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【反社会思想】女性の権利って叫び

私だって実際には女性が不当に扱われていることを是とするつもりはないんで
それだけは前提としておいてからの下記ってことになります。

アフリカの児童婚の話。
あるいは女性の権利の話に拡大してもいいのかもしれないし
名誉殺人に絡めてもいいかもしれない。
そんな広告、最近よく見るし、
著名な人声の大きな人もよく口にしていて拍手をもって迎えられています。

とかく「女性の権利」というものが声高に叫ばれていて
私自身もそらそうだなあひどい扱いをするのはいけないな、
とは思う。

でも、なんか、あの啓蒙キャンペーンが気持ち悪いんですよ。
もちろん悪いものを悪いというのは悪いことではないんでしょうけど

あいつら間違ってるからとっかこんで非難しまくれ
あの悪習は外的な力で矯正してあげないといけない
正しくあるように我々が救いの手を

なんか気持ちが悪い。

正しいことゆってるんだけど、
その正義の上から目線に独善と狂信を感じる。

あれ、
こう、クラスにいたりいなかったりする
「先生に媚を売るのとスレスレのセンで正論翳してるウザいやつ」
みたいなの。

クラス内の人間関係とかその状況とか、
そういうの関係ないんだよね、そういう生徒にとって。

正しくあるべき形に収めるのに他のすべては無視されても構わず
それを実行するのに教師という絶対権力者
(クラス内社会の暗黙ルールではそれが入ってくるのは快く思わない)
を平然と引っ張り出して
「機械の神様は私の味方です」と決着をつける。

ここで言う「権力」の源泉を
「知恵のある絶対者」ではなく「正義の多数」というものに置き換えた姿
これが、
「国際的な声の高まり」を背景にした
「異国文かもよくわからないまま」
「表層の悪事だけを糾弾する」
空気を作ってるように見える。

言ってる事はあってるけど、
声の上げ方が気持ち悪い。
やり方が気持ち悪い。
空気形成というやり方が私が嫌いだからか。

正しければ美しければそれでいいという気構えが
どうしても私にはのどの奥に引っかかった魚の骨みたいで。

こんなことを言うときっといろんな人が
私のことを非人道的なやつというのだろうけど

どっかの国が日本に入ってきて
「これからはカリフォルニアロールが寿司です。
今までの寿司は世界的に受けないから全部禁止。
納豆は全部粘りを取ってから販売するように。」
とか言われて、そこに納得できるかということ。
世界基準に合わせるべきでそれ以外は間違い
という点で言えば、同じこと。

寿司に人権はないが
女性には人権がある
といわれそうだが、
その人権とは何なのか。
私は女のこのことが好きだけど、
それを好くのは本当はいけないことかもしれない。
寿司に自意識があったら同じことになるのかしら。

私だって男女平等であるべきとは思うけど
自分の考え方とは違うルールを持った世界を頭から否定するほど
私は自分の世界が正しいと信じる自信はないなって思う。

おそらく「現時点」ではきっと何も判断はできないのだろう。
歴史にIFはないという使い古された言葉を逆算すれば
今何が正しいのかなんて今はわからない。
もしかしたら超未来に
「男女平等を唱えた国が原因で核戦争が勃発しました」
なんて可能性は否定できないのだろう、
これを「そんなわけあるかw」と一笑に付すのは
おそらく自分の考えが他人と一致していて
しかも知れが正しいという自信がある人だけだろう。
もっというと「一緒に間違ってたんだから俺は悪くない」
という保険もあるかもしれない。

私は自分の信じる正しさを自分の中で貫くことに躊躇いはないけど
他の人に押し付けるのを平気でいられるほど自信を持っていない。
その自信を補強するのに「大多数の声」というものに権利を委譲するほど
考えるのをやめたいとも思えない。
所詮はこんあ中途半端な人間の考えだということは承知おき願いたいのだけど

えっと、話がずれたかな、つながってるけど。

つまり、
ああいう外堀を埋めて表層だけ直そうって言うやり方に疑問があるのがひとつと
その「正義の名の下」にっていう十字軍的な思想が気持ち悪いってのがひとつ。


そういった強制的な矯正が、反発を招いてるんじゃないのかなあ。
それを、経済的に強い国が、正義面でやるから、反発を生むんじゃないのかな。
そのやり方では、闘争の種を蒔いているだけなんじゃないのかな。



今度はちょっと話がずれるけど。

イスラム教国家(≠ISIS)かな。
既婚女性は体をすっかりと覆い隠す衣服を着ろというの。
で、それに対して女の子のおしゃれをする自由に抵触している、というの。

それが宗教由来なのか気候由来なのかとか
そういうのはこの際はおいておくのだけど

私が仮に結婚して、
もしそういう風(妻が家の外では外見を晒さない)にしておく
すがっても構わない理由があるのなら
そういう風にしてしまいたいと、思うかもしれない。
理解を示すかもしれない。

だって
自分の惚れた女の子が、その魅力が、他の男を誑かして、
自分以外の男と関係を持つかもしれないと思うと
すっかりと隠しておきたくなるかもしれないもの。

男なら浮気をしてもいいのか、とかそういう発想ではなく
男の独占欲なら満たしてもいいのか、とかそういう発想ではなく。

よくみんな
「今自分の隣にいてくれる女の子がいつまでも自分の隣にいてくれる」
という自信を持っているなと、私などは感心してしまう。

そういうのを考慮に含めた上で服装の権利をともに叫んでいるのなら
尊敬すべき人格者だなと、私は思う。きっとみんなそうなのだろう。

私には、
「あの服装は女性の魅力を夫以外の前に出さないものである」
という角度に限って言うにあたって
「それはすっかり間違ったものだ、あれを着ろという人間は反社会的クソ」
と言い上げてしまう
その思想に同意できるほどの自信がない。




私は、正義の名の下に大多数に手を挙げている人って
みんな自信に満ち溢れてるんだな、と本当に感心してしまう。

大多数と一緒にいるから自信がある、なんて、思考の放棄ではないのだと信じたい。

私の考えは1から10まで全部間違っていて、
私は危険思想の持ち主なのだと、思いたい。

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