隠す様子もなく、大きな音を立てて精液の臭いが漂うゲップを鳴らしてから、はくたくさま、はくたくさま、と嘔吐精液に濡れた顔でゆったり笑って私の唇を吸い返してきた。私は小さく笑い、同じように小便に濡れた顔で啄みキスでそれに応えた。

 汚物まみれのピロートークはしばらく続き、やがて二人とも一緒に眠りに落ちていった。







 忘れてはならないことだが、これは、白沢様の性処理のようなものでしかないのだ。恋をしているのは私の一方方向で、仮に、もし万が一仮に双方向であったとしたならば、私は本当ならそれを拒絶しなければならないのだ。
 だって白沢様と稗田の女との間に、恋愛などあってはならないのだ。稗田阿求が白沢様に良くして頂いているのは、あくまで白沢様の気紛れとご機嫌一つのいわば偶然でしかない。丁度二人の間を自然にあるべき姿に戻せば、私は白沢様に触れることだって叶わない、前にして顔を上げれば縊り殺されても文句は言えない立場なのだから。アリスさんの人形のことを思い出しながら、しかし、愛情と愛着の違いを私は思い出さなければならないことに気が付いてしまったのだ。
 白沢様に抱いていただいたのは、歴代稗田の中で私だけかも知れない。そうではないかも知れない。白沢様は、奉仕種族たる稗田に対して、大変に寛容だ。だが、それは寛容なのであって、寛容でなければ息の根を止められる。存在は消されるし、すぐに代わりを作ることも出来るのだ。私は逃げ出すことが出来ないし、逃がさないための”カタチ”が私の足であり、稗田の女の短命なのだった。

――白沢様は、小さい女の子がお好きだから、私達を短い命での連鎖に縛り付けたのかなあ――

 罰当たり極まりないことを考える。もしそうだとしたら、母様だって白沢様のお相手をしていたことになるだろうけど、そんな素振りは見えなかった。まあ、娘に言うことではないのかも知れないが。私は、確かに誰か別の男の人との間にもうけられた子だろうと思う。でも、稗田が女性一系である(男子は決して生まれない)以上、父親が誰であろうと関係はない。この体を流れる血には、一握たりとて男の遺伝子は混じっていないのだ。

 白沢様の、血が欲しい。

 私に備わった性欲というのは恐らく、他の女性とは違うのだと思う。渇望にも似たこの感覚は確かにセックスを欲しがるというかたちを取りはするが、そも稗田の女のセックスは、体内で減数分裂が開始されるための合図でしかないのだ。同型配偶子接合と同一個体による胎生生殖。私の子宮内では、私と私自身が接合するのだ。だから、稗田の女にとってセックスとは外部からホルモン剤を投与するのと機能的には変わらないのだそうだ。セックスはただのスイッチで、セックスによって受け取った雄性配偶子が私の配偶子と結合することはない。わずかな能力と寿命以外には何も人間と変わらぬ阿礼乙女という種族だが、稗田が女性一系で血を薄れさせずに系譜を連ね続けるのは、こうした稗田の女の、異常な生殖方法によるものだった。
 稗田の血統は、閉ざされている。稗田という種族が、他の生物のように生命を連鎖こそさせど多様性による存続を目的にしたものではない以上、そこに不条理はない。不条理なのは、他者を受け入れないこの生殖方法が、まるで歴史というものはそう言ったものなのだと言いたげですらあることだった。
 純血にして閉塞。全一にして孤独。歴史に関わるものは、あまりに、むなしい。

――もしかして、白沢様は、この孤独に耐えきれずに、稗田を作られたのかも――

 ならば、確かに呪いも等しかろう。だが同時に、稗田は(私は)白沢様に必要とされている証でもある。存在し、白沢様の慰みになるだけで種の意義、奉仕が成るならば、私がこうして白沢様を求めることは正当なのかもしれない。やはり、歴代阿礼乙女は、私のように白沢様をお慕いし、同じように抱かれていたのだろうか。母様や先代までの稗田に対して、少しの嫉妬を感じた
 だが、そうならば、もしかすると逆に気が楽かも知れなかった。それならば、「すき」と堂々と口に出来るからだ。奉仕種族として対等を許されない今の立場では、それも許されないのだから。今の私はどこまでも性玩具で、隷従。温かく扱ってくれるのは気紛れにすぎない。それも、嫌というわけではないのだけれど。

 好きになる、ということはこんなにも強欲で罪深いものか。奉仕し、服従するだけで満足だった頃の方が、余程健全で幸せじゃないか。母様や、ご先祖様に嫉妬したり、身分に不相応な欲求を持ってしまったり、好きになると言うことは害悪しかないようにさえ感じられてしまう。
 きっと、慕情はハイリスクハイリターンの博打。強く強く求め身を焦がし苦しい代わりに、満たされたときの快感が巨大だから、やめられないのだ。中毒のようなもので、ならば麻薬と何も変わらない。与える従う見返りを求めない愛し方が下等と言われる奉仕種族のあり方ならば、私はそっちの方がよかったのかも知れないと思う。
 
 でももう、手遅れだ。

 私は白沢様を求めてしまったし、白沢様からのお返しを、頂き悦びを知ってしまった。もう、戻れないのかも知れない。これは、堕落なのかも、知れない。でも、こんな幸せは、20年そこそこしか生きられない宿命の私にしてみれば、身に余る、幸せすぎる、生き方なのだと思う。

 人の世には、"命短し恋せよ乙女"という言葉があるという。

 相手が白沢様でないにしろ、阿礼乙女達はそれを、この上なく上等に体現して見せているに違いない。誇らしいじゃないか。

 そんな、刹那に燃え尽きる生き方も、悪くないじゃないか。







 お早うございます、お嬢様。お食事はいかが致しますか?

 部屋の向こうから、低い声が聞こえた。黒田の声だ。私ははっとして体を起こす。
 ”あの”後、阿求は寝てしまったのだが、阿求の寝顔が可愛くて私一人いつまでも起きてにやにやしていたのが祟った。先に起きて、おはよう、の声をかけてあげるべきだったのに、このザマだ。
 襖を開けて顔を出し、お、おはよう。と、ばつが悪くしまらない私。油断すると瞼はまだ着地する気満々だ。多分寝癖で滅茶苦茶になってるだろう髪の毛を何とか手で言い聞かせようとするが、やはりどうにも聞き分けがない。毎朝のことだが、私は髪質がよくないのだ。その点、阿求の髪は短いながらも見事なストレートヘアでさして寝癖にもならないというのだから、ずるい。阿求も同じように寝間着のままだったが、目はしゃっきりしているし髪も乱れていないせいか、随分前に起きたようにさえ見える。
 そんな私の姿と鉢合わせた阿求は、白沢様!そんなみったくない恰好、ダメですってばあ、と私を廊下へ押し返し、入浴を勧める。なんか似たようなことを、永遠亭で兎に言われた気がする。風呂は既に沸いていた。沸かしたのは……黒田か。気が利くと言うよりは、聡すぎるな。
 私は来た道を押し返されるように廊下へ出され、風呂場へと足を向けさせられる。阿弥の部屋の方をちらりと見たが、起きているのか寝ているのか、はたまた生きているのか、窺い知れなかった。呻き声は、聞こえない。じっ、まるで古い映像にノイズが混じったみたいに、一瞬意識にざらついた靄がかかる。それは私に常について廻る欠陥のようなものだった。ただの眠気の影響かも知れないし……実体験をかき集めるならば、やはり、歴代阿礼乙女達の思念がぶつかってきたときの衝撃のように思える。
 替えの服とか諸々を世話しに私に付いてきた阿求。脱衣所に入ったところで私はその腕を取り、抱き寄せた。きゃ、と声が聞こえたが気に留めず、覆い被さるみたいにして唇を重ねる。柔らかい瑞々しい、新鮮な唇。寝起きの気懈さは性欲だけを浮き彫りにするみたいで、全てがノイジーなポルノ映画のワンシーンに思えてくる。それが眠気のする悪さだとわかっていても、目の前の幼性が意識の最奥に毒液を注入してくると私には抗えなかった。私の強引な口接に、阿求は最初身を強ばらせていたが、それもすぐに弛緩して、ぼうとした視線を私に絡めながらしなだれかかってくる。
 風呂なら一緒に入ろう。昨日汗だくになったのは、お互い様だろう?耳元にそうことばを添えてあげると、阿求は素直にコクンと頷いた。汗だけではない匂いが、いっそう興奮を誘った。阿求もまた、混浴を期待してまだ入浴をすませていなかったのだ。

 私は強引に阿求に奉仕を求めた。主と奉仕種族、盟主と家臣、恋人のようなもの、あらゆる関係を盾にして、私は阿求を求める。昨日の夜したばかりだというのにそれは嘘みたいに取り戻されていて、吐き出したい欲求、汚したい欲求、支配したい欲求、それらへの罪悪感をぶつけてしまって、愛業ループ。
 阿求、阿求、阿求、何度も名前を呼び、名前を呼ぶ度に汚い液体をぶちまけた。白沢様、白沢様、白沢様、何度も名前を呼ばれて、そのたびに阿求の名前を呼び返し、罪を重ねて清楚を踏みにじって汚辱を塗り込んでいく。その快感と、罪悪感と、性欲と、また快感、そして罪悪感。狭くはないが特別広いというわけでもない稗田家の風呂場を、まるで娼婦宿のそれのようにして私は乱れ、阿求はそれに巻き込まれていく。阿求の方も私を受け入れ腰を振り、白濁を身に受けては苦しさと恍惚を混ぜたような表情で私に抱きつき更なる行為を求めてくる。綺麗なおかっぱは湯に固まった精液で汚れ絡み、髪伸ばしておけばよかったなあとそこから指ですくったゲル白濁を口へ運ぶ。私はそれを見て再び阿求の頭に顔に、ぶちまけてしまうのだ。
 はくたくさま、だすなら、ここに。阿求が幼い外見を払拭する淫蕩を口にする。私の劣情はそれを制止する理性にとうに見放されていて、何度も何度も、幼い割れ目をこじ開けてはその中に汚液を放った。ようやく獣欲が収まりを見せたのは、湯と興奮にのぼせて具合が悪くなってきてからのことだった。阿求の方も心配であったが、彼女の方も私が動くのをやめると、ふへぇぇ、と声を上げて倒れ込んできた。
 体を冷ましてから、再び湯であったまって、汚れを落としあう。なんだか子供がおもちゃで遊び散らかした後でしおしおと片づけをしているような感じがして、ちょっと情けない。
 あさから、はげしかったです……♥上がり際、服の裾を摘まんで伏し目がちに阿求が言う。もう昼だがな、そう答えながら、私はまだまだ懲りていないようだった。

 風呂を上がって、二人並んで茶の間にでると、丁度ご飯が出来ていた。黒田には強烈な気まずさを感じつつも、朝食ができあがる時間がばっちりであったことに少し苦笑い。曰く、途中から静かになったもので、と一言。阿求と目を合わせられずに、また苦笑いするしかなかった。







 そう言えば、稗田の家で朝まで過ごすのは久しぶりだったかも知れない。
 阿求が当主になるまでは一度も無かったことだが、阿求が当主となってからはもう四度目だった。朝寝をしてしまったことを除けば、阿求と関係を持ったのは四度どころの話ではないが。逆に、阿求以外の阿礼乙女と関係を持ったことは、無かったのだ。
 阿求だけが、私が"性的に"愛した阿礼乙女だった。性愛ではない愛情ならば、今までの阿礼乙女には幾らでも注いできたつもりだ。それは親愛であったかもしれないし、友愛であったかもしれないし、ただの支配欲の満足とか独占欲の充足だったかもしれない。だが、こと、性行為に及んでしまうような感情については、阿求が初めて――そういえば似たようなことを、八雲紫も言っていた気がする――なのだ。

 だが、そんなことを阿求に知らせるのも何だか変な話であるし、私を本当に好いているのかわからない阿求相手にそんな事実を被せても、彼女の負担となるだけだ。
 阿求が私の求めに応えるのは、稗田の娘たちは私の命令に逆らえないからなのだ。阿礼乙女はハクタクの命令に絶対服従。それは意識や感情、知識や宗教観、全てにプリインストールされた、特権命令となっている。万が一仮に阿求が私を好きだなどと言ったとしても、それは……主体性を持った感情とはいえないのだ。私という存在とその呪いが介在している以上、阿礼乙女に"主体的な感情"など存在し得ないのである。そのことに、阿求は既に気付いているだろう。気付いている、と言う言い方は適切ではないかもしれない。知識として知っている、と言う方が正しいだろうか。自身では、本物の感情と偽物の感情とに、恐らく区別は付くまい。
 挙げ句、私の呪いは稗田に短命と身体障害の枷を課している。いきるのが楽しかろう年頃の娘にも拘わらず、苦難から逃げることのできない阿礼乙女達は多くが私を恨んだまま正気を失っていった。阿求もまた、そうであるに違いがない。阿弥とて何も言いはしなかったが、癲狂に陥った今私を見るあの深く澄んだ瞳は、私に何を訴えるものだろうか。生気もなくガラス玉の中央に幽かな命が淡く揺れ光るだけのようなあのか弱い瞳は、きっと私を恨む感情の残滓に違いないのだ。
 阿礼乙女という種族について、私はなんと罪深いことだろう。せめて私が、他のピュアハクタクのように、人が言うところの"冷徹"な性格であったなら、そんなことに気を揉むことはないと思う。奉仕種族を作成したとしてもそれを完全に道具か何かだと思える精神ならば。だが不幸にも、私にはそれが出来ない。それは、私がハクタクと人との混血だからなのだろうか。
 それならば、今すぐに稗田の娘を殺して稗田の呪われた血統を断絶させてしまえばいい、そう思ったことは何度もある。子を成す前に殺してしまえば稗田は一代一人のみ、その血は絶える。だが、その度にそれは出来なかった。死んでくれ、そう口に出すことも出さないこともあったが、どちらにせよ阿礼乙女達は全く抵抗しない。子を成す前の彼女達はまだ正気を保っており、私の呪いによって私への奉仕に喜悦を感じ、命令に服従すること自体が幸福。首を絞めても、刃物を突き刺そうとしても、彼女達は笑ってそれを受け入れようとする。それが逆に、私を思い留まらせてしまっていた。
 そうこうする内にもう、阿礼乙女は阿求で九代目となってしまった。私は、この呪いが解けるまで、阿礼乙女に不幸な宿命を負わせ続けるのだろうか。

 私の親は、何を思って、人との間に私をもうけたのだろう。

 白沢様、と阿求が私を呼ぶ声が聞こえた。食事の準備が出来た(勿論実際に食事の準備をしたのは黒田なのだが)ようだ。私は阿求の書斎を後にして、食卓へ顔を出す。風呂上がりの髪はまだ乾いていない。阿求もそうなのだろう、と思っていたらそうではなかった。髪がさらさら細いからだろうか、乾きも早いようだ。私と違って阿求にはもう風呂上がり感はなかった。ただ、傍を通ったときの石鹸の香りが、それを彷彿とさせる。それが余計に、淫靡だった。

 今日のご飯は、とまと、という新しいお野菜です。阿求はそう得意げに言う。

 ああ、とまとか。以前に阿求の可愛らしい悪戯にやられたときのものだな。思い出して私はくすり、笑ってしまう。私はそれを阿求へと問いかけた。
 あのときはしてやられたな。大事な話があるからと慌てて来てみれば、まさかとまとが温くなってしまうからとはな、そういって、黒田が間食ではなく食事の副菜として用意したとまとを口に運ぶ。胡麻油を使ったドレッシングがよく合う。砂糖をかけたとまとも絶品だがこれならご飯と一緒に食べることも出来そうだ。
 だが、阿求の反応は少し違っていた。あれ?白沢様、もうとまとをご存じだったんですね、流石です。わざわざ妖怪八百屋から取り寄せたんですけど、ちょっと無駄骨でした。だなんて。まるで私がとまとのことを知らないと踏んでの様子だ。阿求ともあろう奴が、人が悪いぞ。前、あんな風に私を出し抜いて食べさせたじゃないか。勿論そのときとはずいぶんと味付けは違うが、それでとまとがとまと以外のものになるわけではないだろう。と私が笑って返すが、阿求は小首を傾げて見せるばかりで私の意を酌みかねているようだ。

 もしかして、忘れてしまったかい?

 私は阿求に優しく問いかける。阿求は、申し訳ありません、と小さく恐縮していた。
 まあ、気にするな。ど忘れくらい誰にでもあるさ、自然なことだ。私はしゅんとしている阿求に声をかけ、いや、やっぱりとまとは美味しいな、それともあの妖怪八百屋の品物だからかな、と箸を進める。瑞々しい酸味の中に、塩味にも似た旨味が潜んでいる紛れもなく、あの日食べたものだ。その味をご飯と味噌汁、漬け物と岩魚の塩焼(朝食から贅沢な品だ)とともに味わいながら、とまとの味を噛みしめる。
 阿求もちょっとしたど忘れに一々気を揉むのをやめて、食事を楽しんでいる。足の具合はどうだ?今日も調子はいいみたいです、白沢様と一緒の時はいつも軽く感じますよ、えへへ。我ながらほほえましいと思う会話を交わしながらの穏やかな朝食は、一人でとるそれの何倍も美味だった。
 愛しい少女と甘美な夜を過ごした朝に、目の前にはその少女がいて贅沢な朝食をともにしている。そんな絵空事のような幸せの中で、ちりり、舌先に触る岩魚の焦げの、あるいは肝の苦みのように、私は阿求の物忘れに強い憂いを感じていた。

――はじまって、しまったかもしれない――

 それはもう八度経験し今回で九度目になる、しかしある意味では私にとっても初めての、崩壊の足音に違いなかった。








 その日も史片をお渡しした後、白沢様は稗田家に留まった。というか、私が引き留めたのだけど。今月納めたのは三編。その中には傀儡廻しが街に現れたという記述が混じっている。彼女の出現は数十年に一度とされており、紛れもない歴史的出来事なのだ。
 白沢様とおゆはんをご一緒している中で、その話が出たのは全く自然なことだったと思う。だって、あの日の出来事はあんなに楽しくて、生まれて初めて、と言うことばかりでいろんな人と出会って、沢山笑って、今までで一番楽しい出来事だったのだから。私にとっては初めてでも、白沢様にはきっと大した出来事ではないかもしれない。それでも、白沢様は、阿求と傀儡廻しを見に行ったときはてんやわんやで面白かったなあとしみじみ笑って仰るのだ。

 だが。白沢様を引き留めておいて、しかし私にはそれが少し、辛くなっていた。

 妹紅がいただろう?あれは見た目に寄らず抜けたところがあってなあ。それからあの人形遣いの魔術師だが……白沢様はあの日のことを楽しげにお話しになる。食事に同席を許している黒田も似合わない笑い顔でそれを聞いている。
 だが、せっかくの白沢様との会話がすっかり漫ろになってしまっていた。だろう阿求?そう問われるものの答えはやはり中身のない空返事。確かに白沢様の仰っていることはあったような気がするのだが、確信を以て返事が出来ない。濃い靄の向こうにその出来事は隠れていて、私は目を凝らしてもその靄を払うようにしても、その出来事をきちんと把握することが出来なくなっていた。朧げに、途切れ途切れにしか再生できない記憶。その現象を、私は知識としてだけ、知っている。

 ――忘却――

 あんなに楽しかった出来事を、私は、忘れているのだ。

 記憶が薄れている。そんなに遠い昔のことではない、しかも楽しくてきっと大切な思い出になりそうなことを。忘れる、という現象の重大さを、今、私は生まれて初めて自覚している。煙を手で捕まえることが出来ないように、私の中の記憶――それは今まで一度も私の元を旅立とうとしなかったのに――は所々において、まったく実体を失っていることに気が付いた。

 そのすっぽりと抜けた穴は、闇。認識できない、無なのか有なのかさえ。

 私は、それは本当にあった出来事なのかと白沢様に問いかけた。白沢様は一瞬固まって私を見る。その様子が、仰ることは紛れもない本当のことであり、私の言うことを訝しく思っていることを表していた。私は、いえ、あんまりにも楽しくて夢のようだったので、つい今になって信じられなくなってしまって、と笑って答える。白沢様は、小さく息を吐いてから、これからも沢山楽しいことはある、私がどこにでも連れて行ってやる、と頭を撫でて下さった。

 忘却という穴は、私には恐ろしいものに感じられた。今まで一字一句として失ったことのない記憶が、指の間を砂が抜けるように消えていく。それは、まだ白沢様が仰るように、普通の人間で言うところの"ど忘れ"程度であるのかも知れない。
 だが私は予感していた。これは、白沢様の呪いの一側面なのだろうと。そうであれば、この記憶の欠落は恐らく

――進行する。

 振り返ってみれば、とまとを白沢様に召し上がっていただいたのは"何回目だっただろうか"。度忘れなんて自然なことだと白沢様は仰ったが、それは何度繰り返されたことなのか、わからない。初回なのかもしれないし、もしかしたら、もう、何十回にもなっていて……想像しただけで背筋が凍る。

 一度見たものを決して忘れない能力、先天性の身体障害、ある時から進行する忘却、必ず狂気へ至る阿礼乙女という一族、課せられた夭逝の宿命、白沢様自らの呪いと称する一連の、散在していた事象が一本の糸で括られた。

 寒気がした。生まれてこの方全てのことを、歴史とは別枠に、私は完全に記憶してきた。物心付いたときから、私の記憶は完全で、幼い頃に初めて出会った白沢様のお顔も、あの頃まだ聡明だった母様の様子も、全て隅まで余すところなく思い出すことが出来たのだ。私にとって記憶とは、意識さえすれば全く失われることのない、自分の存在の寄る辺となりうる強固な情報だったのだ。
 それが、今は違う。覚えていようと積極性を以てその情報を取り込んだとしても、すっかり忘れてしまうかも知れない。はなから覚える気のないもの、保持するに足らない些細なことなどは忘れても困りはしないが、覚えていたことについても忘れると言うことであれば、何を忘れるのか制御できないという恐ろしさが姿を現す。

 人に備わった忘却という現象は、こんなにも恐ろしいものだったのか。

 私は白沢様と漫ろに話を続けながら、これから付き合っていかなければならない"忘却"に戦慄した。白沢様の呪いによる短命より、身体障害より、今の私には、人にとって当たり前の忘却の方が余程に、恐ろしく感じられたのだ。

 私はその日から、それまでの二倍の歴史を記すことにした。
 今まで通りの白沢様に捧げる歴史と、もう一つは、私自身の小さな日常を書き記す、日記。

 そこに、もう一人の私を描き出すくらいのつもりで。そうすることで、忘却という現象の恐怖から逃れようとしていた。







 川に行きたいですと言う阿求をつれて、今日は私は子供たちの遊び場になっている川へやってきた。よく河童が現れて子供たちと遊んでくれるものだが、残念ながら今日はいないようだった。
 一番近所の川辺と言っても阿求が自力で歩いて来るには相当の距離だ。私は彼女をおぶろうとしたのだが、頑なに断られてしまった。どうしても、自分の足で歩きたいと言って一歩も退いてくれなかったのだ。

 白沢様!
 杖を突いて川縁を歩く阿求が私を呼ぶ。もう、足の悪い私の方が速く歩くなんて話がありますかと、これ見よがしに飛び跳ねてみせる彼女のいじらしさが、余計に愛おしさを掻き立てた。あの日、傀儡廻しを見に行った日の出来事をごっそりと忘れ去ってしまった日から、阿求は逆に努めて明るく振る舞っているように見えた。今までよりも積極的に外へ出て、恐らく痛むだろう足を引きずってでも街の中を歩こうとする。家の中や書物の中にはない”初めて”と”本物”を、彼女は何よりも喜んで見て回る。

 けんけんぱ、けんけんぱ。と跳ねる阿求。おいおい気をつけろよ、石ころのところで転んだらひどいぞ。私がそう言うと、子供じゃないんですから、とあかんべをしてきたが、それ子供の仕草だぞと笑う。阿求も、笑う。

 白沢様、石切り、石切りして下さい!と今度は私に石を手渡してくる。手渡してきたのはごつごつと丸っこい石。こんな石じゃ全然ダメだよ、もっと平べったくて丸い石でないと、と、取り敢えず阿求の渡してくれた石でやってみるが、高さを十分に持ったその石では二、三回ばかり鈍く跳ねてすぐに沈んでしまった。
 ええっ、そうなんですか?阿求はきょろきょろと私が言った形に合致しそうな石を捜すが、足の不自由な彼女では捜索範囲は限られている。ぶらぶらと歩きながら足下を探し、ちょうど良さそうな石を見つけて拾い、阿求の傍へ。
 ほら、こういう感じの石がいいんだ。やってみなよ、手首のスナップと腕の動きだけで十分、足なんか使わないから阿求にでも出来るよとそれを手渡し、私はそれこそ適当な石を摘まみ上げては投げる仕草を阿求へ見せる。
 腰を低くして、投げるというより振って飛ばす感じ。水面の延長をイメージして、それに擦り付けるみたいにして。投げる瞬間に手首を捻って、石を水平方向に回転させるんだ。

 笑っているようなしかめっ面のような、難しい顔をして手の中の石と川面の間で視線を行き来させる阿求。思い切ったように、えい!と声を上げて腕を振った。その石は、ぱちゅん、ぱちゅん、と音を立てて五、六回水面でバウンドし、そして沈んだ。
 わあ、すごい!石が水の上を走るなんて不思議ですね!なんてはしゃいでいる。元々幼い容姿ではあるのだが、だからといって十代後半の女の子が石切りであんなにはしゃぐものかと少し苦笑いしてしまう。それは彼女が明るく振る舞う中での仕草なのか、それとも人生のほとんどを日の光の薄い家の中で過ごすことによる弊害なのか、私にはわからない。どちらにせよ、可愛らしくもあるが……切なくもあった。

 こぉんなに沢山お水が流れてるなんて。川、って、書物では知っていましたけど目にするのは初めてで、つい大人げなく……。舌を出して笑う阿求。可愛い。勿論阿弥を含めた他の阿礼乙女達も容姿は阿求とそっくりで同じく可愛らしかったのだが、感情というのは認識にこれほどに影響を与えるものなのだろうか、阿求は今までの阿礼乙女の中で一番可愛いに違いないと思ってしまう。
 ただ、こんなに可愛らしいと言うのに、その背には同じく夭逝の宿命とああして引きずる足、それに、彼女の忍び寄る阿礼乙女のもっとも特徴的な”衰弱”が重くのしかかっている。私の五百分の一も生きぬ小さな小さな命に私の半分の重さを背負わせているのだ、なんと残酷な仕打ちだろうか。

 海、っていうものがあるんだ、ここじゃないどこかに。本に、たまに出てくるだろう?私が言うと阿求は思い出すような仕草――それを覚えたのはここ数日のことだ、阿求にとって、今まで全く必要のない行為だったのだから――をして、ああ、読んだことあります、こんなおっきな魚がすんでいて、山がすっぽり沈めるくらい深い池だって。
 歩く阿求は、どうしても私の先を歩きたがる。こんな足に負けないのだという意思表示かもしれないし、短い先を生き急ぐかのようでもある。
 池とは違うんだけどな、と付け足すが、説明するのも大変であるし、彼女は今何より本当に目の前にあるものを望んでいるのだ、この世界にはないものを提示して本当に彼女が喜ぶとも思えない。

 そろそろ戻ろう、阿求に帰宅を促す。
 彼女が忘却を”覚えて”からというもの、私はほとんどの時間を永遠亭ではなく稗田家で過ごしている。他の阿礼乙女達のときもそうだった。これから音もなく、だが水が滲み入ってくるように急速に、それは彼女を蝕んでいく。

 私、忘れるようになってしまったんです。彼女がそう告白してきたとき、私は(それがもう九回目であるというにも拘わらず)何と声をかけていいかわからなかった。つい口をついて出たのが、忘れるなんて自然なことだ、怖がることはない、心配するな。なんて。

――全く、心にもないことを!――

 内心不甲斐ない自分へ歯ぎしりしながら阿求のさらさらの髪に手櫛を通して頭を撫でていた。彼女は小さく震えていた。初めて感じた”深刻な忘却”という体験、情報と記憶が足元を固める稗田の娘という生き物にとってそれは根幹を揺るがす恐怖に違いないのだ。

 今までそうしたことはないが、もしかしたら、普通の人間と多く触れ合わさせて、忘却は身近なものなのだと感じさせた方がいいのかもしれない。幸いにして、それを境に積極的に外に出ようとするようになった阿求を、私はなるべく人間と接させた。忘却は怖くも何ともないと、彼女も理性では知っているのだろうが既に人生の半分以上を情報と記憶に頼って自意識を確立してきた彼女にとって、それは理性を超えたもっと深い部分に根ざしているようだった。持ち前の洞察力と気遣いで、器用に隠してはいるものの、自分の中に潜む、記憶を喰い荒らす化け物に常に戦々恐々としているのが私には伝わってきていた。

 えー、もう少しお外を満喫したいです、彼女は帰ろうという私の進言を拒絶しようとしたが私は、明日もまた来ればいいだろう、いつでも何度でもつれてきてやるから、と彼女をひょいと持ち上げておぶる。一人で歩けますってばぁ、と声を上げる阿求に、いつまでも遊んで帰らない悪い子は無理矢理つれて帰らないとダメだからな、と歩き出すと彼女も観念したのか、腕を回してしがみついてきた。

 とく、とく、と伝わる小さな小さな鼓動。年端もいかない幼い人間が愛おしくて愛おしくて。背中越しに私の風情のない大きな心音が伝わってしまうのではないかと心配になる。

 阿求。
 はい。

 大丈夫だから。心配いらないから。
 私は全く根拠のない気休めを口にしてまで、彼女の機嫌をとろうとしてしまう。無様だな、仮にも半分は古の大いなる種族の血が流れているというのに。

 なにがですか?わたしなんにも心配してません。白沢様が大丈夫だって言うなら絶対大丈夫だって信じてますからと、私の背中にぴったりと体をくっつけて、言葉の一つ一つを私の肩上に置くように囁く阿求。
 阿求は強い子だ、そう一言だけ返して、私は残りの道を無言で歩き続ける。

 やがて遊び疲れた阿求は、私の背中で寝てしまったようだった。

 彼女は覚えていないのだ。あの日以来、彼女とこうして川に来るのが、実はもう三回目であるということを。







 阿求が私の名を呼んでいる。不安そうな声色だ。まだ寝ていた私は目を擦りながらどうしたのか訪ねると、どうやら家に不審者が侵入しているということらしい。見知らぬ男が、我が物顔で家の中を行き来しているのだと。私は不安そうに怯える阿求の手を取って、その方へ案内を頼んだ。
 どんな男だったのか。阿求は黒づくめで大柄な男だという。その男は朝起きたら家の中にいて、阿求は慌てて私の傍へやって来たのらしい。私はそれがどういうことなのかもうわかったが、阿求がするようにさせた。
 この人です、と遠目に指さすのは、やはり黒田のことだった。
 あれは、黒田だよ。阿求、いつも身の回りの世話をしてくれているじゃないか。私が言うと、少し考え込んだようにしてから、くろだ、くろだと反芻して、ぁ、と呟いた。

 思い出したかい?私が問うと、阿求は小さくこくんと頷いた。
 私、忘れて……。阿求は打ちひしがれたような声で私の方を見てくる。黒田を不審者措置して怪しんでいるときよりももっと不安そうな顔で、私の方をまっすぐに見つめてくる。大丈夫だ、私だって忘れるときは、そう言う大切なこともぽっかりと忘れるものだ。そうフォローするが阿求の不安の色は拭えない。それよりも、阿弥が亡くなったときのように、忘れてしまっていたことへの不安よりも黒田への苛烈な後ろめたさを感じているようだった。
 私は阿求の手を取って、もう思い出したんだろう?忘れたって、その度にまた記憶の手綱を引き戻せばいい。難しいことじゃない、私達忘却を持つ者は、みんなそうしているよ。
 阿求の頭を撫でて、黒田に朝の挨拶をするように送り出す。

 おはよう、ございます、黒田……さん
 おはようございます、お嬢様。朝餉の準備が整っておりますよ。白沢様をお連れして下さい。

 黒田は阿求の記憶障害のことを承知している。会話はスムーズだった。
 黒田と直接会話をする内に、阿求の方もすっかり思い出しているようだった。阿求は、私の方へととととととやってきて、あさごはん、です、と少し申し訳なさそうな顔で言う。ああ、わかったよ、私は彼女の後をついて茶の間へと向かった。

 記憶とはいつもそうだし、忘却とその再生もいつもそうだ。記憶が元に戻るのは、決して割れた花瓶が逆再生で元の姿に戻るのとは違う。まるで、変わらずにそこにあり続けたものが何故か見えていなかっただけのように、元からそこにあったというしたり顔で再び現れるのだ。然るに、記憶の欠落というのは、突然の情報消去ではなく、再生経路の断絶などから始まるのだろうと思う。経路を失った記憶はやがて触れられることがなくなるにつれて消滅していく。その前に道を再度繋ぎ直せば、高い再現率で元に戻るのだ。
 ならば、阿求のそれを留めることも、習慣次第では可能なのではないか。私は希望を持っていた。阿求には歴史の編纂をやめさせていて、もう、記憶を外部から圧迫されることはない。ゆっくりと進行していくそれになら、対応することが出来るのではないか。

 阿求、朝御飯を食べたら、河川敷にでも散歩に行かないか。私がそう誘うと、阿求は喜んだ。まるで、川に行くのが初めてあるかのように。









 私がずぶずぶと失いたくない記憶を抱き抱えたまま音の暗闇の中に沈んでいると、何者かが、肩に触れた。

 私は、まるで飛蝗が跳ねるように飛び退き、その方を見た。ヘッドフォンは、外れてしまっていた。久しぶりに開いた目には、あらゆる光が眩しすぎて、目の前にあるのが光の束から像へ変化するのに幾拍かの時間を要した。

 目の前に現れ私の肩を叩いたのは、彼女だった。彼女は何事か呟いたが、耳元で外れたままのヘッドフォンから鳴り響く雑音が、まだ辛うじてそれを遮る。
 彼女の少し厚く赤い唇は、何を呟いた?
 私は彼女から目を伏せ、いらない(何をかはわからない、何を言われていてもそれで断れる文脈しか思いつかない、それで十分な筈だった)と言葉を放り投げると、彼女は私の胸ぐらを掴み上げて平手を張った。一発、二発。三発目が来ると振りかぶられた腕に視線を投げていると、それは不意に崩れ落ちた。何事かと見れば、彼女は泣いていた。何の言葉を呉れたのか、耳から先の神経が遮断されたみたいに拒絶される。聞かなければいけない言葉なのだろうに、まるでヘッドフォンをつけたままにしているみたいに、何者も入ってこない。

 赤い目は兎のように腫れている、揺れる彼女の涙。何故。おまえが泣く必要なんか無いじゃないか。そこに映る私の目もまた同様に、赤く、濡れていた。









 白沢様。
 その名前で私を呼ぶのは、阿求ではなく黒田だった。阿求はまだ寝ている。早起きだった彼女は最近、寝ている時間が長くなった気がする。前は昼寝なんかしない子だったのだが、最近は随分長い昼寝もするようになった。これも、兆候に違いなかった。

 胸騒ぎは、確かにあった。決して早い時間というわけではなかったが、寝起きの悪い私がいつもよりも幾許か早い時間に独りでに目が覚めてしまい、黒田が少し慌ただしげな足音を立てて部屋に近づいてくるのも聞こえていた。
 だが、私の予感は今一歩、重要なところを察してはいなかった。それがしれていれば、私はこの事態を回避できたかもしれない。いや、どうであろうか。彼女がそれを選んだというのであれば、それは今日でなくとも明日、明日でなくとも来週、どのみち遠くない未来に起こったことに違いがなかった。

 黒田にどうしたのか問うと、彼らしくはない、感情がその表情に漏れ出していた。悲愴、普段能面のような無表情を決め込む彼の顔には、今はそれが張り付いている。それもわずかのものだ、泣き顔であったり、眉を垂らしたり、そういった様子ではない。どことなく、悲しさを含んだその表情、彼にしては珍しく感情を露わにした表情だ。
 その黒田は私の前でいつも通りに姿勢を正して、一言。

 阿弥様が、自害なされました。

 黒田の様子から、瞬時にどこかで、この可能性を察していた。阿弥、自害、という単語が接続詞による連結を待たずに意味を形成する。私は、かくん、と体から力が抜けるのを感じた。遠くない未来に訪れるだろう出来事が、今来と言うだけの話、それだけと言えばそれだけでなのだが、自殺だなどと。

 何故そんな方法をとったんだ、阿弥……。

 阿求が起きる前に、処理してしまおう。黒田には部屋に近づかないよう命じ、私は阿弥(と、以降の阿礼乙女達)のために設えた正方形の部屋に入る。

 阿弥は、”部屋の真ん中で”舌を噛み切っていた。椅子に座ったまま、傍らにあの本を置き、右手が表紙の上に置かれている。
 狂気に堕ち、それ故に自殺に至った阿弥の表情は、しかし驚くほど安らか。口の端から大量の血が零れているのを除けば、それはまるで眠っているかのようだ。今までの阿礼乙女の中では、一番安らかな表情であった。
 その他に、特筆すべき点がないほど、阿弥の死体は穏やかにそこに、座っていた。

「昨晩も特に変わった様子はなく」
「……だろうな」

 生前から、阿弥は突飛なところがあった。うちに初めて阿求を連れてきたのもその日思いついてのことだったと言うし、そのくせ自分はさっさと屋敷へ上がり一人で歴史片献上の儀式を準備しているのだ。
 聡明故に、今すべきことが見えていて、勝ち気な性格故にそれをすぐにしなければ気にくわなかったのだろう。その竹を割ったような性格と、だというのにいつも人間とは思えない正鵠で物事を見抜く、阿礼乙女の中でもいっとう知恵者だった。
 反面、阿求をどこでもうけてきたのか私にも聞かせてくれなかった。他の阿礼乙女は皆、私を父親か何かだと思ってか、自分の伴侶を必ず連れてきた。私がそれにNOを言うことは無かったが、阿弥となっては最初につれてきたのが伴侶ではなく子供(それこそが阿求)だったのだから、手に負えないなと思わされた。

 そんな阿弥は、自ら命を絶つ選択をした。自我があったのかは判らない。狂気に惑っていたのは確かだったが、意思や自我理性がなくば、自殺という選択肢は普通浮かばないのではないだろうか。
 あんな風になってしまった阿弥にも、最後、こうした終わり方を選択する意識は残っていたのかもしれない。生前の彼女をして振り返れば、阿弥は、こうすることが最善だと判断したのだろうか。

 違う、阿弥、お前はいつも正しかったけれど、こればっかりは、こればっかりは間違っているよ。なあ、阿弥、そうだろ、阿求はまだ、元気に育っていく。ハクタクの呪は少しずつだけどコントロールできるようになってきているんだ。娘が元気な様を、見ていたくはなかったのか?なあ、なあ……

 自害の前に予め用を足したのか、阿弥の死体からは失禁も見られない。
 気を違え、理性のないところに自傷して命を絶った子は、他にもいた。だが阿弥のこの余りにも静かな自殺は、これまでのどの阿礼乙女達とも違っていた。確かに気が触れて言葉を失い、外界とのコミュニケーションが不能になって、まるで絡繰り人形のようになっていた阿弥だが、彼女の内部には、彼女の外部へ一切出力できない――それ故に、存在しないと思われてしまう――理性が残っていたのではないのか。だから、こんな綺麗な自殺をしたんじゃないのか。

 私は阿弥の亡骸を抱き上げて、長い黒髪に指を通す。死人の頭髪とは思えない、しなやかでつやめいた髪の毛。もうすっかり冷たくなってしまった身体は、生き物から命が抜け去った後と言うよりも、最初からその姿で完全だと言わんばかり人形然とした美しさを保ったままだ。

 もし、一切外へ出力されない理性があったとして、完全に閉じこめられたそれは、いったいどんな絶望を味わい続けるのだろうか。私や阿求のいっていることは全て理解しているのに、理解しているということを外部へ発信できない。その形が、吃音や、ぐるぐる部屋を回り続けるという奇行にしかならないのだとすると。
 想像してから私は、余りにも不憫だったのかもしれない阿弥の可能性について、胸を締め付けられた。私の勝手な想像でしかないのは確かだが、今となっては確かめる術はない。だからこそ、否定も、出来ない。

 黒田は、部屋には入ってきていなかった。彼は阿弥の代からの召使いであるが、従者でしかない彼は、こうした重要な場面に立ち会うべきではないのだという自覚があるようで、いつも立ち入ってくることはない。私自身はそうしたことは気にしないのだが、彼は、頑なに一線を保っている。私が扉の方へ視線を投げると、しかし黒田は珍しくこちらを気にしているようだった。

 私は大丈夫だ、心配しないでくれ。全く平気なわけがないが、ここで泣き出してしまえるほど私は子供でもない。
 それとも、黒田も阿弥のことを悲しんでくれているのだろうか。本当にわずかな期間ではあったが、阿弥の理性がはっきりしていた頃にも、彼はこの家へ仕えていた。一年足らずであったかと思う。黒田自身も若かったし、まもなくして気違えた阿弥を介護する仕事が増えることになって、印象はそちらの方が強かろうと思う。黒田が阿弥を悼んでくれるのであれば、阿弥も、そして私も幸いである。

 しかし私は悲しみに暮れているわけにはいかなかった。まだ、考えなければならないことがあるのだ。それは、阿求には何と伝えようか、ということだった。
 阿弥もまた、残酷に自らの母の死を伝えられた娘の一人だった。阿求と違い、阿弥は自分の母が死ぬときに記憶の障害はまだ出ていなかった。母の死を前に泣きじゃくり、母を生き返らせてくれと私に縋る様は、今でも思い出すと心臓がどくん、と大きく跳ねる。阿弥ばかりではない。稗田の娘達は、皆そうした離別を経験する。

 阿求も、既に忘却が始まってはいるものの、正気を失うほどではない。その点では阿弥の時と同じように阿求もまたひどく悲しむだろう。私も、阿弥の生前を思い出すと胸が潰れそうだ。彼女は歴代の阿礼乙女の中でも群を抜いて聡明だった。賢いだけではなく気立てもよくて、阿礼乙女でなければ幸せな生を送っていたに違いない。死を悲しむと共に、罪悪感が重くのしかかる。

 阿求には、時折であるが意識の混濁も見えて、彼女にも終末の足音が近づいているのは明らかだった。二十年足らずで世代交代をする阿礼乙女。その度に、私は、やはり稗田の血をこの手で絶やすべきなのではないか、と考えてしまう。だが、それはそれで、難しいことでもあった。

 阿礼乙女には亡骸を納める墓はない。あるのは慰霊碑のような形式のみの墓だけだ。納骨もしない。葬式もしなければ通夜もない。埋葬も、しない。
 私は黒田をさげ、阿弥と部屋に、二人きりとなる。
 阿弥。私はその亡骸を抱き上げてその額に口付ける。短い時間ではあったけれど、私に仕えて勤めを果たしてくれたことに感謝と、愛の証、そして私の課した宿命によって短い命を終えてしまったこと、そして娘の阿求を愛してしまったことへの謝罪を込めて。

 ありがとう、阿弥。済まなかった。そして、さようなら。
 稗田は私の中へ、還る。

 私は、歴史を噛み砕いて食べるそのときと同じように顎を大きく開き、その亡骸を――







 全く際限のない無限遠の空間。空は天井、仄明るい障子紙を貼った平坦な薄曇り。枯山水じみて波打つ白砂利と池、松の佇まいが点在するよもの地平、その木立の間隔はまるで鏡写しのように同じ姿が繰り返されている。
 私はこの空間を知っていた。だがどこなのか覚えていない。大層昔に、誰かと一緒に来たことがあったような気がするが、私の頭はもうそれを覚えている体力を持ち合わせていなかったのだろう、朧げにそれを覚えているような感覚だけが、頭の右半分でじりじりと接触不良の火花を散らせている。

 どこまでも遠く続く白い玉砂利の海。ふと振り返れば、私の背後には小屋が建っていた。茶室のように小さく質素だが作りは丁寧でうるささを感じさせない美しさが滲んでいる。これは……?

 ぐるりを一切見渡してみても、その小屋以外に白い地平線を破るものは等間隔で並ぶ松の木立だけ。

 何故、こんなところにいるのだろうか、それさえも思い出せなかった。
 
 この小屋以外に休める場所はなさそうだったが、少なくとも自分の家ではないその小屋に勝手に立ち入るのは気が引ける。私は高床になったそれを上るための階段に一つ、腰掛けることにした。まず、記憶を洗わなければならない。ここはどこなのか、何故こんなところにいて、家に帰るにはどうすればいいのか。

 思い出せない。
 まるで空っぽだった。
 今こうして自分がここにいることの、命綱がぷっつりと断ち切られてしまったようだ。足は地についているというのにまるで自由落下の最中みたい。気持ちが悪い。自分の頭の中を覗こうとしても、どろどろの泥しか見えない。時折浮いているつぶつぶを掴み上げて見てみれば、役に立たないどうでもいい記憶の欠片。大事なものほど、溶けて消えてしまっているようだった。

 何も思い出せない。
 そういえば、私は、誰なのだっけ。
 濃霧の立ちこめた記憶の中には幾人かの認証があるが、それのいずれかが自分であるらしいことしかわからない。同一性が持てない。
 私はどれだ。一番情報が多いのが私なのだろうが、大して差がない。
 あの大柄な男だろうか。小柄な娘?背の高い女性だろうか。それとも白髪の女の人か、あるいは人形か。どれを自分だと当てはめてもしっくりこない。全てが他人のように感じられてしまって、私が誰なのか皆目見当がつかなかった。

 ゲル状に溶けた脳味噌が波打つ頭を抱えて、私は小屋の階段の前でうずくまる。気持ちが悪い、記憶に縋った同一性が、悪いことなのだろうか。記憶など失っても、本当は今来たような白い玉砂利の海には、今まで歩いてきた足跡が刻まれているものじゃあないのだろうか。何故私にはそれがないのか。足跡を記憶で刻んできたからだろうか。

 じゃあ何故、私は何も思い出せない?

 気持ちが悪い。吐き気がする。常に落下しているみたいで、隣にある何もない空間が、私ではないという自信が持てない。今踏みしめている階段が、私何じゃないのか。私じゃないものと私であるものの境界を定める記憶がない。吐きそうだ。今吐き出しそうになっている胃の中にあるものが私なのか?
 座り込んだ姿勢のまま冷や汗が吹き出て身動きがとれない。体感覚さえ虚ろだ。こうして手で自分の顔を触ってみても、手に当たる顔の感覚と顔に当たる手の感覚が一致しない。
 うう。変な声を上げて、私はついに板張りの縁側のような場所へ倒れ込む。動きたくない。考えたくない。消えてしまいたい。

 ハクタクサマ

 何かよくわからない単語が頭の中で並んで消えた。
 そして続けざまに、私が呼ばれた。私が呼ばれた、私が呼ばれたというのに、私を指す記号が何であったのか認知できなかった。ただ、確かに何者かが私を呼んだ、それは、この小屋の中からの声だ。呼ばれることが出来ると言うことは、私はまだ生きていて存在していることに間違いがない。私はふらふらとその中へ、吸い込まれるように入っていった。

 襖に遮られたその奥には、正方形の空間。そのど真ん中に、女が立っていた。私より幾らか背は高いが、決して長身というわけではない。誰だろうか、襖を開けた瞬間から私と対峙するように立ち上がっていて私を見下ろしてきている。

  次   あ      番
   は   なた  の だ か
                 ら

 女は口を動かすことなく私の頭の中に直接に言葉を構築して意味を染み渡らせてくる。言葉さえ記憶から失いかけていた私の頭の中に、いろいろのものから拝借してつぎはぎになった文字列が並んでいく。まるで新聞紙や本のページから一文字ずつちぎり取ってスクラップするみたいに、それは私のものではなく、借り物の知識みたいに表層しかわからない。けれど、何もないよりは遙かにマシだった。

 女が本を手渡してきた。この本を私は知っている。どこかで見たことがある。だがそれがどこだか思い出すことはやはり出来なかった。革張りの黒い本。ページの端は日焼けか手垢か、または別の何かによって変色し、擦り切れている。とても古い本だ。

 得体が知れず、不気味にさえ感じる本の佇まいに、私はそれを受け取ることをおそれたが、だと言うのに私の体は勝手にそれを受け取って本を開くではないか。意識ではなく、本能がそうさせるというのだろうか、私は意志を以てそれを止めることが出来なかった。

 中には、おおよそ文字とは思えないものが、文字の顔をして並んでいた。シダ植物のような小さな図形が列をなして並んでいる。それとは別に、やはり植物のような、もしくはアメーバのような曲線輪郭を持つ図が、挿し絵のように描かれている。人の形をした図形が、液体に浸って全く同じ形を増やしている様や、いろいろに並んでいる図形が瓶に液体を流し込んでいる絵、その液体がやはり人の女性の形をした図形に注がれている絵などが描かれているが、添えられた文字が理解できないことも手伝って内容を読める気はしない。

 だのに、だと言うのにそれは、私の中にするりと入り込んでくるではないか!


 私達       逃       この    あ
  は 宿  らは れ    な   本、次  な
    命 か   られ   い。     は  た
                          の 番。


 拒否したかった。この薄ら気味の悪い本を、私は片時も側に置いておきたくないと思ったのだ。だと言うのにそれは体の一部のように感じられてしまって、意思とは別枠の何かの作用によって私の懐に納められる。

 描かれている人の形。液体の中に浸り、まるで培養されているような描写は、稗田の女たちではないのか。植物のように描かれたのは、一個体で配偶子の結合を完結する阿礼乙女の秘密を植物にヒントを求めて解明しようとした痕跡、この本はそれを求めた何者か――あるいはいつかの稗田の誰かの――の手記であるのではないのか。

 この本はその魂を摺り潰してまみれにしたものではないのか。

 私は強い確信を得た、だがそれに忌避感を感じても私は、そこから逃げることが出来ずに、本を継承することになってしまったのである。
 その本から私の頭の奥へ、強い緒が形成されたのを感じる。これが途切れたとき、私はきっと――

 では、私にこれを引き継いだひとは







 起きてきた阿求は屈託なく、ねすぎちゃいましたおこしてくださいよぅ、とまだ眠たそうな目を擦って部屋に入ってきた。
 私はその阿求を座らせて、阿弥が亡くなったことを伝えた。最初に発見したのが黒田であったことは伏せ私が見つけたことにしたこと、自殺であったこと、部屋の真ん中で舌を噛み切っていたこと、死体は既に処理してあること。全てを淡々と伝えた。努めて冷淡に、感情を出さず事務的に。阿求が、母の死について、私を恨めるように。

 母の死を知った阿求は、寝間着のままぼろぼろと泣きはじめた。阿弥の晩年、狂っていた彼女の様を阿求は忌避してはいたものの、幼い頃はかあさまかあさまと片時も離れないお母さんっ子であった。その死が悲しくないはずがない。
 阿求は声を押し殺して出さず、俯いて涙を膝の上に滴らせている。そんな泣き方がいじらしくて、私は阿求を抱き寄せた。もっと、思い切り泣いていいんだ、阿求、阿弥の死は、いや、阿礼乙女の死は全部私が悪いのだ、私を恨んでくれ、阿求、阿求。

 だが、阿求の反応は私の想像とは、違っていた。

 申し訳ありません、白沢様。私、母様の死が悲しくて泣いているんじゃ、ないんです。それはもう、覚悟の上でしたからと。彼女は私の胸の中で、小さく呟いた。では、何を泣く。無理をしなくてもいいんだ、そう言うと彼女は私の腕をするりと抜け出して、本当に悲しそうな顔を私に向けて、こう言った。

 母様のお顔が、思い出せないんです。お声も、たぶん楽しかっただろう母様との思い出も、何にも、私の中に母様はもう、いなかったんです。そのことが、悲しくて、情けなくて、私……

 そんな阿求をもう一回引き寄せて強く抱きしめる。阿求は再び、いや、今度は声を上げて、泣き出した。
 私には何も、彼女にかけてやれる言葉がない。全てはハクタクの呪いのせいなのだ、何を言おうともおこがましいではないか。彼女の救いにはならないし、慰めにも何にもなりはしない。こうして阿求を抱きしめていることさえ、ごまかしでしかない。

 記憶侵食の進行が、速度を増していた。だが、私の予想の遙かに上をいくその速度、今までに例を見ない。恐らくは、ハクタクの呪いに対して一番ポジティブであった故の影響だろう。阿求のような子が逆に責め苦を増すという、理不尽。

 稗田の娘に備わった”一度見たものを決して忘れない能力”。それは、能力などではなく、本来知性に隣り合わせて自然と備わる"忘却"という機能を失調していると言う障害、不具廃疾なのだ。
 今、彼女の中で進行している忘却は、健忘ではない。インプット過多となり記憶領域が圧迫され、新しい情報が次々意図しない場所へ上書かれて古い情報が喪失しているという”症状”。記録が記憶を、押し潰しているのだ。

 阿弥の死に顔は、歴代の阿礼乙女の中では一番安らかなものであった。あの正方形の部屋と歴史書によって隔絶した壁は、効果があったようだ。だがそれは、癲狂に至ってからのこと。それよりも手前で、何とかくい止める方法も、模索しなければならなかった。







 その晩、阿求は久しぶりに私との同衾を望んで布団に入り込んできた。曰く、忘れたいのだという。胸の中にある重苦しいものの存在に目を瞑りたくて忘れるためにセックスしたいのだと。
 事物を忘れるという機能を失った阿礼乙女。決して忘れることがないことが常識であった阿求はその夜、初めて忘れることを望んで、快楽に耽った。忘れてしまうと言う病変を忘れたいという、冷酷なシニカル。だが、私も彼女がそうしてくれたことで救われたのだ。私もまた、阿礼乙女という種族との距離感のあり方に変革の必要性を感じていたが、それは苦痛を伴うものであり、阿弥を失った今はいっときでも、それを忘れたかった。だから、その夜のセックスは、過激を極めた。
 今までのまぐわいの中で常識的なプレイは全てやった。彼女の誘いに、私が理性を擦り切ってからは不道徳なプレイの多くは試した。彼女が記憶を失い始めてからは、体に覚え込ませるプレイに移行して、それ以降は只管変質的なプレイに没頭した。その夜の行為は、しかし、一線を画していたかも知れない。それは、阿求の尊厳を完全に損なうものであり、私自身の瑕疵を自身へ突き付ける行為と表裏。

 私はその夜、阿求の動かない脚を、愛した。

 阿求、私は彼女の動かない足を嘗める。彼女の右足は矮ていて、片方だけが不自然に小さい。勿論、健常者に比べて歩行をする時間が少ないため、左足の方も他の同年代の個に比べれば小さいのだが、右足はひときわ小さい。
 人間においては、使わないということは、成長しないということ、成長しないということは、劣化しないということと、関係があるのかも知れない。とにかく、阿求の動かない右足は、まるで赤子のままのように真っ白できめが細かく柔らかな肌、ほっそりとした脆さと美しさを兼ね備えた形をしているのだ。特に指などを見たときには、機能不全を来すこの足こそが完全な足を作り上げているのではないかと言うほどだ。人間に限らず私の足もそうであるが、使うことによる変形と劣化――そこには機能美という別のものも存在するのかも知れないが――がある。だが若いとは言えこの年までほぼ未使用のままである阿求の右足は、そうした中古感がない。真新しく新品の、貴金属が持つ美しさにも似たものを、備えているのだ。しかもそれが、あまりにも早く成熟していく身体にくっついていて、その二者の対比は強烈なコントラストをして双方を際だたせている。阿求の、いや、阿礼乙女達の持つ美しさとは、そうした身体欠損の持つ脆弱で歪曲した美しさのあり方だった。

 阿求が六歳を越えたくらいから、私はもう阿求を性的な目で見ていた。阿礼乙女は年の割に精神発達が早く、知的成長も早い。普通の人間の子で言うところの十歳前半くらいの分別が付き私と会話が成立していく中で、阿求への性欲は大きくなっていったのだ。その中核を担っていたのが、阿求の足への執着だった。年を取るごとにそれはアンバランスになっていく。小さな頃は差異が目立たないが、成長していくにつれて動かない足は成長が遅れて小ささを際だたせていくのだ。彼女の足は、私にとっては性対象になっていた。

 白沢様、そんなところ……。私は跪いて彼女の動かない足を嘗める。足の指の間、甲、足首そして脛へと舌を這わせながら彼女の方を上目で見ると、阿求は恥いるように頬を紅潮させながら、熱っぽい目で私を、少し高い位置から見下ろしていた。
 すまない、だが私は、阿求のこの足を、ずっとこうしたかったのだ。酷い奴だと、罵ってくれてもいい。私は胸の間に彼女の細い足を抱くようにしながら、ついに告白してしまった。阿求にとってはコンプレックスでもあるだろうその足を、私は愛してしまっているということを。
 白沢様ってば、へんたいさんだったんですね。彼女の口をついたのはサディスティックな科白だったが、当の彼女には”今は”そんな色はないようだった。どちらかと言えば……そう、戸惑、包容、そして幾許かの諦念を感じる。ああ、そうだ。私は彼女の”へんたい”を肯定し、それでもなお彼女の動かない足への愛撫を続ける。この足には、感覚はほとんどないのだそうだ。少しの痺れるような痛みがあるだけで、触覚も温感も酷く鈍いものらしい。そうだとするなら、私がこうして足を嘗め続けるのは、彼女にとって気持ちのいいものではないのかも知れない。痛いだけなのかも知れない。
 痛い、かい?私は恐る恐る聞いてみたが、彼女はいいえ、といつもの柔らかい笑顔で答える。嘘かも知れない。
 舌を、なるだけ力を入れず柔らかいままにして、唾液を多く溜めて白い足肌を嘗める。内側のくるぶしの下辺りから土踏まずにかけて、柔らかい肌と肉はくらくらするほど魅惑的だった。舌の先に力を入れ少し堅くしこらせてから、柔らかいところをなぞるように嘗める。押し込めばふにりと受け入れる、足に備わったものとは思えないもち肌。歯を突き立てて食い破れば、その感触だけで私は達してしまうかも知れなかった。

 指の股もまた柔らかくすべすべの肌だが、U字を描く柔肌の閉鎖空間は舌だけではなく願わくば顔をその間に挟んでしまいたいとさえ思う。私は親指と人差し指の間にある一番大きな指の股に舌を挟み込んで、ほとんど忘我の内にそこをふやけるほど嘗めていた。阿求は無言のまま、私を見下ろしている。その表情は、徐々に羞恥から愉悦へ、愉悦から恍惚へ、グラデーションしていく。彼女の足にほとんど感触がないことを前提にするのならば、私に足を嘗められているという状況とその認識だけによって、彼女の精神状態は興奮を覚えているのだろう。だとするのなら、彼女はなかなか、サディスティックかも知れない。そして私も、マゾなのかも知れなかった。

 白沢様、”扱かれて”らっしゃるのですか?加熱した吐息混じりに彼女の口をついて出たのは、先程とは全く違う声色。阿求が、こんな声を出せるのだとは思わなかった。音の高低だけではない。それに加えて音の区切り、速度、イントネーション、そして何よりそれを発するときの表情、そこに滲み出る嗜虐。阿求の右足は、確かに彼女にとってコンプレックスに違いないのだ。その分、私がその足に執着を示し、もっと言うなら欲情しているという事実は、彼女の劣等感を反転させているようだった。彼女が思い悩んでいればいるほど、それは大きく”化けた”。阿求は私が足への愛欲を示す度に、優越感へ浮かされていく。私の執着が、彼女の嗜虐を目覚めさせ、深めていく。

 ねえ、白沢様、私の跛引く役立たずな足が、そんなにお好きなんですか?
 ああ、ああ、好きだよ、阿求、阿求の動かない足が、大好きだ。可愛い。こんなにも可愛い足を持つ阿求に、私はめちゃくちゃに興奮するんだ。

 恥も外聞もないとはこのことだろうか。阿求に半ばなじるような口調で言われたというのに、返す私は嬉々とした、それに欲情が混じっている声。自分をそう仕立ててみれば、私はすっかり虐悦を楽しめそうな気がしていた。舌と口で阿求の足を愛しながら私の右手は、スカートの上から自分の肉棒を押さえて布越しに擦り始めている。息が上がる。血液が頭と股間に凝集しては興奮に変わる。私を見下ろす阿求の目が細まり、口角が上がる。動く方の左足を立ち膝のように立てると、私が嘗める右足と描く角度は鈍角。股を開いたその中央に、阿求の真っ白い下着が見えた。純白が、余計に淫靡だ。それに、その中央は猫の目の形にしみが広がっている。濡れてる、阿求。そう思うと私の先端からもじわりと湿り気が広がった。

 恥ずかしくないんですか白沢様?足って言うだけでも汚いのに、私の跛足なんて、糞便と同じ、汚物同然ですよ?それを、嘗めて、愛してるだなんて。白沢様って、本当に変態なんですね。こんな小さい女の子相手にセックスできるだけでも変態なのに、次は本当におしっこでも飲んでみますか?

 エスカレートしていく阿求。それは私の方もだ。阿求が罵る言葉を吐き付ける度に私は、ああ、ああ、大好きだ、私は変態だと答えてはそれを証す様に足を嘗め続ける。体中の血流が加熱して加速する。

 この足が動かないのは、白沢様のせいなんですからね?私が白沢様に服従するその証が、この跛いた足なんですよ。それを、愛おしいだなんて、本当に変態ですね?

 そうして阿求の足を嘗める私の舌の貪欲さは増すばかりだ。指の股をすっかりふやかせた後は、指一本一本を、唇を窄めて吸いついて、指フェラ。自分で出来る限りに下品な音を立てて、唾液を零しながら親指をしゃぶる。舌を回し、唇に緩急をつけ、吸ったり包んだり。

 そうだ、私は阿求、お前が嫌っているお前自身の部分が、どうしようもなく好きだ。気持ち悪い変態かも知れないが、代々の阿礼乙女でも阿求だけだ、阿求のこの小さくかわいらしい足が、大好きだ、大好きなんだ。
 私が何度も何度も阿求の足に愛の告白をしてやると、阿求はだんだんと言葉少なげに変わっていった。私をなじる言葉は減りただ私を見る目は、しかし再び丸みを取り戻していた。

 指フェラを繰り返す私、人差し指中指薬指小指と全てにそれをしてあげた頃には、阿求の顔は真っ赤に染まっていた。サディスティックな表情は天井を見たのか、もう勢いを欠いている。代わりに、今の私の顔に浮いているような切迫感が現れ始めていた。

 興奮が、最高潮に近いのだ。阿求は私に足を嘗められて、私をいいだけなじって、すっかり出来上がり股を濡らして言う。今、彼女の”それ”をさわったら、ぱつんぱつんに膨れ上がった水風船に針を刺すように絶頂するだろう。阿求はやがて目を瞑り私を視界から追い出した。何もしていないのに高まっていく性感に、彼女自身が焦りを感じ始めているようだった。一時はサディスティックな感情を振りかざそうとした阿求も、持ち前の優しさがそれを邪魔してしまったようだ。

 だが、私が阿求の足を好いている事実は変わらない。私は阿求にとってはもはや酷かも知れない要求を突きつける。自分をマゾヒスティックな立場に敢えて差し置いて、真の意味では嗜虐心を持たない阿求に無理矢理それを持たせることで、逆に責め立てるのだ。

 阿求、後生だ、その足で、私のこれを……

 スカートをめくり上げる。阿求の右足を愛撫し続け興奮し、右手で扱き続けていたペニスはすっかり肥大して臨戦態勢にある。私は身を乗り出してその先を、阿求の足の甲へ当てた。ぶるっ、阿求の体が小さく震えた。あまりにも変態じみたことを言う私を気持ち悪く思ったのか、そう心配したがそれは杞憂だった。阿求は小さな手で私の袖を握りしめて目をぎゅっと瞑り、次の瞬間私に抱きついてきた。体中が小刻みに震えている。細かく動かないなりにも太股の付け根から大ざっぱに動く足が、私のペニスに当たっていた。

 はくたく、さ、まっ。絞り出すように声を出す阿求。可愛い。可愛い。可愛い。皆まで言わせるのは酷だと思い、私は阿求の小さな唇を吸った。するりと彼女の股間に左手を滑り込ませてさっき確かに濡れていたそこを撫でてやると、あっ!っと高く張った声を上げて再び身を震わせる。達したのだ。左手には湿り気、を越えてじっとりと濡れた感触が、強い勢いを伴って広がる。

 飲もうか?私が言うと阿求は、だめ、だめです、ぜったい、そんなことされたら、恥ずかしくて二度とお顔を見られません、と泣き出しそうな声で私の頭を自身の身体から離すように抑えた。

 それは、阿求の知らない絶頂だったかも知れない。
 性感帯のどこにも触れることなく精神的な高ぶりだけで上り詰め、とどめのわずかな接触だけで絶頂に至る、そんなことを、今迄したことはなかった。
 阿求は、戸惑ったような、放心したような、熱にやられたような表情のまま、まだ引かない絶頂の余韻に揺られている。私は阿求の頭を抱いてやりながら、不満足なままになっているペニスを下着の中に納めようとする。

 まってください

 阿求が、目を合わせないまま私の腕の中で小さく呟いた。白沢様、まだ、イってらっしゃいません、そういって私の股間に、動かない右足を、太股で持ち上げるようにして押し当てて来ていた。

 してくれるかい?私はなるだけ優しい声色で阿求に問うた。優しく声にしたつもりだったが、もうイキたくてイキたくて堪らないペニスを抱えて、飢え切った肉食獣みたいになってたかも知れない。……責められるのは私なのだ、肉食獣は言い過ぎだな。

 阿求の足で、私のこれを、無様に苛めて欲しい。敢えて目を見ることなく、彼女を直視できない羞恥を演じてそうしてみせると、阿求は戸惑いを隠せない様子で見慣れているはずの私の肉棒を、おずおずと眺めるばかりで手出しが出来なくなっていた。彼女には、大の大人の男を満足させるだけの技術も経験もある(相手は私だけだが)。その阿求がまごついて手を拱いているのを見ると、妙にそそられた。それが、サドのロールプレイを強いられてのことと思うと、私は一層興奮してしまうのだ。

 阿求。体を空け晒すように腕を広げて、だが阿求からの責めを期待するマゾロールを忘れない。あくまで控えめに、恥じらいと不安を演じて阿求を誘う。 阿求が、心許ない女王を演じてぐちゃぐちゃになるのを想像すると、私はそれだけでも種をまき散らしてしまいそうだ。

 阿求の動かない足を好きだなんて気違いじみたことを言う私を、仕置きしてくれ。足をゆっくりと開いて、下品に勃起するペニス越しに上目で阿求をみる。阿求は、ふらふらと取り付かれたようにその足を引きずって私の元へ。
 阿求は傍にある椅子に腰を下ろして、動く健全な足と動かない矮た足を並べてぷらぷらとそれを揺らした。私は先端が当たるよう腰を持ち上げてみる。あっ、と阿求は不安そうな声を上げて足とペニスの接触を驚いたが、やがて自由のある左足は積極的に先端がぬめり始めた私の先端に触れ、そうして固定が可能となった私のペニスと不自由な右足を接触させる。
 力がこもるのは左足だけだが、左右の足で私のペニスを挟み込む形になって私の弱点はびりびりと電流を感じた。開かれた股の間に、さっき絶頂して濡れたショーツが見える。
 阿求の可愛い可愛い右足、はだけた寝間着の前合わせから覗く膨らみのない胸、そこだけ熟女のように熟れた淫裂。幼い外見、大人しい性格の彼女に、淫らなことをさせている、私に対して乱暴を”はたらかせ”ている。そう、私が仕込んだ。

 アンバランスなシチュエーションと新鮮な興奮。ぞくん、背筋に快楽悪寒が駆け抜けてペニスの付け根へドロついた愉悦を蓄えていく。阿求が恥ずかしがり、困惑し、苦手を我慢して、しかし興奮に振り回されながら、不自由で可愛い足で私のペニスを撫で回してくる様に、私は今にも射精してしまいそうな焦げ付く快感を植え付けられていく。

 私はつい、あきゅう、あきゅう、と情けない声を漏らしてしまう。阿求の身体にペニスを擦り付ける快感だけで言うのなら、ヴァギナに挿入するのも変わらない。阿求の足に、擦り付けることに意味があった。フェチズム、という言葉が適当なのかもしれない。阿求の動かない小さな足が好きで好きで好きで、そこに自分の性器を乱暴に押しつけてるという、グロテスクな性感。摩擦による快感よりも、精神的な快感が大きくて、それ故に我慢が利かない。阿求の足の甲に、脛に、脹ら脛に、指の間に、亀頭を、裏筋を、雁首の反り返りを、鈴口の先端を触れると、その触覚は感情フィルターで増幅されて脳味噌に届くのだ。そうしているという視覚情報も大きい。

 脚、開いて。阿求に言う。阿求は私を苛める立場にいながら、私の言葉にはやはり抗うことは出来ない。私が開けと言えば、阿求はおずおずと恥ずかしそうに、しかし娼婦が誘うときのように大きく股を開いた。さっき絶頂をキメた濡れ溝が、ぱんつの布越しに透けて見える。私はそうして誘いながら私の肉棒を苛めるように言いつけた。阿求は顔を真っ赤にして、私から目を逸らしながら、足先で私の汚杭を刺激してくる。

 さっきあんなに乗り気だったじゃないか、うん?もっと汚い言葉で私を罵ってくれ。可愛い阿求の足に興奮して臭い肉棒をがちがちに勃起させてる変態の私を、さげすんだ目で、ちゃんと睨みつけておくれよ。

 責められている立場ではあるが、そうさせているのは私だ。不慣れな責めポジを阿求に無理矢理持たせてその戸惑いと性欲の綯い交ぜになった様を、私は楽しみたかった。
 阿求は今にも泣き出しそうな目で、私の無様な格好とペニスを見て、そして私と目を合わせる。さあ、と私は声を出さずに口の動きだけでその先を促した。

 こ、このヘンタイ……っ 主が奴隷に足で、ペニスを

 ”ちんぽ”、だ

 足で、ち、ちんぽ扱かれて悦ぶなんて、白沢様は、さ、さいて、い、です

 今は敬語はだめだ。あと、慧音って呼んで

 け、慧音、さ、最低……

 私は、足で扱かれながら、阿求のまんこから目が離せなくなってる。もっと固くなってしまうんだ。叱ってくれ。

 あ、う……足で扱かれながら、私のまんこご覧になっ

 敬語。”じろじろみて”

 足で扱かれながら、私のまんこじろじろみて、

 もっと強く、最初から

 へん、たいっ……はくた……慧音の、ヘンタイっ……!私の動かない足で、ちっ、ちんぽされて、ぼっきさせて、しかもまままままんこじろじろみて、もっとちんぽ固くして、ほんと……け、慧音って

 慧音の変態、って、ちゃんと言うんだ。考えて、思いつく限りきつい言葉で私を罵って見せて。
 私が言うと、半ば焦点があっていない気が動転しきった目で私とその周囲に視線をふらつかせて、乱れかけた呼吸の合間合間から声を出して言葉を紡いでいく。それはやがて、堰止め湖が抜けた鉄砲水のように、吹き出した。

 慧音の、へ、変態!変態!変態白沢!ろりこん!こんなのにち、ちんぽ勃起させて、きもちわるい!私まだ14歳なんですよ?それを、まいにちまいにち、セックス♥毎日ずぼずぼセックス♥して♥……あう、阿礼乙女には人権がないからって脱法ロリで毎晩中出しセックス♥するなんて♥ほんと、はくたくさ、慧音って、変態ロリコンっ!さいていっ♥

 そうだ、私は、可愛い阿求に、6歳の頃から欲情してた。ずっとその小さい体を冒したいと思っていたし、足を嘗め回したいと思っていた、ロリコンのド変態だ。

 ろ、ろくさい!?/// へんたいっ♥さすがにそれは、変態過ぎますっ♥6歳って二次性徴前ですよ?初潮も来てない正真正銘の子供なんですよ?それって、ほんと、き、きもいっ……♥そう、そうなんだ?ロリ阿求可愛かったです……かわいかった?その頃から慧音は、私の無毛すじマンにあのぶっといおちんぽ挿入したかったんだ?♥いつもしてくれるみたいに、きつきつロリまんこに、無理矢理レイプみたいに裂けちゃうくらいちんぽぶちこんで、汚いザーメンどばどばしたかったんだぁ?♥変態っ♥最低のペド牡女♥引くわー、慧音変態すぎて、阿求ひいちゃった♥

 阿求の足コキが速くなっていく。動かない右足も太股から全体を揺するようにして私のペニスにあててくる。私もそこへの接触を望んで腰を振ってしまうから、その先端から漏れる先走りが阿求のかわいらしい右足にぺとぺとぬらぬらと塗りつけられていった。
 柔らかい肌が亀頭と雁首の縁を擦り、その度にまるで空イキしたみたいに射精することなくペニスは痙攣し、とろりとカウパーを漏らしてしまう。

 可愛い阿求を見てたら、我慢できなかったんだ。ゆるしてくれ。6歳の阿求に挿入して、あまつさえ中出ししたかった。ずっとこうしてこの足にちんぽ擦り付けたかった。

 阿求にっ♥可愛い阿求にっ♥ロリコン変態慧音はコーフンして、ちんぽ勃起♥させてたんだ?6歳児阿求に中出しキメたかったんだ?きもちわるぅい♥6歳児に中出ししていいのは6歳までだよ?慧音、いくつ?はずかしー。今も私のつるつるおまんこ隠れたぱんつ、血走った目で凝視して、ロリコンってほんとキモチワルい。それで?勃起させて?足で擦られてチンピクしてるの?可愛い可愛いロリ阿求に、ちんぽ汁中出ししてどうするつもりだったの?幼女が妊娠しないのいいことに、毎晩大量射精できるとか考えてたんでしょう?最っ低♥最悪のロリコン脳♥今だって初潮こそ迎えたけど、慧音ちんぽはぎちぎちのペドボディに変わりはないんだよ?毎晩丸太みたいな肉棒で拡張されて、身体はロリータあそこは熟女、みたいになってるんだから♥慧音以外にこんなグロい身体見せられないよ!同年代と恋も出来ない阿求に、”これ”で、誠意を見せて♥

 そう言って、阿求は私のペニスに当たる足をくにくにと動かす。先端に阿求の柔らかい足の感触が伝わって、興奮が高まっていく。阿求の足が私のものを擦っている光景から、目を離せない。動く左足は実に巧みに私の肉棒を苛めてくる。指先で先端を擦ったり、親指と人差し指の股の股を広げて雁首を挟んでみたり、小指の腹で焦らすように裏筋をなぞったり。右足はそれを修飾するみたいに、動く。細かな動きは出来ないので、左足の逆側でそれを抑えたり、擦るときの支えになったり。或いは私がそれを好いているのを知って、何とか摩擦の主役にしようとしてくれもする。かの右足の裏で亀頭をぐりぐりとされると、私は堪らず声を出してしまう。器用に動かせない分、愛撫は乱暴になってしまい、だが私にとってそれは甘美な刺激でもあった。私は情けない様子を装って阿求のロールプレイを促す。

 6歳の頃には敵わないかもしれないけど、今でも可愛い阿求の、動かない不良品の足でシコられて、情けなくトロ顔晒してくれればいいの♥ほら♥ほらほらっ♥足でちんぽされるの大好きな白沢様は、このまま私がしこしこしてたら、どうなっちゃうのかなあ?♥

 阿求は、座る姿勢を浅くして腰を前に突き出すみたいにして股を開いている。足は私のペニスを挟んでいて、その中央には濡れた割れ目が蠢いていた。阿求は下着を脱ぎ去ってそれを顕わにする。片足だけをぱんつの輪に通したまま、それをゆらゆらとくゆらせながら、足コキを続けた。
 私が慣らしつけてしまった女陰はすっかりと口を開けて涎を垂らしていた。私のペニスがそうであるように、すっかりセックスを期待して準備している。私が阿求のヴァギナを凝視したまま阿求の足で擦りあげられるペニスを上下させようと腰を動かすと、私の情けない様を見た阿求は、戸惑いと興奮を強くしていく。

 はくたくさま、はくたくさまぁ♥

 慧音と呼ぶように言ったのに、元に戻っている。ロールプレイを片手落ちにしてしまうほど、阿求の興奮は高まっているようだった。私の視線が彼女の開かれた股の中央に釘付けになっているのと同じく、阿求もまた私のペニスをジッと見つめて頬を染めて熱い息を吐いている。
 阿求はいよいよ、私の目の前で自慰を始めてしまう。私のペニスへの愛撫を続けそれを凝視したまま、彼女の右手は割れ目を擦りあげていた。人差し指と中指はすぐに中へ入り込み、緩んだ穴をほじっては愛液を掻き出すように中をこね回している。阿求のそんなえっちな姿を見せられて、念願の阿求の右足でペニスを刺激してもらっているのだ、私も我慢がならなくなってきていた。オーガズムの岸がすぐ傍に来ているのを、感じる。

 阿求、後生だから、もっと

 私は、阿求を挑発するつもりでその言葉を吐いたのに、その声は上擦って発声に失敗していた。阿求の足にペニスを擦りあてようと、私は腰を振って無様に間抜けな姿をさらしている。阿求は阿求で、大股を広げて、淫らというよりはもはや汚らしいほどのオナニーに耽っている。自分の肉穴をほじり回して、きっと私の肉棒がその奥を押し広げるのを想像しながら、ラヴィアを撫でて淫液を掬い、淫核を押し込んで指を細かく振るわせている。時折指は三本まとめられて膣の中へ押し入り、中で別々に動いて膣肉をこねくり回して擦っていた。ぶちゅぶちゅと空気と粘り水のはねる音が響き、それは私を強烈に焦らし上げてくる。腰の奥が挿入の快感と射精感を予測して根本が緩んで先端が硬化するような、それでいて全体がむず痒くてたまらない感覚におそわれる。
 阿求の足コキは、気持ちの上では目も眩むほどの扇情行為だが、カウパーがあふれて絶頂まで駆け抜けるにはやはり、摩擦が欲しくなってしまう。願わくば、阿求の足で、思いっきり……。

 白沢様、ってば♥がち♥がち♥ですっ♥っは、はあん、白沢様のおちんぽから、むわって♥むわって匂っちゃってます♥牡ちんぽの匂い、ここからでも判るくらい鼻の奥につんってキます♥おっきいおちんぽさま、私の手マン見てびくびくっ♥欲しいっ、欲しいです白沢様ぁっ♥おちんぽもう、阿求は我慢できませんっ♥せっくす♥せっくすしてくださいっ♥

 阿求のおねだりは言葉の理解をスキップして生殖欲求を直接揺さぶってくる。阿求の、私のサイズに合わせたせいですっかり緩くなった膣は、それでも幼い体のそこは性的に成熟した年齢の女性のそれに比べればやはり小さい、私のペニスにとってはキツキツの極上肉筒だ。そこに入れて思い切りペニスを締め付けてもらいながらぬるぬるぎちぎちの肉摩擦に身を委ねて、理性を吹き消して獣性に任せて交尾したい。
 私は阿求のセックスおねだりに応えたいのをぐっとこらえて、そのかわりに阿求の足を握る。

 阿求、足、貸して

 声はかすれてすっかり追いつめられていた。射精したい、射精したい、射精したい♥急に射精したい♥阿求の身体のどこでもいいから、私の汚いザーメンを思い切りぶちまけて、阿求の可愛い身体を私の汚液で汚して、汚して、汚して私マーキングキメたい♥
 そう言う思いを押し込んで、阿求の左右の足を握ってふにふにさわる。柔らかくて気持ちいい♥可愛い♥阿求の足♥阿求の動かない右足、すっごい可愛い♥可愛いよ♥

 左右の、長さが少し違う脚。足の間にペニスを挟んで、それをさらに手で握る。私の意図を酌んだ阿求が、腰を前に出して脚を伸ばし、私のその行為を手助けする。

 白沢様♥それ、ほんと変態です♥阿求の可愛いナマ足つかってオナニーしちゃうんですか?ううん、これってせっくす♥足せっくすですね♥いいですよ、可愛い阿求の足、思いっきり使って、ちんぽオナニーして下さい♥
 んひゃぁっ♥しゅごっ♥激しいですっ♥足コキ激しすぎ♥そんな動き、足が健常な人でも出来ないですようっ♥これだからコキ慣れしたチンポはぁっ♥んあ、にちゃにちゃ♥ゆってる♥白沢様のどろねばカウパーで、ロリかわ阿求の足裏がぬるぬるになってやらしー音立てちゃってます♥白沢様♥白沢さまぁっ♥
 うわぁ♥うわぁぁ♥白沢様の足イラマチオ、はげしっ♥すぎ♥ですぅ♥おっ♥足の裏意識しちゃいます♥そんなにしゅこしゅこされたら、全神経で足の裏意識して♥白沢様のおちんぽ足裏で感じちゃいますっ♥しこしこ♥びくびく♥これって♥これってぇ♥やっぱり足裏せっくす♥愛を感じます♥感じちゃってます♥白沢様が阿求をお求めになってるギンギン性欲の愛エキス、足の裏から注入されちゃいます♥きゅんきゅんする♥キますっ♥足の裏から、快感きてますぅっ♥あっつい♥足の裏おちんぽ熱であっつくなってますっ♥おちんぽさま♥おちんぽさま、足犯してっ♥もっとぬるしこシてくださいっ♥指の股の間、感じますっ♥普段人に触られたりしないから、ビンカンっ♥白沢様にお指で、おちんぽで、足犯されるのきゅんきゅんシちゃいますぅっ♥
 オナニー♪オナニー捗るっ♥白沢様が私の足とせっくすしてるの見てたら、手マン捗りすぎてヤバいです♥おまんこが足に嫉妬しちゃってる♥いっぱい愛してもらえてる足に、おまんこヤキモチっ♥寂しく涎垂らして、子作り準備万端なのにタネ貰えなくて寂しく泣いちゃってますぅっ♥じゅぼじゅぼ♥下品なオナニーじゅぼじゅぼシちゃいます♥おちんぽ想像して指をきゅうきゅう食いしばってくるおまんこ、切なく慰めますっ♥
 ああっ、見てる、白沢様、私の足とせっくすしながら私のおまんこガン見っ♥欲張り♥白沢様ってば欲張りですっ♥どうせ足せっくすでどばどば射精したら、今度はおまんこズッポリするんですよね?♥しないんですか?おまんこシないんですか?ぬるぬるきゅうきゅうのロリまんことセックス♪シないんですか?白沢様のおちんぽ待ちわびすぎて、挿入だけで即アクメしちゃう煮詰まりまんことずぼずぼせっくすシないんですか?
 白沢様ってば今は足のことしか考えられないってお顔♥足とのセックスに必死のトロ顔になってます♥白沢様かわいい♥本当はセックスなんかするところじゃない足と、必死にちんぽ擦りあわせて、トロ顔になってる白沢様可愛いです♥ああん、白沢様の感じ顔見てたら阿求もどんどん可愛くなっちゃいます♥手まんこしながら、阿求も可愛いトロ顔晒しちゃいますっ♥はへっ♥はへぇぇっ♥手まんこでイきそうです♥白沢様に足セックスされながら、おまんこオナニーズリネタにされながら、私イきそうです♥白沢様も、イって下さい♥可愛い阿求がオナニーアクメキメるところ見て、足コキでチンポアクメキメて下さいっ♥イく、イきます♥今クリ触ったら、阿求イきますからっ♥白沢様もイって下さい♥いいですか?触りますよ?クリ触ってアクメキメますよ?膣穴ずぼずぼシてマン汁ぴゅぴゅしてるおまんこ、もうイキかけなんですから♥はーっ♥はーっ♥クリのアクメスイッチ押しちゃう十秒前ですっ♥カウントダウン中に、白沢様も、射精して下さいね♥
 じゅうっ♥っきゅうっ♥はちっ♥はぁぁっん♥我慢辛いっ♥今すぐクリして絶頂キメたいのに、カウントダウンなんて辛すぎますっ♥ななぁ♥ろく♥んうぅぅっ♥はやくっ♥はやくアクメしたいですっ♥白沢様と一緒にアクメキメるためとは言え、寸止めオナニー辛すぎますっ♥ごぉ♥よんっ♥おまんこ指で奥までえぐっちゃう♥ぬるぬるマン汁いっぱいでるから、クリの周りにぬって自己ジラしっ♥さん♥指を抜くとき、マン肉ずるずる奥からくっついてきて、びらびらはみ出しちゃってます♥おまんこが指を白沢様のおちんぽさまと勘違いしてる今なら、射精ぶっかけもらうだけで、子宮が受精錯覚しちゃいますぅっ♥にぃっ♥ああ、白沢様、白沢様、白沢様ぁ♥白沢様も射精寸前っ♥必死なトロ顔で一心不乱に阿求の足でちんこ擦ってぇ♥い、いち♥イきます、阿求イきますっ♥白沢様、発射準備いいですか?いいですよね?いいですよね?♥だめでも阿求もう、我慢できません♥アクメスイッチ押してびっくんびっくんのアヘ顔アクメキメたくて、もうクリに指が触れちゃいそうです♥おまんこもうイキカケで、完全にバルーンきてます♥膣も子宮もせーしごくごくする準備万端っ♥ぜ……ぜろ♥んひ、ひいぃぃいぃん♥アクメスイッチオン♥クリ押し込みで一気にイきます、イきますイきますイきますイきますイくイくイくイくイくイくイくイく♥いっくううぅぅうううううううううううん♥はひ、ひぃぃいいんっ♥ぎもちぃぃいいっ♥クリトリス、おもいっきりグリグリして、イってるのにイき重ねするの最高でずぅ゛ぅ゛ぅう゛っ♥お、お゛お゛おおおっ♥しゃ、しゃせーきらぁっ♥白沢様のざーめんびゅーびゅーしゅごい♥だめぇ♥イキまんこにかけてくだしゃぃっ♥トバしすぎですっ♥そんなとこから、わぷ、顔までとんでくるっ♥すっごいイキおいっ♥阿求のまないた胸にそんなにかけて、白沢様ってば本当にろりこんなんですからぁっ♥ん、どろっどろぉ♥阿礼乙女の中で一番可愛いお姫様阿求に、ざーめんどばどば♥おむねもおなかも、せーえきでどろどろになってるのに、おまんこにかかってないなんて、白沢様ずるいですっ♥ここに♥ここにホシいんです♥いってる♥クリいじめ継続中で、アクメ続行中のロリつるまんこに、ぶっかけてっ♥せーしぶっかけて下さい♥ひろげます、おまんこくぱぁって広げますから♥中出し求めて子宮口までパクついてるおまんこ、奥まで広げますから、ここにかけて下さいっ♥
 んっあ♥キた♪きたきたきたぁ♥くぱぁおまんこめがけてベタドロざーめんぶっかけキたぁ♥しゅご、しゅっごぉ♥固すぎてかかったところから垂れない♥濃すぎてかかったところ透けない♥びゅーびゅーすごい♥おっぱいとかお顔にかけてるときと勢い違いすぎます♥白沢様もおまんこシたいんですよね?ハクタ゛ク汁この中にごぽごぽマンタンにしたいですよね?なのに我慢♥中出し我慢の外出し♥切なすぎますぅ♥おまんこ中途半端に本気になって、せっくす欲求不満です♥ま、まだおまんこかけするんですか♪もう手でぱっくり広げたロリまんこ、こってりザーメンで完全密封♥白沢様のせーし濃厚すぎて、不透明真っ白ザーメンパックで逆にケンゼンっ♥乳首もおまんこも全部真っ白塗りつぶしで母様に見られても健全なお付き合いだって言い訳できますぅ♥
 やぁん♥おまんこ♥おまんまんがよくばり♥かかったザーメンを何とか飲み込もうとしてぱくぱくひくひくスッゴい♥中出し欲求高まりすぎちゃって、ナカが乱れまくってます♥痙攣寸前の強烈蠕動キてます♥おちんぽに媚び媚びのトロキツ全自動オナホになっちゃってます♥白沢様♥はくたくしゃまぁぁ♥お願い♥お願いしますっ♥阿求の♥可愛いのに、ロリ可愛いのに淫乱おまんこ我慢出来なくなってる阿求のおまんこに、白沢様のおちんぽさま、下さいっ♥もうだめ♪もうだめなんです♥せっくす欲しくて気が狂っちゃいますぅ♥もう♥もう、せっくすがまんできません♥おちんぽさまください♥くださぁぁいぃ♥
 たべちゃう♥たべちゃうっ♥はくたくさまが下さらないなら、阿求が自らおちんぽを食べに白沢様を襲っちゃいます♥馬乗りです♥おとなのおうまさんごっこです♥乗っちゃいました、仰向けになった白沢様の上にのっちゃいました♥こんな♪こんなえっちな馬具がありますか♥こんな鞍に座ったら、阿求絶対いっちゃう♥おちんぽさまバキバキに衝天してる鞍でおうまさんごっこ♥やあん、おまんこきゅきゅってなった♥跨がります♥跨がりますよ?♥おとなのおうまさんごっこで、阿求にトドメ、くださいまし♥
 かっは♥い、い゛ぎな゛り゛……♥いぎ、なり゛、おちんぽさまと子宮口が、ごっつんキスぅ♥お゛っ゛♥お♥っぎょ♥ろでお♥すっごいロデオぉぉぉおぉおぉおぉっ♥あっぶ♥ひぎ、こわれ♥りゅっ♥おくまで♥ごりっごりぃ♥がっつん♥がっつん♥おうまさんあばれしゅぎ♥堕ちちゃう♥そんなに大暴れされたら、阿求堕ちちゃいましゅぅっ♥はねうまっ♥大暴れでおちんぽさま、残酷ピストンなのぉっ♥おご、おおおおっひ♥あひ、っっひいいいいん♥おちんぽしゅごい、しゅごいしゅごい♥しきゅうつぶれ、りゅんっ♥おなかがぼこって、ぼこぼこって膨れてっ♥ロリ子宮が極太おちんぽさまに、耕されてるぅっ♥ぎもちいい、んぎもちぃい゛ぃいい゛♥せっくすさいこぉ♥はくたくさまとのせっくすきもちよしゅぎてあたまぱーにゃるぅうううぅ♥おまんこきもちよくてとけちゃう♥あきゅうとろとろ愛液スライムになっちゃう♥射精して♥射精してっ♥阿求のロリまんこを、白沢様の射精具にしてくださいぃ♥阿求は、白沢様の奉仕種族ですっ♥カラダ全部で白沢様の堕ちんポ様にご奉仕♥します♥もっと♥もっと激しくしていいですよ♥白沢様のおっきいおちんぽさまの満足イくまで、じゅぼじゅぼおまんこ泡立てて下さいっ♥あーっ♥あーーーぁっぁっっ♥んぉ゛♥おおぉぉおっごほ♥子宮口乱暴されて、阿求のカラダは悦んでます♥えっちです♥おちんぽさまの雁首返しにマン肉ひっかかれて、おまんこきもちいいぃいっ♥あっ♥ああっ、はひああぁ♥じゅっぼじゅぼ♥もっと♥もっとおまんこじゅぼじゅぼしてくらひゃぃいぃ♥ぎもちいい♥おまんこぎぼじひひひいいぃいいい♥おまんこも、あたまのなかも、はくたくさまのおちんぽさまでいっぱいになってまひゅ♥おちんぽさまのことしか考えられまひぇん♥はくたくさまのおちんぽしかあいせましぇんっ♥おっ、おっほ、ほひ♥ほっひいいいいいぃぃ♥おちんぽさまだめしゅごしゅぎる♥こんなの逆らえない♥アクメ全力直行不可避なのぉっ♥
 はくたくさま♥はくたくさまあ♥阿求は、阿求はもうだめです♥イっちゃいます♥せっくすもらえて、おちんぽさまずぼずぼシて貰えて、子宮の入り口でおちんぽさまとキスできて、しあわせアクメ、きちゃいまひゅっ♥んほっ♥ひい、っひぃぃいいっん♥ああっ♥ん♥あああああっ♥ああーーーーんっ♥うぎゅぅうっ♥きもちい、きもちいのお♥まんこきもちい、せっくすきもちいいいいいいいっ♥もうだめ、もうだめもうだめ♥まんこクる♥まんこキちゃいます♥子宮も膣もアクメ準備してる♥ふわふわ、ふわふわきてます♥アクメ前のふわふわ感覚♥きて♥る♥あっ、いま手つなぐのなしですっ♥ふわふわキてるときに手握られたらきゅんきゅん強くなりすぎて、ダメ、だめ、だめだめだめだめ♥おちんぽさまラストスパートなのにそんな優しいの、しあわせきもちよすぎて、イく、イく、いくいくいくいくいくいくいくいっっっっっっっっっくうううううぅうぅぅうぅぅうううっ♥♥♥
 あっ、んっあ゛♥あくめ、しでるどご、なのに♥今なからし、されひゃら、ほんとこわれちゃう♥気持ちよすぎて幸せすぎて、このまましんぢゃう♥あーっ♥ああああーーーーっ♥しゃせい♥でかおチンポさまに拡張されてる幸せまんこが、射精喰らってるっ♥イってるときに中出し♥幸せですうぅぅうっ♥卵巣が必死に排卵しようとしてるのっ♥白沢様の精子欲しくて、無駄なのに卵子排出しようと卵巣きゅきゅってひねり上がってます♥せっくすアクメの後のなからしアクメで♥またアヘ顔キメちゃうっ♥んぐ♥ひ♥またイく、イく、イクイっっ゛っっっくう゛うう゛うう♥おっっっほ♥んお゛ぃおおひい゛ぃいいい゛いいっ♥♥

 射精欲に負けた私が、馬乗りになってきた阿求を本能のままに突き上げた時のように、今度は阿求ががくがくとカラダを震わせる、大きすぎるオーガズムの波に飲まれてアクメ痙攣しているようだった。その間も私は阿求の手を握ったままで、安心して絶頂していられるようにしてあげる。阿求のイキビクはややもしばらく続き、漸く収まる頃には、さんざん締め付け擦り上げられた私のペニスは少し痛みを感じていた。阿求の体が脱力してぺたんと私の上に倒れてくる。その背に手を回して抱き締めて上げた。阿求の拡がり切った淫裂から、私の肉棒がずるりと抜けた。その刺激に、阿求はまたふるるっ、と震えて小さく嬌声を上げる。抜け去った後も口が開いたままの女陰からは、私が散々吐き出した精液が、堰を切ったように溢れ出して、その下でまだ勃起したままのペニスにかかる。液体が注がれる感触に、私のペニスはまた準備を始めようとするが、私は心頭滅却して何とか獣欲を抑える。
 阿求は、荒いままの息を何とか整えようとしているが、私は慌てることないじゃないかと頭を撫でてやる。
 しばし阿求の吐息と私の吐息だけが空間を支配して、それ以外には月の光だけが部屋にあるものとなった。その間もお互いに抱き合う腕に力を込めてみたり、髪の毛をさわり合ってみたり、視線を絡ませてみたり、キスしたり、言葉はなく触れ合い、性欲と興奮と息遣いが落ち着くのを待った。

 白沢様のせいで動かなくなった足も、白沢様が愛して下さるなら、意味が違ってきますもの。だって、白沢様が私を、白沢様色に作り替えたってことじゃないですか。それって……女の子にとってすごく嬉しいことなんですよ?
 落ち着いたところで阿求は私の首っ玉に顔をつっこんで、いう。阿求が女の子の一般論を語ることが出来るのかどうかは疑問が残るところであるが、少なくとも阿求が気分をよくしてくれるのなら幸いであった。

 じゃあ、阿求も私を、阿求色に染めてくれないとな。そう茶化すように言うと、阿求は真面目な顔をして、もうそうなってますよ?だなんて。どういうことなのかといただいてみれば、私が阿礼乙女に対して憐れみを感じそこから動けなくなっていること、そうした前提の上で、代々の阿礼乙女を様々な形で愛していることを、阿求は阿礼乙女が代々かけて私にかけた魔法だと言うのだ。奉仕種族が主に魔法だとぅ?私が阿求の頭を抱き寄せてつむじ辺りにキスをすると、ほら、白沢様が私をこうして抱いて下さる、シンデレラの魔法みたいじゃないですか、と腕を回して抱きついてきた。シンデレラの魔法はシンデレラにしかかかっていないぞ。王子様は、純然と阿求に惚れてるんだよっ。そういって笑いながら一層強く抱き締めると、阿求はきゃー野獣がびじょをたべるー、と、ふざけて笑い返してきた。
 私は阿求を抱きながら胸中、シンデレラの魔法だなんて悪い冗談だと苦々しく思った。シンデレラの魔法なら、時間が来れば解けてしまう。おまけに阿求の足に合う靴なんて……。
 頭をくしゃくしゃして耳たぶを唇で食む。いや、阿求が魔法と言うのなら、確かに私はすっかりその魔法にかかっているよ。そう耳元で言うと、やっぱりー、と笑っては顔をずらして唇にキスをせがんでくる。私はそれに応えて、唇同士のキス。阿求は上唇を少し舌先で嘗めてから、くっつけてきた。

 好きだ、阿求。

 私は、自分の大柄な身体を阿求の小さな身体にすり付けるみたいに、まるで私の方が小動物になったみたいにして、彼女の傍に言葉を供えていく。
 彼女は何も言わず、ただ黙って私の抱擁に身を任せていた。







 母様が亡くなったこと(というか、母様の記憶がすっかりなくなってしまっていたことを自覚した出来事)は辛かったけれど、白沢様は元々割と大ざっぱな性格でいらっしゃるのにあれ以来私には随分きめ細かく気を使って下さっていて、そう思うとなんだかいつまでも悲しみに暮れているわけにもいかなくて。

 白沢様は、発散したいという酷く独善的な求めに応じて何遍でも寝てくれたし、どんなプレイでも応えてくれた。そのたびに私は、直視したくない記憶を回避し、その痛みが鈍化するまで徐々に慣らしていくことが出来た。

 だが何よりも、その記憶の欠落故に私の中から母様は既にいなくなっていたという事実が、毒であり、薬であった。今となってはまるで知らない他人みたいで、時折残っている記憶も酷く他人じみていて母様のものだという気がしなかったのである。何という、親不孝な子供だろうか。でも、もしそうでなければ、私はいつまで母の死を悼まなければいけないのかという不謹慎極まりない疑問を抱いているのも事実だった。当人であるのにそうである実感がない。母様の死を悼まなければならないのに、その悲しみは身体の心へ届いていない。そうした中で、母親(肉親)の死というものに際して、いつまでどの程度悲しく思い身動きがとれないのが正しいのか、それが分からない身体に私はなっていた。

 母様を身近に感じる記憶は、既に薄れている。だが代わりに、母様の部屋でいつもテーブルの上に出しっぱなしになっていた革張りの表紙の本が、今は記憶のより所になっていた。母様(それ以外のもそうだけれど)の記憶は日に日に薄れていって忘れてしまうのに、この本の存在と中身は薄れることなく残り続けている。たくさんある本の中で、あの本だけが革張りで少し変わった姿をしていたのと、一風変わった中身のせいだろうか。その本は薄らいでいく記憶の中でなお、鮮明さを保っている。母様との記憶が失われつつある中、この本が登場する母様との記憶だけは今でもはっきりしていた。
 私の中に母様はいなくなっていたけれども、私にはあの本がある。そう思い直すことにした。夢の中で受け取った本は、母様の部屋にちゃんと残されていたのだ。私は白沢様にお許しをいただいてその本を持ち出すことにした。
 その本へ抱く感覚は、まるで母様が生きていた頃、正気を逸した母様に私が抱いていたのと似ている。気持ちが悪く恐ろしさを感じていながらも、離れることが出来ない、気持ちのどこかで大好きだと思っていて、その二つを同時に抱きながら、私はその本を常に側に置くようになった。その本に書かれていること一つ一つの意味は言語化出来ずにいるけれど、歴史を編纂する上でとても力になっている。

 古ぼけた革張りの本は、聖書と呼ばれる書物と同じ大きさをしている。
 摩訶不思議な象形文字のような文字で埋め尽くされ、時折現れる挿し絵は植物なのか動物なのかさえよくわからない不規則な曲線で象られた図形だった。それは羊歯のようであったが同時に微塵子のようにも見えるし、犬猫のように捉えられると思えば意味を持った記号にさえ見えてくる。とかく、当初その本を読むことは全く出来なかったが、何度もぺらぺらとめくって往復している内に、それらの文字と図形が持つ意味が、急に、砂漠に水を撒いたようにすうっと入り込んでくるようになった。そうこれは、稗田の一度見たものを歴史の種として蓄え決して忘れない力が働いたときと、まさしく同じ感覚だった。
 然るに、この書物に記されているのは何らかの歴史なのだろうと思う。
 稗田の娘にとって、歴史として蓄積された私の中の記録は、”歴史としてしか出力することが出来ない”カプセル化された情報となる。それを自分の体験・自分の主観情報として保持するためには、私の記憶機能は、歴史とは別途にきちんと記憶する必要があった。私の中の記録領域は、記憶と記録の二つが組結合しているに過ぎない。互換性のないプロトコルで保持伝達されるだけなのだ。
 ところが、その本の知識は言語を仲介せずにその両方へ入ってくる。理解を超えた生の情報が、書物に踊る記号を労して噛み砕くことなく体の隅々まで行き渡るような感覚は、気持ちが悪いほどの快感だった。何か、道徳を冒すような後ろめたい気持ちよさ。覚えたての性快感みたいで、背筋がぞっとした。
 この本はきっと、阿礼乙女のために作られた魔法の本なのだ。魔法の書はこの幻想郷の彼方、常に濃霧の漂う湖の畔にあると言われる洋館に備え付けられた図書館には沢山あるのだという。この本も、そういった魔法の本の一つなのだろう。
 少々の気味の悪さと、それを上回る欲求を綯い交ぜにして、私はその本を抱えるようになった。

 だがこれと同じように、私は母様が生きている内に、もろもろを抱き込んだ上で一緒にいてあげられた筈だったのだ。それを孝行と言うには余りに小さく些細かも知れない。母である人へ忌避感を感じていた自分への罪の意識かも知れない。それでも今となっては、母様の記憶を一切失ってしまったのは、そうした自分への罰だったのではないかと思う。

 この本は、母様の形見。大切にしようと、思う。







 大事な話があるからと言われて白沢様に呼び出された。前科がある私はお返しでもされるのではないかと思い、どんなとまと料理が出てくるのか内心楽しみにしていたのだが、白沢様のお顔は思ったよりも深刻そうなもので、しまった、と少し反省しつつ気分を切り替えて白沢様のお話を聞くことにした。

 正直なところ、白沢様のお話と言えばきっと”今更”なことしかないだろうと思っていた。呪いのことも、私が実質的に誰かとの間に子供を設けることが出来ない体であることも、記憶が失われていくということについても、私はもう自覚していた。子供じゃ、ないのだから。
 だから、白沢様の下さるお話というものに、あまり強い覚悟を持って望む気にはなれなかった。

 阿求。
 改まって私に向かう白沢様のお顔は難しく、私の思い違い、やっぱりもっと重たいお話があるのかと姿勢を正されてしまう。そして白沢様が仰ったのは、もう、歴史の編纂はしなくていいということだった。私がやっていた分は白沢様が半月に一度ご自分でされるという。
 大概のことならば受け流す覚悟があったけど、想像していたのとは少し違う話、しかも文脈を欠いているものだから、その意図がうまく汲み取れない。だが理由が何であるにせよ、歴史の編纂を白沢様が自ら行うと言うことは稗田の一族にかけられた呪いの漸次解呪を停止すると言うことだ。それは出来ませんとお断りしたが、白沢様は、これは命令だと強い口調で断言なさった。
 歴史の編纂と白沢様のお手伝いは我々稗田の勤めであると同時に、未来への祈りでもあります。白沢様、どうか私達稗田の未来を遠ざけないで下さい。そう私が願い縋ると、白沢様は、私を困らせないでくれと弱り顔になる。

 曰く、私の歴史編纂は、私の中の歴史記録部分の活性化を伴い、私自身の記憶の圧迫を早めるかも知れないという。白沢様はもう八人分そうした阿礼乙女の末期を見届けており、何とか悲劇的な結末を回避したいと願っていた。癲狂院に住まわせていた代々のやり方に代えて自宅に正方形の空間を用意したのもそのためで、母様があのお年まで生きてらっしゃったのは、あの部屋で極力情報入力を抑えて生活するという模索の効果なのだとか。壁に敷き詰められた本は記録済歴史情報のコデックスで、阿礼乙女の記録機能はそれを受け入れない。それ故にインプットメソッドを空振りさせることが出来、防壁として機能するのだということだ。それでも日々の食事や時間経過の感覚、部屋の中をぐるぐる回ることによる少ないとはいえ確実な情報の入力などもあり、情報のインプットは決してゼロに出来ずに確実に母様の記憶野を圧迫しているのだと、白沢様は仰った。

 そして私も代々の稗田の女の例に漏れず、忘却機能を備えていない障害故に激症的な記憶障害を発現しかけている。

 母様の時には既に手遅れだったけれど、記録による記憶の上書きを誘発する歴史編纂を、狂気を発症しない内に停止すれば、もっと状況はよくなるはずだ、と言うのが白沢様の言い分だった。

 阿求。もし阿求が私を少しでも好きだと思う気持ちがあるのなら、私の命令に従って、今後歴史編纂を二度としないでくれ。白沢様は悲痛な面もちで、言う。そんな表情で下す命令なんて、おかしいのに。

 私は、はい、とだけ答えて白沢様の目を見た。白沢様は、その視線を私の真摯な返事と捉えただろうか。私は、反抗的な眼差しを投げたつもりであったのだけど。

 私は忘れてなどいないのだ。この好意は、思い上がった奉仕種族の独善的な感情に過ぎないのだということを。私は白沢様を愛している。隣で笑いかけて貰って、毎日大事に扱ってくれて、そして時に夜には抱いて貰えて、砂塵に帰しても後悔はないと言うくらいに幸せだが、私はこの好意を白沢様に直接伝えるつもりも、ない。あくまでも、あくまでも稗田阿求は、白沢様の奉仕種族”稗田”の一個体であり、私には、私に与えられる幸せよりも白沢様へ仕えそのお役に立つことの方が優先されるのである。私が一言

 すきです

 こう発してしまえば、白沢様と私の間にある均衡は崩壊するのだ。毎日のように口にしている”好き”ではない。愛欲を示すそれではない。対等の立場、パートナーとして、隣に寄り添い助け合う存在であることを望む同音異義語だ。阿礼乙女には望むべくもない立場だが白沢様も私を好いて下さっているという自覚はあって、だが、だからこそその崩壊は確実で一瞬の内に致命的な規模で成される筈なのだ。そうして私は、して貰う幸せを得る代わりに、して差し上げる幸せを失ってしまう。
 どちらか一方だけを選べと言われたならば私は、求める愛よりも、与える愛を望んでいた。それは奉仕種族としての本能かもしれないし、恋という精神的に負荷の高い感情を持たないという生物的な適応かもしれない。だが、どちらであっても関係はない。私は、私のやり方で、私の愛情を白沢様へぶつけるまでなのだから。

 私は、阿求、お前を早々に失ってしまいたくはないんだ。

 白沢様は私の傍で私を抱きしめた。心地の良い体温が幸福感になって私を包む。でも私はこの、手が届く代わりに全く刹那に潰えてしまう幸福感よりももっと大切なものを知っている。たとえそれが、白沢様からの命に背く形であろうとも、私は私の信じるやり方で白沢様への忠誠を貫き通す。
 同じ主を愛することによる禁忌であるのなら、私は私の望む形でそれを犯そう。

 私は九代目稗田家当主、稗田阿求。歴史を記す義務と力を以て白沢様に仕える種族、阿礼乙女。それは誇りであり、喜びであり、栄光だ。この感情が、この体が、この血が誰かの、白沢様の、恣意的な作り物、白沢様にとっては贋物だったとしても、私にとってはそれが真実、たった一つの矜持なのだから。

 今更、白沢様のために命を削ることに、迷いなど無い。







 阿求には歴史の編纂をやめさせた。
 稗田という生き物から、永遠に歴史編纂の作業を取り上げてしまってはどうだろうか。もし彼女達がある意味で脅迫的本能的に続けてきた歴史編纂を強制的に取り上げてしまえば、彼女達にはそれを忘れたまま普通に生きて貰えるのではないか。そう考えたのだ。

 正直なところ、阿礼乙女に歴史の編纂をやめさせたらどうなるのかというデータは手元にない。記憶への圧迫作用は恐らくなくなる筈だが、"そのために"存在している阿礼乙女からそれを取り上げてどうなるのか、副作用や禁断症状がでる可能性は否定できない。だがそれが発現するなら、阿弥に先に生じている筈でもあった。阿弥は既に癲狂に至っていたが、それが歴史編纂を停止したためとの因果関係は見いだせていない。
 歴史編纂をやめれば記録側の容量増加は停止するだろう。日常生活での記憶容量増加程度では、致命的な領域圧迫はないはずだ。

 勿論私の歴史形成作業は著しく遅れることになるだろう。今のところ一度も致命的な遅延を生じたことはなく、そしてその作業の稗田の能力に負うところは大きい。

 世界に幾つもある、インスタンス化されて隠蔽された小さな世界の別名空間――ここではそれを幻想郷と呼ぶ――には、それぞれやはり別々にインスタンス化された一時情報蓄積領域がある。私は定期的にそこから、歴史として現世に影響を与えなくなった情報を別のアーカイブヘ移送する作業を担っているのだ。それを滞らせて一時領域を使い潰した場合に、世界は必要な情報を呼び出すことが出来なくなり何らかのエラーを起こすに違いない。それが一体どういう影響をもたらすのか臨床的な記録は残されていないが、致命的な障害を来すことは間違いがない。私自身がその機能に組み込まれたモジュールでもあるのだ、私自身も無事では済むまい。

 稗田に歴史の編纂をさせないということは、確実に歴史情報のアーカイビングが滞ることになる。幻想郷の中に組み込まれた一時記録領域のサイズがどの程度なのか私にもわからないが、阿礼乙女に歴史編纂をやめさせると言うことは確実にオーバーフローへ向かうと言うことだ。一人で歴史の抽出と加工、アーカイビングとマイグレーションを行うのは無理がある。作業は遅延するだろう。

 いや、それがならぬよう、私は死力を尽くして一人でそれをやらなければならないのだ。

 阿求、私が呼びかけると彼女は飛び跳ねるように私を見て元気な返事をする。

 今日は永遠亭で鍋をやるらしい。最近顔を出さないものだから、妹紅どころか輝夜姫にまで気を遣われて、今日くらいいい加減に顔を見せろと呼ばれていた。それを一緒にどうかと阿求へ持ちかけてみると、持ち前の溢れる笑顔で、お鍋、よいですね!永遠亭の付近には兎が多いと聞きますし兎鍋でしょうか、と言うので連れて行くことにした。永遠亭に特別の兎が二人いることは、黙っておこう。

 ところで白沢様、と阿求が得意顔で声を上げる。何かと聞けば、今日は黒田に特別の食材を用意させたのだという。阿求が黒田を呼ぶと、阿求の手には大きな皿。皿の上には無造作にちぎった野菜が乗っており、その中には……とまとがあった。

 じゃあこれ、つくらなければよかった。

 先程までの様子が一転、阿求のぶっきらぼうな言葉に強いトゲを感じた。怒っているのか?しかし私は思い直した。阿求は記憶障害を起こしていて、徐々にそれは進行している。恐らく記憶だけにとどまらず、その周囲にある感情系や情報処理アルゴリズムにも支障を来すことだろう。きっとその言葉の奥には、普通では取り漏らす背景があるに違いない。
 阿求は最近、思ったことを思い留めることなく、それが場違いかどうかも含めて全く考慮せずにすぐに口にしてしまうことが多くなった。たとえば、食事をしているときに窓の風景が気になったら脈絡なく外の風景の話をし出したり、それならばわかりやすいが、彼女の中にある欠落した記憶の一片が不意に思い出されたとき、阿求はその一片にまつわる感情を突如叫ぶことがある。
 お茶を飲んでいる最中に、突然、お人形さん、お人形さん可愛い!と言い出して、何だろうかと話を合わせようとして、アリスのことかいと聞くと、今度は白沢様は私のことを、などと言い出すのだ。突如、理解の及ばない飛躍した思考回路を起動させることがある。そう言うときは、丁度記憶に混乱が生じているのだ。目に見えない発作といってもいいのかもしれない。それを追いかけるには、阿求の経験全てをリスト化しておいて、全検索して確かめるしかないのだが、そんなことは私達には出来ない。彼女自身がゆっくりと整理していくのを、私達はじっくりと我慢強く待つしかないのだ。
 阿求によってそれを気付かされてから振り返れば、歴代の阿礼乙女の狂い方というのもそれと同じであったのだ。

 私は阿求に、阿求の作ったものなら食べないわけにいかないじゃないか、と笑ってとまとを口にした。
 阿求はきっと、鍋に誘って貰えるとわかっていれば、美味しく食べられるときにお作りすればよかったです、と言おうとしたに違いない。
 本当は、永遠亭の料理はいつも死ぬほど大盛り(死ぬほど燃費の悪い鈴仙に加えて大食漢の妹紅が来たせいで、永遠亭の食卓はいつも相撲部屋のような状態になる)なので、そこに居合わせるだけでも相当の量を食べることになるのを考えると、”平気だ”と見せたのは完全に強がりではあったのだが。後のことは考えまい。
 案の定、阿求はこの”とまと”という珍しい野菜を妖怪八百屋から買って来たこと、砂糖をかけると絶品だということを得意げに話す。とまとを最初にそうしてご馳走してくれたことは、きっともう記憶から欠落してしまっていて同じことを繰り返しているのだろう。私はそれを、うん、うんと聞きながら、とまとを口へ運んでいく。

 とまとの味は、以前と変わらないはずなのに、なぜだか少し味が濃く感じられた。私は、何度かこうしてとまとを口にすることになりその味の機微をわかるようになっているのだろう。だが、阿求は違う。もう、これに拘わる記憶をとどめておくことが出来なくなっていて、毎回、私がとまと初体験なのだと思っている。彼女自身もそうなのだろう。

 私は、阿求が、生きている内から遠ざかっていくのを、感じていた。
 記憶障害を持つ阿礼乙女を側に置くのは何もこれが始めてではないのにも拘わらず、阿求はやはり、私の中で特別の存在になっているようだった。








 暗く湿った蔵の中のようなそこは、現実空間ではない。ある時は無限遠に広がる庭園にもなるし、ある時は私に都合のいい書斎にもなる。今は、真っ暗で、一つだけの窓から月影がぼんやりと差し込むだけの殺風景で正方形な閉鎖空間になっていた。
 私はその隅に寄って膝を抱えている。被ったヘッドフォンからはひょろひょろと、まるで私の薄弱な意思がそうであるようにケーブルが心許なげに延びて、アンプに刺さっていた。アンプは蓄音機を拡張した音響装置に接続されており、レコードがくるくると同じところを繰り返している。
 聞こえているのは雑音だけだ。ざーざーざーバケツをひっくり返した大雨に、さらに砂利を混ぜたそんな意味のない音は音楽でさえない。その雑音に包まれて、染み込んで来る不快感を遮断して耐えていたら、彼女はそれを全て引っ剥がして私に平手を呉れたのだ。

 私はまるで子供のように、彼女から目を背けながら、その分不当に語気を荒げて言葉をぶつけてしまう。

 忘れたくないのに、失われていくんだ!

 失われていく記憶、絶対に忘れてはいけないのに、これを忘れず記憶のまま留め記録へと石化させないのは、忘れたくないと願っていたあの子への弔いだ。――弔いの、つもりだ――。
 私はヘッドフォンを拾い上げ、再び頭に被ろうとした。だが、彼女はそれを振り払って阻止し、代わりに私を抱き締めた。まるでヘッドフォンの雑音がそうしてくれたように。

 忘れても、いいの。忘れなければいけないの。あなたなら、わかるでしょう?
 わからない。忘れてもいい道理なんて、あるものか。

 私は忘れたくないのだ。忘れることは恐ろしいのだ。忘れてしまうと言うことは、たった今私を支えている感情諸共私が私である動機を失うことになる、そんな風に恐ろしいのだ。それに、私が憶えていなければ、誰が、二人を証すのだ。私は、彼女が忘れたくないと思いながら失ってしまったその分も一緒に、憶えてなければならないんだ。

 私がそう言って耳を塞ぎ再び沈み込もうとするのを、彼女は遮った。

 わかっていたくせに、どうしてそうなの?大事なことから、だんだんと薄れていくこと、それは自然なことだって、あなたはわかっているでしょう?あなたも、あの子にそう言ったんじゃないの?
 言ったさ!言ったよ、その通りに!でもそれは間違いだった、あの子の救いにはならなかった!
 救い?人が人を救えるの?ねえ、あなた自分を神じゃないって、言っていたわよね?人を救えるなんて、おこがましいのよ!永遠を続けてしまう私達が、有限の苦しみに喘ぐ様を救えるなんて、とんだ思い上がりだわ!

 私は何も言えずに彼女から目を背ける。目から零れた水は、涙という言葉が指す単純な成分で出来ているようには、思えなかった。








 だいじなことから だんだん うすれていく 
 






 阿求は川に入るのを極端に嫌った。きもちいいぞお、と草履を脱ぎ捨てて着流した丈をたくし上げて一人水面を割っている私の方が子供のように思えてしまう。私はいいです、とどうしても水遊びを拒否する阿求と、なんとか遊ばせようとして自分がばしゃばしゃとやっては、帰りに私だけが水浸しで、黒田に何があったのか怪訝な目で見られることもしばしばであった。
 だが、今になって考えてみると、私が阿求を川へ連れてきて川遊びを勧めては拒否されるようになったことと、阿弥が亡くなったことと、その時期は重なっているように思う。もう少し穿った見方をするなら、それ以来阿求は私と一緒に風呂に入ってくれなくなった。母の死を機に何か変わったのかもしれない。父が娘に対して一緒に風呂に入ってくれなくなったと嘆くのとこの感覚は一緒なのだろうかと少し自分をちゃかしてみていたが、それがそう言った性質のことではないのだと気付くのに、私は少し時間を要してしまったのだ。

 じゃーん!最近一緒に入ってくれないから、ぱぱ入りに来ちゃったぞ。浴室の扉をがしゃんと音が鳴りそうな程に勢いよく開いて、阿求がのんびりと風呂に入っているところに突入。きゃあああああ!?はははははくたくさま、何考えてるんですか!私もう子供じゃないんですから!?やめてください、でてって!ははは、何を今更、体の隅々まで知ってる仲じゃないか。それとこれとは別です!

 絵に描いたようなシチュエーション、湯だけでなくたらいや石鹸が飛んでくるがははは、ざんねん、私は人間じゃないからそんなもの、いたいいたいやっぱり痛いから勘弁して、そんなに邪険にしなくてもいいじゃないかあ、私は阿求とずっと裸のつきあいをしたいだけなのに。
 ふと見ると、阿求の右足に、何か不自然な痣が出来ているようだった。うまく動かない右足に、意図しない生傷が絶えないのは日常茶飯事だと彼女自身が言ってはいたが、どうにもそう言う感じの傷ではないように見えた。

 いやー、こないだ一緒に入っておふろえっちしたじゃないか、なんて言おうものなら、顔を真っ赤にして床板を剥がして投げてきそうな勢いになったのでわかったわかった、わかったからもうやめてくれ私が悪かったから。と私は退散して、更衣室から扉越しに阿求に謝罪を伝える。

 阿求はもう大人だから私と一緒にお風呂は嫌なんだな。私が浴室の中の阿求にそう言うと、小さく、はい、と声が聞こえた。その声の小ささが、ちがいますそうじゃありません、の否定を表している。

 その足の傷。

 私がそう一言だけ言うと阿求は無言を一層強くする。他の人がどうかは知らないが、私を出し抜くには今一つ演技力にかけるな、そう口に出さないまでも阿求の可愛らしさに苦笑いしながら言葉を続けた。
 確かに私は阿求の足が好きだけど、傷つけたからって怒ったりはしないよ。何よりその足は、他でもない阿求のものなんだから。転んでしまった?それともリハビリのときに、どこかにぶつけてしまった?私がそう言うと阿求は、少し長い沈黙を前おいた後で、ぽつりと、告白した。自分で、やりました、と。

 そこからまた、阿求は何も言わない。扉越しに、阿求の表情が読みとれないのが辛い。今、その言葉をどういう表情で言っている?悲壮か?自嘲か?それとも笑顔か?
 普通は声色からそれがとらえられそうなものだが、何故か阿求の口調からはそれが出来なくなっていた。恐らく、記憶の障害と関係がある。口調と感情の連携が、徐々に巧くいかなくなってきているのだ。
 だが、それはそれとして、阿求が自分の足を傷つけた(あれは大きな痣になっていたが)理由は何なのだろう。

 阿求?
 沈黙を守る阿求が気になって、そっと扉を開いてみる。
 彼女はうずくまって声もなく泣いていた。入ってもいいかと聞く私に、彼女は何の反応も見せない。それを肯定と捉えた私はそっと阿求に近づく。
 どうしても足の痣に目がいってしまうが、私はそれを極力見ないように心がけながら、泣いている阿求の傍による。

 足のことは、気にしなくていい。大丈夫だから。
 私が言うと阿求は突然、神様じゃない浮浪者はどうして白沢様の、と叫び始めた。発作だ。一体何がトリガになって怒るのか、未だに全くわからない。ただ、彼女には何か言いたいことがあって、その言葉を選ぼうとして苦しんでいるのだ。
 記憶に障害があるということだから、その言葉や記憶、まつわる感情や周辺の情報について、取り出すのに失敗しているのだろうか。言いたいこと伝えたいこと考えたいことを作業エリアに一時設置するのに失敗し、不適切な情報を作業対象として選んでしまう、そう言う状態にも見えた。
 彼女は、アリスの人形劇を見に行ったときの記憶を引っ張り出してしまっているようだった。足のこととどれほどの関係があるのかはわからないが、彼女の記憶上ではきっと近しい位置にあるのだろう、誤って取り出しているようだ。不適切とはいえ何らかの感情でそれはつながっていて、だからこそふとした拍子にそちらを意識の表層に持ってきてしまったに違いないのだ。私はゆっくりと彼女が再整理して彼女なりの言葉を作り上げて出力できるように落ち着くのを待つしかなかった。
 それまでに彼女が口にすることは、人形、奉仕種族、浮浪者、人形、人形、とまと、人形、と足には全く関係のないことであったが、それら一つ一つに誠意を持って応えていく。洗い場に上がったままでは体が冷えてしまうからと、途中で一緒にお湯に入った。当初の目的を果たしたとはいえ、これは余りにも皮肉なものだ。

 約四十分ぐらいだろうか。全く関係のない話が続き、阿求の乱れた口調が落ち着いた。いつもの阿求に戻ったようだ。その間、黒田が密かに追い炊きをしていったようだった。彼の気の効き方にはいつも恐れ入る。

 足、と阿求が切り出す。彼女の視線は動かない右足の、痣の方に向いていた。
 自分で?私が問いかけると彼女は小さく頷く。

 私は嫌いだったのに、この足が。白沢様は愛して下さいました。動かないこの足です。私の感情は、コンプレックスを救ってくれたとかそう言う安い言葉を欲してのことではありません。ただそれは、そうすることで私と白沢様に何らかのつながりがあるということを、改めて実感できるという理由になるのです。

 阿求の足が好きなことについて、私の変質的な性癖が絡んでいることは否めない。ただ、そこに私との絆のようなことを感じて貰えているのであれば、幸いといえば幸いである。だが、それが、足の痣とどのような関係があるのだろうか。

 この間のことです、母様が亡くなった夜、白沢様は私の足を愛して下さいましたが、私はそれを忘れたくないと思っています。忘れたくないのです。それに、白沢様のことも。

 そこまで言って、阿求はまた、沈黙する。
 ゆっくりでいい、私は湯の中で阿求の手を取って安心させようとした。

 私、昨日、白沢様のことを、忘れました。

 一言だけそう言ってから、阿求は顔を上げて、私に訴えかけるような目を向ける。彼女はそのまま私の顔を触るように手を伸ばし、私がいいよと答えると、その手は私の顎の輪郭、頬、目頭を撫でて鼻、耳と、ぺたぺた触る。
 私を、忘れた。彼女はそう言った。私の顔を触りながら、白沢様のお顔、と呟いて覗き込んでくる阿求。私を、きちんと思い出そうとしているのか、忘れまいと深く記憶に刻もうとしているのか。

 細切れになっていました。そして思い出せないことが出てきたんです、白沢様のこと。白沢様のことを忘れるなんて、絶対に避けたいです。忘れたくありません。白沢様に愛してもらったこと、私の体に傷跡として残っていれば、きっとその度に思い出せる、そう私は思いました。
 足に傷を付けて、忘れないようにしたいと思った?私は、阿求の痣の付いた右足を撫でる。細い。本当に細い。脹ら脛辺りでも、私の手で一包みに出来てしまうほどに。痣はその、脹ら脛の辺りにあった。
 痛みの記憶と、視覚的な証拠。その二つは可能性を持っています。きっと関連する記憶を留めておけると思うんです。でも、痣が残るほど痛い傷を付ける勇気も私にはなくって、痛覚の鈍い右足に”いろんなこと”をしました。そして事実、今迄はそうすることでしっかり記憶を保ってこれました。母様が亡くなったとき、忘れてしまうことの恐ろしさを知って、それで。でも白沢様は、この足のことを好きだと言ってくれました。その言葉は、私を救ってくれています。正しいと思えるからです。信じられるからです。それは実用性があって、希望の実現に一番近い方法です。

 阿求が阿弥の死をきっかけに一緒に風呂に入ってくれなかったり、それ以降勧めた川での水遊びに応じてくれなかったのは、自傷していた足を見られまいとしてのことだったらしい。
 そうだったのか、私は浴槽の中で阿求を抱き寄せて、額にキスをする。ありがとう、そんなことをしてまで、憶えておこうとしてくれて。私がそう言うとしかし、阿求は、でも、と言葉を遮った。
 でも、昨日、本当に忘れてしまったんです。朝、白沢様のお顔を拝見して、この人誰だろう、って。いつか、黒田のことを忘れて、白沢様に助けていただいたことがありましたよね。それと、同じです。私は足の傷を見て、それに触って、感触を追い求めて、漸く思い出せたんです。白沢様を忘れてしまうなんて、私、私、怖いです。

 涙をぽろぽろとこぼして、泣き出す阿求。
 どうして、どうして大切なことを忘れてしまうんでしょう。大昔のどうでもいいこととか、今朝食べたご飯のおかずみたいな些細なことは忘れてしまってもいいのに、白沢様のことなんて大切なことが先に消えてしまうのは、どうしてですか。こんなにも大切にしまっておきたいと深く強く憶えていることなのに、どうして忘れてしまうのですか。

 私には、返す言葉がなかった。そも阿礼乙女の記憶障害についての病態は(永琳をして)解明されていないし、彼女の気持ちを知っている以上は大切なことでも忘れてしまうことがあるしそれを気に病むな、と言うのもただの気休めでしかない。私には、何も出来はしないのだ。
 歴史の編纂をやめさせてから、進行は確かに遅くなったような気がする。ただ、予想ほどの効果は出ていなかった。何故だ、他に巨大なインプットなど無いはずなのに。

 愛の証拠が欲しい、なんて、ばかげていますか。
 阿求の言葉は重い。それを示すだけであれば指輪でも何でもいいのかもしれないが、彼女は、体の感覚をしてそれを記憶に留めたいと願っている。そうすることが記憶に効果があるだろう臨床も、彼女は自身の手で示してしまっていた。

 白沢様、私、本になりたいです。
 阿求はほろほろと涙を流して、湯の熱に因ってだけではない赤い顔と、濡れた赤い目で、私を見る。本は、決して忘れません。書かれていることが消えてしまうことは絶対にありません。だったら私、本になりたいです。白沢様のことを全っ部書き記した本をつくって、私はそれになってしまいたいです。
 そんな悲しいことを、言わないでくれ。本はものを言わないし、人を好きになったりしない。私は阿求、お前がそうして優しい女の子であること、賢くて強い女の子であること、いや、そんな風に一つ一つ上げていくときりがないが、書物なんかではなく阿礼乙女としての稗田阿求に、恋をしているんだ。そんな風に言わないでくれ。

 彼女の手を取って、少し強すぎるかと思い直してしまうくらいに力を込める。どこにも行かないで欲しいという願いが、手に宿ってしまったのかもしれない。対し、私の顔を触りその形と感触を憶えていようとし、今私の中にある彼女の手は、力なく弱々しささえ感じられた。
 もしかして、生きる意思さえも諦めてしまっているのではないか。本になりたいだなどと、死に際にある人間が星になる願いを口にしている姿に重なってしまう。そうなってしまっては、何もかもが――。
 阿求、私はどうすればいい。私を忘れてしまったら、その度私を思い出させてやるから、そのために私は、何をしてやればいい。

 阿求は、静かに、悲しそうな目を向けてきた。私の視線を、視線で絡め取って右足の痣へと導く。そんなやり方しか、ないというのか?
 阿求の表情は、しかし悲痛ばかりのものではなかった様に見える。むしろ、そうすることで私のことを記憶に留められると、希望にも似た色合いが僅かばかり浮かんでいた。

 少し跡を残していただけるだけでいいんです、簡単なこと。彼女はそう言って、泣き顔のままでふわり、笑った。







 どうした、食欲がないのか?気分でも悪いかい?
 阿求の膳には手が着けられていなかった。顔色も優れないように見える。私の問いかけに阿求は、いえ平気ですと答え、ご飯を用意してくれた黒田にも、ごめんなさいと言って箸を進める。だがやはり食は遅々としており、食欲がないことは目に見えていた。
 額に手をやっても熱はないようだ。本当かどうかと聞くと、食欲がないことについては阿求は認めたのだが、体調不良については頑なささえ感じる様子で平気です、大丈夫です、と深刻さを否定した。

 食欲不振は、夏であればまだ話も分かる。だが季節はもうすっかり秋めいて、もう数日もすれば紅葉狩りも出来ようと言う時期。夏バテとは考えにくく、熱もないから風邪でもなさそうだった。
 本当に、ただ食欲がないだけかい?黒田のつくった料理が口に合わないということも今迄に一度もなかったのだが、阿求は箸を置いてしまった。
 ごめんなさい、黒田。阿求は黒田に頭を下げて、謝った。その黒田といえば、滅相も御座いません、お口に合わずこちらこそ申し訳御座いません、と言いつつも、次このようなことがないよう、何が悪かったのか聞いていた。

 阿求が人のつくったものを残すだなど、滅多なことではない。内心で悲鳴を上げながらでも――その料理に悪意さえなければ――、にこにこ笑顔で食べるのがあの子だ(私の手料理を食べたときがそうだった)。
 彼女の体は、万全ではない。むしろ、記憶障害がどこへどのように作用するのか、予測もつかないというのが実態だ。阿求の体調の不良は、些細なことでも憂慮に値する筈だ。

 あの。阿求が小さな声で私へと呼びかける。振り向いてみると、少し顔を赤くした阿求が、あとでお医者の先生にかかりたいという。ほら見ろ、私は後でと言わず今すぐにだ、と阿求の手を引き抱き抱えた。熱はないように感じられたが、やはり赤みがかった顔は何か血行が不調を来しているからに違いない。食欲がないというのはやはり、万病の兆候なのだ。
 家のことは黒田に任せ、私は阿求を抱えて永遠亭へ向かう。当の阿求はと言うと、そんなに慌てなくっても平気です、ご心配なさらないで、と言うばかり。だがそうはいくか。お前は自分の体が今どんなに脆い状態にあるのかわかっていないのだ、それは私の責任ではあるのだけど、少し大事を取るようにしてくれ。私は胸の中の阿求へそう戒めた。万が一、何かがあってからでは遅いのだ。

 屋敷を出て里を抜け竹林へ入ろうと言う頃、偶然出くわした、薪満載の背負子を背負った妹紅から、診療と言うことなら永遠亭ではなく里にある診療所の方がいいだろう、今の頃合いならそっちにいる可能性の方が高いんじゃないかと言われ、私は再び里へ引き返すことになって、私は急いた気にいらいらが重なっていた。
 阿求に何かがあったらどうするのだ!私が誰へとも向かない漠然とした怒りを募らせながら阿求を抱き抱えて走っている間、しかし阿求は何も言わずに、ただ黙って私の胸の中で……ふんわりと笑っていた。







 診療所は混み合っていた。今ではすっかり里に解け込み社会の一員となっている永琳、鈴仙と、この診療所。私がよく行き来していると言うことや、彼女達以前に竹林の守護として畏怖を得ていた妹紅が親しくしているということもあるが、腕のいい――いいというか、比喩無く神様クラスなわけだが――薬師が看てくれるという確かな評判が、信頼によって人を集めていた。

 私が急患だからと優先してくれるよう頼んだのもあるし、待合席の人達が白沢様と稗田様が先に看てもらって下さいと背を押してくれたこともあって、当の阿求がほんとう絶対だいじょうぶですから平気ですから順番通りでお願いします、と半ば泣き言のように言うのも聞き入れることなく、私と阿求は最優先で永琳の前へ通された。
 診察室で阿求が自覚症状を言おうとするが、私はつい心配の余りに顔の紅潮や食欲不振を横から口出しして伝えてしまう。永琳は……阿礼乙女の実態を知っているから、そのことは加味して考えてくれるだろう。

 だが永琳はさほど私の言葉を聞く様子もなく阿求に採尿を指示し、阿求はそれを提出した。その日の診察はそれで終了だった。私の慌てようがばかみたいに思える。
 阿求が本当に大丈夫なのか問いかけるも、永琳は、ええ、と答えるばかり。私が怪訝に思い腑に落ちない様子でいるも、阿求も阿求で、永琳の診察はそれで当然と言わんばかりの様子だ。帰りましょう白沢様、また明日来るときは、ちゃんと自分で歩きますから、と私の左腕を求めた。掴まり歩きで帰るつもりのようだ。私は狐か狸にでも化かされているのだろうか。

 阿求の食欲不振は帰宅後夕食、翌日の朝食でも続き、症状は改善されていなかった。やはり何かあるのだ、永琳の診断が疑わしいのだと、翌日私は息巻いて診療所へ向かった。
 通された診察室で、私は永琳に、症状が継続していることを伝えた。もしかしたら伝わっていなかったのかもしれないと記憶障害のことを付け足そうとしたとき、永琳は私の言葉を遮って、今し方診察室へは行ってきた鈴仙へ声をかける。

 どうだった?永琳の問いかけに、鈴仙は、排卵……しましたぁ……と涙ながらに返答する。やっぱりね、鈴仙の回答を聞いて永琳は何かを確信したように、そして私へ答えを返した。

 おめでたね

 は?

 だから、阿求ちゃん、おめでたよ。永琳は、事も無げにいう。阿求は嬉しそうににこにこ笑っており、その反対にめそめそと泣いてるのが鈴仙。状況は明らかなのに飲み込めずに目をぱちぱちとしているのが私だった。

 白沢様、私、嬉しいです。穏やかな笑顔でおなかを優しく撫でる阿求。
 おめでた?おめでたって、あれか?赤飯?いやちがう、さすがの阿求もそれはもう通り過ぎた。じゃあ、おめでた、おめでたって、あれか、あれ?あれしかないよな。

 にん、しん?私が言うと永琳は、おめでとう、と一旦は言っておこうかしらと、私に一瞥だけ呉れた後、阿求ちゃんはこれからが大変よ、と阿求の頭を撫でた。

 妊娠。阿求が、妊娠。
 阿礼乙女の体内では雄性配偶子との結合という形の受精は行われない。だから、厳密には私は父親でも何でもなく、ただ阿求の妊娠契機となっただけだ。だが、それでも。

 あんな風に慌てるのは、出産の時だけで十分よ”お父さん”?と永琳はその言葉を使って私を揶揄したし、阿求もまた私にそれを望んでいるようだ。私はつい、彼女の手を取って愛おしい名を呼んでしまう。はい、とまっすぐ私を見て返事をくれた彼女へ、私は素直に、おめでとう、と祝福の言葉を贈った。

 診察室中が、祝賀ムード一色で染まる。鈴仙など、感涙まで浮かべてくれているではないか。私がそれを口にし、かえってありがとうと言うと、今度は永琳が笑い出す。鈴仙は涙の量を増やして……ん、なんだか様子が。

 うどんげ、一体何がそんなに悲しいの?どのみち月にいっぺん来るものと大して変わらないじゃないの。永琳は笑いを噛み殺しながら鈴仙へ問う。鈴仙はというと、そうですけど、そうですけどぉ……とさめざめ泣いていた。耳には昨日はなかった絆創膏が貼られている。
 鈴仙は何故あんなに泣いている。私が永琳に問うと、永琳が答える前に鈴仙自身が、”おしっこを注射するなんて非常識すぎますう!”と叫んだ。え、どういうことなの。これには私だけでなく阿求も疑問符を浮かべている。おしっこを、ちゅうしゃ、と言ったか?この文脈でおしっこといえば、昨日採尿した阿求のそれと言うことになるが……。阿求を見るが、阿求もぶんぶんと頭を横に振る。
 訳が分からないままの私と阿求が今度は永琳を見る。永琳は、別に妊娠検査薬くらい作れるのだけれど、可愛い弟子に、現代医療の発展には時には突飛な発想と貴重な犠牲が付き物だと知って欲しかったのよ、とけらけら笑っていた。

 私と阿求は永琳の答えになっていない答えを聞いて、その意味は分からずとも、鈴仙がきっと想像を絶するスパルタ教育を受けているだろうこと、医術とはままならないということを、察したのだった。







 どういうつもり。
 私だけ残るように言われて、診察室の奥にある薬品管理室に私と永琳は二人きりとなった。彼女と閉じた空間で二人きりになるのは、久方ぶりだったかもしれない。だが、甘い時間など訪れるはずもない。永琳は腕を組んだまま厳しい視線を私に向けている。診察中の先程とはまるで別人だ。永琳の言葉に、私は何も答えることが出来なかった。彼女は、全てを知っているから。

 阿礼乙女という生物が、ほぼ単為生殖であることは知っているわ。でも、だからってやっていいことと悪いことがあるんじゃない?永琳の声色は、怒りに満ちたものだった。私は、自分がしていることへの自覚はあるつもりだと言うことを伝える。だがそれが、余計に彼女を激しくしたようだった。

 ちょっと誰かの方を見ているだけなら、浮気だ何だといちいち目くじら立てたりしないわ。私達って、そう言う時間の持ち主だもの。私達の始まりだって、人に言えるようなもんじゃないものね。でも、これはどういうことよ。私にじゃない、あの子と、あなた自身に対して、どう説明するの?あの子は私達の関係を知らないでしょう。それとも、あなたの遺伝子を受け継ぐ訳じゃないから、やってもよかったと、そう言うの?

 永琳が少しばかりの嫉妬と、それ以上の倫理的な観念から私を非難しているのはわかるし、それでも彼女の性格なら、私が誰かに心移りしたとしても、仕方がないと割り切るだろうことも想像に難くない。だが、その相手が阿礼乙女だとするなら、永琳への不義と言うよりも、阿求への不徳について、私は誰に対しても申し開きできないのだ。
 阿礼乙女の生物的特徴と、私(ワーハクタク)と阿礼乙女という存在の関係性、その両方を知っている永琳ならば、その憤慨は、浮気とかそう言う低レベルなものではないのだ。

 阿求には、きちんと説明するつもりだよ。私は、阿求のことが好きだ、愛している。私は永琳の目を見ることが出来ないまま答える。愛している?本当だろうか。永琳を前にしてしまえば、なんだか感情の色合いは違っているようにも思えてきた。赤と朱のような、似て非なる色合い。だが永琳は、阿求へ事実を説明する事の不徳を説いた。

 本当と真実を伝えることが、必ずしも正しく救いになると思っているの?歴史を司る神獣様が聞いて呆れるわ。そんなのね、弱音を吐いて重荷を負ってもらう逃避と変わらないのよ。まず第一に”そうならないこと”。もう、これ以外は全て論外だけどね。それがダメなら”墓場まで真空パックでもっていくこと”。一番クソで死んだ方がいいやり方が、”相手に真実を伝えること”よ。それでどうするの?赦してくれって土下座して、額と地面の摩擦熱でお茶でも涌かす気?涌いたお茶を頭の上からひっかけてあげるわ。
 それが”アイシテイル”の形?お互いの重荷を分け合うのが愛情だったなんて私たちの間に一度だってあったかしら?私と慧音のそれは、いつだって”半分下さい”なんかじゃなかったでしょう?少し、目を覚ましたらどう?頭を冷やしなさい。今すぐ私のところに戻ってこいなんて言わないから、どうするのがあの子のためなのか考えてあげて。

 そうだ。私と彼女の間にあった相思相愛とは、苦しみを分け合うことなんかじゃなかった。いつだって、”そこから落ちないように手を引いたりなんかしない。落ちた先で待っているから、そこでデートしよう”だったし、”倒れないように支えたりなんかしない。安心して倒れてこい、横たわったあなたにキスしてあげるから”、だった。他のやり方がうまくできなくて、このやり方だけが唯一スマートに出来る方法で、お互いにそうだったから、今も隣にいるのは彼女なのだ。

 でも、”それ以外のやり方”を、私は、今、阿求にしてやりたいと願うのだ。そしてそれは、きっとうまくいくまいとも、わかっている。だから私は何も言い返せなかった。
 だが永琳は、今度は突然優しい口調で、私に向き直る。

 いい子よね、阿求ちゃん。素直で、まっすぐあなたのこと見てる。阿礼乙女の宿命にも、折り合いをつけてるみたいだし。私が頷くと、小さく溜息をついた。だからね、余計心配なのよ、あなたが、致命的な傷を負うんじゃないかって、ここに。

 永琳は手を伸ばし、人差し指で私の胸の中央を押した。

 肉体的な傷なら、私がいくらでも治してあげるけど、心の傷は得意じゃないの。私がそれで失敗してここに来たことも、うどんげのことも、あなた知ってるでしょ?
 知っている。月面戦争は地球側においても大きな歴史の出来事だ。私は頷き、そして、ごめん、小さく謝った。
 私に謝ることなんて、無いわ。相手が違うでしょう?でもそれに、謝るのは下策でしょうね。

 もう取り返しはつかないんだから、精々頑張りなさいな。永琳の言葉は、どこまでも冷徹で適切で、でも、少しだけ、頼もしかった。

 それが彼女の、”安心して倒れてこい”に違いないのだから。







 阿求のお腹が、すこし、膨らんできた。皆で妊娠を歓び、黒田が歴代伝わる育児道具や、玩具などを出してきては、阿求は、ああ、僅かですが、これは私も使っていた記憶があります……こんな記憶はなくなってしまっても問題ないのに、と苦笑いする。
 おんぶ紐を体に巻いてはこんがらがってしまっていたり、母乳が出るのかしきりに心配していたりと、小さい阿求が急に母親を意識している姿は、しかし怒られそうなものだが、ままごとのようにも見えてしまう。
 膨らんだお腹を撫でては、私は赤ん坊を愛おしく思います、早く生まれてこればいいのに、と微笑む阿求。お腹の子は確実に成長しているようではあったが、それに反して阿求の容態は階段を転げ落ちるようであった。

 阿求の記憶障害は、今は一般記憶情報の圧迫だけにとどまらなくなっていたのだ。

 阿求は布団に横たわって、同じく寄り添うように横たわっている私を、胸の中から顔を見上げるようにして言った。それは、嬉しそうに、本当に嬉しそうに、幸せだと口でいくら表現しても陳腐であるとまさに思わされるような笑顔で、だと言うのにどこか陰る一部には寂しさと悲しさが同居している。そんな彼女が紡ぐ言葉には、忘却という崩壊の足音がひたひたと近寄ってきていた。

 白沢様、ようやく私は、理解が到達しました。今迄これが理解の外に存在している状態だったことを思い出すと、私は今迄悲しかったと思います。ごめんなさい。
 阿求が、小さい体の中に宿る、もっと小さな命のあるおなかを優しく撫でながら、会話語彙判断の薄れた言葉遣いで私に語りかけてくる。

 何がだい?阿求はまだ子供なんだから、判らないことがあっても謝る必要なんか無いんだよ、私がそういうと、阿求は頬を膨らませて反論してきた。

 なぜなら、白沢様との間に子供をもうけることが出来たのです、私は既に立派に大人になっています、白沢様の意地悪。
 阿求の不満ももっともだ、こうして妊娠できたのだから阿求は立派な大人の女性に違いない。それでも、歴代の阿礼乙女の中では群を抜いて幼い懐妊である。私は私のしたことに罪悪感を感じると同時に阿求が私の行為を受け入れてくれたようで嬉しさもあり、それらが綯い交ぜになった苦笑いを禁じ得なかった。

 阿礼乙女は子供であることを続けなければならない種類です。大人になることは違反ですし、私にはそれは不可能です。体の中のものがその法律を理解しているのと同時に、白沢様と一緒の時間を持つ内に子供であることに抵抗を試みようとしたのです。阿礼乙女はみんな同じまま九回目を迎えました。だから子供の身体を育てている最中に、自分でも子供を持ちたいと望むのだと私は考えます。
 阿求は、機能が退化していく脳で、懸命に自分の置かれた状態を分析している様だった。そんな彼女の健気な様子に胸を締め付けられながらも、私は努めて平静を装って、そうかもしれないね、阿求はもう立派なお母さんだ、と言葉をかける。

 白沢様。
 なんだい?
 私を呼ぶ阿求の声と言葉には、致命的な障害の影響が現れ始めていた。お腹の子の成長と引き替えるかのように忘却は深刻に進行し、それによって会話に用いる適切な文脈と語彙を失われつつある。今はもう、彼女の会話の声色はどこか無機質なものになっていた。紡ぎ出される文体も、今や読解が困難なものになってしまっている。勿論それは声色と単語選択だけの問題であって、彼女の心そのものが冷たくなっているのではないことは知っている。文脈を判断する機能が欠落したせいで、口調に込める感情の表現も失われているのだ。嬉しいことを表現する言葉に添える、嬉しそうな口調・イントネーション・速度も一緒に失われていて、まるで機械のように、無機質なものへと変化していっていた。
 まだ各単語の意味をその接続方法と前後の文脈から判断すれば何とか判る状態だが、これらの単語が喪失されたときにはもっと酷いことになることも、私は知っている。彼女が言う通り、これはもう9回目なのだ。それでも、私は軟弱で、毎回初めてのように衝撃を受け、その度に私に尽くしてくれた阿礼乙女がそうなってしまうことに憂いを感じてしまう。

 阿礼乙女は、全体で一人なんです。私は記憶を失う身体に完了してから初めて理解したことがあります。それは、私の母親も、祖母も、それより前の阿礼乙女達全部が、私だと言う比喩的でない事実です。記憶なくなりが進んでしまう身体に私はなって、脳の一部が溶けてどこかへ流出しています、これは比喩です。その川流れの到着地点は、過去の阿礼乙女の脳の一部でした。消えてしまった記憶の納められた倉庫は見えない時間のパイプラインになって、過去と接続する役割を担っているように思います。だから私は、母親は今、一番近くにいます。大好きだったけど怖くなってしまった母親が、今は怖くなくなって隣にいるのです。白沢様の奥にある図書館の中で、今私の隣に座っているのが母親です。とても暖かいです。その中に、この子を含めることを私は楽しみに思います。

 阿求は、それを怖いと思わないのかい?私が問いかけると、阿求はすぐに答えた。
 どうしてなのか私には理解できません。怖いという感情は、私の中にあるどの感情とも違います、ひとつもありません。白沢様は所有しているのですか?母親は持っていましたか?
 いや、平気なのならいいんだと、私は阿求の頭を撫でた。

 特に高等知性を持つ生命はそうであるが、個が失われ全と繋がるのを恐れる傾向がある。というより、集団知という知性のあり方を理解できないために消失との区別が出来ないことが多い。だが、阿求のこの言葉が本当であれば、阿礼乙女とは我々ハクタクと同じく、集団知性存在に近いと言うことになる。
 だが、それはどこまで本当だろう。死を悟った人間は往々にしてこういうことを言うようになるものだし、今の阿求は適切な表現を選択する能力を失っている。仮に集団知性存在の性質を持っていたとしても、それが死後にあるのであれば、死後の世界と同等の(胡散臭い)ものであるに違いない。

 それを憶えておいて下さい、白沢様。私は私の死、を白沢様が悲しむことを、少しも望んでいません。私が白沢様を忘れてしまうことだけが、私を悲しませる事実です。この子が生まれてくる理由も、それです。血縁は途絶えることなく続き、ずっと白沢様を助けていきます。それが私の他にない望みです。と、阿求は私の手に指を重ねてくる。私がそれに誘われるように手を広げると、彼女の指が指と指の間に滑り込んできた。細くて小さい手と指を、指と指の間と、それと掌に感じる。真っ白くまるで昨日一昨日に薄皮が張り直したみたいなまっさらですべすべで、汚れ一つ無い無垢な手(妹紅の肌は輝夜姫と喧嘩した翌朝はいつもこんな風になる)。子供特有の潤いの強い肌が、乾いた私の手にしっとり張り付いてくる。かわいい。指が指と絡み合った状態で、私はその手を痛めないようにそっと手を握ってみる。阿求は言葉もなく、目を細めて微笑み私を見ていた。愛おしさがこみ上げて、それと同じ量の自責が胸を締め付けた。
 
 こうして長く会話を交わしたのは、もう久しぶりのことだった。話している阿求の声は、無機質ではあるがそれ以上に、筆に含む量の少ない薄墨の様に幽かな声でしかない。薄く、掠れ、読みとりづらいが……ある瞬間において美しい。阿求の体力は、妊娠を契機に著しく低下していた。まるで、お腹の子に命を吸い取られているかのようでさえ、ある。こんな風な会話が、成立しないときもある。ぽつぽつと、記憶の復帰がみられない日が現れ始めていた。数時間後、あるいは一日二日と経てば、またある程度記憶が復旧することもあるが、確実に、取り戻せないで失われている情報部分が姿を見せていた。

 私の記憶なくなりは非常に簡単になっています。ある朝気が付いたら、私は私の名前を忘れていることがあって、慌てて考え込みそれをぎりぎり拾い上げることがあります。それは恐ろしい出来事。恐ろしいといっても、忘れることそれ自体ではないです。私が恐ろしいと思うのは、白沢様が私の意識の中で他人になってしまう日のことです。
 私も、阿求に忘れられたら、辛くて泣いてしまうよ。阿求と同じだ。握った手に少しだけ、力を込める。少しだけだったつもりだが、少しで済んだかはわからない。

 歴史編纂はやめさせたはずなのに、彼女の記憶喪失は減速しなかった。彼女の身体機能まで圧迫するほどの情報入力はもう無いはずなのに、記憶の欠落も止まらないし、何よりも、どうして体の衰弱が止まらないのだ。生命維持に必要な情報まで圧迫される原因は、歴史編纂ではなかったというのか。
 あくまでも稗田という種族に備わった宿命なのだろうか。否、そんなことは認めない、そんな不幸な種族を私が作り出したのだなんて、ならばなおさら、どうにかする道を見つけねばならない。
 私は阿求の手を引いて、彼女の小さな身体を抱き寄せた。

 願わくば、私が忘れても白沢様は忘れないで下さい。白沢様の図書館に、私は座っています。その図書館を白く塗りつぶさないで下さい。
 それが、阿求の最後の願いだというのか。なんて、切ない願いだろうか。私は、絶対に忘れないよ、阿求もそうだし、今迄の阿礼乙女のことも全部、憶えている。私がそう答えると阿求は、そっか、だから母親が隣に座っているのですね、白沢様の中の図書館は素敵ですね、と嬉しそうに笑った。

 はくたくさま、ちいさなちいさな吐息のような声が私を見上げて呼ぶ。横たわった細すぎる身体を抱き締めながら、私は阿求がもう長くないだろうことを感じていた。








 妊娠が知れてからと言うもの、永琳が3日に一度、わざわざ回診に来てくれるようになっていた。里と診療所の慣習では、回診は基本的に鈴仙が行うことになっていたのだが、やはり、阿求の容態は普通の病態ではないということなのだろう。
 いつもは幾つかのフィジカルサインを記録し、母胎に影響があってはならないと言うことで最小限の薬だけ処方してそれを置いていくだけの淡々としたものだったのだが、今日に限っては話があるというので、阿弥が使っていた、今は椅子とテーブルとぐるりを囲む本棚以外その主のいなくなった空き部屋へ場所を移した。

 システム領域が圧迫されている、永琳はそう言ったが、私には何のことなのかよくわからず、説明を求めた。
 曰く、脳は幾つかの部位に分かれており、記憶というものを司るのはさほど大きな領域ではないのだという。ほとんどは、生命維持のために、意識されることのない自動機能を納めたシステム領域なのだと。だが、阿求の場合はその権限が機能していない。それはハクタクの呪いのせいであると。権限が機能していないと言うことは、経験と情報のインプットによって、経験受容機能が所有者ではないような場所へも、それが書き込まれてしまうことを示すのだという。
 阿求が、記憶障害の進行とともに言語や情緒にも障害を来すのは、本来それらが格納され保持され続けるシステム領域へ、別の記憶インプットが予期せず上書きされてしまうことによる障害なのだと。
 本来、機能的にコントロールされた”忘却”と言う機能があることと、記憶野アクセス権限によって不適切な場所への情報書き込みは制限されているために、そういった不測の事態は予防される筈なのだが、阿礼乙女にはそれらが無いせいで、多量のインプットがあった場合にメモリリークが起こり予期せぬ場所へ情報が漏れ出てしまうのだという。
 一切忘却しないという側面を持つ歴史編纂という人間とは比較にならないインプット量とメモリ使用量を要求する機能を備えた阿礼乙女、つまり阿求の頭の中では、既にメモリリークによる記憶断片の不正浮遊化(フラグメンテーション)が頻発しているのだという。

 今迄、永琳に阿礼乙女の医学的分析は一度もさせていなかった。だが今回のことでそれは明らかになり、ほぼ、私の予想は正しかったとわかった。だが、永琳は一点腑に落ちないという。それは、私が既に阿求に対して歴史の編纂をやめさせていると言うことだ。それがなければ、阿礼乙女には必要以上にシステム領域への圧迫はかからないはずだと、これも私の推測の通りであったはずだが、やはり、記憶障害の進行が止まらないのは、何らかの圧迫があるからなのらしい。

 これから、もっと辛い目に遭うわよ。あの子も、それに、慧音もね。永琳は私と目をあわせないまま、冷たい口調で言う。
 バッファオーバーフローは断続して発生している。このままでは、生命維持に関わる部分への情報浸食が顕著になっていく。そもそもあの子の足が動かないであるとか、阿求ちゃん以外の阿礼乙女もどこかに身体障害を抱えているのは、生得その症状が現れているからで、それはこれからももっとひどくなっていく。目が見えなくなるとか、耳が聞こえなくなるとか、そう言うのは序の口。言葉は失われ精神は完全に失調する。そして、あの子の脳はこの先、呼吸の仕方や心臓の動かし方なんかも忘れて――

 そうやって、死ぬのか。私は永琳の言葉を遮った。何となく、彼女にその言葉を言わせるわけにはいかないような気がして。永琳は、静かに頷いた。そして、手は尽くすけれども、進行を遅らせる方法さえわからない、と付け足した。
 彼女にとっても、進行を遅らせる唯一の手段が、歴史編纂の停止だったのだ。だがそれは既に実行されていた。今のところ、他に有効な手だては見つかっていないのだ。

 生命維持に必要な部位を、その整合性を回復しつつ情報浸食が発生していない部位へ退避させる記憶野転移(デフラグ)を、定期的に施すという。先に永琳が挙げた、致命的な処理プログラムは、継続的に安全な場所へ移送されて維持される。その代わりに、別の何かは加速的に消え去っていくだろう。永琳はそれを私に説明して、ひとつ、溜息をついた。重い、溜息だった。彼女にしても進行を止める根源的な対処が見つけられていないのだ、永琳にすれば、プライドにも関わるストレッサーに違いない。

 私は永琳に、ありがとうと礼を言うが、彼女は礼を言われるようなことは何もしていないと突っぱねる。まだ、私と阿求の中のことを余り快くは思っていないようだ。だが、彼女は医術に対して背信行為をはたらく女ではない。私はそれに、甘えようとしていた。

 きっと、永琳の医術を以てしてもそれは止まることはないだろうと、わかっていながら。







 阿求。私は食卓テーブルに向かう阿求を呼んだ。食事の箸が止まっているようなので、もう食べないのだろうかと思ってのことだ。
 妊娠発覚の時に食欲がなかったのは勿論そのためであったのだろうが、阿求の食は、それ以降もみるみる細くなっていった。妊娠すると胃が押し上げられて食欲が減退するとは聞いたことがあったが、阿求のそれはどうにもそれとは違うようであった。放っておけば何も食べないまま一日を過ごそうとするので、黒田は粥や野菜の擦り汁などを用意してくれているが、それも食べさせなければ食べようとしない。

 食欲だけではない、それは食欲の減退から来る栄養バランスの崩れが原因であったのかもしれないが、阿求の様子は精気を欠き、無気力にふさぎ込むことが多くなってきているような気がした。
 まるで、阿求の生命力が、お腹の子に吸い取られてしまっているかのように。小さな母胎には、妊娠は負担であったのだろうとは思うが、彼女のやつれ具合はそれを超えていた。

 阿求、私は座ったままの阿求と視線の高さを合わせるように膝立ちになって彼女の顔をのぞき込んで声をかける。目は虚ろでどこを見ているのかわからない、まるで目を開けたまま眠っているような様子だ。その光の薄い目が、私を見た。

 だれ

 掠れるような声で、阿求は私を誰かと問うて来る。

 慧音だよ。白沢の、慧音。

 けーね……?はくたくさま?
 ああ、そうだよ。ご飯はもういいの?

 お腹が大きくなり予定日が近づくにつれて、阿求は日に日にこんな様子を色濃くしていった。私をわからないということも珍しくはなく、しかし何かの拍子に思い出しては、はくたくさま、はくたくさま、と譫言のように繰り返すこともあった。私に関する記憶もすり切れ始めている。

 もう、いい。ごちそうさま。阿求は食卓の上で食器を押し出すように自分から遠ざけて、もういらない意思表示をする。だが、それは全くと言っていいほど手が付けられていなかった。
 こーら、全然食べてないじゃないか。お腹の子が、お腹を空かせてしまうよ。私が置かれたままの箸を使って、とまとをつまみ上げる。こんなに美味しいのに、私はそれを一つ口に放り込んで見せてから、再び摘まんで阿求の口の前に持ってくる。ゆるゆると開かれる阿求の口に促すようにとまとを含ませると、ゆっくり、ほんとうにゆっくりに咀嚼して、一口含んだとまとを数分もかけてやっと飲み下した。

 おなかのこって、なあに?
 阿求が白痴じみた様子で首を傾げて聞いてくる。これも最近とみにある症状だ。突然思い出してお腹を撫でては、あかちゃん、あかちゃん、ということもあれば、今のようにそもそも妊娠という現象自体がわかっていないように振る舞うこともある。
 阿求の赤ちゃんだよ。阿求にとっても、私にとっても、大切な大切な、赤ちゃんだ。私がそう言っても首を傾げるばかりで、大きくなったお腹に疑問を抱くこともない。まるで分かっていない様子だった。

 けーね、はくたくさま、はくたくさまは、もっとつよいもん。おっきいもん。つのつのはえてて、きばがとんがってて、おみみがおおきくてしっぽがふさふさで、かっこいいもん。

 そうだね、ハクタクは、角が生えていて牙が出てて、もっと強いよね。
 記憶が途切れ途切れになって出てくる私の印象がそうだと言うことは、阿求の中では獣の姿の私の印象が強いのだろう。阿求の中では私は強く大きな存在として描かれているのだろうが、私はその印象に対して負けてしまっていた。私は弱いし、阿求に対して何もしてやれないし、必要な決定を優柔不断に下すことが出来ないでいる。せめて彼女の望む通りの私でいることが出来たなら、彼女はどんなにか幸せだったかもしれない。私も、そうだ。だが私は、そんな風に強い存在では、ない。阿求に申し訳なさを感じつつ私は彼女の言うことを、うん、うんと聞きながら、阿求へ食事を摂らせた。一口ごとにものすごく時間がかかる。粥を口に運んで食べさせているそばから、突然立ち上がって窓の外の風景を見、何かを指さして独り言を言い始めたり、それが数十分も続けば再び席について大人しく私に食べさせられたりと、全く言動に予測がつかない。

 辛うじて自らの記憶を読み込みできた日はこれほどのことはなく、遠い光景を目を細めて眺めるみたいに消えゆく記憶を頼りに会話したりもするのだが。

 けーね、おなかのこって、なに?

 再び同じ質問が来たので、私は、阿求の赤ちゃんだよ、阿求にとっても、私にとっても、大切な大切な、赤ちゃんだ、と我慢強く同じ答えをしてあげる。だがやはり、阿求は何のことだかよくわかっていないようだった。

 だが、阿求の手は、自分のお腹を優しく撫でている。まるで、そこに新しい命が宿っていることを忘れてなどいないというように。記憶よりももっと深い何かが、彼女にそうさせるのかもしれない。

 私は阿求がお腹を撫でる手に、私の手を重ねて、それを一緒に愛おしんだ。阿求はきっとよくわからないまま、それでも満足そうに屈託のない笑顔を私に向けて来るのだった。


 崩壊の足音は、すぐ傍にまで迫っていた。







 だから、阿求は白沢様に伝えたいメッセージを持っていて、私は布団の中で白沢様に嘘をついてまで、このとても小さく短い歴史と一緒に、この一言を書き記したいと、稗田阿求はそう思ったのです。

 歴史記述の巻物は、稗田阿求から白沢様への、ラブレターなのですから。








 はくたくさま、もうしわけありません、こんなふうで、わたし

 阿求のお腹はもう、動くのも辛そうな程に大きい。元々足が悪く歩くのが困難な阿求だったが、今はもう、左足や両腕、体全体とも動かすのが億劫なのだという。腕を動かすのでさえ、強く意識して腕を持ち上げるように考えないと動かないのだと、阿求は苦笑いしていた。
 だから彼女はここのところ、一日のほとんどを寝床で過ごした。いわゆる”べっど”という奴になるように、寝床は上げ底して高くしてやり、上半身を起こして座る姿勢をとれるようにしてある。阿求はこのべっどの上で日がな一日座っては、窓の外を眺めたり、私と会話したり、あるいは本を読んだりして過ごしている。
 読んでいるのは阿弥から引き継いだあの本。記憶が欠落していくというのに、それは相変わらずだった。歴史と史実に関わる情報が一部バイナリ化されて記されているその本を、阿求は阿弥と同じく好んで読んでいた。やはり血は争えないと言うことだろうか。

 今日は食事もまずまず摂り、何より記憶の読み込みに多く成功しているようで、出産を控えた体であることや私のこと、黒田のこと、稗田のこと、大体思い出せているようだった。だが、体力の低下はやはり著しく、体は弱々しく心許ない。箸はうまく使えないようで、フォークを使うようになっていた。咀嚼も大変に遅く、顎を動かすのに、意識的にリズムを取って一生懸命に動かしているのがわかるほどだ。

 それでも、記憶の混乱や読みとり失敗を起こさなかっただけでも今日一日は穏やかに過ごせたと言える。今日は、夜も阿求もやはり心安らか、幾許か気分が楽なようで、痩せた姿はともかくとして、彼女特有のやわらかな笑顔が零れている。記憶の欠落によって、全く子供のように、あるいは痴呆老人のように変貌してしまうことを恥じ入って、阿求は私に申し訳なさそうに言うが、私にはそんなことは些末なことだと微笑みかけてあげる。

 いいんだ、阿求。お前が元気なら私は何も言うことはないよ。お腹の子も、元気に育っているみたいだし、頑張ってお母さんにならないとな。私が阿求の傍に腰を下ろして頭を撫でると、阿求は私を見上げて、はくたくさまも、おとうさん、ですよ、と笑う。そうだな、私も、だな。

 彼女の体は、本当に出産に耐えられるのだろうか。お腹が大きくなってきていると言うことは、赤ん坊は成長していると言うことに間違いはないのだろうけれど、どこでそれが途切れるのか、永琳にさえそれは全く予測できないのだという。

 毎日が、そんな綱渡りになってきた。

 夜の静かに二人、寄り添って未来に目を背ける。すぐ傍に来ている終末を追い払う力は私達にはなく、遠くない未来からさえ逸らした目を、阿求と私は互いに交えて静かに抱き合った。小さすぎる阿求、この小さなままに、死に踏み荒らされてしまう宿命を負わせたのが、あるハクタクが人間との間に子をもうけた禁忌故だと阿求に告げるべきだろうか。永琳は、秘密を分かち合うのはただの逃避だと言った。そうなのだろうか。全てを告げた上で阿求に、これは重荷であったかと聞けば、そんなことはないと必ずや答えるだろう。
 稗田の宿命は、最初から、本当の最初から、私の血族が犯した罪故で、私はその被害者にさらに罪を負わせようと言うのだ。その赦しを私は誰にぞ乞えばよいのだ。墓場まで持って行け、彼女はそう言った。確かに、それは正しいのだろう。優しい阿求は、私がそれを告げれば全てを受け入れてくれるだろう。受け入れてしまうだろう。

 永琳は、正しい。

 私は、ハクタクの呪いの、本当の根元を、阿求には隠し通すことにした。それが、阿求へのせめてもの罪滅ぼしになるだろうと、余りにも些細な返済ではあるけれど、せめて、そう願って。

 私は阿求の頭を胸に抱いて、頭のてっぺんに、キスをする。ふわりと香る幼い阿求の香り。愛おしい。どうして、どうして、早く逝ってしまうのだ。

 私が目を閉じて熱い目頭を堪えていると、阿求は私の中で小さく声を上げた。ちょっと、強く抱きすぎてしまったかも知れない。腕の力を緩めて、その可愛らしい顔を覗き込むと、彼女の目もまた、ゆらゆらと潤んで揺れている。

 だいてほしいの。

 幼い子供の声がそれを言うのは、いつもいつも、ひどく背徳的で甘美。阿求が言うなら、私にとってはその一言だけで代わりに里を滅ぼせと言われてさえ悩む文句。

 ついこの間もしたじゃないか、阿求は欲張りだな。私がそう少し茶化して言うと、しかし阿求は少しだけ悲しげな顔をして、もう……わすれちゃったから、という。阿求と何度愛し合っても、抱き合って甘い言葉を囁きあっても、互いの思いを確かめ合っても、彼女はもう、それらを全て忘れてしまうのだ。なんという、なんという残酷か。
 元々阿求は私に敬語を忘れたことがない。それは彼女の奉仕種族としての自覚の現れだったのかも知れないが、今、それはなくなっている。私自身、阿求から特別の尊敬を受けたいとはこれぽっちも思っていない。むしろ今のように、素の彼女を見ることが出来る方が、嬉しいとさえ思う。だがそれは、彼女が深刻な記憶障害の症状の下にあるのだという悲しい事実に色づけされているのだ。私と阿求の間にはどうしたって埋まらない、悲しみの不協和音が口を挟んでくるのだ。

 きおくとこころは、もう、わたしの、おぼえてるほどげんきがないんだ。だから、からだに、いてほしいの

 いてほしい、という彼女の表現が、まさに症状を物語っている。もう、事実から人物を再生するほどの、脳機能的な余裕がないのだ。
 体に残された傷跡、痣をして、そこに私の痕跡と私自身を見出そうといういじらしさ。阿求の何もかもが、愛おしい。神がいるというのなら罰してくれても構わない、私は阿求のそうした悲劇的立場にあっても私をまっすぐに愛してくれるその様が、しかもそれをその幼い身空でいうのが、愛おしくて堪らないのだ。これは根を正せば全て私が元凶であるにも拘わらず、だ。私は、なんという

 くちづけで、きすのあとをつけて。つめをたてて、きずあとをのこして。かみついて、はがたをきざんで。おもいきりいたくして、ひどくして、らんぼうにして、からだにのこるものがほしいの。

 右足に跡が残るように自傷したそれと同じだ。阿求は、記憶に残すことが出来ないからと、記憶障害に関わらず治癒に一定の時間が保証される”傷”を拠り所にしようと言うのだ。だが、彼女は今夜、それ以上のことを、口にした。

 ほんとうは、けーねのこと、わかるうちに、けーねにころしてほしい

 まっすぐに、彼女はそれを全くまっすぐに、私にぶつけてきた。

 っ莫迦をッ!……莫迦をいうな、私は余りにも極端に思える彼女の発言を否定した。阿求を殺すだなんて、でなければ私を殺すと言われようとも絶対にできやしない。何か悪い冗談のようにさえと捉えられるその発言を、しかし阿求は真っ直ぐに素直に、私に投げてくるのだ。

 けーねはやさしいからね。そんなことできないよね。でも、やさしいなら、わたしのこと、ちゃんとおもってるなら、はがたくらい、つけてほしいの。はくたくのすがたで、とんがったけんしで、わたしに

 優しさ、その言葉が指すものの定義が、私にはもう、わからなくなっていた。真実を隠し墓場まで持って行くことで阿求を守るのが優しさであると、永琳は言った。それは私の観念を覆すもので、私は今ではその通りだと思い阿求に真実を告げるのをやめている。だが、その阿求からは、殺してくれ、さもなくば体に傷を付けてくれ、それが優しさだと迫られる。これらの出来事において、私は十全罪人である。私には弁解の余地はなく、阿求なり永琳なりの言うことは、正しいかどうかはおいておいて、全て彼女達への贖罪なのだ。私は、私の罪業と欲望の引き替えに、彼女達の望みで私ができることなら、何でも叶えてあげようと思う。それだけが、私にできることなのだ。

 私は阿求をもう一度抱きすくめ、今度は首筋に、つよくつよく吸い付くキスをした。阿求、阿求、お前は絶対に私のものだ、他の誰かがお前を裸に剥いても、まるで縄張りのようにこの痕が、お前は私のものだと示してくれる。そんな内出血さえ伴う強いキスを、首筋から腕、胸元、お腹に太股、全部に数え切れないだけ降らせる。私が唇で吸い付く度、阿求は甘い吐息と、劣情を掻き立てるほどの熱い声で私の名を呼ぶ。彼女は今妊娠していて、セックスできないのが死ぬほど悔しい。私は、股間に劣情の分身を勃起させながら、何度も何度も阿求の体に私を刻みつける。キスはやがてエスカレートして、阿求の柔らかな肌に噛みついて歯形を残していく。阿求はきっと痛かろうにも拘わらずそれにさえも甘い声を上げ、剰え私のことを愛していると叫んだ。

 アイシテイル

 それは彼女が記憶障害によって正気を失う前には決して口にしなかった言葉だ。好き、とさえ、LikeはともかくLoveの意味では決して向けてくれなかった。阿求の思惑はもはやわからないが、ただ、理性がきちんとはたらいていて、記憶障害による終末が見えていなかった段階では、彼女は決してそれを口にしないと決めていたのに違いない。隠された事実、それが、こうした破滅的な結末の約束によって、初めて知れるという皮肉。私は阿求の深い悲しみと決意を、知るではないが感じて、震えた声で、阿求、阿求と繰り返しながら、キスと甘噛みを、繰り返した。
 阿求、お前は、絶対に私のものだ。それを示してやるのが、せめて私にできる購いなのだと信じて、私は。

 阿求は、幸せだったのだろうか。
 私を、恨んではいなかっただろうか。







 その日、稗田家には阿求の出産に際して万全の準備が整えられた。

 診療所で出産すべきだという永琳と私の意見を、阿求は聞き入れなかった。もはや理性的な判断ができなかったのかも知れないし、それよりも大きな意思を以て住み慣れた家での出産を望んだのかも知れないが、どちらにせよ彼女の真意はもはや知る由もない。
 出産が母体に多大な負担をかけることと、それによって母体が危険にさらされるとして、阿求が産気づいたとき、永琳はすぐ催眠麻酔を施した。催眠麻酔下で脳ステイシスと帝王切開での新生児摘出を同時に行うのは、難しい処置なのだという。永琳は、優秀弟子鈴仙と孫弟子の因幡と3人でディスポーザブルガウンを纏った真っ白い出で立ちで、稗田家の客間へ入る。

 阿求の出産に先んじて、彼女が自宅での出産を頑なに望んだこともあり、稗田家の客室は分娩室へとすっかり空間形成されていた。輝夜姫の持つ宝物の一つ、”燕の産んだ子安貝”を用いた空間訴求魔術(インスタレーション)によって、この客間は恐らくこの地上で最も恵まれた分娩室となっている。加えて、永琳が持ち込んだ幾つもの医術機器は、鈴仙の能力を抽出して作成された脳状態を詳細にレポートしつつその状態遷移を強く抑制するもので、阿求の激症性痴呆症状の進行を止めるものになっている。医療機関としての永遠亭の粋が、集められているといっても過言ではなかった。

 出産自体は済ますことができるだろう、と言うのが永琳の分析だった。それよりも問題は、その負荷による産後容態の方だという。
 こうして整えられた医療機器は、出産よりも阿求のシステム領域圧迫への対応のために用意されたものだった。

 波が来るとしたら、確実に出産直後だと、永琳は言っていた。

 私は、ただ、隣の部屋で待つしかなかった。いろいろのフィクションで出産を待つ父親のように、私は落ちつきなく部屋の中をうろうろと歩き回る。ただし、これは期待だけではない。阿求の娘――名前はもう、阿刀と決めてある――の誕生への期待に、阿求の容態の心配が重なって、私はとにかく落ち着くことなんてできそうになかった。大人しく腰を下ろしていることもできないし、立ち上がっても立ち止まっていると不安感に飲まれそうで、意味もなく歩き回る。かといって部屋を離れるわけにもいかず、私は同じ部屋の中をあっちへいきあっちからまたこっちへあるいては、再びこっちからあっちへ、またあっちからこっちへ、ひたすらに歩き続けた。

 先ずは出産だ。もう時幾許もなく、きっと生まれてくるはずだった。そう、もう間もなくだと、もうすぐだとばかり思っているから、その僅かな時間がただただ引き延ばされて長い時間に感じられてしまって、私はへやをあっちへこっちへ歩く足を早めてしまう。まだか、阿求、まだなのか。

 不安が募る。もしかして、死産なのではないか。阿刀は誕生せず、ただ阿求を危機に追いやるのではないか。いや、いやいや、もうすぐ、元気な子が産まれる筈だ。どうだろうか。いやしかし。

 部屋を右へ左へ行く度に、不安と期待が交互に入り交じる。

 そうして、私が思っていたよりも遙かに長い時間を待たせた後(それはそう感じられただけで実際は大した時間ではなかったかも知れない)、ようやく、ああようやくに客間から赤子の泣き声が響いた。

 それこそ、もうこれで十回目にもなる声だ。その声が聞こえてからまもなく。
 お生まれになりました。女の子です。間を置かずに、部屋に入ってきた黒田が告げる。永琳が取り上げた子は可愛らしい女の子だった。
 女児。当然だ、稗田に男子は生まれないのだから。女児である旨を告げる黒田に、知ってのことだろうと言うと、彼は仰るとおりで御座いますと辞儀伏した。なにせ、若い頃に阿求の出産にさえ立ち会った男なのだ、言うまでもない。

 永琳は阿刀を、阿求と私に一目だけ見せてすぐに彼女をNICUユニットへ納めた。母体が母体だけに、どんなハンディを持って生まれてきたか、確認せねばならないのだ。半自動化されたNICUユニットは、因幡によって監視されている。産後すぐの新生児の検査と処置は、このユニットに任される。簡易チェック上は、阿礼乙女特有の障害として生得左目が盲目だというのを除き、阿刀には命に関わる障害はないとのことだった。

 残るのは、阿求の容態だった。

 私は再び隣の部屋に押し込められ、同じように部屋を右往左往とするのだった。







 そして、そのときはついにやってきた。
 出産から程なくして、永琳の動きが慌ただしくなる。隣の部屋にいる私にも、それは伝わってきた。
 鈴仙がそれに応じて走り、因幡はそれをサポートに動き回っていた。永琳は"その言葉"を避けて処置を続けているが、わかっている。阿求の体はいよいよ、何か致命的なことを忘れてしまおうとしているのだ。呼吸の仕方か、心臓の動かし方か、酸素の取り出し方か、それが何かはわからない。現象を目の当たりにしている永琳には手に取るようにわかるのだろうが、私にはそのいずれであるのかはどうでもよかった。

 危険な状態にある、という言葉は、恐らく気休めにしかならない。永琳(と鈴仙)の用意した脳ステイシスチャンパーは、阿求の症状を止められなかったのだ。あの慌ただしさが、その証拠だ。

――阿求は、死ぬ。

 私にはその事実で十分だった。永琳は必死に延命を試みてくれているが、それが無駄なことは私も、恐らくは永琳もわかっている。記憶野転移(デフラグ)さえ無駄に終わったことは、永琳が一番わかっているのだ。
 永琳は、医師としての誇りをかけて動いている。無駄かどうかではない。これが自惚れでないのなら、私への当てつけでもない。医者という生き物は、それだから美しいのだ。永琳も、それだから、美しいのだ。

 私はついに彼女に最期の時が来るのだと知り、中空のどこへともなく愛しい名前を吐き出した。それはたばこの煙のように漂い広がり、やがて霧散して消えようとしている。人の命は、斯くも儚いものか。まして、稗田の者は。時が至れば、永琳が呼びに来るだろう。私はそれを覚悟して待つことにした。

 これは、私のせいでもある。
 私が生まれたその因果が、こうして阿求に非情な夭逝を強いているのだ。

 ふと気が付くと、いつの間にか黒田の姿があった。黒田はいつも通り微動だにせず背景に溶け込んでいる。私には、黒田についてどうしても腑に落ちないこと、そしてひとつの疑心を抱いていた。
 よく働いてくれていることに感謝はすれど、ハクタクの――私の呪に冒されているのは、稗田家だけ。黒田には根本、関係がないのだ。何故、ここまで肩入れするのだろうか。俗人ならば、呪いの伝播を恐れて逃げてもおかしくはないのだ。思い当たる節は、ひとつだけ、あった。
 わざわざ触れるようなことではない。それがどうであれ、私の中に波風が立つことはないだろう。だが時が時だ、そうすることで付くけじめもある。

 私は黒田に、敢えて問うことにした。

 私の問いを、その言葉の半ばで既に悟ったように聞いていた黒田。彼は、呪いの如何など、自分のような一介の人間には知り得ぬ事だと一蹴した。ただ稗田家には資産があり、稗田に仕えるのは彼自身の食い扶持故なのだと。
 全くの一度も頭を上げぬまま、抑揚を抑えた口調で滔々と答える黒田。彼の慇懃な態度、昔は少々いけ好かなかったものだが、それはすぐに消え、今は……引け目さえ感じる。

 そう。黒田は、恐らく阿求の。

 阿求の子、阿刀が呪の張本人である私との間に生まれたことを、彼はどう思っているのだろうか。これは私の愚かな嫉妬ではあるのかも知れないが、彼の阿求への態度は、愛情にしか見えないのだ。それでもどこかに引っかかる違和感は、"それ"に間違いないと思う。

 阿求に対する私の仕打ち、つまり私が阿求を身籠もらせてしまったことについてどう思うのか。だが黒田曰く、彼は阿求の父親も素性の知れぬ下賤の男であり、今更それに構いはしないのだと。それについては私も初耳であった。彼女は父親の顔を知らないというのか。いや、だが彼のその言葉は、逆に私の疑心を確信へと進めるに足る。
 阿求の父親について下賤の男と扱き下ろしたことを指して、私が自分の仕える主人にそのような口を、と言うと黒田は微かに笑った。しかし、その笑みには邪気が感じられない。この男の読めなさは毎度のことだが、その笑みはどこか儚ささえ感じるのだ。

 そのことを後悔していると尋ねた私に、黒田はとんでも御座いませんと顔を伏せた。見抜かれると感じたのだろうか。こやつにしては下手を打ったな。それだけ見えれば十分だ。その動揺も”それ故”なのだろう。

 黒田は、きっと私と同じなのだ。後ろめたく取り返しの付かない愛情を貫いて、煮える後悔の向こうに愛情の温もりを感じている。

 慧音、と。襖の向こうから、永琳の呼ぶ声が聞こえた。覚悟を決める。それは、黒田も同じ様だったが、その立場故に彼は私と同じように敷居を跨ごうとはせず、むしろ席を外そうとする。
 その黒田を、私は呼び止めた。
 今宵のことを、歴史に残すつもりはなかった。ピュアハクタク達からは指弾された身だが、幻想郷の歴史について私の裁量下であることは死んでも譲るつもりはない。末期を看取れぬとあっては彼の遺恨も深かろうと、阿求の伏す病室へ黒田を促すが、それでも彼は何も言わぬまま下がろうとする。
 後生だから義父への些細な孝行くらいさせて欲しい。そう私が付け足すと、黒田は顔を伏せたまま、恐悦至極に御座います、と呟いてそっと敷居を踏まぬように越えた。私は黒田を促し、私より阿求に近いところに立たせる。
 今だけは"お嬢"ではない。そう告げて肩を叩き私は二人に背を向けて距離を取ると、彼は横たわった阿求の傍らに静かに立った。背に、気配を感じた。悲しみ、悔しさ、そして愛おしさの入り交じった、強烈な重圧。敢えてその方を見ないでいた私には、彼の表情は伺い知れなかったが、その気配から彼が阿求の”なんであったのか”はすぐに知ることができた。

 だというのに、黒田はすぐに何の感慨もないかのようにくるりと振り返って口を開く。

 曰く、次期の阿刀様が生まれておいでの以上、私が従うのは阿刀様に御座います。阿求様にはもはや、稗田家長としての力は残されておりません。と。

 一瞬、悲しみと絶望の気圧を感じさせたかと思ったが、視線をやった先の黒田の声は、いつも通りの抑揚のないそれで、悲しみの色の一片さえ留めてはいなかった。さざ波ひとつ立たずにいる地底湖。それが黒田の印象だ。

 黒田の一見冷血にも見える対応に憤りの声を上げようとした鈴仙を、永琳が止める。それを見た因幡も、開けた口をそのままに声を出すのをやめたらしい。
 黒田は因幡の抱く阿求の――呪われた私の――娘の顔を覗き込み、なにか穏やかに得心がいったように離れ、再びいつものように私に傅いた。仄かに香る悲しみの気配は間違いない。だがそれを圧倒的に押し殺して、黒田は何か思うところに従い、下がった。
 恨んでくれて、構わない。その死別も悲愴も、早逝の宿命も、全て私の出自に因果があるのだ。黒田に、刃を突き立てられても文句を言えるものではない。だが彼は、それでも尚、滅相もないと伏したのだ。私には、彼をとやかく言うことは出来なかった。彼の心中を察すれば、なおのこと。

 そのまま、廊下へ下がる黒田は、やはり何も言わない。だが先ほど一瞬、しかし強烈に私の胸を殴打したあの気配は、まさしく本物だった。
 黒田の心を察し刻みながら、私も阿求へ向かう。

 阿求、どうした随分顔色が好いじゃないか。明日にはまたお前の味噌汁が飲めそうだな、と笑いかけるが、阿求の顔が滲んでよく見えない。くそ。手を握るとそれは余りにも冷たいではないか。
 手を握ると阿求が声を上げた。その瞳には光は虚ろだ。
 わー つの かっこい、と掠れるような声を漏らす阿求。何言ってるんだ。しょっちゅう見てただろう。お前を抱くときは、いつもこの姿だったじゃないか。
 あきゅう、あきゅうと、譫言みたいに彼女の名前を呼んでしまう。だが彼女はまるでその名前が知らぬ何かの呪文、その意味は何かと問うように、繰り返した。阿求、は、お前の名前じゃないか。思い出せよ。
 自身の記憶さえ”記録”に上書きされている。もう私のことも覚えてはいまい。握る手に力が篭る。痛いか?痛くしてくれと言ったのは、お前じゃないか。思い出せ、思い出せよ、阿求!

 っっ

 横たわったままの阿求が突然、口を大きく開けて目を大きく見開いた。
 同時に、永琳と鈴仙、因幡の動きが慌ただしくなった。

 呼吸アルゴリズムが欠落、師匠!
 デフラグの用意。てゐ、ニューラルモニタのリフレッシュレートを最大に。脳ステイシスチャンパーの出力を引き上げて。
 すでにさいだい、げんざいひょうじされているものがさいしんです。
 他に健全セクタは?
 ありません、さっきのてんいでさいごのりょういきでした。
 今の会話で使用していた言語野は!?
 あの言語がどうやって導出されたのかが不明です。言語野は既に、経験記憶とログで塗り潰されています。師匠、もう、打つ手が

 ありません

 鈴仙が言葉を言いきった瞬間、だんっ、と永琳が机を叩く。医術は、まだ、無力だわ。そういって、震えていた。
 永琳、もう十分だ。私は呼吸の仕方を忘れた阿求が苦しそうに悶える姿を見て、しかし永琳に力不足など感じてはいなかった。むしろ、ハクタクの呪に対してよく抗ってくれたと思う。"終わらせて"くれ。誰だって地上で溺死なんて、したくないはずだ。私は永琳に、とどめを望む。私のその言葉に、永琳は小さく呻き声を上げた。

 わかっている。永琳には、その決断が重い。それは阿求に限ったことではない。ほとんどないことだが、彼女でも救えなかった命は幾つもある。その多くは老年衰弱であり、尊厳を選んで治療をやめたものだ。だが、目の前にいるのは、健全な衰弱ではない。純粋に、病質に対して手を施せない、彼女の限界だ。それにピリオドを打つ手段として、尊厳死ではなく安楽死を選択するのは、まさしく彼女の、医術の敗北に他ならない。

 他に、何か、旧本能系の一部ならまだ……と生命維持に対してクリティカルな情報をマイグレートしようと試みる永琳。彼女の誇りを、砕くのが本意ではない。だが、無駄なことは彼女もよくわかっているはずだ。
 私は鈴仙の名を呼び、その赤い瞳を見つめる。終わらせてやってくれと頼むが今度は因幡が、安楽死を頑なに拒絶した。鈴仙との間に、何かあったのだろうか。だがきっと、今の状況はそのときとは違う。

 呼吸の仕方を忘れ、ベッドの上で窒息にもがく阿求。徐々に致命的な情報も失われて苦しみ悶え、今にも消えようとしている。その姿は一人、地獄に落とされ身を焼かれたかのように苦み、逃れるようでありながら求めるようでもある。身を捩り痛みから逃れようとしながら、舌を突き出し空気を求め、血液が体を巡ることさえ忘れられようとしているのだろう。それでも"生きた体"というのは、愚直に生きようと、これはまずい状況だから逃げろという情報を発信し続け、それは苦しみをまき散らしている。

 見るに耐えない。私はそれを見たくないと願いながらも、しかしじっと目を背けることが出来ないでいた。

 網様体への記録侵蝕は?
 現状維持なら、後600秒。生命維持機能ROMが……つ、痛覚記憶……?もう記憶野のほとんどが、体験記憶で塗り潰されてる。ここ何時間かの逃避衝動ログが大きすぎるわ。
 でも
 記憶可能容量を圧倒的にオーバーした記憶の大半が、苦痛で埋められていくなんて。……慧音先生の判断が、正しいわ。
 あのとき、れーせんも辛かったの?でもれーせん、生きてるじゃん!

 因幡が、鈴仙の腕を引っ張っている。鈴仙の耳が、片方だけ違う形をしているのは何か、そういう過去があるからに違いない。敢えて歴史にアクセスしてそれを知ろうとは思わないが、どうしたって、現状はかわらないのだ。
 ハクタクの呪は、身体とは別の場所に病巣があるのと同じ。……体を全てそっくり新しくしても、進行は止まらないだろう。

 永琳が出来ないなら、いっそ私が。

 阿求のこめかみを挟むように右手を伸ばし、それに力を込めようとする。が。
 その腕を何者かが掴み、中枢の破壊を、止めた。永琳だ。

 責任は、全うするわ。

 永琳が、顔を伏せたまま言った。医療として、彼女を、終わらせる。腕は震えている。それを、医師の責任と言うことに、彼女は想像し得ぬほどの慚愧を感じているだろう。だが、それをしても、負けを認めざるを得ないのだ。

 鈴仙へ"ペンバルNa、20"という私にはよくわからない言葉を投げると、因幡は顔を伏せ、鈴仙は師匠の発言に目を伏しながらも何か強い意志を感じさせる様子で何かを取りに行った。

 やがて鈴仙の手によって届けられた注射器入りの薬剤。永琳は顔を私に向けないまま、鈴仙から受け取ったそれを阿求の静脈へ注入した。

 私と一緒に、自力で歩くことを望んでいた阿求。
 
 その足はもう、二度と動かない。







 忘れたくないのに、忘れてしまうんだ。明確にすっぽりと抜けていくんじゃあない、徐々に、記憶が記号になって、記録に変わっていく。石化して風化して、その後に空っぽの情報だけが残って、阿求のことはすっかりと消えてしまう。確かに十数年生きていたのに、私の中に記憶としてこんなにも強く生きているのに、それは私が忘れたら、歴史の一片になってただのデータになってしまう。生きていない、ただの、情報に。

 そんなの、耐えられるか。お前は、耐えられるのか。愛していた存在が、存在ではなくただの概念になってしまうことが。
 私が問いかけると、彼女は悲しそうな顔をして、小さく頷いた。

 それが、生きていくって言うことだもの。

 永遠を生きる彼女が、小さく、でも確かにそう、答えた。








 これがパパですよぉ、と因幡が阿刀をあやしている。父親だなどと、こそばゆいようで同時に後ろめたくもあり、つい因幡に向けて情けない声を向けてしまう。

 中身は老年の兎とはいえ、ちびっちゃい因幡が赤子を抱いている光景は、どこか微笑ましくもあり、同時に悲痛な歴史も想起させてしまうものだが、そんな私の複雑な想いを余所に因幡はよく笑って阿刀の相手をしてくれている。

 だってパパでしょと悪戯っぽい顔で私を見る因幡。だが、稗田の子には他の血は混じらない。それは阿求だけではない。稗田の娘は、遺伝的に全く同じ、いわば阿刀は阿求の、阿求もその母である阿弥の、連綿と続くクローンだ。
 人間の遺伝子継承の方式では、男子を維持すれば必ず父親の遺伝子を引き継ぐが、女子だけを選び続けてもひとつの遺伝子を維持できるとは限らない。人間が逐一の遺伝子検査を行わずに確実な女系血統を保つにはクローニングしか方法はなく、然るに稗田にとって交尾とはクローニング開始のスイッチでしかない。阿求はそこまで知って、私を求めてきていたのだろうか、今となってはわからない。それ(私)を父親と呼ぶべきかどうかも、当人の私にでさえわからない。
 それでも、阿刀にはまるで血を分けたような愛情がわいてくる。私の中に半分流れる人の血が、そうさせるのだろうか。

 かわいくってたまらないってかんじだねと、因幡は上目に私を試すような言葉尻で問うて来た。
 わからなかった。
 阿刀を愛おしく思う気持ちは間違いないが、それは親としての感情であるのか、それとも何か別の感情か。私はまた同じことを繰り返そうとしているだけなのかもしれない。今の私には、何もわからなかった。

 しょうがないなー、パパは。
 因幡の子守に阿刀は満足らしくきゃっきゃと笑っている。
 おなかすいてなあい?おっぱいあげよっか?と上半身をはだけようとする因幡を止める。ママがいないんだからだれかがかわりしないとだめでしょと因幡は言うが、さすがに因幡には無理だろう、特に授乳は。
 ちえーと口を尖らせる因幡。
 因幡はぺったんこのまままだ膨らみの薄い胸を見て口をとんがらせる。私はともかく、ママよりパパのほうがおっぱいおっきいなんてねえ。
 私も出るものなら阿刀に乳を吸わせたいと思っていたが、私は妊娠したこともなければ、今の今まで誰かの親であったこともない。そもそもハクタクと人間の混血であるこの体が妊娠できるものなのかもわからない。勿論子育ては全面的に手伝うが……乳母役は永琳に頼みたいと、考えていた。
 因幡がちっちゃい胸を阿刀に吸わせようとしているのを見ると、彼女の未成熟に見える体にもいずれ親としての魂が宿るのだと考えさせられた。そしてその因幡の姿に不意に、阿求の姿が重なる。彼女も、阿刀を抱きたかったろう。親として当然の感覚だ。
 ならば、黒田は。
 ハクタクの呪は、余りに多くの歪みを、この家の周りに生じさせている。だが私にもこの呪を解くことは出来ない。稗田家の、歴史収集による漸次解呪以外に、道はないのだ。

 思い詰めた顔が出てしまったのか、因幡が私の様子に小さく溜息を吐くと、パパ、だいてあげなよ、とそっと阿刀を私に寄せてきた。

 因幡が差し出す阿刀を、抱き上げる。その様子を見上げながら、因幡はぽつり、阿刀が余りに阿求に似ていることを、呟いた。
 目元とか、ちっちゃい鼻の形も阿求そっくりだ。クローンなのだから当たり前なのだが、クローンでも阿求自身の腹から生まれた立派な子。因幡もそれを感じてのことだろう。
 私は阿刀の額に触れる。やわらかくなめらかな肌。愛おしく思う反面で、赤子の無垢な様は私を責めているようにさえ思えた。
 これから、この子はどんな人生を送るのだろう。願わくば、一日でも阿求より長く生き、少しでも幸せを感じて欲しい。私が願えたことではないのかも知れないが、それでもこの子が、よりよく生きて欲しいと、願うことくらいは許して欲しいと思う。阿求と同じ顔をした彼女に、この私が幸せを願うのはおこがましいかも知れない。ああ、私はまだ、旅だった彼女を送り出せていない。彼女は恨んではいなかっただろうかこの私を。ハクタクが課した、呪われた宿命を。

 因幡が、わすれてもらっちゃあこまるぜぃけーねのだんなァ、なんて芝居が買った言葉回しでなにやら腕をまくる仕草をしている。元々半袖だ。

 ――まァ、このやしきにゃまともなヤツがすんでいやがらねえってんだから、むりもねえ。あっしがこうしてあかごをだいてやったってぇこたァ、こりゃ、ばぷてすま、ってのとおんなしヨォ――

 十分齢に裏打ちされているとは言え、見た目そのものが普段から”何を知った口”と思わせる幼すぎる風貌の因幡が、そんな様子で謎の口上を述べれば、胡散臭さは、八雲にも引けを取らないというもの。飛び出した言葉そのものは理解できたが、一点だけ、聞き慣れない言葉が含まれていたせいで、思わず聞き返してしまう。ばぶ?
 すると因幡は自慢げに、その様子こそ彼女のいたいけな様に相応しいと思わされる態度で、私が何か大切なことを忘れているのだと指摘した。

 幾許か逡巡し、そうして思い出したのは彼女の能力だった。

 幸せ、だと?私が呟くと彼女は胸を張って、自分なら阿刀をいっぱい(いっぱい、の定量がわからなかったが、つまり私が憂いを払う程度には、と言うことらしい)幸せにしてあげられるというのだ。
 因幡の持つ子供特有(こう見えて相当老齢だというのだから、実は地球の兎ではないのではないかとさえ思う)の天真爛漫さには幾度も元気づけられたことだが、今回ほど心強いことはない。永遠亭は太古からここにあり、私が足を運ぶようになったのは長い歴史から見ればほんの最近のことではあるが、それ故に、この屋敷に集う人物のポテンシャルにはいつも驚かされる。

 ありがとう。

 私は因幡に素直に謝辞を伝えると、それ自体が意外であったのか、いつもは垂れたままの耳をぴんと立てて驚いた表情、そしてグラデーションのように得意満面の顔へと変化する。なんだか癪なので、胸を張って得意顔の因幡に向かって、だがどこの兎の骨とも知れん奴に娘はやれないな、と冗談めかして返すと、因幡は一瞬意図を酌めずにきょとんとして、そしてすぐに、しあわせにするのイミがちがうよッ、と顔を赤くして声を上げる。その様子に、私はつい、声を出して笑ってしまった。

 もう、と溜息をつく因幡は、しかし苦笑いして私に言った。すっかりパパだね。私は彼女の言葉にこうべを振って応える。謙遜しているわけではない。私は、まだ、先に進めないでいるのだ。

 因幡の、パパ、の言葉が、ちくり、胸に刺さった。彼女にそのつもりはないのだろうけど、私の自責を、的確に掘り当ててしまったのだ。

 私はまだ、阿求に恋慕する、ただの一人の女のままだ。

 苦々しい顔を、阿刀に見せてしまったとあわてて繕うが、恐らくしっかり見られてしまっただろう。私とは裏腹、穏やかな阿刀の表情を見ていると、縁側に現れた黒田が声をかけてきた。

 どうしたのか問うと、黒田が何かを差し出してきた。それは、一巻きの書物。阿刀を因幡に抱いてもらい、私はそれを受け取る。

――史片巻であった。

 私は驚きを隠せなかった。編纂は、やめさせていたつもりだったのに。歴史編纂は記憶の圧迫を促進すると言うのに、阿求は私達に隠れてさらに一本の史片を編纂していたというのか。

 阿求の容体の悪化が急激だったのは、病床でなお隠れて歴史編纂を続けていたからではないかと告げる黒田。恐らくその通りだ。妊娠して目が届くところに来るまで、結局ずっと歴史の編纂をしていたと言うことらしい。
 記憶侵蝕が始まって編纂をやめれば、進行は緩やかになるはずだった。だが阿求は、違った。間違いなく、これが原因だろう。

 阿求……莫迦者が……一分でも一秒でも、お前の手を握っていられた方が、よかったのに、阿求――。

 ぎゅ、と巻物を強く握ってしまう。
 そうして伝わってきたのは、歴史のそれとは少し違う感触。おおまかには歴史で埋め尽くされているが、幾星霜と歴史ばかり喰ってきた私にはわかる。巻物の中には、史片に含まれない何かが含まれている。

 今宵は満月だ。間に合って、よかった。

 言うと、黒田は恭しく頭を下げ、下がっていく。
 私は因幡から阿刀を抱き受け、その額に口付けた。

 用意されていたのだ、他でもない阿求の手で、この笑えない喜劇の終演は。これで、締め括りに違いない。

 阿求は記憶を失い、私や自分の名前さえ忘れて命を終えた。それからずっと、私は放り出され宙ぶらりんのまま、阿求からとどめを貰えないままぐずぐずと阿刀に阿求を重ねて過ごしてきた。よくないことだと知りつつも、私はまだ父親ではなく、阿求の恋人でいたかったのだ。
 だが、この中にある何かが、不甲斐ない私にとどめをくれるだろう。

 腕の中で私をみる阿刀を、やっと、解放してあげられそうだった。







 わざわざ永琳を訪ねてきて、なんだと言えばいいんだ。先日私は、引き籠もり続ける私を心配して珍しく料理をこさえて迎えに来た彼女をつっけんどんに突っぱねては二発も平手を貰い、そこで目の当たりにした涙に焼きが回ったとうずくまり直したばかりなのに。こんな情けない様を晒して、右手に持ったその紐一本解くことが出来ないのを。
 やはり、惨めすぎる。
 永琳に後ろめたさが強くて。やはり、なんでもない、と踵を返そうとするが、永琳はどうせ暇なんだから月見に付き合えとそれを止めた。

 私が満月の夜に暇ではないことを、永琳はよく知っている。私が、それを言わせたのだ。自分の甲斐性の無さに腹が立つ。永琳に、どの面下げて会いに来たというのだろうか。自分で言えず、永琳にそれを言わせる卑劣さにも、腹立たしさを感じた。
 今夜、傍にいて欲しい。永琳は私の、理性で慎重に覆い隠しているつもりの感情を見事に見抜いていた。

 一晩一緒にいてくれと、頭を下げる。なんだかおかしなことをおかしな様子で言っている気がするが、もう、自分でもよくわからなかった。もう一度、なぐられてもいいと思った。むしろそうして欲しかったのに、彼女はそれをまるで憶えていないみたいにおくびにも出さない。

 だからお月見に付き合ってって言っているでしょうと苦笑いをする彼女に、だが私はそれを遮って"私がそれを頼んでいる"んだと念を押す。永琳は、どっちでも同じじゃない、と小さく笑った。私は、笑えなかった。

 輝夜姫も、鈴仙も、因幡も妹紅もいない。みな、思い思いにそれぞれ今夜の月を楽しむつもりらしかった。じゃあ、永琳は?一人でこの月を眺めるつもりでいたのか。他の皆から余されてしまっただけかも知れないし……これが私の考えすぎでなければ、彼女は私が来るのを察して待って、いや、迎え撃つつもりでいたのではないか。
 嫌な勘は当たり、私がまごついているのをみた永琳は史片を指さして、一人じゃ開けられないんだろうと図星を指す。

 肯定の言葉を発するのさえおこがましいような気がして俯くと、ほら、早くあがりなさいな、と彼女の書斎へ通され、彼女を通り過ぎざまその背中に言葉を浴びせられた。こんなに挙動不審な慧音、初めて見たわ。言葉尻は笑っているが、声色は、そうとは聞こえない。

 返す言葉もない、今の私には。私は黙って通された部屋を見渡した。
 机と座布団。周囲に立ちこめるはむせかえるような本の匂い。埃っぽさはなく、黴臭さだけではない墨の匂いと紙自体の匂い。時折焚いているのだろう香の香りが仄かに漂う。
 たん、と襖が閉じられると、菜種の火がゆらゆらと揺れてやんわりと部屋を照らした。机の向かい側にある閉じたままの円窓を開け放つと、夜の空気に青白く染まった月影が差し込む。
 よもを本棚に取り囲まれ埋もれ溺れるような感覚にさえ陥るこの部屋は、さすが月の頭脳の私室としか言いようがなかった。
 よもまだ浅く虫の声はまだ明るかったというのに、この部屋に入った途端に深海。揺らめく灯火と差し込む月影は、まるで海底に沈んだかのようだがその静寂は逆に時の存在感を色濃く示す不自然さであった。
 よもや満月の今宵にハクタクを招き入れることになるとは思っていなかったのか、幾つかの本とそれを抱く空気は、にわかに色めき立っている。安心しろ、今宵は、お前達を食うために来た訳じゃない。
 私は、黒田から受け取った最後の史片の紐を解く。机の上でそれを広げると、阿求が床に伏せるぎりぎりまで続けていた写史の文字が現れた。相変わらずの柔らかい文字。まだ開いたばかりだというのに、阿求が書いた黒い墨の筆跡が視界の隅に踊るだけで胸が締め付けられる。落ち着きを取り戻させようと永琳が入れてくれたこーひーを口に含むが、何の味もわからない。

 私の作業への没頭を促すため(か、あるいははなっから私を試そうとして)席を外そうと永琳は立ち上がろうとしたが、私はその腕を掴んでしまった。掴んだ腕に、ほとんど抵抗を感じなかった。恐らく、私がそうするのを永琳はわかっていて……。
 でも永琳は座り直すことはなかった。私が腕を掴んだその時の姿勢のまま、立ち上がりも座りもしないまま――つまり、私が何かを言うのを待って――黙している。私を、その黄金の満月のような瞳で見つめる。
 私は、捻り出すみたいに、永琳を引き留める言葉を吐いた。

 ここにいてくれ、と。

 私が永琳の方を見られないままでいると、掴んだ私の手に素直に引き寄せられるように永琳は私の隣に座り直した。すぐ隣、並んだ太股が触れるくらいに近く。

 泣きそうな声に、なっていたかも知れない。不安で仕方がなかった。怖がるものも、憂慮されることも、何もない。ただ、純粋に阿求の記した歴史を見直すことが怖かったのだ。永琳の、私の言葉を強いるやり方を意地が悪いと思うことさえ出来ない程に。
 彼女は私が傍にいて欲しいと願うことをわかっていて、敢えて私にそれを言わせたのだ。それが何か報復行為のようにも思える。私がこうして永琳しかいない永遠亭に足を運んだのも、まるで謝罪の訪問に思えた。

 誰への?永琳、罪悪感は阿求へのそれにも足る。
 その二つの境界が曖昧であるのは私が不快感を未分化の内に処理しようとしたのと同じ渾然であって、それをふやかし滲ませ溶解せしめたのは、一体何者だっただろうか。涙か、悲愴か、それもまた、自らへの不快感の対偶だったかも知れない。

 わすれてしまうまえに、ころしてください。

 まっすぐ投げてくる、阿求の言葉。思い出すだけで胸が締め付けられて、何も無い空虚な私、からっぽの胃の中が更に絞り出される。
 私がもっと強かったなら。命よりも大切な尊厳、愛し合ったことか、それとも果たして愛していた記憶か、何か一つを選ぶ勇気があれ阿求をもっと、短い命の中で輝かせてあげられたかも知れない。あの頃、いや、今もだ、私は自分のことで精一杯で、寄り添ってくる弱い誰かをしっかり支えてあげられるほど強くなんて無かった。足下はいつも泥濘んだ土に立っているように不安定で弱くて、阿求にそんな優しさを差し出してやることは出来なかった。
 私の仕事、と阿求にとどめを呉れた永琳のそれを人は何というかわからない。ただ、私には、それは紛れもない強さに見えた。本当なら、私自身が、稗田を終わらせるべきかも知れないのに。私にはまだそれが出来そうにない。阿刀のあどけない顔を見るに、たとえ二十年足らずでも、幸せに生かしてやりたいと、そう思うのだ。やはりこれを、人は何というかわからないが、私には、弱さでしかないと、思うのだ。

 傍に腰を下ろした彼女と肩同士が触れて、体温を感じる。そしてようやく前半を読みその内容を食い終えた史片巻物を、しかしうまく巻き直せない私の手に手を重ねてくる。
 しようのないのね、と子供をあやすみたいに。いつも二人きりの時は、私がそうするというのに、今日の永琳は、可愛くない。……ただ、頼もしかった。彼女の腕の中で促されるみたいに、私は歴史巻を解き、彼女の記した歴史結晶を喰っていく。
 永琳はただ黙って、私がそれを読み進めるのを横で見ていた。

 阿求の致命的な記憶障害の様子は、巻物の冒頭から現れ始めていた。漢字が減り、記す文字が徐々にひらがなの割合を増していった。
 阿求の持ち前だった柔らかな筆跡はひらがなによくマッチする。これは呪の影響、進行する記憶障害の残酷な症状に他ならないというのに、舞うように並ぶひらがなは美しささえまとっていた。
 歴史の真実と照合しながらそれをさらに噛み砕き飲み込んでいくと、エラーが発報された。誤字だ。急に、誤字の確率が跳ね上がった。だがもう、それを修正するものはいない。私が、検証・修正を行うしかなかった。それは何だか、阿求の痕跡を一つ一つ消し去っていく作業のように思えて、無性に、泣けてしまう。歴史という情報に、俗人情報は消し去るべきノイズでしかないのに、それは酷く温かいものに感じられてしまって、私はそれを噛み砕く顎に躊躇を抱いてしまう。
 至極簡単な漢字でさえひらがなで記されたその頃になると、明らかに記すのを諦めた文字が現れ始める。漢字で誤字や抜けがあるならわからなくもないが、ひらがなを、間違っているのだ、滅多なことではない。日付を確認すると、永遠亭に運び込まれる数日前だった。もう、記憶のほとんどを歴史に塗り潰され、それを出力する手段さえ失いかけていたのだろう。もはや、まともに事物を記す力は残されていなかった。

 何も言わずに見ていた永琳がそうするように、そこからは目を覆うほどだった。ひらがなは間違い、抜け、あっているそれもまるで初めて書いた絵か何かかと言うほどに歪み狂っている。巻物の冒頭の、ひらがなが多いとはいえしっとりとした美しい字は全く失われ、やっと読める内容も文章と言うよりはただ単語を重ねただけにまでなっていた。

 阿求。

 何故、ここまで献身的に歴史収集を続けたのだろうか。記憶の破壊は余りにも悲惨で、その様が残した歴史にまざまざ刻みつけられている。
 この無惨な文字列、記録として不足さえするこの筆記を、阿求は私への抗議として残したのではないのか。きっとそうに違いない。私の出自が阿求、お前の短命を決定した。私の慕情に答えたお前は、こうして二十年さえ生きずにその幕を下ろす羽目になったのだ。母の死を、母の死とさえ認識できない程の、人の尊厳さえ失う惨めな肉になることを、私が強いたのだ。
 巻物の内容が不完全であろうことは予想していたが、これほどまでに凄惨な様子だとは思っていなかった。この悲惨な様をお前の記憶に刻めと、こんな風にまともな記憶さえ失う私を覚えておけと、記された歪なひらがな単語、この痛々しい歴史片は、他でもない阿求の文字が、私にそれを訴えかけているようだった。

 私を、恨んでいたのかもしれない。
 記憶を食い潰されているとは言え、筆を走らせることが出来たのであれば、今自身がやっていることがどういう意味のあることなのかの自覚は、その意図は明確だったはずだ。
 こんな悲惨な状態を続けて、その様がわかる形で歴史を、形ある客観的な形で残そうとしたその真意は、私への恨み言に代えてのことだったのではないか。言外の抗議。それが、この、エラーまみれの歴史編纂なのではないのか。

 阿求は私を恨み、死ぬまでそれを残し続けたという憶測は、細り弱っていた私の心をさらに殺ぎ削るに十分だった。巻物を最後まで読むのを諦めよう。そうして立ち上がろうとしたとき、永琳が私の膝に手を置き、立ち上がろうとする私を制止した。
 永琳は、責めるような目で私を見る。逃げるのかと問いつめてくる。私を見上げて声を荒げる。彼女らしくもない激しい声は、どれほどに彼女が堪え忍んでいたのかを示していた。

 何度も"そっちを見るな"と言い続けたのに、慧音はそっちを見た。あなたが言うことだからと止めるのをやめたわ。だったら最後まで見なさい。私が、そっちを見るなと私の方を見なさいと言ったのに見なかったのは、慧音、あなたでしょう?こうなるってわかっていて、これはあなたが選んだ結末なのよ!?

 こうなるのはわかっていて
 私が選んだ結末

 冷徹に、なりなさい、"白沢様"。永琳が語気を抑えて、しかし強くしっかりした口調で、言った。

 その通りだ。

 阿求の書いた歴史書を一人では読み終える自信が無くて、私は永琳を頼ってここに来た。私が殺し、阿刀も同じ運命をたどる。私の生まれた根本が、稗田の娘達とそして阿求をこれほどに破壊したという事実が重かった。

 阿求、私を愚かだと嗤ってくれ、嗤ってくれ。
 せめて私がお前を愛する過ちを犯さなければ、お前は私を素直に憎み、救いはないが得心のいった、最後を迎えられただろう。私には稗田家全血筋の恨みを背負う覚悟はあったが、ただの一人の愛情も受け止める器は持ち合わせていなかったのだ。
 阿求、私を愚かだと嗤ってくれ、嗤ってくれ、嗤ってくれ!先日のように私を強く打ち付け、今度はより一層強く打ち付け、いっそ殺さん位に。

 嗤い返す声など聞こえるはずもない。彼女が書いた巻物に向けて切なる叫びを吐き出すも、それは何もかもが遅すぎるのだ。
 永琳、せめてお前が嗤ってくれ、もっと叱責し愚弄さえして私を――

 手を上げることは勿論、嗤うこともなく、何も言わない永琳。更に私を叱責しようと開いた永琳の口は噛みしめられ、めそめそと情けない私をどうにかしようとした手は、しかし宙を舞って畳を叩いた。
 縋るような心の糸が擦り切れて、それは逆に私の理性の制御を思い起こさせる。不甲斐ない私をすぐ傍で苛立たしげに見ている永琳に、私はまた後ろめたさを感じてしまう。……甘えすぎ、だな。餓鬼だな、私は。

 とぼとぼと思い直し私が再び史片に向き合いそれを読み進めようとすると、永琳は私が落ち着いたのを見計らったかのように、先ほどまでとは打って変わって、穏やかに口を開いた。

 正誤が知れていても正しさを選択しきれない、誤りに後悔して周りを巻き込んでしまう。ハクタクという超越的存在でありながらそんな情けない私の様を、しかし彼女は私らしいのだと言った。半分人間が混じっているから合理的に処理できない、そんな不完全性を、らしい、と言った。

 違う。この非合理性に条理などあるものか。私に半分人間の血が混じっていることが、元凶だというのに。私は無言のうちにそう反駁すると、永琳は、だから惹かれたのよあなたに、と寄り添っていた肩を、完全にくっつけて体重を預けてきた。

 やめてくれ。さっきみたいに責め立て罵倒された方が、百倍も楽だ。打たれなじられた方が。そんな風に優しい言葉は、逆に痛い。

 ……今は、卑怯ね。忘れて。

 永琳は元の距離、寄り添う程度の距離感で、私が巻物を処理するのを見守り続けた。







 朝。窓から差し込む光に気付いて、私は外に出た。阿求の遺志とも言うべき歴史片を、私は全てその日の内に読み終えねばならないと、夜を徹してかみ砕いた。これほどに塩味のきいた歴史は、初めてだった。私が最後のひとかけらを飲み下したのを見計らったかのように、太陽は顔を出した。この仮想空間にも日は昇る。まるで、ばかにしているみたいな朝日。憎々しい視線を送ったところで何も代わりはしないのだが、今ばかりは中指を立ててやりたいと思った。
 結局私の傍に寄り添ったまま眠りに落ちてしまった永琳が、もうおきるの?と寝ぼけ眼で聞いてきたので、手を握って布団をかけ直すと再び寝息を立て始めた。
 窓から丸く切り抜かれていた空が、いっぱいに広がっている。それは息を飲むほどの快晴だった。本当に、ばかにしている。長く塞ぎ込んでいた自分の様と真逆。日光が目にいたく沁みて、まるで世界中に嘲われているみたいに感じられて少し辛かったけれど、そこから出ることが出来た痛みの実感だったかもしれない。瘡蓋が取れて薄皮が張ったその敏感さ、晴れ渡る空の痛みはそれに近いかもしれなかった。

 そう言えば、あの日の空は晴れだっただろうか、雨だっただろうか。
 忘れている。忘れてしまっている。大切なことだったはずなのに、憶えていない。それでも、いいような気が、今はしていた。








 ”白沢様、私を作ってくれて、ありがとうございます”







 それは阿求が亡くなってから、久しく経っただろう頃になってから、急に私に襲いかかってきたのだ。その化け物相手に、私は立ち向かうことをせず、ヘッドフォンをかぶって逃避したのだ。

「……そんなことも、あったわね」

 永遠亭の周りには、鬱蒼とした竹林が広がっている。もう、何百年、何千年とこの屋敷の周囲は、時間が止まったようにこの姿のままだ。永遠亭の気にあてられてか、竹林そのものの寿命も引き延ばされているようだった。私は竹林の一角、丁度いい岩に腰を下ろしている。隣には、永琳が、いた。二人の姿は、永遠亭とその周囲がそうであるように、何も変わっていない。あれから随分経ったが彼女は年を取らないし、私も経年劣化する存在ではない。だが、二十年足らずしか生きなかった彼女が「忘却」というものを欠いていたのと、それはあまりにも対照的、私達は、彼女のことを歴史の一片として忘れようとしてた。

「阿礼乙女の血統は今でも続いている。」
「でも、あのころとは違うでしょう、もう」

 そうだ。阿求の一件があってから、私は阿礼乙女という存在との距離感を意図的に調整することに努めた。阿刀はしっかり親として育てきったが、以降の阿礼乙女にはひたすらに距離を置いた。主と奉仕種族という隔たりを、強く意識することにしたのだ。もう、阿礼乙女と関係を持つことはないだろう。彼女達阿礼乙女が、私の呪いのせいで体に不自由を負い、夭逝を強いられていることへの罪悪感は消えていないが、必要以上に入れ込むことも、ぐっとこらえている。彼女達は、あくまで神官のようなものだ。

 贖罪の念は日を負うごとに重くなるが、忘却という機能は不謹慎にもそれを順次軽減していく。それはまるで、新陳代謝だ。記憶と忘却のいたちごっこは、まるで心の新陳代謝なのだ。
 だが、本当に、これでいいのだろうか。こんな無慈悲な主がいても、いいのだろうか。記憶と忘却、私と阿礼乙女の距離感とは、これで間違っていないのだろうか。今でも、わからない。ハクタクであるこの私が、歴史の扱い方を、未だに分からないのだ。

 私が天気の判然としない空を見上げながら黙っていると、彼女はそっと隣に寄り添って言葉を続けた。

「あんなことがあったのだもの、仕方ないわ」

 どうしてこんなことを、今更思い出してしまうのだろう。あの日の空が、晴れだったのか雨だったのか、今ではもう思い出せない。それとも今日のような優柔不断な空模様だったからだろうか。それが、記憶と記録を橋渡して、今こうして風化を始めた阿求の情報を、不完全に再生しようと言うのだろうか。

 忘れたくなかったのだ。忘却の機能を欠いていた彼女が、どうしても忘れたくないといっていたのを、私が受け継ぐつもりでもあったのだ。

 阿求との思い出も、阿求を好いていた自身の感情そのものも、だんだんと薄れかけていた。楽しい出来事も悲しい出来事もあったはずなのに、少しずつ、細かなことを忘れ始めていた。川の流れに浚われる内に、ごつごつした岩は角を落とされて細かな凹凸が消えて丸くなめらかになっていく。記憶もそうなのだ。もしかしたらそうして落ちていった凹凸の中に、(阿求が恐れていたように)大切なことが含まれているのかもしれない。このままでは、大事なことから薄れて消えていってしまうかもしれない。
 私はそれを避けたかった。避けたかったけれど、私の意思とは裏腹に、時とともにどんどん消え去っていく。砂浜に書いた文字が波にさらわれて消えていくように、私は阿求のことを忘れていくのだろう、そう思ったら、耐えきれなかったのだ。ヘッドフォンとギザギザノイズで世界を遮断して、自分の中にある記憶を必死に守ろうとした。まるでそうすることが正しくて、私の使命であるかのように。

 彼女が持っていなかった忘却という機能を、私は持っているのだ。歴史を司る存在でありながら忘却機能を持つ私は、きっとそれを持たず歴史作成にとって便利なツールとして阿礼乙女を奉仕種族に作り上げたのだ。今後その割り切りを、私はしなければならないのだ。

「永琳には感謝しているよ」
「……私も、嫉妬していたから、あんな小さな娘に」

 私、もしかしたら、治療の手を抜いていたかも?あなたを奪われたくなくて、手遅れをわざと導いたかも。
 お前が、そんなことをするか。ふざけたことを抜かすな。

 私が一蹴すると永琳は小さく、ありがと、と呟いた。
 ありがとう?それは私の科白の筈だ、永琳のでは、ない。

 音のようにどこからでも漏れ入ってきて冒してくるあの不快感と不安感、そして恐怖から、私は救い出されたのだ、永琳の手によって。それは、もしかしたら彼女も同じ様なことをいつかに経験したからかもしれない。

「皮肉よね、失うことが前に進む活力だなんて。憶えていることが、停滞の原因だなんて。当事者自身は、決してそうは思いたくないもの。」

 阿求のことは、もう「歴史」となっている。それは、阿求自身が”そう記した”からだ。
 記憶は薄れて、抽出された記録へと姿を変える。忘れてはいけないことというものがあったとしても、それはきっと本来忘れられるべきなのだ。いつまでも記憶であり続けることは、感情に澱を作り、その澱はきっと人を殺してしまう。阿求は私に、忘却の切なさと大切さを同時に教えてくれた。記憶は記録へと昇華されることで、初めて次への糧になるのだ。

 大切なことは、忘れてはいけない。記憶が失われていくことは、悲しいことだ。……それは本当だろうか。
 押しつぶされてしまうほどの重みに堪えてまでそれを記憶し続け、前に進むことが出来ないことが、正しいだろうか。
 悲劇でも喜劇でも、悲惨な記憶でも美しい記憶でも、それは記憶である限り美化されデフォルメされ、人の足を掴み淵へと引きずり込む呪いに違いないのではないか。

「人間は、ほら、せいぜい百年で死んでしまうから」

 人の記憶はせいぜい百年で失われる。以降は、記録だ。人の命がそこで途切れるということは、記憶から記録への切り替えも、本来はそのスパンで行われるべきなのだ。文化と文明が記録をより詳細で鮮明なものに出来るからといって、記憶を記録に漸近させて、あわよくば記憶そのものを継続しなければならないという強迫は、頽廃に違いないのだ。

「死と新生が、悲しみを浄化するというのか」
「ある意味では、そうかも。でも、記憶から記録に変換することで、残すべき何かを永遠に出来るのよ。記憶は、どうしたって、なまものだから。傷んで……腐ってしまうわ」

 学者然と、そう、永琳はそうした明晰と冷徹を持つ頭脳デバイスでもあるのだから。私にはそれが羨ましくも、そして少しだけ憎くも、思えた。

「過ちを犯さないためには、ある意味で冷徹、客観的な分析が必要よ。そして、rawなデータである記憶では、その客観的な分析を行えない。正規化された記録として客観するから、過ちを犯さないように歴史に学ぶことが出来る。そうでしょう、慧音先生?」
「……ああ、そうだな」

 人間たちがこれをどうとらえるかは分からないが、永琳の言うことは半分、理解できた。私は半分人間で、残り半分は、歴史を刻むシステムだから。

 人は、忘れることで生きてきたのだ。

「悲しい、ことだな」
「そうね。だから、彼女たちをつくったんでしょう?」

 そうかもしれない。いや、きっと、そうなのだ。
 でも私はまだ、阿礼乙女を廃止する気にはなれないでいた。たくさん多くの記憶を失ったとしても、掌の上に残るそっと包み込めるサイズの記憶なら、残していたって構わないだろう?阿求との、僅か瞬きをする間ほどの短い記憶、小さな宝石一つくらいこの手に握っていたままでも。

「すまない、私は、まだ」

 私がやはり情けないままの甲斐性なしを口にすると、永琳は小さくため息を付いて、仕方ないのねと笑う。

「いいんじゃない?歴史を司る獣は記録を蓄え、世界の片隅で愛を叫ぶ人間は記憶を抱き締める。その、はんぶんこが、慧音なんだもの。そういう不完全(だめ)なところも含めて、すきになっちゃったんだから。」

 永琳は、いつか私が阿求にしたようにそっと身体を寄り添わせて、額にひとつ、キスをくれた。


「おかえり」

 私は、ただいま、とうまく言えずに、ただ、こくんと子供みたいに頷いた。
 彼女は、それ以上何も言わなかった。







 これで、稗田阿求の歴史は、おしまいです。

 ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

                           記・稗田 阿求





―――――――――――――――
東方Project「東方永夜抄」「東方求問史紀」
テラガンミィ「黎明ニ浮揚セシ穢ヲ識レ」
GAINAX「新世紀エヴァンゲリオン」
石川智晶「静寂はヘッドフォンの中」
漆原友紀「蟲師/狩房淡幽」
高橋葉介「目隠し鬼/お嬢様・那由子・執事」
   「   (その不完全な写本は”ヴォイニッチ手稿”と呼ばれる)」
クトゥルフ神話大系における奉仕種族と言う概念

現代現実世界における、幾つかの、記憶から風化させてはならないと喧伝される出来事について

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Re: タイトルなし

よんでいただいてありがとうございました&夜伽のほうへコメントありがとうございます。

すみません、こちらでのコメントをいただいていたのに気づかず放置してしまいました…

> うすれてく
> →うすれていく?
このSSの元に、「静寂はヘッドフォンの中」ちう歌があるのですが
それの元の歌詞が「薄れてく」になっているので、これだけ、このままにします。
ほかのものは修正したします。
ありがとうございます

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