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【日記】最近買った漫画

先日、スタジオでみんなで楽器の練習をしたその帰りに山ちゃんで手羽先を食べながら
関係するメンバー(その日は7人の大所帯でした)の中で
漫画の好みが似てる似てないの話になり

みこう「漫画の好みがこの辺の面子とひとっつもかぶんない。理解者がおらん」
ということに。
仲のいい友人と集まっても好きな漫画の話で盛り上がることはほとんど無いわけで少々淋しさもありますが

「ていうか、みこうさんって漫画買ってるの?」
とまで言われ。
最近のアニメなんかになるような漫画がさっぱりわからないのは
自他共に認め公言されていることなのでおそらくそれをしての発言なんでしょうけど

「かってるよお!むしろ最近結構買ったんですから。えっと…」
ということになって1冊上げたものの
「…ナニソレ」
「ぐぬぬ」
となったので、ここで買った漫画の自己満カタリをしようと思います。



蟲師 外譚集
蟲師の公式二次創作アンソロ、といった感じ。
蟲師の世界を使って、原作者ではない5人の漫画家が書いたオリジナルのストーリーが掲載されています。
意外なもので、原作のような中世日本を舞台にしたものは1編のみ、残りは全て現代ものです。
蟲師の本質が、舞台やキャラ、蟲が登場するというイベントの「外枠」ではなく、
人の骨組みや栄養素自体にあるのだな、という証拠かと思います。

新宿の地下にある蟲の世界に主人公が迷い込む、という話がわかりやすくてきゃっちーな1編だったのではないかと思います。

言い方は非常に悪いですが
蟲師は本編が終了した後、
秀逸な世界観を利用して、
メディアとしてはとかくその残骸を使い尽くすという流れになっている気がします。
スピンアウトの外伝読みきりを出してみたり、
こうした公式二次創作アンソロを出してみたり。
これってわりとアニメ漫画・出版業界の闇が染み出した姿なんじゃないかと思います。



枕魚
蟹に誘われて

新宿の地下に迷い込む話はこの中にもあります。

ネットで1ページか1コマか何かを見つけて興味があったものが本屋にあったので買ってみたもの。
舞台は現代であるものの奇異な世界観が描かれていて
それはオリジナルとか設定の付与というより日常を見る目そのものに「特殊なメガネ」をかけたイメージ。
ただ「どんな効果があるメガネか」が説明できません。
とにかく「どんな漫画か」といわれても全然説明が出来ない。
買って読んでみてとしか言えないのだけど、
買わせてまでその人に面白いと自信を持てる内容ではないので
非常にお勧めしづらい。

一話一話全くつながりも無く設定も引き継いでいないのに
登場人物は2冊あわせて数人しかいないくらい
キャラを問答無用で使いまわすのだけど
そもそもキャラにキャラ性が無い
キャラそのものも「めがねを通した非日常という日常の世界のひとつ」でしかなく(名前も無い)
「視点」「舞台を動かすための原動力」が必要だから設置されているだけという感じ。
これほどに「舞台装置」と化したキャラは逆に爽快。

背景はしっかり黒で書かれていて線も細かく、
水彩色鉛筆とかで書く風景画をそのままペンで描いたようなしっかりしつつもほんわかした絵。
だのに、約半分の話では
キャラだけが鉛筆線のままになっているのが印象的。
上記の「キャラ性が無い」というのをビジュアル的に肯定されているようにも見える。


お勧めしづらいのだけど、
私がここ数年で買った漫画の中では一番のアタリです。




少女終末旅行
新宿の地下、というねたで引っ張りますが(買うときにそんなことを意図はしてませんけど)
似たような人の手を離れた人工構造物を舞台とした話。

女の子二人が
どこか謎の構造物世界(廃墟、層構造をなしているらしい、戦争後ディストピアの匂い)にいて
ほっつきあるくという内容。
ほっつき歩く、とは、一応「他の人間」や「出口」を探しているような素振ではあるものの
逼迫感が無くのほほんとしているから。
ディストピアの舞台で綴られるしたまったり日常系。
食料を探していたりするものの、サバイバル要素も危機感も0。
そこはこの漫画の本質ではないらしい。

ドイツ軍っぽい服とか乗り物とか出てくるけど私はよくわからない。
世界観にスパイスになっているがべつにそこも関係は無いようだ。

1巻を読み終わったが、
上層に上るエレベーターを見つけて先に進んでいくらしい終わり方。
これ以上「新しい要素」が書かれる必要の無い漫画な気がした。
私としてはひたすらこの世界観でうろうろしてほしいのだけど。

東方厨の視点で見て
「もこてるかえーてるで話を書こうとするとこうなりがちだよな、
こう言うのを書くにせよ書かないにせよ参考にして置こう」
と思ったのと
ラフな線の絵の資料にと買ったのが正直なところ。

主人公二人は霊夢と魔理沙と見て差し支えなく、
舞台は滅んだ超未来幻想郷、
話の構造舞台をほっつきあるく永遠組と見て問題ない。


ラフな線の絵の資料目的で購入という意味では
上記の「枕魚/蟹に誘われて」も同じ。
ボールペンで絵を描くようになってから、
普通のタッチとは違う線の書き方も見ておこうと。
「雑」と「ラフ」に違いがあるとすればなんだろうか、というのは
少なくとも自分の中に線引きはほしいとおもって。



デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション
ディストピア、終末の危機を舞台に用いながらそれを無視する
という観点ではこれも少女終末旅行と通じるかもしれません。

世界は全く滅んでいないし、
侵略者に危機感を持っているのか持っていないのかわからない人間は何を考えているのかわからない。
主人公は普通(の割にはキモいレベルのFPSヘビープレイヤーらしいし、どこか考えはすっ飛んでいる)の女子高生
SNS、危機感はあるのに団結して対処できない日本人、○○汚染とそれを忌避するカルト、と
とかく現代世界のデフォルメが詰め込まれた世界で
主人公たちの日常が書かれる非日常性青春群像?みたいなノリ。

危機感と恋愛要素の無い「最終兵器彼女」みたいな雰囲気。

昔のゲームソフトだけど
「週末の過ごし方」というゲーム、あの舞台を現代都会にした印象を受けた。
(「週末の過ごし方」は現代だが田舎)

こういう
「世界はなんか危機にあるらしい」
「でも主人公の周囲は特に変わらない」
「危機に瀕した世界は微妙に主人公の周囲に影響を与えている」
「が、死や破滅を感じさせる影響ではない」
「話はただただ日常」
というのを
個人的に「逆セカイ系」と呼んでます。私だけですけど。

上記の少女終末旅行も、週末の過ごし方も、私の中ではこの「逆セカイ系」という箱に入ってます。

対して最終兵器彼女はセカイ系といわれていますね。
それはヒロイン「ちせ」が実際に日常から飛躍して危機に瀕したセカイと接続され
主人公はそのせいで急にセカイとの関係を余儀なくされるからだと思います。

逆セカイ系、って私が呼んでいるのは、世界と接続する橋が存在せず
主人公は日常に取り残され続けながら徐々に浸水してくるセカイと無自覚に接するもの
と勝手に思っています。
そもそもこの言葉自体が私が私に説明するために作った言葉なので
明日には定義が変わっているかもしれません。


ちまちまアナログ絵を描くようになって、
印刷物と原稿の存在感の差をすこしばかり意識するようになりました。
この人の漫画の黒いこと黒いこと、
印刷された漫画よりも、描かれた原稿用紙を見てみたいと思いました。
存在感がすごそう、この絵。…CGかもしれんが(落胆)。


あもくん
諸星大二郎の、現代ホラーもの詰め合わせ。
話と話の間に、文字だけのショートショートホラーが挟まっていてこれもまた面白い。

都市伝説とかにありそうな話が満載されていて
「明らかにわかりやすいホラー」と「意味がわかると怖い話」
の間くらいにある要理解度が心地よい気もする。
ちょっとばかりウィットにとんでいる。

ホラーなのに「こんなことになった主人公は…!」みたいなことは無く
「まあ、こんなことがあったんだよ」
と平然としているのも割りと怖い。
平然としているのは主人公だったり
あもくん(まもるくんの愛称「まもくん」を幼い子供が発音できなかった音)だったりするのだけど。

ホラーの話に「ね?平気でしょ?」とか「こんなことはよくあるよ」とほっぽり出される感は
ホラー映画や怪談を聞いているだけだとなかなか出会う機会がない。
高橋葉介の話もわりとそうで、高橋葉介はコミカルな水準にまで落としこんでしまう。

webとかでこういう「怪奇は日常です」ノリの「もどき」はあるけど
「こんなことは日常だ」と主人公か、主人公を奇怪に導く人物は口にする割には
話自体は「怖がって、ほら、怖がって」っていう感じになっているので、なんか違う。

「あー、怪談だった怖かった」っていう感じではなく
「こういう出来事が本当に背後に普通に存在してるんじゃないの」って
読後に背中が気になる感じにされる作品の雰囲気は研究対象にしてもよい気がする。

巻末に「寝る子供に聞かせるために作った話」として数話掲載されているが
私が子供のころにこんな話を寝物語に聞かされたらマジでトイレに行けなくておねしょしまくったことでしょう。
私はかなり年齢を重ねるまで寝小便が直りませんでしたが、別にホラーのせいではないです。






と、こんなところですね。
……やっぱりあの面子とはひとつも被らないな。
最近の萌とか可愛いとかって追っかけてないって言うか
そういうのって2番目に来るものであってほしいと思ってるんですよね。
「こんな話があって、こんな出来事があって、それに直面するこの子かわいい!」
とか。
だからかわいいだけ取り出しちゃってもどこか入り込めないところがあるんです、私は。


時代に取り残されている。

年代のせいではないらしい、私と同年代や少し上の人も
「~かわいい!かわいい!」ってやってるのだから、

なんていうか、少し、社会不適合みたいな劣等感がある。

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