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【KY】空気読む能力の善悪や如何に。

KY(空気読めの略)が何かと取り沙汰される昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。

このblogの世迷い言カテゴリは
「KY!」
って叫ばれそうなことを敢えて書き連ねている所存で。

空気を読む能力。
私は非常に重要な能力だと思います。
また、世間でも重要だという風潮もあり、
この言葉が頻繁に話題に上がると言うことは、
皆多かれ少なかれ気になっていると言うことでしょう。

ただし、これをよしとしない論もあります。
所謂ビジネスシーン、特に欧米かぶれしたそこにおいては
弊害になると言う論だ。


彼らはこういう。

「空気を読んで意見を一致させたつもりでいたが、
 蓋を開けてみると重大な齟齬があった。
 空気を読むことに頼った結果、認識の差に気付けなかったのだ。」

「アメリカではそんな能力は逆に不要だとされますね。
 どんどん質問して、意見を言う。」



まず、私の立場を明確にしておきます。

・形式に対して劣性を持つ
・場を「無駄に」悪くしないための最低限の察知能力である。
・持つべきなのではなくて、持たないべきではない能力
 (つまり、特殊能力ではなくて、極めて普遍的・基本的な能力)

この範囲を逸する行為は「空気を読む能力」によるものではなく
「空気を読む能力を拡大解釈した」もので、
それは善悪問わず「空気を読む能力」によるものではないと考えます。


最近の「KY」の取り上げられ方は
明らかに拡大解釈が進んでいる。
「空気を読む能力」はそんな特殊能力でもないし
そんな劇的な変化をもたらす技でもない。
むしろ、既に誰でもやっているレベルのこと「しか指さない」筈だ。

たまにいる、「本当に場の雰囲気を理解できない人」
に対してのみ使うもので、
「最低限のマナーを守れない人に対して使う言葉でもない」

この点が重要で
「マナーを守る」と「空気を読む」が混同されすぎている。
これが拡大解釈の例の1つで
これによる着ぶくれがかなり大きい気がする。

この混同は分離すべきで、
空気を読む能力は世間で騒がれている
「亡霊(≒イメージ)」から比べると
よりコンパクトな能力となる。

余談だが、
マナーを相手への気遣いや規律ではなく
雰囲気で何となく守っている姿勢の顕れであり、
この姿勢が紛れもなくこれを守る意思の低下に繋がっていると思う。


もう一つは
「口に出さない」読み方の誤り。
よくある
「スルーすべきポイントでスルーできるか否か」
という奴だ。
これは勿論、空気を読まないといけない行為だが
簡単な対人関係での言葉のやりとりで使う場合のみに該当する。
つまり、
会議などで「なんか他の人は解ってるみたいだし・・・」とか
「ここでこれを言うと長引くしなあ」というのは
「空気を読む能力」として含まれない。
含まれないという言い方は語弊があるかも知れない。
正確に言うと「含むべきではない」だろうか。

これが先のビジネスシーンで障害になるという場合に該当するが
ここで「質問をする」「意見を言う」ことは
「空気を読まないこと」ではない。
強いて言うなら「空気を読むこと」でもない。

そのもっと先にある判断であって、
雰囲気の読解は範疇にあるべきではない。

空気を読まなければ質問するかも知れないが、解らないなら当然で
理解しているなら自然と質問などしない。

空気を読んで意見を言う場合も、それは必要な意見だからで
気になる点がなければ空気を読まずとも意見など無い。

すなわち
こういう場面では空気を読む読まないは実質的には関係なく、
会議ではどのように意見交換をすべきかという基本的な意識の話でしかない。

それを「空気を読む能力」の功罪にすり替えるのは愚の骨頂だ。
強いて言うなれば、

解らなさそうにしている人が危機あぐねている雰囲気を「読んで」
代わりに質問する、

誰もが同意しているにも拘わらず反対意見を封じ込めようとしている場を「察して」
反対意見の有無を改めて聞く、

等、
空気を読んだ上でどう立ち回るかによって
よりスムーズに事が運ぶのは目に見えている。

重要なのは読んだ上で、所謂「KY」な行動を取るかどうかだ。

では読めた方がいいのか。

ここまできてこういうのも変な話だが

拡大解釈を除いた「空気を読む能力」からいえば
このようなシーンでのこのような行為は
いずれも「空気を読む能力」に含めるべきではない。

一番最初に立場を明確にした際に示した
「形式に対して劣性」の範疇をはみ出しているからだ。

会議というフォーマルな形式を前提としている以上は
私の立場から言えば、
それは空気を読む行為では「あってはならない」と思っている。

(広義の)ゲームで言うところの
「ルール」と「プレイング」の差と言うところだろう。
ルールは守らなくてはならないが、プレイングは自由だ。
(フェア・アンフェアあるかも知れないが)
但し、ルールを犯さない範囲でに絞られる。

空気を読むというプレイングは使っても使わなくても構わない。
但し、会議というルールは守っての範囲で。

「解らないのに質問しない」というのは、
ルール違反か否かが論点であって
これは
空気を読むか否かというプレイングは見ていない
(見るべきではない)筈だ。

ルールを守るために読むのもアリだし、
読まない結果ルールを守れたのもアリだ。
会議というルールの下では、論じられるべきではないのだ。

だから
「空気を読む能力」は「形式に対して劣勢なもの」のみを含み
そうでないものは拡大解釈であるという立場を取る。


マナーとルールは非常に似ている。

相手を思いやることか、
思いやれなかった結果に規律となってしまったものか。

そしてこの二つを切り取ったときに残るものだけが
「空気を読む能力」として適正なものな筈だ。


今論じられている「KY」は
「ツンデレ」に似ている。
言葉として新しく持ち出しただけで、
あたかもそれが全く新しいものであるように見せ
そして独りでに膨れ上がる。

以前にも書いたと思うが
虚実にお金を転がすだけでお金があるように見える
マネーゲームにあやかって
実体がないのに言葉を転がすだけで実体があるように見えて大きくなっていく姿から
ワードゲーム
とでも言おうか。


「空気読む」能力の実体を忘れている。
着ぶくれた部分の喰らい判定が無駄に色々なものにHITして
ダメージを受けたり与えたりしてるように見えるな。




空気読まないと、空気読まないと、っていう姿勢その方が問題だ。
先にも書いたとおり
殆どの人は、既に持っている。
その感覚に従っていけばイイだけの話で
戦々恐々とするようなものではないと思うのだ。

その先はルールやマナーの問題で
これはナイーブなものだから気をつけなければならないが
空気を読むかどうかではない。


そう言うことだろう。


追記
こういう記事を書くと
色んな人から「何かあったの?」と聞かれますが
何かある場合もあるし、何もない場合もあります。
殆どの場合、何もないです。

普段から道を歩いていたりするときにこんなことを
悶々と考えていて、
世迷い言カテゴリに書いてあることの多くは
「普段、常々、思っていること」
なんですよね。

って言う旨を伝えると
「普段からそんな疲れることしてるのかw」
とか
「普段から考えてること、多くね?(懐疑的な意味で」
とか言われますが
スイッチが入ると自然とそう言うことを考え出すんですよね。

少し鬱ってるときとか。
だから気分が底辺にある毎朝とか、
嫌なことのあった帰宅時間とか、多いですねw

そう言う意味では
「なにかあった」
なのかもしれませんがw

本当に何かあると「わたしなんてしねばいいのに」とか
思惟の結果だけ書くことが多いですw
そう言う場合は大概理性的ではないため、
思考の途中経過が明文化できないので。

この記事へのコメント

呼んだ?(≧ω≦ノ

ちょ、そのネタは体(名前)はりすぎですw

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