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【公知】COMITIA119のオリジナル小説合同誌へ寄稿しました

来る2/12に、
COMMITIA119で頒布予定の
オリジナル小説合同誌「文楽」へ、
オリジナル短編小説を寄稿させていただきました。

■頒布予定日
 2017/02/12
■頒布イベント
 COMMITIA119
■頒布サークル名
 エンゼル商会(twitter)
■主催者
 吉田ギャラクシー
■頒布ブース
 ま22b
■本のサイズ
 コピー誌/A4を二ツ折
■寄稿作品
 オリジナル短編小説「シンクロ」
 前回までの寄稿作品「螺子」「排水口」に続いて
 ほんのりホラーのナンセンス小説です。
 8Pの極短小説。
 実は東方SS拙作「far,from」で
 不採用にしたシーンから
 東方要素を抜いて短くリライトしたものです。


たぶん当日会場にいます。
よろしくお願いします。

【w10m携帯】txtファイルを編集できるまともなアプリ

以前
nyama's Text Editor
がページング機能を持っているため
大きなサイズが編集できない欠陥を
アナクロな方法で回避していて
非常によさそう
と書きましたが

最近これがとてもよい感じにアップデートされました。

前は文字コードの選択がテキストボックスで
「文字コードって何があるんだ?
というかsjisでもs-jisって書くの?Shift-jisって書くの?
表記ゆれどうすればいいの?」
と思っていたのですが
これが解消されてプルダウンからの選択になりました。
安心。

ページング機能は前からあったんですが
肝心のページ選択がスライダを指でスライドするしか操作方法が無く
何十ページにもなったときに選択が困難だった。
今回で「進む」「戻る」ボタンが追加されたので
大きなtxtファイルの継続的な編集が可能になった。


依然としてtxtファイルを扱うアプリは
片っ端から
madosmaだと30kbyte程度でデバイスが音を上げる。
全然使い物にならない状態が続いています。

このアプリのアップデート情報に
「textboxの困った挙動」という文言が含まれている。
これがきっとUWPアプリのUI部品だろう。
そしてこの部品が使えるメモリに制約があるか
一定以上サイズをこの部品内に展開すると
想定外の動きをするとか
そういう感じなんじゃないだろうか。

メモ程度のサイズしか想定されていない部品なのだろう。


microsoftとしては
大きなサイズの文書は
wordでやってほしいという思想なのだろうが
正直言ってwordは機能過多だ。
どのみち数十kbyteでデバイスが音を上げるので
モバイルデバイスでwordを選択する意味が見当たらない。


なので、
現状この「nyama's Text Editor」が
唯一まともな文章編集環境になりそう。

願わくば、
上に出っぱなしのUIパーツは編集時には引っ込んで欲しいとか
こまごまとした要望はあるんですが
もう今となっては「サイズ制約なく開けるなら御の字!」という状態です。


というかほんとこのosは改善する気が無いんじゃないだろうか。
arm版が云々なんて話も出ていますし
もうこのosだめなきがする。


さっさとiosに戻るべきなんだろうなあ。

【日記】マキネッタとか言うものをかいました。

家でコーヒーを飲む機会が増えました。
家でSSを書くようになったからです。
元々は移動中に携帯電話で描いていたので、
家でSSを書く事は無かったのですが…。

Windows10Mobileの携帯にしたとたん、
携帯電話で描くのが厳しくなり
家でかくようになりました。

それに関しては追加の情報もあるので
別のエントリを書くことにしますが。


携帯で描けなくなったというのとは別に
まあ休みの日にじっくり核であるとか
携帯電話では難しい大きな構成変更作業とかは家でやります。
もしくは喫茶店でタブレット使ってとか。

喫茶店で描くことが増えたのは、
他に出来る作業が無いから集中できることと喫煙したけりゃできること
コーヒーだの紅茶だのをだらだら飲みながら作業できることです。

元々紅茶党だったんですが
仕事でコーヒーを飲む機会が増えたり
喫煙するようになってからはコーヒーも選択肢に入りました。

家でコーヒーを飲む設備が無いので
インスタントコーヒーを飲んでたのですが
なんとなくつまらんと言うこともあって
レギュラーにしたいなあとは思ってたんですが
何かよくわからんし面倒くさそうだなと。

そんで、マキネッタというものがあるのを知りました。

「おー、これならフィルタが残りあるかどうか気にせんでいい」
「これにあう豆っていうと何も考えずに深煎りに限定できる」
「道具が堅牢そうだし、水洗いでいいらしい」
「なんか楽しそう」←重要

と言うことで、
そんな高いもんでもなかったので買いました。

「直火式エスプレッソメーカー」と表記されることもあるようで
エスプレッソ「のようなもの」が手軽に飲めます。
あと、抽出されるときの感じが楽しい。
web見てると抽出されるときの音に驚いたというのがよく出てきたのですが
圧力鍋を使い慣れているのでこれは特に驚く音量ではありませんでした。

原理的にはサイフォンみたいなもんなんですね。
「直火式エスプレッソ」と言う割には圧力の要素はそんなにないように見えます。
なのでエスプレッソ「のようななもの」なんでしょうね。

出来たエスプレッソもどきは、
私は缶コーヒーとかインスタントばっかりだったので
この濃い味はなかなか、かぱかぱとは飲めないです。
この季節だとだいたい飲み終わる前に冷めてます。


webをちょろちょろとみていると

「これをさらに湯で2倍に割る飲み方がある」とか
「ミルクを入れるとおいしい(カフェオレのようなもの)」とか
「多めに砂糖を沢山入れるのもアリ」とか
「極細挽が推奨されているけど中挽の方が好み」とか

とかなんとか出てくる。



出来たコーヒーを牛乳で割るのが面倒臭いので
本来水を入れるべき部分に最初から牛乳を突っ込んでしまうという暴挙
に出たところ、
なんかそれっぽく抽出されました。
(ミルク成分が固まるので洗うのが少し面倒臭いですが
ブラシがあればさほどでもありません)

今は
牛乳で抽出して、同量のホットミルクで割って砂糖を少し入れる
という飲み方が増えています。


webには
「火が在れば他の面倒が無いのでアウトドアでもOK」
みたいなのもよく見えますが
個人的に

「こんな重たいものアウトドアにもってく訳がない」

と思いました。

これは遊び甲斐がありそうなのでこれから楽しみです。

【雑記】Windows10Mobile(MADOSMA)で長文テキスト編集できるか③

結論から言えば、
今のところ
サードパーティのtxt編集可能アプリを使うより
WordMobileを使うより
OnenoteMobileを使うのがいいなと思っています。


いかはだらだらその経緯。


以前記事に書いたnyama's Text Editorですが、
いくつか惜しい点があり
改善されればよさそうだなと思っていたのですが
5月から更新がないので
恐らくこの先も大きく変わる事は無いだろうと思い
個人的にお蔵入り。

もうドキュメントそのものをどう書くかからは目を逸らして
一つ二つ前の記事にある通り、
Onenoteによる文書作成を試みています。


現在
・デスクトップ/win10
・携帯/win10mobile
・タブレット/win8.1
で運用しており、
それぞれの環境でonenoteが動くこと
アウトライン化アプローチが可能であること
がキーになっています。
ついでに言えばブラウザでも扱える。

ページをつかんであっち行けこっち来いと
容易に入れ替えできるのが個人的においしいです。
一般的なアウトラインエディタとしての機能を満たしています。

20161103.pngデスクトップ版(PC)
書くときは全体表示にしてメニューなど全部隠しています。

wp_ss_20161102_0001.pngMobile版(携帯)
書くときには強制的に全体表示となる。元よりそうあってほしい。

スクリーンショット (1)UWP版(タブレット)
書くときは全体表示にしてメニューなど全部隠しています。


とりあえずデバイス的なシームレスは満たしてくれました。
タブレット/携帯電話で使用できるため、
空間的なシームレスも満たしてくれています。
機能的にも3種ともほぼ同じものが乗っているため
いずれを使ってもそんなに作業の差はありません。

・ページ内の1行をつかんで移動することはmobile版ではできない
・スペルチェックがうざいがmobile版ではオフにできない
・wordファイルへのエクスポートはデスクトップ版でしかできない
など些末な差です。

機能的に大きな差があるのは
「セクショングループ」の扱いのようです。
これをまともに扱えるのはデスクトップ版だけで
MOBILE/UWPともに
表示は出来ますが制限があるようです。

MOBILE/UWPともに
セクショングループを作成したり、位置を移動したりは出来ない。
(中に含まれるセクションやページを表示したり編集は出来る)

セクショングループについては
複数の環境で扱う場合には使用しない方がよさそうです。


で、
onenoteのもう一つのメリットはサイズ分割の観点です。
mobile版(携帯電話)で現れますが
txtファイルの扱いがゴミクソのw10mは
20kbyteくらいでデバイスが悲鳴を上げます。
SSなんかかけません。

先のnyama's Text Editorで実装されていた素敵機能
「ファイルの分割表示」を
容易に再現できるようなんですね。

Onenoteはファイル実体としてはノートブック単位に作成され
セクション>ページ>サブページ
を含みます。

デスクトップ版では、
セクションはexcelで言うシート
ページとサブページは分かれているようで別れてはおらず
ただセルの列が違うとかそういう程度のもののようです。
サブページに下げるというのがタブ挿入と考えれば
確かにそんな感じの動作にも見えなくもありませんがさて

mobile版でよくよく使ってみると
ファイル実体が同じだと思っていたのに
メモリ内に落とし込んでいるのは
ページ(あるいはサブページ)一つ分だけのようで
1ページ内を短めに納めれば
アウトライン化/デバイスシームレス/どこでも編集
が可能じゃないですか。

textではクソみたいに小さいサイズしか扱えないし
大き目のサイズを扱おうとするといらん機能がてんこ盛りで
融通の利かないWordを使うしかないなんて
つまらん環境よりよほどいいです。


一番最初にonenoteを使ってみた際には
アプリ自体がひどいもんで
文字幅けるわ落ちるわ重いわで
話にならなかったんですが
だいぶましになったおかげでこいつが一番かもしれません。


但し、ONENOTEは
テキストエディタ/ワープロソフトではないので
厄介な問題もあります。

①全角スペース入力不能
日本語で段落つけに使用する全角スペースの問題。
mobile版では全角スペースを入力できない。
物理キーボードを使って
全角モードでスペースキーを押しても
半角スペースが入力されます。

これはONENOTEの問題ではなく、OS全体の問題。
全角スペースを扱えないのは
個人的に日本語を扱う点でかなり大きな欠陥だと思っていますが
同時に昨今のIT機器上では全角スペースの入力など
軽んじられるだろうことは想定済みです。

実はiosでもそうだったのですが、
「s」から辞書登録で変換して対応していました。
ですがw10mは未だに辞書登録機能がない
ガラケーにさえ劣る状況
なので対応不能です。

現在私は「␣」という謎文字(一応、すぺーす、から変換できる)を使っていますが
辞書登録機能がない点はいかんともしがたく
4文字も打たないといけません。
予測変換でもせいぜい「すぺ」くらいまで打たなければいけません。
非常に煩雑です。FBも送っていますがどうにかなる気配はなし。
さっさと何とかしろクソMS


②全角スペースの問題その2
①で全角SPをコピペすればよいものを
わざわざ「␣」なんて文字を入力しているのには理由があります。
ONENOTEでSSを書いて最終的に完成した時には
まずDOCXへエクスポートすることが想定されますが
この時、行頭の全角スペースが削除されます。
全角スペースは文字ではなく
ただの空白記号とみなされているようです。
日本語の機微をわからない人が設計しているのが
ありありと伝わってきますね。

何か別の文字に置換されるなら一括置換で元に戻せますが
削除されてしまうのでは手の打ちようがありません。
なので、別の文字を挿入しておく必要があり
苦肉の策です。
別に「@」でもなんでもいいんですが、
一応編集時の見た目としてね。

さっさと何とかしろクソMS


③行頭の謎文字
②のエクスポートの問題ですが
空行の先頭に対して半角スペースのような文字が必ず挿入されます。
これは正規表現の一括置換で削除できるのでマシですが
何なのだという感じです。


④エクスポートの単位
前にも書きましたが、
完成した際にはdocxへエクスポートします。
その際、エクスポートできる最大単位は
セクションであってノートブックでは不可能です。


なので理想を言うと、
セクションが作品単位となるべきなんですが
それだと直下にページとサブページしかないため
いろいろと融通が利きません
(サブページはインデントをいくつもつけられるので
利便性を気にしないなら複数回ネストすればよいのですが)。

上に乗っけたスクショでは、ノートブックが作品単位です。
なのでセクションごとにエクスポートして
あとからくっつける作業が必要で
そのためトップカテゴリのセクションは乱立させられません。
これは非常に残念な仕様です。

この仕様のために、
作品の作り方や投稿がwebであれば投稿の形式、
あるいは製本が前提であればそうした最終形を
よく考えてからノートブックの構造を作っていかないと
頓挫します。

最初はセクションごとに大きなシーンを作って書こうと思っていたのですが
それをすると完成後にドキュメントにするときに詰むことに気づいたので
慌てて再構成しました。

もし気づかないままセクションが30とか出来た後で
txtなりdocxなり一つのドキュメントにしたいとなると
もはや目も当てられません。

ONENOTEはevernoteのMS版みたいな位置づけで
様々な情報をひたすら蓄積していくことで威力を発揮するアプリなんですが
エクスポートの単位が制限されると
加工後のことを考えて
インスタントに蓄積していくことが躊躇されます。


⑤OnenoteMobileはフォント種類の設定ができない

ので、
Mobileで編集した後のノートを
デスクトップで開くと
文字列の一部だけが変な(たぶん游系に強制)フォントになって
混じる。
デスクトップかタブレットで見つけたときには
ページ単位でフォントを統一するワンステップが必要になります。
気にしなければいいことですが、かなり気になります。



⑥そうはいっても1ページには数kbyteくらいしか書けない
ここにはもう絶望しかありません。
OS全体に漂う絶望感なのでもう仕方ないというか
さっさと何とかしろクソMS






こんな感じに、
気を付けなければならないことは多々ありますが
長文を書こうと思う時、
欠点があるばかりで特に利点がないwordを使うよりは
欠点はあるが別の機能が見込めるonenoteの方が
精神衛生上マシかなと思っています。

30kbyteくらいの短いSSしか書かないなら問題ないのですが
私は短い話が書けないので
まあ
身から出たさびという感じもしますが

SSを書くのにこんなに難儀しなきゃいけないのが辛いです。

【世迷言】理解などない

先日、故あって高校時代の同級生と話してきました。
下手すると15年ぶりとかそういう。

少し回りくどくなるんですが
当時の私の学内の立場を説明しときますと
所謂「底辺いじ(め)られカースト」内にいて、
主にその中のメンバーと仲良くしているけど
上位階層の人とも摩擦を生じない程度には上手くやっていた
みたいな感じ。

「底辺いじ(め)られカースト」内にいたメンバーの
上位階層からの扱いは惨憺たるもので
まあ、云ってもステロタイプな言葉になるだけなので
その程度のものだとだけ書いておきます。


まあカースト内で
私は上の人ともそれなりにやり取りができていた
というのもあって
先日の再会となった。

私も別にもう「ンな昔の事気にせんわ」って感じなので
素直に懐かしくて楽しかったのですが
そうでもない人と言うのはいるようです。


当時上位階層にいた人は怨恨も何もないのですから
10年以上経てば自然と気にしなくなるもので
そうした同窓会的なモノに下位の人間を誘ったりもするのですが
下位の人間の中には水に流せない人もいて
結局来なかった人もいます。
私が窓口になっているケースもあり
「イヤ」と言われた内訳も知ってたり知らなかったり。



で、いろいろ楽しく話したんですが
ふと昔の話になって、
ちょっといじめられ風味だったクラスメイトの話になった。

元々隅に追いやられ気味だった彼が
授業中に吐き気を催してぎりぎりまで我慢して
ついに我慢できなくなったところで
教室のゴミ箱に吐いたって出来事があって
それを振り返ったのですが。

今となっては笑い話ではあるんですけど
話題に上った元上位階層のメンバーは
彼がなぜそんな風になったのか
最後まで分からなかった風でした。

・なんでいきなり教室で吐き気が?
・吐き気があったのにあそこまで我慢した理由がわからない
・しかも教室のゴミ箱とかなぜ?

と言う感じ。

歳を食った、もっと言うなら、進学校だったのだ、
今や私が一緒にいるのも辛くなるような
学校->職業についているやつばかりだ、
頭もいいのだし私のような狭い社会ではなく
いろんな社会を見ているのだから
たとい自分が下層に属した経験が無くても
そういうのを想像できるようにはなるのだろうと思っていた。

けど、もしかすると
中流以上の人の中には
最下層民の思考/行動アルゴリズムと言うのが
本当に絶対にわかない人がいるのかもしれない。



「マジでわかんないの?」
って喉元まで出かけていたけど
ここでそれをいっても全員敵になるだけなので
やめておいた。
空気的には昔をネタにして笑っているだけなのだから
青臭い正義感だすこともないでしょう。

私がそうだったように
この場にいない彼も
もしかしたらもう水に流しているのかもしれないのだから
当事者じゃない私が彼の代弁をと言うのもおこがましい。


でも
なんかそこで悪い意味で腑に落ちた。
酷く合点がいったわけです。



いじめについて、
その抑止として「寛容たれ」ということを聞かされるが
やはりそれは無理な話だと思う。

教室と言う社会は全員が
意図するしないにかかわらずデフォルメキャラだ。
毎日数十人程度の狭い箱の中で生きていて
そこで人間関係をこねくり回すのだから
どうしたってキャラがデフォルメされる。

広く均質が進んで
無個性の方が重要な大人の社会に出た人間は
どうにも忘れがちなことだが
あんな、実在する漫画ワールド、滅多なものじゃない。
一度忘れた大人には
きっともう思い出すことが出来ないのだろう。

そんな中で「寛容」や「理解」なんて
本当になせることなのか、私は疑っている。


現に目の前で
余程に頭のいい連中
しかもすでに、いじ(め)る悪意なんて持っていない
ニュートラルにあって
しかも社会にまで出ている連中が
最後まで無理解の中にいた。

今に至って理解を示す必要なんてないから
そこから変化なんていまさらしないだろうけれど。



先の話に少し振り返ると
「彼は、いじ(め)られていて既に精神的に萎縮状態にあり、
吐き気を理由に教室を出ることでさえ
また自分がいじ(め)られるネタになることを恐れていた。
もし自分が必至で我慢して通り抜けることが出来たなら
それが一番被害が少ないに違いないのだから
そうすべきだと判断したのだろう。
でもそれに失敗した。
失敗した結果またひどくネタにされ
委縮はさらに進行した。」
と、いう何段階か踏んだわけだけど
上位階級の人間にとってみれば
その一段一段がきっとファンタジーなんだろう。

私が上記の事をいったとしたら
頭のいい上位階層の人間は
「失敗したリスク考えたら我慢しないだろ」
って間違いなく言う。
でもそんなんじゃないのだ、理解できないのだろうけど。

中流階層以上に所属している人間に
下層人間のそうしたアルゴリズムを知ってもらうというのは

「光のスペクトルをして赤の外側にまだ別の色があるからそれを知れ」
みたいなものなのかもしれない。
彼らの中では「存在しないもの」なのだろう。
理解は無理で、寛容は無関心という形でしか実現できないのではないかと思う。

言葉で言われればわかるかもしれない、
でもおそらくファンタジーの世界なのだ。




「原因はいじめられる方にもある」
という言葉は不寛容の悪のセリフとしてとらえられがちだが
「原因はいじ(め)られる方にもある」と
「責任はいじ(め)られる方にもある」は別である。
原因と責任を混同したうえで
理解と寛容を推進しようというのなら
それは笑止千万だ。


上記の話で、私は
吐いた彼が悪い(≒責任がある)とは思っていないけれど
原因は彼の方にあるのだと思っている。

スクールカースト的な階層分離という「現象」に対して
因果という形で「原因」を見出しそうとするなら
そこに責任と言う道義的な見解をねじ込むべきではない。

解決を目的として因果関係を解剖しようとするのに
真っ先にそれは邪教だと思う。

責任と言う宗教なり医学なり科学なり魔術なりを適用するのは
仕組みが分かった後の話だ。

つまり先の
「おそらく絶対的な無理解」という
根底的環境の上にのっかった
彼のおかれた萎縮状態というのが原因だ。

これを
「いじ(め)られる方に原因がある」と言わずして
なんというのか。

無理解の方に原因を寄せるのは、
論理的には可能だが現実的には不可能な
「絶対値で反転」のような芸当だろう。

「責任」は、確かに無理解の方にある「かもしれない」。
「かも知れない」というのは、
それを決定するのは何らかのイデオロギー次第だからだ。

その「無理解」が何故なのかを詳らかにしない限り
責任と言う言葉は持ち出すべきではないだろう。

だから
「いじめる方に責任がある」
「いじ(め)られる方は悪くない」と切り込むのは
こんにちのような状態で持ち出すには
少々暴論染みていると考えている。



私は
恐らく
「いじめる方に責任がある」「いじ(め)られる方は悪くない」
と叫んでいるほとんどの人間は
前段の「無理解」の中で
正義自慰でいっているだけだと思っている。
「いじめる方に責任がある」「いじ(め)られる方は悪くない」
は、ぶっちゃけ「当たり前すぎる」。
原因が責任の所在とは逆位置にあるから厄介なのだと
そんなことは、はっきり言って誰だってわかっている。

逆に実際に底辺にいたことのある人間が口にしてしまうと
自己弁護味を帯びたひどく軽薄な言葉になるのだから
この二者の理解はきっと得られないだろう。



私は元来
人間同士の理解と言うことにひどく悲観的らしい。
妄信的に理解できると思っている人の楽観の方が
私にとっては不思議なところなのだけど。
無理解の中でどう折り合いをつけるかが重要なのであって
そこに責任や正義を持ち出すと
たちまちに酷く歪になるとは感じないのだろうか。

何か社会的に統一的な方法で
「いじ(め)られ」をなくせるという風潮があるように見えるが
私はその方法ではだめだと思っています。

尖ったデフォルメキャラが
ごったまぜのおもちゃ箱の中にいるような教室と言う社会に
そんな画一的な思想で均す方法が通用するとは
私にはどうしても思えないのです。


という下層人間の自己弁護。


あ、ねんのため重ねておきますと
私自身は今更そんなことで怨恨を持ったりはしていません。
純粋に、今でも友人として扱ってくれていることには
それなりの感謝を抱いているくらいです。
住む世界は違いますけどね。