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【世迷言】理解などない

先日、故あって高校時代の同級生と話してきました。
下手すると15年ぶりとかそういう。

少し回りくどくなるんですが
当時の私の学内の立場を説明しときますと
所謂「底辺いじ(め)られカースト」内にいて、
主にその中のメンバーと仲良くしているけど
上位階層の人とも摩擦を生じない程度には上手くやっていた
みたいな感じ。

「底辺いじ(め)られカースト」内にいたメンバーの
上位階層からの扱いは惨憺たるもので
まあ、云ってもステロタイプな言葉になるだけなので
その程度のものだとだけ書いておきます。


まあカースト内で
私は上の人ともそれなりにやり取りができていた
というのもあって
先日の再会となった。

私も別にもう「ンな昔の事気にせんわ」って感じなので
素直に懐かしくて楽しかったのですが
そうでもない人と言うのはいるようです。


当時上位階層にいた人は怨恨も何もないのですから
10年以上経てば自然と気にしなくなるもので
そうした同窓会的なモノに下位の人間を誘ったりもするのですが
下位の人間の中には水に流せない人もいて
結局来なかった人もいます。
私が窓口になっているケースもあり
「イヤ」と言われた内訳も知ってたり知らなかったり。



で、いろいろ楽しく話したんですが
ふと昔の話になって、
ちょっといじめられ風味だったクラスメイトの話になった。

元々隅に追いやられ気味だった彼が
授業中に吐き気を催してぎりぎりまで我慢して
ついに我慢できなくなったところで
教室のゴミ箱に吐いたって出来事があって
それを振り返ったのですが。

今となっては笑い話ではあるんですけど
話題に上った元上位階層のメンバーは
彼がなぜそんな風になったのか
最後まで分からなかった風でした。

・なんでいきなり教室で吐き気が?
・吐き気があったのにあそこまで我慢した理由がわからない
・しかも教室のゴミ箱とかなぜ?

と言う感じ。

歳を食った、もっと言うなら、進学校だったのだ、
今や私が一緒にいるのも辛くなるような
学校->職業についているやつばかりだ、
頭もいいのだし私のような狭い社会ではなく
いろんな社会を見ているのだから
たとい自分が下層に属した経験が無くても
そういうのを想像できるようにはなるのだろうと思っていた。

けど、もしかすると
中流以上の人の中には
最下層民の思考/行動アルゴリズムと言うのが
本当に絶対にわかない人がいるのかもしれない。



「マジでわかんないの?」
って喉元まで出かけていたけど
ここでそれをいっても全員敵になるだけなので
やめておいた。
空気的には昔をネタにして笑っているだけなのだから
青臭い正義感だすこともないでしょう。

私がそうだったように
この場にいない彼も
もしかしたらもう水に流しているのかもしれないのだから
当事者じゃない私が彼の代弁をと言うのもおこがましい。


でも
なんかそこで悪い意味で腑に落ちた。
酷く合点がいったわけです。



いじめについて、
その抑止として「寛容たれ」ということを聞かされるが
やはりそれは無理な話だと思う。

教室と言う社会は全員が
意図するしないにかかわらずデフォルメキャラだ。
毎日数十人程度の狭い箱の中で生きていて
そこで人間関係をこねくり回すのだから
どうしたってキャラがデフォルメされる。

広く均質が進んで
無個性の方が重要な大人の社会に出た人間は
どうにも忘れがちなことだが
あんな、実在する漫画ワールド、滅多なものじゃない。
一度忘れた大人には
きっともう思い出すことが出来ないのだろう。

そんな中で「寛容」や「理解」なんて
本当になせることなのか、私は疑っている。


現に目の前で
余程に頭のいい連中
しかもすでに、いじ(め)る悪意なんて持っていない
ニュートラルにあって
しかも社会にまで出ている連中が
最後まで無理解の中にいた。

今に至って理解を示す必要なんてないから
そこから変化なんていまさらしないだろうけれど。



先の話に少し振り返ると
「彼は、いじ(め)られていて既に精神的に萎縮状態にあり、
吐き気を理由に教室を出ることでさえ
また自分がいじ(め)られるネタになることを恐れていた。
もし自分が必至で我慢して通り抜けることが出来たなら
それが一番被害が少ないに違いないのだから
そうすべきだと判断したのだろう。
でもそれに失敗した。
失敗した結果またひどくネタにされ
委縮はさらに進行した。」
と、いう何段階か踏んだわけだけど
上位階級の人間にとってみれば
その一段一段がきっとファンタジーなんだろう。

私が上記の事をいったとしたら
頭のいい上位階層の人間は
「失敗したリスク考えたら我慢しないだろ」
って間違いなく言う。
でもそんなんじゃないのだ、理解できないのだろうけど。

中流階層以上に所属している人間に
下層人間のそうしたアルゴリズムを知ってもらうというのは

「光のスペクトルをして赤の外側にまだ別の色があるからそれを知れ」
みたいなものなのかもしれない。
彼らの中では「存在しないもの」なのだろう。
理解は無理で、寛容は無関心という形でしか実現できないのではないかと思う。

言葉で言われればわかるかもしれない、
でもおそらくファンタジーの世界なのだ。




「原因はいじめられる方にもある」
という言葉は不寛容の悪のセリフとしてとらえられがちだが
「原因はいじ(め)られる方にもある」と
「責任はいじ(め)られる方にもある」は別である。
原因と責任を混同したうえで
理解と寛容を推進しようというのなら
それは笑止千万だ。


上記の話で、私は
吐いた彼が悪い(≒責任がある)とは思っていないけれど
原因は彼の方にあるのだと思っている。

スクールカースト的な階層分離という「現象」に対して
因果という形で「原因」を見出しそうとするなら
そこに責任と言う道義的な見解をねじ込むべきではない。

解決を目的として因果関係を解剖しようとするのに
真っ先にそれは邪教だと思う。

責任と言う宗教なり医学なり科学なり魔術なりを適用するのは
仕組みが分かった後の話だ。

つまり先の
「おそらく絶対的な無理解」という
根底的環境の上にのっかった
彼のおかれた萎縮状態というのが原因だ。

これを
「いじ(め)られる方に原因がある」と言わずして
なんというのか。

無理解の方に原因を寄せるのは、
論理的には可能だが現実的には不可能な
「絶対値で反転」のような芸当だろう。

「責任」は、確かに無理解の方にある「かもしれない」。
「かも知れない」というのは、
それを決定するのは何らかのイデオロギー次第だからだ。

その「無理解」が何故なのかを詳らかにしない限り
責任と言う言葉は持ち出すべきではないだろう。

だから
「いじめる方に責任がある」
「いじ(め)られる方は悪くない」と切り込むのは
こんにちのような状態で持ち出すには
少々暴論染みていると考えている。



私は
恐らく
「いじめる方に責任がある」「いじ(め)られる方は悪くない」
と叫んでいるほとんどの人間は
前段の「無理解」の中で
正義自慰でいっているだけだと思っている。
「いじめる方に責任がある」「いじ(め)られる方は悪くない」
は、ぶっちゃけ「当たり前すぎる」。
原因が責任の所在とは逆位置にあるから厄介なのだと
そんなことは、はっきり言って誰だってわかっている。

逆に実際に底辺にいたことのある人間が口にしてしまうと
自己弁護味を帯びたひどく軽薄な言葉になるのだから
この二者の理解はきっと得られないだろう。



私は元来
人間同士の理解と言うことにひどく悲観的らしい。
妄信的に理解できると思っている人の楽観の方が
私にとっては不思議なところなのだけど。
無理解の中でどう折り合いをつけるかが重要なのであって
そこに責任や正義を持ち出すと
たちまちに酷く歪になるとは感じないのだろうか。

何か社会的に統一的な方法で
「いじ(め)られ」をなくせるという風潮があるように見えるが
私はその方法ではだめだと思っています。

尖ったデフォルメキャラが
ごったまぜのおもちゃ箱の中にいるような教室と言う社会に
そんな画一的な思想で均す方法が通用するとは
私にはどうしても思えないのです。


という下層人間の自己弁護。


あ、ねんのため重ねておきますと
私自身は今更そんなことで怨恨を持ったりはしていません。
純粋に、今でも友人として扱ってくれていることには
それなりの感謝を抱いているくらいです。
住む世界は違いますけどね。

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