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【言葉】だぜ

お前誰だぜ?

って言う語尾が頭から離れずに
ついに口から出そうになる今日このごろ。

一部の方にはいわずもがな
大多数の人には意味不明な語尾ですね。

霧雨魔理沙の語尾が
女の子なのに「~だぜ」であることをディフォルメした形で
何にでも「(だ)ぜ」をつけて揶揄したいい方です。

この
「お前誰だぜ?」
が変なのは

まあ普段使わないから違和感があるというのが第一ですね。
その根本にはおそらく
強い肯定を示すときに使う「ぜ」が疑問分に含まれているのは
意味的におかしいという意識があると思われます。

やったのは私
やったのは私だぜ

霧雨魔理沙をキャラクタライズしたこの「だぜ」においては
強い主張を伴わない、ただの断定の文でも
語尾に「ぜ」をつける。

やったのは私
やったのは私だぜ
の文脈的な差異を求めるならば
後者には「やったのはこいつじゃなくて」という
前置が欲しくなる。
もちろん前者に付けても意味は通るのだが。
強い主張と暗なる逆説をはらんだ語尾が「(だ)ぜ」
ということになる。

さて
私は国語の文法などに全く詳しくないので
「ぜ」の意味を求める検証用の前置きが長くなってしまいました。


先に言うこというと
現代語において、
お前誰だぜ?
という文は間違っていない
という仮説。

ここで問題になるのが
語尾「ぜ」
の意味であることは自明。

「ぜ」はそもそも「是」だったと記憶している。
是非、是正、など
正しい、可能、肯定
といった意味を持つ漢字だと思う。
これが転じて
「~は正しい」「~であるべきだ」などの
主張を表す言葉になったと考えることは可能だ。

この強い主張が疑問と共存するというのは確かにおかしい。

だがこういう例もあることに気づいた。

やったのは私だぜ
やったのは私だよ

意味はニアイコール。

やったのは私

と比較したときの距離感も酷似している。
この「よ」も主張を表す語尾として使われることが多い。

「よ」の源がなんなのかは電車の中の今は知りえないが
「ぜ」に準じた主張を示す使い方をされているのは
普段の言葉から考えても想像出来ると思う。



やったのは私だよ?
やったのは私だぜ?

ここまではよい。
意味もほぼ同じで両方とも普段遣いの言葉だ。
ただ

やったの誰だよ?
やったの誰だぜ?

ここで乖離する。

つまり5W1Hにあたる疑問語(?)と共存したときのみ
違和感が生じる。

「ぜ」においてこの現象が起こるのは
先に述べた意味の矛盾だとすると
「よ」でそれが生じないのはなぜだろうか。
違和感が使い慣れているかいないかの差でしかないなら
疑問語+「ぜ」が使われない理由はなんだろうか。

言葉上「ぜ」と「よ」しか違わない以上は
原因はこの二文字の間にある意味の違いということになる筈だ。

たといその元になった言葉(「ぜ」でいうところの「是」)に
意味的な差異があったとしても
現代語においてこの両者の用途に差異がないのであれば
双方とも正しいということになる。

つまり

おまえ誰だぜ?

という言葉は現代においては文法上正しい。
という仮説。

「よ」と「ぜ」の明確な意味の違いを知ってる方がいましたら
是非教えてください。





なんでこんなことが気にかかるのかというと
もしこの仮説が正しいのなら、
これは
「敷居が高い」

「ハードルが高い」
の関係のように、
単なる誤用が慣例化したものとは異なり
以前何かで書いた
「不甲斐ない」
「腑甲斐無い」
の例同様
ある意味でロジカルな根拠を持つもので、
それは新語の誕生の過程の一つの在り方だと思うからです。

べつに

おまえ誰だぜ?

が日本語として定着するとは思っていませんが
人が無意識のうちに「むしろありじゃね?www」って思う
一見して間違った言葉の中に
「ありじゃね?」と思わせる根拠が
気づかれずに存在してるかもしれない。

そういう可能性をかいまみれたのが
うれしかったからです。


それがゲームを源とするスラングってのが
ある意味でカタルシスw

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