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【日記】映画「楽園追放」をみてきた。

ねたばれあります。



あらすじについてはいちいちここで言うこともないので適当に他のwebサイト見てください。

いくつか気になった点(批判的な意味ではなく)を。


中盤、
アンジェラはフロンティアセッターに共感を覚えて、
DIVA帰還後にフロンティアセッターの助命を提言しますが
いったい何が彼女にそれほどの変化を与えたでしょうか。

アンジェラという人物は功名心に汲々としていて
その目的に従うならフロンティアセッターを停止させることを厭うとは思えません。
それを翻すには、それなりの動機、それなりの動機を導くためのエピソードが必要となる。
アンジェラというキャラに与えられた根底そのものを覆すのだから
それなりに大きなイベントが期待されると思っていました。

私はそこまで下記を遵守する必要性はないとは思っているのですが
脚本構築の上では、
ストーリーの進行にかかわる、状況あるいはキャラの行動理念への変化を導く作用を
壁の出現と対処、その反復によるとするのが
よく聞く話です。
物の本によっては、正、反、合の反復として弁証法のように示すものまであります。

そうであるのなら、アンジェラの価値観の転換には、
何らかの止揚をもたらす相応の大きなアンチテーゼとその打倒が伴うはずです。
演出としてはきっと派手な、バトルであるとかけんかであるとか、そういった爆発。


ですが、それがなかった。
唯一あったとすると、ディンゴとの「肉体の檻vsメモリー管理の檻」の話くらいのものですが
アンジェラの心を揺さぶりはしたかもしれませんが、決定的になったという描写はなかった。

でも、あのアニメーション全体を見渡して、
おそらく最も重要な脚本上のポイントは、そのアンジェラの転換であるとおもいます。
他は全部、飾り。

だから、一緒に見に行った友人3人も
「平坦なストーリーだったね(悪い意味ではなく)」
「王道っていうか、捻りはなかったねえ」
と言っていました。

きっとその辺を見て、
アンジェラが方針転換する際に起こるだろう「爆発」がなかったから
そういう印象を受けたんだろうと思います。


ここで気になるのは二つ。

①この爆発のなさは昨今の流行なのかもしれない。
日常系や平坦な萌え系が隆盛を極める中で、
ロボット、ファンタジー、過激な社会的テーマを持った中であっても
求められていない「大きな摩擦と爆発を伴う演出」を嫌うという大勢を受け入れる必要があった
…なんて穿った見方。
ばかばかしい見方な感じもしますけど。

②好奇心という要素が登場しない。
AIがブレイクスルーに至る、
「面白い」「好き」という感情を電子的に表現して、
おまけに「仁義」まで言ってみせる場面さえあったのに
「好奇心」という言葉がまったく登場しなかった。

アンジェラの転換について「爆発」を伴わないとなれば、残る可能性は
「アンジェラが好奇心によって突き動かされた」というようそ位のもの。
また、好奇心(あるいは知的欲求と言い換えても良いかもしれませんが)
はAIが自我を持つことを示す重要なファクターでもあるはずですが
まったく登場しません。

これは①を補強するものでもありますし、
どうして登場させなかったのか気になるというところでもあります。







「楽園追放」というタイトルですが
「楽園」とはどこをさすものだったのでしょうか。
まあこれこそが最終的に見てる側に投げつけられたテーマなんでしょうけれど。

「外宇宙」「地球」「DIVA」

その三ついずれが楽園になるか、人それぞれだと思います。
「追放」という言葉が明確に使用されたのは、
アンジェラがDIVAでアーカイブ処理を施されたときのみ。
つまり楽園=DIVA、追放=DIVA居住可能性を剥奪
ってことになっていますが

もし外宇宙が楽園であれば、DIVAだけでなく地球に残ることさえも「追放」に相当するわけで
地球が楽園であれば、DIVAもフロンティアセッターが外宇宙へ旅立ったこと自体も「追放」になるわけで。

それぞれにテーマが与えられていて

DIVA>管理下の約束された幸福(=最小不幸)
地球>管理されない幸福(=自由)
外宇宙>あらゆる概念に縛られない幸福(=解放)

って感じになるのかな。

ラストでDIVA管理者が「管理をより強固にしなければならない」みたいな
悪役じみた台詞を吐いて終わりますが、それ自体がミスリードだと思います。
DIVAはDIVAでやはり楽園のひとつなだと思います。

フロンティアセッターが選択した幸福が一番過激ですよね。
「自分の存在する価値」を担保するために
「人間というものの定義」さえ吹っ飛ばせる未知の場所へ行こうというのですから。
DIVAからの管理を回避する幸福を選ぶディンゴさえ
その破天荒な自由には「地に足がつかないと無理」と
フロンティアセッターの選択を拒絶したくらいですし。

ここでも、アンジェラの選択に明確な理由が見えません。
先ほどの話と関連しますがDIVAの管理を脱出するに至る動機が明確ではない。
DIVAではアーカイブ対象となってしまい、もう先がないから仕方なく、という消極的な理由だけです。
急に「仁義」が登場しましたが、
アンジェラに「仁義」をしみこませるような前持った表現もまたありません。
また、フロンティアセッターの誘いを断る理由も曖昧でよくわかりません。


これらの点が釈然としないために
物語のテーマはわかるんだけどアンジェラという最重要キャラの行動に担保がないので
私自身はなんだか気持ちが悪いなという印象をもっています。



つまりアンジェラは、主人公=主格ではないのかもしれません。
物語として明確な行動理念を持たず、結末も提示されない。
一応の行動は見せられているが、それは複数あるエンディングのひとつでしかない。

見ている側は、アンジェラに同調しなければいけなかったのかもしれない。
前述の「理由がよくわからない」という点の、その理由も含めて、見ている側に投げつけられているのかも。

むしろ、映画のメッセージが「お前らが浸ってる幸せは管理と社会性窮屈を伴う愚者の檻だ」というものであれば
製作側はやはり、見ているわれわれをアンジェラと同期して
「DIVAを信奉し功名心に汲々としている馬鹿」としておきたかったのかもしれない。
(別にそこに憤りを感じているという意味ではない)

そう考えるのが一番つじつまが合うかなあ。



現代人には、ディンゴのような「(建設的な)コミュニケーション障害」を抱えた人間は多いと思う。
(きっと幸せだろうと思うものに協調できずそれ以外のものに価値を見出して、
建設的な行動はするがどうしても浮いてしまう→「優秀だが素行不良」)

そういう意味では、その意図した導入に失敗するケースも、少なからずあるんではないかなあ。
少なくとも一緒に見に行った3人は、みんなそうだったと記憶している。

いや、あれか。
いまどきのアニメが
「てめーらそうじゃねえだろ、くそども。これを見て反論してみやがれ」
みたいなテーマ提示をするわけがないか。


あー、高校までの国語の授業で
「テストで高得点とるには、文章の読解以前に、問題文の作者に同調しなければならない」
ってノリを思い出しますねえ。




いや、いろいろ書きましたけど、すごく面白かったですよ。
ちゃんとテーマ性があるアニメって、やっぱり見ていてわくわくします。

1対多でゲリラ迎撃するああいう小賢しい勝ち方するってのも、私大好きなので
戦闘シーンは(うっわ、きもちーわそれwww)とかニヤニヤしてみてました。


映画一回見ただけで書けるのはこれくらいですね。
何回か見れば、またもっとなにか見えてくるのかもしれません。

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